録 冬のような寒さと高血圧


2013年11月2日(土)


カレンダーを捲るとスイス・マッターホルンの雪景色が現れた。 二ヵ月表示なのでこんな写真が使われているのだが、11月に入ったばかりのいまは少し意表をつかれた気がする。冬隣、だんだんと実感を呼び出す雪景色、であった。

三日前から喉がいたく、昨日の朝は葛根湯、この夜には娘からもらった「ベンザブロック」を飲んだ。飲む早々に眠気を催した。そんなに早く効くものなのか、と問えば可笑しそう笑っている。5時間後に目が覚めると、どこかすっきりとした感じがある。


2013年11月5日(火)

配偶者がいないので畑の見回りもついおろそかにしていたところ、かぷが食べ頃ですよ、ととなりのTさんが教えてくれた。葉っぱもたぺられますか、と聞き返すと、軟らかいので食べられます、との返答だった。早速、根が地上にはみ出た二株を抜いて来た。洗うと純白になった、擬宝珠のごときかぶ本体は冷蔵庫に仕舞って、葉を切り刻んで塩揉みにした。

ゆうべは春菊、水菜にサツマイモ、今日のお昼はかぶ、と次々と土の恵みに預かっている。なんとも果報者である。ぜいたくな気分でかぶの葉を口にした。すると、葉にもかぶ本体と同じ味わいがあったのでびっくりした。さて本体をどうやって食べるかが思案のしどころ。


2013年11月7日(木)

ミッドナイトプレスの岡田幸文さんからWEB版に2000字のエッセーを書かないかと言われたのは一ヵ月ほどまえのことだった。バックナンバーのその欄(midnight critic)を読み返してみると、どれも重厚な論考ばかりで、引き受けたあともほんとうに任に耐えられるのか不安がいっぱいだった。書くべきほどのものを持ち合わせているのだろうかと何度か自問した。

ところが、書く中身を決めてからは急速にのめり込んでいった。一日中頭から離れず、はたと気付くと、小説を書くように、言葉を選び、構成を考え、つまり彫琢するようになっている。ここからかかった時間はとても長い。苦吟しつつも楽しいひとときだともいえるが、事実からはどんどん遠ざかっていくような気がした。もはや随筆とは呼べないのではないか、と呆れかえるほどだった。

そこで岡田さんに第一稿として送ってみようと思い立った。いったん手元から離さないと、見えるべきものも見えなくなってしまうからだ。

はたして岡田さんは数時間後に「小説とも随筆とも決めがたい文体が……妙味」などと感想をくれた。ほっとした。それをゴーサインと解釈して、気にかかっている部分にもっと適切な肉声を埋め込みたいばかりに、朝からすでに五回読み直した。いまだ結着せず。


2013年11月8日(金)

このところ日没直後の西の空に一番星をながめて帰途につく。

夜の訪れが早くなって、空気も澄みわたり、空を見上げると落ちてくるかと思うばかりの満天の星。ちょっと肌寒いくらいの夜々だが、楽しみは増えていく。

寒さを避けるために、おとといの夜と昨夜と二夜続けて龍眼の木を玄関のなかに入れた。日中はまだ暖かい陽射しがあるというので朝出かけに外に出した。高さが二メートルを超え、出し入れも楽ではなくなった。斜めに倒さなければ先端が鴨居にぶつかってしまうのである。玄関のなかでも龍眼の木は窮屈そうである。一年前と比べれば随分ちがう。

透明ビニールでできた洋服ケースのようなものがあれば、その中に入れて外に出しっ放しにしておくことができる、と考えたものである。その場合は天の部分を抜いておかねばならない、と想像は進む。この木にかぎってはまだまだ伸びるはずである。どちらが龍眼にはいいのか、迷うところである。

ところで、一番星が「宵の明星」だということに気付いた。ひときわ明るいのも道理である。


2013年11月9日(土)

仕事が終わったあとに、かねて約束していたゴムの鉢植えを渡すために近くの Nori の家に寄り道した。不在はわかっていたので玄関先にそっと置いておこうと思っていた。ところが「母が渡したいものがあるというので、ピンポンしてください」というメールがきた。

用意されていたのは両手で抱えきれないほどの菊の花束だった。近くの畑で野菜だけでなく花も育てているのだという。白いのがほとんどだったが、なかにだいだい色の可憐な花が混じっている。こちらは毎日何本かなくなっていくらしい。花泥棒にもあまり腹が立つ風ではない口調だった。立ったままひとしきり畑談義を交わして辞去した。

たまたま宅急便を預かってくれていた隣人にお裾分けし、あとは花瓶を総動員して玄関に飾った。菊の花で満たされたその空間は一気に輝きを増した。ふと「菊花の約(ちぎり)」のことを思った。あれはどういう話だったか。


2013年11月12日(火)

娘とは完全に生活時間帯がちがうのに午前2時、3時まで付き合って、議論のはてについ声を荒げている。これではならじとすぐわれに戻るが、どうしてだろうと自問すれば、このところ右の鎖骨あたりがぽっくりと腫れて長く痛むようになったこと、依然血圧が高いことなどに辿り着くのである。

朝、K病院へ。血液などの検査結果は異常なしだったが、血圧は診察室で測ってもらうと「171-91」。

「わぁ、高いですね」と医師は一言。「家でもこんな感じです。なかなか下がりません」と報告した。ここ1週間はサボっているが、一日二回ずつ測っていた頃も低めのときで「160-85」くらいだった。むしろここにきてまた上がってきたと思われる。

はたして降圧剤の増量(4㎎から8㎎、1日1回)を処方された。「合わせて飲めば確実に下がる薬もありますが、とりあえずこれで一ヵ月間様子を見てみましょう」とあくまでも慎重である。

それにしたがおうとは思うが、たとえば怒りっぽさと高血圧との関係は、いずれが原因でいずれが結果か判然としないと気付いた。

さらには、性癖のなかに元々怒りっぽさの土壌があるにはちがいないが、それを認めたくないばかりに他の理由を探しているのかも知れないと怖れる。それが実はもっとも本質的、かつ根本的なことであろうか。


2013年11月13日(水)

朝7時、2℃。30分後にやっと、3℃。家のなかにいてぶるぶる震えるほどではないが、日中の陽射しが恋しくなってくる。

夜には一大決心をしてキムチ鍋に挑んだ。中に入れるものをいろいろ思案していると、お肉、白菜と豆腐以外は家にあるもので賄えるのだった。大根と九条ネギ、里芋と蕪、水菜などなど。

8時過ぎには用意万端整ったが、同居人の娘が帰ってくるまでにはまだ4時間以上ある。十分待ちくたびれる時間である。メールで「あまりにも寒いので、今夜はキムチチャゲ&飛鳥にしたよ」と予告してやったが、この駄ジャレには何のレスポンスもなかった。

どちらかといえば「野菜鍋」のようになったが、大満足で、二人ともよく食べた。Noriのお母さんが作った九条ネギの旨さは格別だった。


2013年11月15日(金)

ベッドに寝転がりながら黒井千次氏の『夜のぬいぐるみ』(1973年刊)を読んでいる。この本は蓮田のH君が目下大整理中らしい蔵書のなかから他の何冊かと一緒に送ってくれたものである。70年をはさむ10年間に発表された18の掌篇小説が収められている。

これらの面白さは変哲のない日常(とその意識)のなかに潜む不条理を剔りだしているところにあり、はっとさせられることが何度かあった。たとえば「冷たい仕事」では、出張先の旅館で見つけた冷蔵庫の霜が次のように描出される。

《艶やかで滑らかな肌を持つ美しい氷だったのだ。しかも氷は製氷室の半ば近くを埋めるほどに重くふくれあがり、そこから扉を軽く押すようにして下部にまわりながら成長を続けているらしかった。》

同僚と一緒にその霜を取り除くのに熱中し、夜明けになってやっと「すべての氷の姿が消え」る。二人の男は白い扉の前で冷たい手を握り合う。ここからは「仕事とは? 生き甲斐とは?」 というような主題も浮かび上がってくるのだろうが、今回は冷蔵庫の中にこびりつく霜に目を付ける感性に驚嘆した。

ほかに印象に残ったものは、「もしも太陽の光線が動物だったとしたら、この部屋で生きているのは窓からさしこむその光りだけだといえたろう。」という一行で始まる「動物」や、どこへともなく同僚が次々と消えていく「呼び出し」がある。

当時『創』の編集部にいたD君の用事に便乗してはじめて氏に会ったときカフカのことがひとしきり話題に上ったことを思い出した。うろ覚えだが「カフカにはあのように表現しなければならない背景があったと思うのです。それが必然です」と話した。この本が出て二年ほど後の秋の一日だったように思う。


2013年11月20日(水)

働いている間ずっと右肩が痛かった。右手が肩から上に挙がらないのである。「四十肩だぁー」と冗談で弁明してみても、もちろんよくならない。

今日は朝起きたときから頭が痛かった。右後頭部が締め付けられるような感じがしていた。「血圧」もいっこうに下がらない。むしろ高くなっているのではないか。

宿痾からくる「鎖骨の腫れ」も引かず、ここも痛い。満身創痍、いよいよからだにも焼きがまわってきたか、とついに観念する一日だった。

しかしこんなネガティブなことばかりではあまりにも冴えないので、帰り着くとすぐに大根を主とした煮込み料理にとりかかった。大根はもとより、人参、里芋、蕪などほとんど自家製の野菜たちを頭に浮かべながら、帰り道で構想してきた料理だったが、なぜか味がだんだん濃くなっていった。納得のゆかないままに、だし、しょうゆ、砂糖を交互に加えたあとの味だった。ほどほどのところで手を打つのがコツ、と誰かから教えてもらった気がするが、作っている途中では忘れてしまっていた。

寝る前には『群像』の連作評論「折口信夫の神」(安藤礼二)を読み継いだ。「憑依」ということでとても重要なことを語っていると思った。いつしか眠っていた。


2013年11月21日(木)

朝の陽射しが心地好い。気温も9時前には10℃を越えている。風もないから、こんな日は小春日和と言っていいのだろう。

夕方6時半にテレビを点けるとちょうど実写版の映画『火の鳥』(1978年、市川崑監督、脚本・谷川俊太郎)がはじまるところだった。9時まで2時間半近く、ついに最後まで観てしまった。人間は生まれ変わることはできない(おそらく)が、この鳥は火の中から何度も甦って人類の歴史に寄り添ってきた、というのである。なんとも雄大な手塚ワールドの実写化だった。

阿蘇山の麓らしい山野の風景にも目を惹かれた。


2013年11月26日(火)

旧知の、愛すべき編集者が満を持して世に問うことになった書き下ろし文庫が発売された。新人作家の持ち込み原稿に惚れ込み、「持ち込み原稿」と「文庫化」というふたつもの異例の障壁を乗り越え、ついに出版にこぎつけたという。

少し前にゲラで読ませてもらった。純文学ではないが、ここにあるなつかしい香りは何だろうと何ヵ月か考え込んだあとにこのような感想を書いてみた。是非ご一読下さい。


2013年11月28日(木)

ディーラーのMさんから、車検にかかると見込まれるほどの金額で掘り出し物(中古)があると勧められていた。車検切れまであと5日となる昨日まで迷い抜き、買い換えに決めた。今日は、いろいろな書類をとり揃え、何回か往復した。すべて済ませるとほっとして鶴ヶ島市立中央図書館に立ち寄った。

いまは同市には住んでいないが「広域利用」の対象になるのでカードを申し込んだ。するとコンピュータの画面を操作しながら担当の若い女性が「カード、すでに作っていらっしゃいますね。いまお持ちじゃないですか」などという。9年前まで同市に住んでいたので図書館のカードも持っていた。いまどこにあるか、見当もつかない。それほどの時間があっという間に過ぎたのだが、パソコンは覚えていた。

借りた本は買いそびれたか発売時には買うつもりがなかった『新潮』のバックナンバー3冊。単行本・小説の書架もなんどか巡り歩いたが、最後は文芸誌コーナーに立っていた。

これらで「爪と目」や「給水塔と亀」や「やまいだれの歌」などを返却までの3週間のあいだに気ままに読もうという魂胆である。根っから雑誌好き人間だなぁと改めて思う。




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