日  録 縮む時間

2013年8月2日(金)

午後7時前に帰ってきて、鍵を回さなくとも扉が開いたのでおやっと思った。朝、玄関の鍵をかけ忘れて出かけたのだろうか。

こんなことはかつて一度もないことだった。なぜなら、かけたあとにノブを回して確かめるのが習慣になっているからである。もしかかっていなければそこで気付いたはずである。それともこの朝だけはそれを怠ったのだろうか。習慣を忘れてしまう、そんな朝だったのか。

とここまで書いて、ノブに吊り下がっていた野菜の入った袋を外す前に、実は一度開けていたのではなかったか、という疑念が湧いてきた。夕刊と郵便物などを持ち替えることにかまけてそのことを忘れ果てていた、と。

その前後には、車を降りてすぐにもいだ7、8個のミニトマトを両手に持っていたので、ノブにかかっていた野菜の袋に入れようとして一つ落としてしまった。態勢を立て直してから、拾った。そんな一連の行動が同時に思い出されてきた。

すると、少し前に開けたことを忘れ、かけ忘れて家を出たと錯覚したことになる。

どちらだったか、もはや確かめる術はない。いずれにしても健忘症めいているが、こんな些細なことは、実害もないわけだから、忘れようが、思い出そうが、たいしたことではない。この世には、忘れてはいけないことがたくさんあり、思い出すことがとても苦しい事柄も少なからずある。いまはそのことに真正面から対決するときであろうか。もう八月である。


2013年8月4日(日)

みんなどこへ行ってしまうのだろうか。みんなのなかには自分自身も過ぎゆく時間も入る。

自分一個のことは、どこへ行こうとしているのか、と考える時期を過ぎて、時とともに流されてどこかへ行き着く、というイメージに変わっている。受動的になるのは歳相応のことなのだろうか。

破片のように突き刺さってくる思い出はどうだろう。ここは過去形でどこへ行ってしまったのだろうか、と問いたい誘惑に駆られる。過去のすべての時間が記憶にとどめられているわけではない。そんなことは不可能だろう。だとすれば、ふいに浮上してくる思い出とはなんだろう。

だらだらと汗を流しながら、益体もないことを考えていても埒が明かない。来週は恒例のBBQ合宿。長野の修那羅森林公園だという。学生時代以来の友人三人に逢える。それが楽しみである。


2013年8月6日(火)


ヒロシマの日。今年は原爆投下から68年目の夏である。去年は平和記念式典の中継に見入ってなにほどかのことを感じたのだったが、ことしはその前後に庭に出て草むしりをはじめた。時の首相の、顔はもとより、声さえも勘弁して欲しい、という一念からだった。

草はおもにススキとイラクサだが、ものすごい勢いで伸びていくのでいまのうちに取りのぞいておかねばならない。もう一種山芋の蔓草も繁茂していた。これには紫色の袋状の花がいまを盛りに咲いている。なかなか可憐な花であることにびっくりした。山芋といえばムカゴであり、地に深く根を張るジネンジョ、というイメージだったが、この花も付け加えねばならない。ただし今回は容赦なく切り取った。

シャワーを浴びたあと、テレビで 『ベニチオ・デル・トロ 広島へ行く』をみた。プエルトリコ出身の有名な俳優ベニチオが、前半は新藤兼人『裸の島』のロケ地宿祢島と小佐木島を、後半では広島の原爆ドームや平和公園、資料館を、それぞれ訪ねる1時間のドキュメンタリー番組(2012年制作)だった。

同チャンネルはつづいて『裸の島』を放映したのでそのままみてしまった。台詞はないが、子供たちが唄う童謡2曲は音声が入っていた。また、子供を亡くしたあとの母親の慟哭も、音声として聞こえた。どちらも静寂を突き抜ける迫力があった。

首相のおためごかしのあいさつなんかより、数万倍よいと思った。


2013年8月9日(金)

耳慣れない言葉、それは知らないということと同義である、と改めて思い知った。

NHKFMの番組に「古楽の楽しみ」(月〜金曜・朝6時)というのがあり、「こがく」と耳に聞いてなんのことだろうと長い間疑問に思っていた。こんどホームページに入って番組表を見て漢字表記を確かめた。

さらに調べると「古典派音楽よりも古い時代の西洋音楽、すなわち中世西洋音楽、ルネサンス音楽、バロック音楽の総称。(中略)日本で「古楽」と言った場合は、バロック音楽を広く含む場合が多い」(ウィキペディア)とあった。

これで納得したが、自分が無知だったこともわかった。そういえばこの番組、かつては「バロックの楽しみ」というタイトルではなかったか、とヘンなことも思い出した。バロックはもちろん知っている。


2013年8月12日(月)

夜、修那羅(しょなら)森林公園から戻ってきた。11日朝に友人二人と同公園内のコテージで合流して、11日と12日の二日間にわたって一緒に過ごした。夜はBBQをしながらの酒盛りで、一年ぶりに旧交をあたためることになった。

両日とも昼間は、青木湖や美ヶ原高原、七島八島湿原などを周遊した。いずこもはじめての場所で、大町の市街を越えたのも、もう少し先に糸魚川がある、日本海が控えている、というのも新鮮だった。フォッサマグナ(中央構造線)の上に乗っかっていたのだった。夏の信州、思いも寄らぬ所まで来ることができた、という感動があった。

800余の石仏を見るために山を登り、幽玄な杉の木立の中に立った。美ヶ原高原ではひたすらな平原を歩いた。しかしいずれも、1時間ほどで体力はダウンした。爺のからだはそこまででも、心は羽を付けたように大いに飛んだ。

草原の中では、マツムシソウが一輪咲いているのを発見した。松虫が鳴く頃に咲くからそう名付けられたという花は「秋を告げる花」でもあるという。

下界はまだまだ猛暑が続くようであるが……。いい旅だった。


2013年8月16日(金)

前の住まいで隣り合わせだった切り絵作家・百鬼丸さんが、明後日18日19:00〜テレビ東京「モヤモヤさまーず」に出るそうである。隣人だったのは二十数年にも及ぶだろうか。そのマンションをボクの方が先に離れたのだが、そのときもらった切り絵はいまもわが家の宝物である。

このことのお知らせとともに百鬼丸さんは、自身の中学生の頃と長じてメジャーになってからの貴重な経験を話してくれた。それはここで明かすわけにはいかないが、「(今回のテレビ出演は)福本さんが見たことのない私が出ているというわけです。私の変化がわかる、面白い瞬間です。」と追伸にあった。

これはかつての隣人に対する心遣いだとも思うが、「表に出るエンターテインメントも作品です。切り絵だけではありません。寄席にも出たいほどです」とも書かれていた。いよいよテレビが愉しみである。

みなさんもどうか、見て下さい。


2013年8月17日(土)


30枚ばかりの短篇をいじっている。あるとき、結末に関してアイディアが浮かんだ。それは落語でいうオチに似ていたが早速変えてみると、ちょっとよくなったように思えた。しかしまだ何かが足りない。それが致命的なものではないことを祈りつつ、また読み直して、いじる。果てしのない感じがしている。

ここで、はるか昔のことを思い出した。受験を終え、8時間以上列車に揺られ、その夜は帰るバスがないので一緒に行った友人の家に泊めてもらい、豪勢な寿司をご馳走になり、次の日に田舎の家に戻ると「できたかえ。何が出たの?」と母が聞いてきた。二日間にわたって9科目の試験を受けてきたがほとんど忘れているなかで現代国語の出題文を覚えていたので話した。「まぁ、できた、と思う」と言って母を安心させた。

それは日本の「はてなし物語」についての論考だった。のちになって柳田國男の文章かなぁ、と思ったが、その頃は何も知らない。いまも確証はない。ただ、伝承(物語)ははてしなく繰り返す、というところに感動を覚えたのだった。

いまいじっているものとの関連はないが、あるいはそのこと(発表する当てのない小説を書くこと)のオチかもしれないとも思う。猛暑がつづく。


2013年8月20日(火)

ちょうど一ヵ月前に受けた人間ドックの「成績票」をたずさえて、「E判定(精密検査を必要とする)」だった「血圧」の診療のためK病院へ。10日ほど前に配偶者が持ち帰ってきた血圧測定器で、ときおり血圧を測りながら、こちらもと重い腰を上げた。頭痛の頻度が増えたのはそのせいかも知れないといよいよ心配になったわけである。猛暑のせいばかりにはできない。

若い医師は「成績票」にざっと目を通しながら「血圧以外は問題なしですね」と言い、いくつか問診を重ね、胸に聴診器を当て、パソコン画面に「胸音、清」などと書き込んだ。これが電子カルテか、それにしてもあからさまだなぁと思っていると、

「先ず栄養相談を受けて下さい。食事、とりわけ塩分に注意して、一ヵ月ほど様子を見てみましょう。そのうえで、本格的な診断をします」

と「血圧管理手帳」を差し出した。ここに毎日の測定値を書き込め、というのである。今日から4000万人の仲間入り、薬を飲むぞ、と覚悟してきたのにちょっと拍子抜けがした。おいそれと薬は出さないという方針だろうか。

家に戻って、栄養相談は食事を作る人も一緒に来て下さいと言われたよ、と報告すると配偶者は、「トマトにもスイカにもたっぷり塩をつけて食べる人だからね」と首を傾げ、「ラーメンの汁も余さず飲むし」とさじを投げる風であった。


2013年8月22日(木)

35℃は越えなかったようだが湿気が多く猛暑日以上の気色悪さである。読みたい本が2冊ばかりあったがわざわざ本屋さんに出かける気力は湧いてこなかった。そこで、数日前(この暑さのなかで!)突如部屋の模様替えをはじめた配偶者がどこからかから取り出してきた本のひとつ『秋山記行-現代語訳』(鈴木牧之、恒文社)を上半身裸で読み始めた。

10日ほど前の長野BBQ合宿のおりにO君がこの山の向こうには例の秋山郷があり一度行ったことがあると言ったのがきっかけだった。記者生活のはじまりが新潟だったY君も『北越雪譜』のこの作者のことはよく知っており、二人してへぇーと驚き、しばし話題にしたのだった。

ぼくも親しかった本屋さんに取り寄せてもらったこの本のことを覚えていた。かなり昔のことだから、本はどこかに紛れて見つけることはもう無理だろうと思っていたからひょっこりこの本がテーブルのうえに置かれていたときはびっくりした。奇縁だとさえ思った。

100ページちょっとの薄い本だが「人間界の外の人間界」(外部と隔絶した山奥の秘境集落)秋山の180年前の姿が 鮮明に浮かび上がってくる。栃餅の作り方なども古老から詳しく聞き書きしているが、次の一節には、あの叺(かます)? マジっすか、と思わず笑ってしまった。

「炉にはおおきな割った薪を夜が明けるまで炊き続けます。その火の暖かさをたよりに寝ます。焚火から離れて寝る者は叺(かます)の中に入って寝ます。夫婦はとりわけ大きな叺に一緒に入って寝ます。」

汗をだらだらと流しながらこんな文章を書き写すのもまた一興であった。


2013年8月25日(日)

夜、カープ戦を見ていると終盤になって永川が出てきた。見ていてなつかしいクセを思い出した。右手の指先を左右の首筋に当てて一度ずつ交互に撫でるのである。それを二、三回繰り返すこともある。汗を拭っているようにも、心の安寧を念じる風にもみえる。なかなか意味深いのでよく覚えている。つい真似をしたくなるようなクセでもある。

永川勝浩投手はかつてストッパーで大活躍した投手である。たしか球団の最多セーブ記録を持っているように思う。しばらく一軍から遠退いていたがこのところ中継ぎとしてよく登板し、往時の冴え切った全力投球をみせてくれる。この夜も、結果的にチームは負けたが、大事な場面を0点で抑えている。そしてあのクセも健在である、というわけだった。

なくて七癖などというが、自分のことは棚に上げて、そんな永川のクセにふと感動した夜だった。


2013年8月26日(月)

ガソリンスタンドにさしかかると料金表示板が、この1週間毎日起床時と寝る前の二回計るようになった血圧の測定値に見えるからおかしなものである。上がハイオクの、下が軽油の料金と似ている。

ずっと前には前を行く車やすれちがう車のナンバープレートを見て「ナンバーズ4」(宝くじ)の当選番号に思いを馳せたものだった。こちらは他愛ないお遊びですんだが、あちらはそういうわけにはいかない。冗談では済まないのである。

そんな折りに、昨日付の日記に永川投手のクセが「左手の指先で首筋を交互に撫でる」と書いたが、あれ、これはおかしいと突如思いちがいに気付いた。右投げだから左手にはグラブをはいているはずだ。指先を出すことはできない。帰ってすぐに訂正したものの、大失態を演じたような気分になった。

冷静に考えればどうでもいいような、些末なことだが、細かいことが気になってしまう性質のようだ。これはコロンボ刑事の口癖だった、か。


2013年8月29日(木)

午後「栄養相談」を受けるためにK病院に行った。担当の管理栄養士は女性ではなかった。男性の、それも栄養科長だった。

具体的な食事内容に入る前に、と栄養科長は言った。調味料のことを話します。

カタログを開けながら、減塩のしょうゆ、ソース、つゆの素やケチャップ、みそなどを勧めてくれた。それでずいぶんちがいます、と。

それから中身に入るはずだったがこの10日ばかりの数値を記録した「血圧手帳」を差し出し、訊かれるままに起床時と就寝前こんな風に測っていますと話すと、それへのだめ出しのように、測り方についてアドバイスしてくれたのだった。

腕の高さと心臓の位置を揃えてください。朝はむしろベッドの中で横になりながら測って下さい。測る前に深呼吸を2、3回やってください。測っている時にしゃべってはいけません。ものを食べてもいけません、などなど。

「そう(正しい測り方を)しなかった場合は数値はどうなりますか?」「まちがいなく高くなります。場合によっては50くらいも。」「するとここに記録した数値はおおむねまちがっているのですね。」「 そうですね。」という会話を交わし、上が184とか下が102とかの記録に対して、これはニセの数値かとほっとしたのだった。

本篇については、肉、野菜、炭水化物、三つのバランスを考えたメニューをいくつか示してくれて、作れないながら有益な知識をたくさん授けてもらった。野菜などカリウムの入ったものを摂取するとナトリウムが排出されるというのもそのひとつであった。ネットでカリウムの効能について復習してしまった。(3回読んで大切さがなんとなくわかった)

今回のテーマは食塩の摂取量を減らすことにあるのだったが、ある意味では贅沢な食事を心がけねばならない、ということでもある。難儀なものである。


2013年8月31日(土)

ついに8月が終わる。猛暑と血圧の月だったが、これを負の軸とすれば正の軸は、長野で旧友たちに再会できたことである。また一年、共にがんばらねば、という気になる。まちがいなく力の元である。その証拠に終わってからしばらくの間は虚脱感に見舞われた。

縮む時間、というのがこのところのテーマだった。現在というものを考えるとき、過去はどんどん縮んでいくのでは、という直感である。笙野頼子に「母の縮小」という作品がある。実際に小さくなっていく母を寓意的に描いていたように思う。再読してみないと確かなことは言えないが、母が縮小するとは、母が歳をとり、自身も老いていくことの謂ではないだろうか。とすれば、似ている。

 


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