日  録 “ ささぼさつ”という漢字

2013年4月2日(火)

6時過ぎに目が覚めたので予定通りテレビを付けてヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ』(原題・Dial M for Murder)を見始めた。かつて少なくとも2回は見ているはずだし、リメイク版『ダイヤルM』(原題・The Perfect Murder)の記憶もあり、筋はわかっているのに、まるではじめてのように、2時間あまりぐいぐい惹き込まれた。何回見ても新たな感動を呼び起こす。それが名作たる所以であるのだろう。面白さ(感動)の本質は筋ではないと思った。

では何なのか。この映画についてならば、演出の技、俳優の顔、映像の妙などいろいろあげることができる。それらが筋書きと一体となって訴えかけてくる。

映画にかぎらない。小説でも同じである。小説で再読に耐えるかどうかの基準はやはり表現・言葉だろう。そこに感性や想像力やモチーフが過不足なく仕込まれた作品に感動する。こういう読み方はもう古いと言われそうだが、敢えて固執していきたい。


2013年4月4日(木)

自分がAB型であることを知ったのは高校生の頃ではなかったかと思う。意識し始めたのは二十歳を過ぎた頃である。血液型の性格分類などというものを信じていなかったが、それでもその頃はAとBのコンプレックス(複合)だ、だから劣等感(コンプレックス)も人一倍強いんだ、と思っていた。

歳を経たいま、AとBとの、ふた通りの自分が同居しているように感じることがある。もっと正確にはAである自分とBであり得たかも知れない自分を比べている。つまり「仮定法過去」である。

仕事のやり方を巡って年少の同僚に何げなく「あなたも依怙地だね」と言うと、いままで仲のよかったその人が激怒した。驚いたぼくはさらに「ヘンな奴だね、君は」とこれも深い意味もなく(むしろほめ言葉のように)言った。同僚はさらに怒った。この場合の自分はBである。

その数時間後に「あんなにも怒るとは想定外だったので、ぼくも大人げない対応をした。ごめん! 仲直りしよう」とメールを入れた。こんな自分はAである。

Bの否定の上にAがあったのかと気付かされた事件だった。いままで、血液型を聞かれると「Aに近いAB型」と答えてきたのも故なしとしないのだった。

それでも否定ということばは常に魅惑的である。

《AであれBであれ、わが心。》そんな冗句を呟きたくなる。


2013年4月14日(日)

6日朝に突然、モニター画面に横の歪みが走り、縦に激しく揺れはじめた。文字がだんだんうすくなり、読むことができなくなった。直人とEightの助言を仰いでいくつかの手を試み、何度か起動しなおしてみたが画面のはげしい揺れは収まらなかった。モニターの異常のみで、パソコン本体は健在と推理された。11日にサービスセンターに持ち込んで修理を依頼した。保証書がすぐに見つかったのはなにかの導きだった。まだ補償期間内であったのだ。

パソコンやネットから離れた生活は所在がなさすぎる。ワープロも使えないので、当分メモ用紙にややこしい漢字はひらがなにして書き付けていくことになるのかなどと、戻って来るまでの2週間がはるか先のことにも思えてうんざりしていたところ、2年前このパソコンを制作してくれた Eight が代わりのモニターを友人から譲り受けてくれた。

昨夜別れ際に「ありがとう。こういうことがないとなかなか逢えなくなってしまったね。いつも困ったときのEightだね。澄まない」と言うと、

「友人からちょうど一台余っているという連絡を受けたばかりだったのです。よい時期に故障してくれましたよ」
「まだまだ付きはおちていないということかな。帰ってつなぐのがたのしみだ」

かくて10日ぶりの日記を書くことができた。11時過ぎに戻り、再生したパソコンに感動し、興奮もして、眠りに就いたのは1時を過ぎていたのに、5時にはもう目が覚めてパソコンに向かった。日常が戻ってきた感じである。


2013年4月14日(日)B

数日前に突然、モチが食べたいと思った。きな粉が目の前にあったので食べるなら安倍川だ、と具体的なイメージが湧いてきた。広いスーパーに入ったものの自力では売り場を探すことができず若い女性店員に案内してもらって、いろいろ商品の中から「サトウの切り餅」というのを手にした。これが裁判沙汰にもなったスリットかともはや色あせた興味にも駆られてそれを買った。ピンキリの切り餅のなかではピンな部類に属していたが、この唐突な欲望のために張り込んだという次第である。

同じ頃「(新訳)地下室の記録」(ドストエフスキー、亀山郁夫訳・集英社)を読んでみたいと思い、いちばん近いとなりの市の中央図書館に向かった。館内のパソコンで検索すると「大橋分館に一冊、貸し出し可能」と出た。その分館はかつての住まいの近くで、そこから二キロほど先であった。たいした距離ではなかったがなぜか足を伸ばす気にならなかった。また今度でいいや、と思ったのである。

同じ身体に「入っていく」としてもモチとちがって、二十代の頃に読んだきりのこの本を(新訳とはいえ)再読するには相応の覚悟がいる。あと何日か待とう、と言い聞かせた。


2013年4月15日(月)

いつまでたっても暖房器具が手放せない。夜10時頃居間のエアコンを付けた。それを皮切りに、机に坐ると足元に電気ストーブ、ベッドには電気毛布となった。日中の最高気温との差が20℃近いので、いっそう寒く感じるかも知れない。それでも、歳とともにこらえ性がなくなったのだろうかと悩むのである。あぁ春なのに、と思うのである。

ちょうど一年ほど前に葉挿しをしたゴムは芽の出てくる気配はなく依然葉が突っ立ったままである。これではあまり面白味がないので、挿し木によりもうひと鉢作ろう、と思い立った。一ヵ月ほど前に居間の親木から枝を切って水につけておいたところやっと根が出始めた。いまかいまかとせっかちに待っていたが、自然には自然の条理というものがあるのだろう。鉢に植え替えるまであと少しかかるのだろう。


2013年4月16日(火)

休憩室でおそい昼食をとる58歳の男が誰にともなく言った。

「明日の夜、友だちに会おうか会うまいか、迷っているんです。朝の早い次の日に差し障りがあるけれど、たまには人と話をしないとヘンになるんですよ」

彼はひとり暮らしである。こちらも同じようなものだから、よくわかる。気付くとぶつぶつ何か言っている。日常から湧いて出るなんの意味もないつぶやきである。そこで彼の言を引き取って、

「仕事中にどんどん話しかけてよ。相手するよ」
「世間話じゃダメなんです。まともな話でないと。哲学や人生を熱く語りたい、なんてね」

何を勘違いしたのだろう。一本取られた気分であった。


2013年4月18日(木)

ピカソ直筆の「平和のハト」(勝手に命名)。配偶者の持ち物で結婚以来何度かの引っ越しにも散逸せず、目に見える場所に飾られてきた。絹のような光沢のある色紙に描かれているが、いまやすっかり黄ばんでしまった。わが家で唯一の宝物だけにもっと大事にして、表装などしておけばよかったと思う。

昼前に清見オレンジの幼木のまわりから庭の草むしりをはじめた。タンポポや、ムラサキダイコンの花が咲き、チューリップやスズランもあちこちから顔を出している。雑然としたなかにも独特の華やぎがあるのがこの季節である。本当に片付けたいのは地を這うマメ科の雑草だけだが、これとて明日にも紫の可憐な花を咲かせる。

というわけでついに徹底しない草むしりとなった。時間にしても30分程度のものだった。それでも汗だくとなって、その駄賃のように、道ばたに咲くアザミの花を切り取って花瓶に活けた。

そのあとにいまは本棚のガラスの向こうに立てかけられているこの絵を眺めて、さらに癒される気がしたのだった。強い訴求力を持っていると思う。39年目にしてはじめての感慨だった。


2013年4月19日(金)

風の音で目が覚めた。障子戸を開けると目の前の物干し竿が半ば落ちている。重く垂れ込めた空気のなかで木の枝だけが大きく揺れる。ぴりっとした冬の朝が甦るようであった。昼も夜も、北風が冷たかった。

故障したディスプレイモニタが予定よりも一週間早く戻ってきた。報告書には「LCDパネルが不良だったので交換実施した」と簡潔に記載されている。LCDとは液晶画面のことのようだから、要は破れた障子紙を張り替えるようなものか、と報告を兼ねてEightに訊いてみた。

その返事に「ガラス部の交換なのだと思いますが、症状からするとその接続部にも問題があったと推測しますので、内部の基盤ごと交換されているかも知れません」とあった。

こちらの方がよほど詳しい説明で、内部の基盤って? などと聞きたいことが次々と湧くがあえて我慢した。CRTに長く親しんだ者にとっては手の届かない世界のように思えるからだった。


2013年4月20日(土)

LCD、CRTときて、ついに「鉱石ラジオ」に行き当たった。きっかけは、ネットに公開されている、自力で「表示しなくなった液晶モニターを修理」したという人の話(Eight が教えてくれた)であった。訳がわからないままに要約すると、

《電源・インバータ基板を調べたところ、4つあるインバータ用大電流スイッチングトランジスタがショートしていた。同じ種類のトランジスタは少し値段が高いので、同じ機能を持つものを買った。安上がりだったが、背が高すぎて組み立てるときにケースにぶつかる。そこで、折り曲げて寝かせてなんとか格納した。修理は成功した。》

思わず笑ったのは「値段は安いが、でかすぎる」というところだった。それでも果敢に、柔軟に対応していくところに科学者魂を感じてしまった。

ここで、詳細な記憶はないが、自分で作った「鉱石ラジオ」の中身を鉛筆でいじっていたときに感電したことを思い出したのである。小学生の頃ではなかったかと思う。鉛筆の芯は電気を通すということを刷り込まれた。その頃から科学者には向いていなかったのだろう。


2013年4月21日(日)

先月の26日に植え付けたジャガイモの芽が土の中から顔を出した。小さいながらどの芽も立派な風貌をしている。頼もしいかぎりである。それにしても4月下旬にしてこの寒さはどうしたことか。家に着くとすぐに暖房を入れ、さらに一ヵ月ほど前から玄関先に出している龍眼の木を再び中に入れた。鉢植えは移動できるが、大地に育つモノは、自然の気まぐれとともに生きてゆくしかない。寒い朝、北風に打たれる芽に眺め入った。いとおしいものである。


2013年4月23日(火)

休日。インターネットの検索では「貸出中」と表示されている本について市の図書館に照会の電話をした。「いつ戻ってきますか」と訊けば「広域利用で他の市に貸し出していますので、巡回車がやってくるのが5月1日ごろ」という返事であった。「予約しますか」と聞かれ「お願いします」と答えた。

それから蛍光灯やら焼酎(明後日帰宅する配偶者用)やらを買うために近くのホームセンターに行く用事があったので、ついでに本屋に立ち寄って文庫本(ドストエフスキー・江川卓訳『地下室の手記』、新潮文庫)を買った。すぐに読み始める心づもりだったが、二階子供の本棚にあった『難解語ハンドブック』を何げなく手に取って捲っているうちについに引き込まれてしまった。

この本は難解と言われながら日常使っている言葉(いまやとても使わないようなものもある)のなかから6000語を収録している。すべてに漢字があてがわれているので語源を推測することもできる。

「越路」が「北海道の古称」であることや「末摘花」が「ベニバナ」のこと、くさかんむりを二つ重ねた漢字(ATOK9では変換できない)を「ささぼさつ」と読むことを知った。これは広辞苑にも「菩薩のかんむりを二つ合わせて略字とし、仏書その他古書の書写に多く使われる」と出ている。嘘のような略字だが、知る人はすでに知っていたのだろう。

ほかにも「すべらかし」を「垂髪」と書くことや「ねぐら」も「とぐろ」も同じ漢字「塒」であることを知った。意外なことも多く、日本語、特に漢字の奥深さを改めて思い知った。そんななかで塩を盛る皿つまり「御手塩」から小皿のことを「おてしょ」と言うとあって長年の疑問が氷解した。というのは、小さい頃田舎では小皿のことをもっぱら「てしょ」と呼んでいたからである。

もっとも、おすべらかしも御手塩も、手元にある広辞苑や日本語大辞典にはちゃんと出ている。ハンドブックから、最近はあまり引かなくなった分厚い辞書まで、言葉の重さを実感した。知らないことがまだまだいっぱいあって、この先も勉強また勉強となるのだろう。

今日買った本を開くことができたのは夜もだいぶ遅くなってからだった。


2013年4月25日(木)

『図書』(岩波書店のPR誌)の愉しみは赤川次郎と池澤夏樹の連載エッセイである。それぞれ「三毛猫ホームズの遠眼鏡」と「詩のなぐさめ」というタイトル。二人とも名前はもちろん知っているがその小説はほとんど読んだことがない。赤川次郎は時事的・政治的な話題から映画・芝居まで幅広く扱うがどれも共感することが多い。意外な発見だった。(だからといって小説を読んでみようとは思わないが)

池澤夏樹は4月号で「きみを夏の一日にくらべたら……」という素敵な題でシェークスピアの詩について書いている。 彼を「魔法使い」ならぬ「言葉使い」と規定し、

《言葉の力を持つものはそれを使って自分の内なる何かを外に送り出そうとする。(中略)詩だって尋常の出来ではない》

《シェークスピアのソネットがとりわけ興味を引くのは、芝居とちがって彼の私的な状況が透けて見えるからだ。(中略)詩には裸のままの彼がいる》

最後にソネット百二十九番(吉田健一訳)を引用している。愛の表現であり、自分の恋の普遍化だと筆者は言う。大いに納得した一節を引用すると、

先づ至上の幸福から始つて苦悶に終わり、
前は歓喜だつたものが、後では夢なのだ。
そしてこれは誰でもが知ってゐて、それにも拘らず、
だれもかういふ地獄に導く天国を避けられた験しがない。



2013年4月30日(火)

今日の「天声人語」は《孤高の人は最期も「凛」であったという》で締めくくられている。父・三國連太郎の死に際して、佐藤浩市のコメント 「死に顔を見て、悲しいという思いはなかったです。この数年で一番凜(りん)とした顔に見えました。威厳があって、不思議な感慨になりました。涙は出ませんでした」から取られたと思われる。

ところでこの「凛」という言葉は流行りだしてからもう20年以上になるのではないだろうか。まったく恣意的な感想だが、あまりにもあちこちで見聞きするとつい警戒して使うのを憚られる。少なくとも文章の中に組み入れる勇気は出ない。本来は高貴な言葉が堕落していく一つの例かと思える。「りりしい」などという形容詞はいまだに腐れていないはずなのに、言葉への感覚とは思えばヘンなものである。

「しんと」という表現もこれと前後して流行したように記憶していた。吉本ばなな「キッチン」(1987年)には6つの「しんと」が登場する。

順に並べると 「しんとした淋しさ」「しんと暗く」「透明にしんとした時間」「しんと輝いてうす闇にとけてゆきそうだ」「しんとした台所」「しんとしている孤独な夜中」である。これ以降若い女性の文章にも話し言葉にもこの「しんと」が使われはじめ、一世を風靡したように思う。

ただこちらは「凛」と比べればさほど俗にまみれている感じはしない。いまも文章の中に使っても異和の感覚はないような気がする。「凛」と「しんと」のこの差はなんだろうか。単なる恣意ではないような気がしたのだった。


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