日  録 実生のノラジュロ

2013年12月1日(日)

先日、NHKFM「世界の快適音楽コレクション」で、ゴンチチ(GONTITI)のゴンザレス三上(1953年生まれ)の口から「純喫茶」という言葉が出てきたときは、「あぁ、あった、あった」と何度も膝を打ったものだった。

四十数年前、もっとも頻繁に出入りした若い頃、「大学正門の向こう側の古本屋のとなり」「路面電車の停留所のそば」「アパートを出て最初の角を右に折れたところ」などと場所はすぐに(いまだに)特定できる。店名の前には「純喫茶」と表示されていたことをよく覚えている。ただ、そのあと「純」にふさわしい(?)名前が続いたはずであるが、懸命に思い出そうとしたがそれは出てこない。

消えてゆく名前、ともどもに昭和の遺物なのだろうか、と思った。いや、「純喫茶 ポエム」などの看板を掲げている店が日本のどこかにひとつくらいはありそうな気がする。


2013年12月3日(火)

昨夜戻ると門灯が点いていた。

ここに住んで10年目に入るが、ここ数年はこわれたままだった。はしごかけて何度か直す努力をしたが、そのつど不調に終わっていた。中の配線も調べなければダメだと半ば諦めていた。それが突然皓皓(?)と点いているからびっくりした。

早速となりのTさんに電話をした。消えたままの門灯を不憫に思い、こっそり直してくれる場面を想像したからだった。これまでにも庭木の剪定をしてくれたり、干し柿や大根を物干し竿に吊り下げてくれた。今回毛色はちがうが、器用なTさんなら、可能だと思った。しかしこれはまちがった思い込みだった。

そこでこんな風に考えてみた。

玄関に並んだふたつのスイッチは上が三和土、下が門灯になっている。上のつもりで下をオンにして、オンにしてもオフにしても同じだからとそのままにしていた。それがたとえば1週間前だとする。すると、そのある意味では長い時間をかけて電流が門灯に届く。ちょうど星の光りが何年もかかって地球に届くように、である。

また、これが最後のかがやきである、とも考えられる。「滅びの姿は、明るい」というやつだ。よからぬことが起こらねばよいが、と心配性の心が立ち上がるのは、是非のないことであった。

今夕、暗くなったので下のスイッチを押すと数秒後に点いた。突然に、直ったのかもしれない。


2013年12月7日(土)

先日図書館で借りてきた新潮バックナンバー3冊をあっちへこっちへと気ままに読んでいたところ思わぬものにぶち当たった。

太田靖久「コモンセンス」(170枚、10月号)は「美術館の地下室での〈経験〉」を通して子供が「老成するという現象」を社会福祉士として市役所で仕事をする「穏やかな人柄の僕」の語りとして描いている。

「魂活」という言葉も出てきて、現実と非現実のはざまに連れていかれた。非現実が勝つ場面では、寓話か風刺か、と思わないでもなかったが、とにかくグイグイとこの小説世界に引き込まれていった。

かたわらに松家仁之「沈むフランシス」(250枚、6月号)をおいてみると、その差異に愕然とする。こちらは、東京の勤めを辞めて幼少期に住んでいた北海道に移った30代の女性の語りである。そこに暮らす謎の男との「恋愛の心理」と「情事の描写」はなんでこんなに長いのだろう、そのわりに心に届いてこない。退屈ですらある。


と言いつつ、ぼくの言葉や感性は「沈むフランシス」に近い。「抜けるような青空」などの紋切り型に深く憎悪するのは近親さゆえだろう。「反面教師」というのはもう止めようと思った。そして「コモンセンス」には確実に何かがあった。時代の旬としかいまは言えない激流を感じた。

雑誌サーフィンはこんな風に「老齢の心」を惑わせる。嗚呼。


2013年12月8日(日)

毎夜、何を食べるか、が悩みの種である。ひとりならば有り合わせのものでいいが、同居人で深夜に帰ってくる娘の分もとなれば何でもというわけにはいかない。したがって正確には、何を食べさせるかに腐心、である。

今日思いついたのは冷凍庫にある「とんかつ」と「春巻き」である。冷凍のまま170℃〜180℃の油で揚げる、と書いてあった。帰りに350ミリリットルの油を買って、とりあえずとんかつに挑戦してみた。カマトトぶるわけではないがこういうことは生まれて初めての経験である。コンロの上で油が炎上する様を想像しながらの10分間だった。

しかし、上首尾であった。味もよかった。これでレパートリーが広くなった。天ぷらもできるかもしれない。自己満足にひたりながら、一方で食べることもその日暮らしの感が強いと苦笑する。師走だなぁ。


2013年12月10日(火)

富良野から今日届いた荷物の緩衝材代わりに入っていた北海道新聞(12月6日付)を広げてみると、旭川・上川地区の「きょうと明朝の天気」の欄が一面雪だるまなのに仰天した。

3時間毎に区切られた9個(6時から翌朝9時までの27時間)の枠の中にくりくり目玉の雪だるまが微笑んでいる。凡例によるとこれは「積雪5センチ未満」のマークという。

積雪が5〜10センチとなると両肩に白い点が2個ずつ計4個舞うようになる。背景もスカイブルーからうすむらさき色に変わる。留萌や天塩などの夜から明け方にかけてがこの絵柄である。

この日は出ていないが積雪10センチ以上になると白い点に彗星のようなしっぽが付いて、雪だるまが斜めに傾き、くちびるがへの字にゆがむ。地吹雪によっていまにも倒れてしまいそうである。このマークが付く日がすぐそこまできているのだろう。

さらに「最高・最低気温」は旭川が「2℃・−1℃」、富良野が「2℃・−3℃」、名寄が「2℃・−2℃」、上川にいたっては「−1℃・−4℃」となっている。どの地域も最高と最低の差がほとんどないのである。

こちらが陽射しにからだをさらして温気を貪っているときも、北の大地では自然とのきびしい闘いが続いていると思うと、つい背筋が伸びてしまう。


2013年12月11日(水)

寒い夜になっている。

昼間仕事中に鉄製の棧におでこをぶつけた。すると、朝からの頭痛が止んだ。打撲の痛みはほどなく消えたから、どこに功徳が潜んでいるか知れたものではない、と思った。

家に戻って、灯油が切れていることに気付いた。折り返し走らねばと、ポリ缶を車の後部ハッチに慌てて積もうとしたところドアが完全に上がっていなくて頭のてっぺんをぶつけた。いてぇ、と思わず叫んでいた。当たったところが頭のなかでもやわらかい部分だったから痛みは尾を引いた。

なんという巡り合わせの一日だったことか。名付けるとすれば、鉄との闘いで頭は勝てなかった、とでもなるのか。


2013年12月17日(火)

平野啓一郎の「family affair」(『新潮』10月号)を読んだ。この作者は、題名通りの古風なテーマにて、こんなしみじみとして、スリリングな作品も書くのだと驚き、感動もしたのである。

ところでこの作品に「角打ち」というのが出てきた。はじめて聞く言葉だったが、前後の文脈からあれかも知れないなぁと思ってそのままにして読み進めた。あとあと気になってネットで調べてみると、はたして「酒屋の店頭で酒を飲むこと」とあった。それを教えてくれたのは「角文研」という立ち呑み愛好者のHPだった。これにもまたびっくりした。

さてここからはmy affair となるが、今日診察を受けて血圧降下剤がまた変わった。飲み始めて70日くらいになるがいっこうに下がらない。先回の増量からこんどは二種類の配合錠になったのである。メールで配偶者に報告すると「病院に通う前よりも高くなっているようだね。ストレス多いからね」と返事があった。それも生きている証しだよ、などとは返さなかった。今度こそ下がってほしいという期待の方が大きくなっているからだ。


2013年12月19日(木)

その夜塩ゆでにして食べたときもBのことをAだと思っていた。翌朝、これはBです、Aは青いのよ、と教えてくれる人があり、まちがいに気付いた。すると今度は突然Aの名前を失念してしまった。

Bはカリフラワー、ところでAはなんだっけ? というわけである。それが一昨日のことであり、そのAの名前・ブロッコリーを思い出すまでに長い時間がかかってしまった。

その日の朝、冬ごもりに備えてとなりのTさんが伐り落としてくれた木の枝を、ゴミに出すために短く小さく切り刻んでいるときにも似たような経験をした。

サルスベリと梅はあまりにも有名だからすぐにわかった。ともに枯れ枝とはいえ、梅にはある冬芽がサルスベリにはない。春になったときつるつるの木肌のどこから芽を出すのだろうと疑問に駆られた。それはともかく、もうひとつの、青々とした肉厚の葉をつけた枝がついていた木の名前が出てこないのだった。庭に2本あり、侘び助や金木犀とならぶ貴重な常緑樹である。

その木の名前は今日になってやっと思い出した。ネズミモチである。排気ガスに強いので高速道路などにも植えられているという。かつて植木屋さんから聞いたそんな知識も甦る(実見してはいない)が、記憶を司る脳は伸び縮みを繰り返して、わが身を翻弄しているとしか思えない。負けてたまるか。


2013年12月24日(火)

とんでもないところに湿疹ができて、ただれがいよいよひどくてなってしまったので病院で診てもらうことを決断した。かかりつけのK病院に行くと皮膚科診察は水曜午後と木曜日のみだという。いま予約しておくことはできると勧めてくれるがことは急を要するので別の病院を探すことにした。

自宅に最も近いA病院は初診である。「皮膚科予診票」なるものに、名前と住所のほかに、アレルギー、既往症、とりわけ疾患の部位を書き込んで受付に差し出すと、「先生が来られるのは月と金なんですよ」と言われてしまった。門前払いみたいなものであった。

こういうとき皮膚科専門医院に行き当たればすぐにも飛び込んでいただろう。これを書きながら、インターネットで探すとそれは近隣市に30近くあることがわかったが、文字通りあとの祭りだった。結局ドラッグストアに立ち寄って、若い薬剤師さんに勧められるままに抗生物質とステロイド剤の入った「強めの軟膏」を買ったのだった。

20年以上前のこと、個人面談が終わる頃に「掌、見せて下さい」と皮膚科の医師である生徒の母親は言った。当時ぼくの掌は一面に膿疱ができて無惨なものだった。痛くも痒くもないが、見栄えが悪いのである。好悪の時期を繰り返して、いっかな完治はしない。「こんど病院にいらっしゃい」と言ってくれた。面談の攻守交代みたいなものであった。

その「家田クリニック」は夫婦で開業していて、ご主人は整形外科医だった。掌にできる膿疱が関節にもできて、そのときは刺すような痛みに見舞われる「掌蹠膿疱症」という病気だったので、ご主人の診察を受けることも多かった。「原因不明・厚生省指定の難病」と教えてくれた。ずっとそのことが頭にこびりついていた。やがて毎回処方される大量の抗生物質が効くのだろうか、と疑問にも感じて、1年ほどで通院を止めてしまった。

二人の先生はとてもいい人でまた優秀だったが、この病を飼い慣らして行こう、という個人的な決意が勝った。いつしか掌には膿疱はできなくなったものの、関節の痛みはときおり起こる。そんなとき、あれから長い年月が経っていると実感する。

今回、実は少し遠いがそのクリニックを訪ねてみようかとふと思ったのである。あの母親先生に、是非診てもらいたいという欲望に似ていた。


2013年12月26日(木)

いつも穿いているズボンを洗濯機で洗い、乾いたあとのよれよれの状態を見て、アイロン掛けを思い立った。台座に電気が通りそこで鉄板が熱くなるタイプだが、電源を入れて1分ほどあとに持ち上げて触れてみればヤケドするほどに熱かった。びっくりしたのは「愛嬌」としても、かつて自らアイロンをかけたことがあっただろうかと思ったのである。

うんと小さい頃は電気アイロンなどはなく、代わりに柄の長い鏝(こて)というのがあった。しばし炭火かなにかで熱くしたあと、手ぬぐいや衣服に当ててしわを伸ばした。それをしたのは母や姉で、自分の制服用のズボンは寝押しだった。

敷き布団の下に新聞紙にはさんだズボンを横たえておくと朝にはきちんとした折り目ができているというわけだった。実際は折り目がふたつみっつになったり、歪んでいたりした。その夜は、身じろぎせずに姿勢正しく寝ようとするが、そううまくはいかなかったのだろう。

こんなことを思い出していると、だんない、だんない(「大丈夫」というほどの意味の方言)という母たちの声が聞こえてくる。


2013年12月30日(月)

いよいよおし迫ってきた。この二、三日は矢のように早い。時間も加速して過ぎていくようである。それと関係あるのかどうかわからないが、「味見」を「味味」と書いて、平気でいた。しばらくあとに「は?」と思った。こんな、パンダの名前みたいな熟語あったかしら? そこでやっと正しい字に辿り着いた。

前後して、メールの文面に 「レールを引く」と書いたが「敷く」が正しいのではないだろうか、とこちらはかなり時間が経ってから疑問に捉えられた。

こういうところから痴呆が始まるのか、とぞっとするが、忘れてしまいたいことも、また忘れてはいけないことも多々あった一年が終わる。いつものようでいて、いつもとちがう、来年はそんな一年であって欲しい。


2013年12月31日(火)


昼過ぎに庭に出て掃除をした。

「大晦日なのにそうやっていつまでも本を読んでいるつもり?」 きのう帰ってきた配偶者にそう言われたからではない。ついさっき窓越しに覗くと、二羽のスズメがいまはなにも植わっていない野菜畑をくちばしで土をつつきながら歩き回っていた。これは夫婦雀だろうなぁ、うまくえさにありつけるかなぁ、と心配になった。しかしそのせいでもなく、ほんとうはのところは日溜まりで陽を浴びてみたかったのである。今年最後の陽射しを。

ノコギリ、剪定バサミのほかに、ほうき代わりのクワを持ちだし、枯れ草や枯れ枝のたぐいを小一時間ほどかけて大木・モクレンの根元にまとめた。表向きはすっきりとした。

まだ日のぬくもりがあったのでスズメのように地面をかきまわしていると、シュロの幼木らしきものを見つけた。地面のそこのみが深い緑に輝いている。掘り起こすと実生のようである。鉢に植え替えて、玄関先に置いた。「門松」の代わりである。新しい年がここにやってくると思えば、一瞬なんとなく楽しくなった。

ウィキペディアには「棕櫚の種は多くでき、鳥によって運ばれるためにかなり広い範囲を移動することが可能である。このため、通常シュロが生えていない場所にシュロの芽や子ジュロが生えている光景をよく目にすることができる。このように、人が故意に植えたわけでないのに芽を出し成長しているシュロのことを俗にノラジュロまたはノジュロという。」と書かれていた。もちろんあとで知ったことだが、野良育ちか、上等だね、と思った。

みなさん、よいお年をお迎え下さい。
来年もご愛読のほど、よろしくお願いします。



過去の「日録」へ