日  録 体はサマータイム  

2011年6月2日(木)

新しい月の卓上カレンダーを開くと、第一日曜日の欄に○に囲まれて入の字が書いてある。いつかはわからないが、わざわざ捲って、書き込んだのは間違いないところだが、メモの意味が解読できない。大事なことならば記憶しているはず、忘れたということは、たいしたことではあるまい。あるいは、月や日を間違えたか。などなど、堂々巡りを募らせている間に、朔日のきのうが終わり、今日になって思い出した。友人と電話しながらのメモであった。入は入院の入、大切なメモではないか。

肌寒い(?)日が続く。今日も10度を少し越えたくらいである。雨のなかズッキーニを3本収穫した。わが手によりて授粉したあと、2、3日でみるみる大きくなる。
「あとでなんて思っていると、すぐに大きくなってしまいますから、いま見て大きいと感じた、そのときがとり頃ですよ」と教えてもらった。
食べる楽しみはあとにとっておいて、つやつやとした、芸術品のような形をしばし楽しむことにした。


「南天の葉をスケッチせよ」
中1の女生徒が「理科の質問」として持ってきたのがこれである。学校から出された宿題だという。

咄嗟に玄関の横にある南天の木を思い浮かべた。6年前に越してきたとき、前の住まいから持ってきたのを植え替えたもので、火難を防ぐという伝承や、田舎の家では家族が揃ったときなどの記念撮影はきまって井戸のそばのこの木の前だったという思い入れから、あえて玄関横にしたのだった。

その南天の木は、いまや2メートルを超えるまでに成長し、縦横に葉を繁らせ、毎年花を咲かせ、赤い実をたくさんつけるようになっている。絵心があればスケッチのお手本を描いてあげるところだったが、ネットで探して印刷したものを渡した。

「実物を持ってきてあげようか」と言うと
「はい。先生に見せます。お願いします」
と素直なことばが返ってきた。

忘れないために、戻るとすぐに葉を切って目につくところの、ブリキ製の水差しに入れた。
ふと思いついて、もう一枝切った。こちらは神棚の前の花瓶に挿した。葉の形が神社の紋である橘に似ているからだ。

少し前まで、その花瓶に庭の花々を代わる代わる挿していたが、何かの拍子に姉の知るところとなって、
「そこには榊だよ、仏壇じゃないんだから」
とたしなめられた。以来、榊も買いそびれ、花瓶のみが置かれていた。

南天の葉なら、姉も神も許してくれるだろう、と。


2011年6月5日(日)

“ボクは洟垂れ小僧”、比喩的な意味ではなく、ふとそう思った。気がつくと水洟がでているのである。このところの気温の高下に対応しきれないで、体が危険信号を発している、とは言いすぎだが、鼻水をすすりながら子供の昔に返るような心持ちになった。その連想から、洟垂れ小僧ということばが浮かんできたのである。

小僧と言えば「不信任案」でちょこまかと動いていた前首相の鳩山由紀夫である。在任中からいけ好かない男だと思っていたが、これほどの“政治小僧”だったとはあきれ果てる。顧みて、同じ小僧は言動を慎まなければならない。

極私的な話題としては“ハンプティ・ダンプティ”(「夢の往還」其の九)。
マザーグースや『不思議の国のアリス』で有名な人物である。すぐに落っこちて元に戻せない、ということからアメリカでは「泡沫立候補者」をこう呼ぶそうである。「登場人物」の名称にどうかと、長い期間考え続けていたところ、何の脈絡だったか生徒の一人が「ハンプティ・ダンプティ」と口走ったのであった。

計算用紙に、卵の体を持つ男を描いてそこに向けて何度もペン先を突き立てている。もちろんいつもの冗談で、深刻なうらみがあるわけではない。ただこのとき、ボクと彼女の不思議な暗合に驚いた。

その生徒を担当して3年目になるが、ボクのことを“カッパ”と命名した張本人である。こちらは芥川龍之介の小説や『遠野物語』で有名な動物で、あだ名としては過分だろう、と思っている。あだ名はその名の通り、いずれ消えるものだが、カッパはまだ流通しているらしい。


2011年6月6日(月

居間に掃除機をおいていつでも使えるようにしてあるのは、テーブルめがけて侵入してくるアリたちを吸い込むためである。

数日前のことであった。家に戻るとテーブルの上の小鉢のなかでアリが十数匹蠢いていた。そればかりか小鉢をめざすアリの長い列ができている。帰宅早々のこの光景はさすがにぞっとしないものがあった。

この小鉢でバナナに牛乳を注ぎさらに砂糖をふりかけて食べた。その何日か前にアリの大群(?)を見かけたが、無警戒のまま小鉢をそのままにして家を出たのである。少々アリを見くびっていたのかも知れない。こんな事態は想像できなかった。

アリは、仲間の匂いを辿ると言うけれど、次の日も、その次の日も、そして今日も、一匹、二匹……と次々とテーブルめざして現れる。そこで見つけ次第掃除機で吸い込むのである。

以来テーブルに食った跡は残さないが、これはアリの記憶との闘いでもあろうか。もちろん吸い込んだあとのアリの消息は知らないし、知りたくもない。そこまでの熱狂は湧かない。


2011年6月7日(火)

午後庭の整理を思い立った。雑草や竹の群生を刈り取り、レンギョウ、山吹、雪柳などすでに咲き終わった木々の剪定も行った。枝先がかなり道路にはみ出しているので外に出て切らねばならなかった。

この作業自体は例によって中途半端なものに終わったが、裏手にことしは木イチゴがたくさんなっていた。地を這う木なので真っ赤な実はいろいろな草花や木々の隙間から顔を出している。赤い灯のように咲いている、というのがぴったりの風情である。ただ、食べるには何となくためらわれる。

ちょうど通り掛かった近所の人が自転車を停めて、
「ああ、なつかしい」
と、柵からはみ出したイチゴを一つもいで、拭きもせずに口に入れた。
「小さい頃はよく摘んで、食べたわね」

当方にとってもこれはなつかしいのである。今頃の季節、山に入って遊ぶ楽しさの一つはこれであった。弁当箱に入れて、塩水に漬けて食べた。格別にうまかった記憶がある。

なっている場所も形も比較的きれいなイチゴを三つばかりとって中に入った。匂いを嗅いで端っこをかじった。酸味の利いた甘さだった。そこで思い出した。田舎の山でとったのは、形はまったく同じだが、黄色いイチゴだった。当時から木イチゴと呼んではいたが、頭のなかでは“木”でなく“黄”だと思っていたのかも知れない。何度も言うが、旨かった。

2011年6月9日(木)

茄子が実を付けていた。あとからできるのを大きくするから、はじめての実は早くとった方がいい、と教えてもらった。親指二本分くらいの大きさだったが、艶もカタチも、もはや立派な茄子である。手がふさがっていたせいもあるが、いったん胸ポケットに入れて家にむかった。途中近所の人への朝のあいさつのつづきに、取り出して見せると、「まあ、かわいい」と言ってくれた。サンチュ、サニーレタス、それに卵を落として炒めた。茄子はさらに小さくなったが、紛れもなく初ナスであった。


2011年6月10日(金)

高松駅から立川北駅までたったひと駅だったが、多摩モノレールに乗ってみた。行き先はJR立川駅、歩いてもたいした距離ではない(また急いでいたわけでもない)が、歩き始めてすぐのところにモノレールの駅があった。一本のレールにまたがって、頭上を颯爽と走る乗り物に是非乗ってみたいと思った。ほとんど衝動に似ていた。

利用客の多さにまず驚いた。午後6時頃だったが、学生を含めて、年齢層も若かった。
つぎに颯爽と走っていると思ったのは見上げているときの錯覚だと気付いた。窓の外、目線の高さはビル群の4、5階あたりだが、流れゆく景色はとても緩慢だった。緩いカーブも減速してなめらかに走る。
颯爽と似ているところを探すとすれば、しなやかな乗り心地、となろうか。終点の多摩センターまでいつか乗ってみたいと思う間もなく、3分間の乗車が終わった。


2011年6月14日(火)

お昼前に少し晴れ間が覗いた。庭を見ていると、黄色い花の上でモンシロチョウが数匹、互いに戯れるようにして舞っている。
「君が止まれよ」
「いえ、あなたが止まればいいわよ」
「待てよ、オレが止まろうとしたんだぜ」
そんな会話を交わしているのかも知れない。
離れたところにいた一匹は、群れを横目で睨んで、地面近くのうすむらさき色の花びらに止まった。

さらに向こうの、ひと重のつるバラがいまを盛りに咲き誇る(例年より一ヵ月遅い)フェンスの上では雀が一羽左から右に踊るがごとく移動していく。
この無定型な庭には、チョウと雀が似合っているなぁ、と感慨に浸っていると、どこからともなくウグイスの鳴き声が聞こえてきた。
するとこの庭が別の風貌を帯びてくる。

夕方から雨の予報なので、その前に草むしりのひとつもやらねばならないところだったが、体も心も動かない。こんな日もあるんだ、と得心させて、ひねもすくたりくたりかな、である。

【「秋は ( )のように天気が変わりやすい」 ( )に入る言葉を書け】などという問題が学校で出されたらしい。小6の理科テストである。それに倣えば【「春の海 ひねもす ( ) かな」( )を埋めて俳句を作れ】としたいところ。やんぬる哉。


2011年6月16日(木)

午前3時すぎからの月食ショーを見なければと思いつつ1時過ぎに眠りに入った。いつもならば、その頃目が覚める習いなので期待した。ところがこの日にかぎって目が覚めたのが4時で、空はすでに明るい。一応窓を開けてはみたが、まだ空に残っているかも知れない月を探す気力は失せていた。この浅い眠りは“当て”にならない。来年(2012年)の5月21日には、金環日食がほぼ全国で見られるという。今度はそれを愉しみに、再びベッドに横たわった。

数日前から気になっている車のことでディーラーに電話をする。エンジン始動時に、タコメーターと速度計の2つの針が一度マックスに振れてしまうのである。いまのところエンジンは通常に掛かり、走行に影響はないみたいだが、いろいろ想像していくと、不安である。
しかし、 セールスのM氏は、
「そんな症状ははじめて聞きますね」
つれない返事である。

会話の中で「電気系統」という言葉が出てきたので、素人判断で「バッテリー液の補充」を思いついた。近くの自動車用品専門店に駆けつけ、値段がさまざま(68円から598円)だったので、中くらいの198円の物を持ってレジの男性に聞いてみた。
「どうちがうの?」
「ほとんど気持ちの問題ですよ」
「そうなの?」
「だいたい、バッテリー液を補充される人なんてほとんどいなくなりましたね。入れないよりは、入れた方がいいのですが、入れなくてもいまの車はたいして支障はないようになっています」
これはバッテリーの質が向上したととればいいのか。ともあれ、車の症状を話す気力をなくしてしまった。
なんとも曖昧な(まるで梅雨空のような)一日のはじまりとなってしまった。


2011年6月19日(日)

昨日土曜日は、代講を頼まれて急遽国立へ行くことになった。その帰り、駅に着くとタイミングよく電車が来た。行き先が「高麗川」となっている。これには感動した。

高麗川は八高線と川越線の分岐となる駅でいま住んでいる日高市の中心地である。国立に行くときはおおむね車で、ひとつ先の東飯能まで出てそこから八高線に乗ることにしている。今日もそうだった。 「高麗川行き」ならば、八王子、または立川・拝島で乗り換える必要がないのである。これほど嬉しいことはない。

勇んで乗り込むとすぐに、この感動を伝えたい男の顔が浮かんだ。

少し前に、八王子駅でJR東日本に就職した教え子にばったり出逢った。最近八王子支社に転勤になったとのことだった。仕事で新宿までと言うから当然同じ中央快速に乗るのだろうと思っていたら、先に来た「特急あずさ」に同僚らしき人と一緒に乗って、行ってしまった。30半ばくらいの働き盛りである。もらった名刺を見れば、部下を何人か従え責任ある仕事をしているようである。こちらはもっと立ち話をしたかったが、叶わなかった。他日を期して別れたわけであった。

その邂逅はメールの記録を見ると2月24日だった。もう4か月近い前のことになる。その後「東日本大震災」「計画停電」と続き、鉄道マンの彼にはとりわけ忙しい日々だったと推測される。

電車の中から送ったメールの返事が、数時間後に来た。前のメールでは「いつも八高線、中央線をご利用いただきありがとうございます」と書かれていてついニヤリとしたものだったが、今回は感動については一言も触れていなかった。代わりに、小学生の息子に自身も学びながら教える楽しさ・喜びについて語っていた。

それはボクの、ある意味つまらない感動よりも、十分に熱いのであった。

「前日、いや当日でもいいですから、時間がとれそうなときに電話下さい。八王子でお茶しましょ」と結ばれていた。近いうちに、きっと、と思う。


2011年6月21日(火)

昨夜、日付が変わろうとするまさにその時、風鈴を鳴らすために少しだけ開けた窓の向こうで話し声がした。
気温はまだ20度を下回らず、かすかに入り込む風もなま暖かかった。窓辺には、日ごとに葉を増やしていく合歓の木がある。その葉はすでに剣先のような形に折りたたまれて眠っている時間だった。フェンスを隔てた向こうは公道である。

こんな時間に立ち話か、とはじめは思った。聞き耳を立ててみた。さわさわとした葉擦れの音のようにしか聞こえなかった。何を話しているのか知りたい興味も湧いたが、そのうちどうでもよくなった。
人の声はその昔に聞き覚えたことのあるなつかしい響きを持っていたからである。2分ほど続いて、突然話し声は熄んだ。人の立ち去る気配はしなかった。

「(山の麓の雫石という村で)相応な農家で娘を嫁にやる日、飾り馬の上に花嫁を乗せておいて、ほんの少しの時間手間取っていたら、もう馬ばかりで娘はいなかった。

方々探しぬいてどうしても見当たらぬとなってからまた数箇月も後の冬の晩に、近くの在所の辻の商い屋に(中略)からりとくぐり戸を開けて酒を買いに来た女が、よく見るとあの娘であった。(中略)

(商い屋で寄り合って夜話をしていた村の者たちが)ぐずぐずしているうちに酒を量らせて勘定をすまし、さっさと出て行ってしまった。それというので寸刻も間を置かず、すぐに跡から飛び出して左右を見たが、もうどこにも姿は見えなかった。

多分は軒の上に誰かがいて、女が外に出るや否や、ただちに空の方へ引っ張り上げたものだろうと、解釈せられていたということである。」(柳田國男『山の人生』中 「十四 ことに若き女のしばしば隠されし事」)

いまは「冬の晩」でも、ここは「辻の商い屋」でもないけれど、人の声のように聞こえた音が「神隠しにあった若い女」を連想させた。あの声、あの音の正体は、合歓の木のおしゃべりだったのかも知れない。昨晩と今日と続けて、昔からのなつかしい友人ふたりに何年ぶりかに逢うことができた。ふたりとも、ほとんど偶然のような成り行きで、そうなった。こんな僥倖も、葉擦れのようなその人声の導きだったにちがいないと思ったりするのである。


2011年6月23日(木)

昨22日は、24節気のひとつ夏至であった。朝から気温が上がり、午前9時パソコン画面上に示される温度は27℃になっていた。体感としては30℃を越えている。実際その日は、熊谷で35.5度を記録したという。この先梅雨寒なんてあるのか、と心配になる。生活上のメリハリからも、俳句の季語としても、いい言葉であるだけに惜しまれる。

21日の深夜、テレビで村川透監督の『凶弾』(1982年)を見た。「ぷりんす号シージャック事件」(1970年5月12日)を題材にした、いわゆる“実録もの”だというので見る気になった。
映画では、江ノ島港に設定されていたが、実際の事件は(記憶が正しければ)広島港・宇品桟橋で起きた。甲板に出ていた犯人が警察のライフル狙撃手によって射殺されて事件が終熄した。その瞬間がテレビ中継され、甲板で倒れゆく犯人の姿が何回も放映された。(いまも、YOU TOBU で見ることができた。)

そのとき「警察権力は横暴だ。裁判を経ない死刑だ」と怒りを共有したのを覚えている。『凶弾』はそんな「警察への怒り」を継承していた。ただ犯人像について、映画がほぼ事実のままだとすれば、こちらは何も知らなかったに等しい。当時知っていたこともいまや忘れ果てたということだろうか。

なぜ事件に及んだかを示さなければ映画(物語)は成立しない。それが事実であろうとなかろうと、観客の心情を納得させるための犯人像の造形は不可欠である。としても、映画の主題がどこにあるか、つねにそこに立ち返って作らなければ、見る側には散漫な印象しか残らない。多くを語りすぎて結局何も語っていないという落とし穴に陥ることになってしまう。

そういう印象がなくもなかったが、まずは面白く、最後まで見ることができた。舞台を中国地方、広島・宇品にしてくれていればもっとよかったのに。もっともこれはないものねだりか。


2011年6月26日(日)

世の中にはさまざまな人間がいるが、小さな世界だとそれはなかなか実感できない。大きくなって、わかる。では大きいというのがどのくらいの規模のものか、と埒もない考えに堕ちて、ゆきついた先が“クラスの人数”程度ではないかというものである。

これも、いまなら30人前後、われらが中・高生の頃のはるか昔は40〜55人で、指標としては曖昧きわまりないが、常時関わらざるを得ない人たちという意味ではクラスという比喩は適切ではないか。

なぜこんなことを考えたかというと、アルバイト先の会社がつい2週間前に、3つの営業所を統合した新しいセンターをスタートさせたからである。アルバイト全員が各営業所からそのまま移行し、寄り合い所帯になった。

つまり、10人程度の家族・親族的な組織から、世の中を擬似体験するようなクラス的な組織になったわけである。そして、人はさまざまである、との思いを、この歳になってまたぞろ抱きはじめた。

かつては気がつきもせずにいたことが、40人の世界となれば、否応なく目に入ってくる。具体的に何がどうというわけではないが、何かがちがう。はたらき心地が悪いわけではないが、ちょっと構えてしまうことがままある。まだそんな程度である。

“ クラス”としてのまとまりが出てくれば、また趣も変わるだろうか。


2011年6月28日(火)

午前11時までに、携帯にメール1件・電話3件の着信あり。メールは、昨夜の返信であり、それに再返信した。電話は、1件は気付かずにいた。すぐさまかけ直したが、留守電に切り替わっていた。あと2件は、碌でもない用件で、先方にはそんなつもりはないだろうが、休みを見透かしたように掛かってくる。暑くなりそうな一日だが、兼ねての予定通りジャガイモ掘りをするに如かず、と畑に降りた。

全部で6畝残っている。なんとなしに右の畝から掘っていこうと思い名札を見ると、土にささった部分が切れて読めなかった。この列は赤い皮のジャガイモ(あとでわかったところによればスタールビーという品種)である。小振りだがインカのなごりを残したような気品あふれる形をしている。

これの厄介なところは、とても深いところにイモができていることである。硬い土をシャベルで掬って探さねばならない。畝の半分(7茎目)まで来て、これは大変な仕事だと思い、やっと一列終わったところで休憩をかねて水分を補給した。すでに1時間がたっていた。

洞爺、北あかり(いずれも品種名)の列まで来て、今日は終わりとした。あと2畝が残ったが、限界。あっという間の三時間だった。
2つの買い物かご(スーパーにあるようなヤツ)に満載の収穫だった。
土を付けたまま、その土が乾くまで陰干しして、と隣のTさんが教えてくれた。

ただ自分の食べる分は待ちきれなくて、掘るときに傷を付けてしまったものをより分けて炒めにかかった。そのとき家の電話が鳴った。

「あの、テレビの、NHK?」と聞き直すと、「そうです。この間○野がお伺いして、受信契約をしていただきましたのでその確認の電話です」
「いま、火を使っているので、10分後に」
台所に戻って火を付け始めるとまた電話が鳴った。
「あれ。10分後と言いませんでした? こちらからかけますよ」
「いえ、失礼しました。1、2分後かと。では10分後に」

以上、今回は脚色一切なしで再現してみた。電話に始まり、電話におわる。

そういえば、 配偶者からも珍しく数回電話があった。ドメスティックな用件ながら、大事と言えば大事なことであった。 こちらの休日を知っているので、いろいろな懸案をぶつけてきた。


2011年6月30日(木)

ここ数日、ただ暑い。そのせいでもあるのだろうか、昨日の起床が午前5時前であった。今朝は、5時、6時、7時ごろにそれぞれ目が覚め、うつらうつらを繰り返し、ベッドから立ち上がったのは7時半。思えば、深更、雨と雷の音を聞きながら寝入ったのだった。

こんなに早起き(または浅いねむり)だと、昼夜を問わず眠気が襲ってくる。朝の車や移動中の電車の中、仕事の合間などいずこにいても眠い。 “体はすでにサマータイムですよ”と同僚に漏らしたところ、キョトンとされてしまった。気の利いた言い回しと思うのは我だけか。
実はそのあとビリーホリディの「サマータイム」を思い出し、無性に聞きたくなった。何の脈絡もないが、あの哀愁を帯びた歌声がよみがえった。レコードはあるはずだが、プレーヤーがいかれている、かも知れない。