日  録 記録的大雪的 

2014年2月1日(土)

他人の自転車を車に積んで自宅に運び5日間も気付かずにいるという大失態を演じてから半月が経った。その後も仕事帰りにときおり回収しているが、昨晩などは、積み込む前後に何度も確かめた。それでも不安があるのは、一度覚えずに自転車泥棒になった者のトラウマだろう。

思えば、配偶者が夜中から明け方までの仕事をしていた10年間にも何回か自転車を車で運んだ記憶がある。いつしか手慣れた作業と思いなしていた。そんな心の隙間に今回の失敗があったのかも知れない。それにしても、こんなことがいつまで続くのだろうか。続けられるのだろうか。


2014年2月4日(火)

一転して厳寒の立春となった。雪が降り出す前にと朝7時に灯油を買いに走る。本道に入るとうしろから来る車2台が次々と追い抜いていった。狭い道、車体すれすれに右脇を飛ばしていくのでヒヤリとする。こちらは時速40キロ、むこうらは出勤のためか相当急いでいるようだった。

あたたかだった昨日の節分、豆蒔きをしなかった。何日か前からその場面をイメージしていただけに惜しいことをした。豆は家の中で蒔くことにして、「福はうち」だけを連呼しよう、と思ったのである。心の内外に鬼が棲んでいるとしてももはや追い出すには及ぶまい。いや「鬼」になろうとしてなれなかったとも言える。まだ時間が残っているとすれば「鬼よ、とどまれ」と呟くべきか、などなど、節分にかこつけて考えていたわけである。

あらぬ夢想であった。雨は、昼前から雪に変わり、うっすらと積もった。初雪であり、今日はこれを待っていた。


2014年2月6日(木)

永年の友人たちに返信のメールを書きながら「レコンキスタ」ということばが浮かんできた。世界史では「国土回復活動」と習った、8世紀から15世紀の終わりまで行われたキリスト教国によるイベリア半島の再征服活動である。来信の内容が身近な人の死や健康についてのものだったのでそこからの連想だったと思うが、あまりにも唐突だったのでビックリした。

こじつけてみればこの場合、回復すべき「国土」とは「自身のからだ」にあたると考えた。とはいえ、からだが若返るはずはなく、まして不滅であるわけでもなく、回復運動といってもなかなか微妙であった。

いまはみんな健康で元気そのものだが「高齢者」に待ちかまえているものは切実・深刻である。最後の行に「せめて気持ちが萎えてしまわないように努力しよう云々」と書いて送った。それもまたある種のレコンキスタではあるまいか、とあとで思った。


2014年2月8日(土)

「行きはよいよい帰りは怖い」を地で行く「雪道」だった。

大雪に埋もれた車を会社の駐車場から掘り起こしやっとの思いで動かすことができたのは午後5時半である。25キロ離れた自宅に車を滑り込ませたときは午後9時を回っていた。ふだんの4倍近い時間がかかったことになるが、無事帰り着けたのは僥倖だった。

時速20キロ程度でわだちを選びながら走らせた。ガタガタと車体は振動した。路面の雪はほとんど氷だった。国道16号はノロノロだったがこれも織り込み済み。逡巡のあとに決断した無謀な行為もここまでは順調だった。

奥州道交叉点から智光山公園に向かうゆるい登り坂のふもとには1台の乗用車がハザードランプを点けて停まっていた。交叉点を挟んで大型トラックが動けずにいた。それを横目にしながら間道から鎌倉街道に入っていったのである。少し行くと車輪が空回りして進めなくなった。ここではじめて、この坂を登る車が1台もない理由に思い至ったのである。

数十分後に、どこからともなく現れて車を押してくれた夫婦らしき二人のおかげでなんとか坂を登り切ることができた。「スタッドレスじゃないんでしょ? 置いていった方がいいよ」という夫婦の忠告をよそに、あとは下りを基調とした道だから大丈夫、とまだ高を括っていた。ここは家まであと8キロの地点である。

家の前の道路は1台の車が通っただけのようでふんわりとした雪の山だった。その1台が立ち往生していた。それを避けようとしたところ雪に足まわりをとられたのかこちらもまた動かなくなった。

その1台に近づくと、スコップを手にした4、5人が「いくらやってもダメなのでこのままにしておこうと思うんですよ。いいですか」と言う。近所の人らしくこちらのことを知っていた。「娘さんが出てきて手伝いましょうかと言ってくれたんですよ」

5メートル先に自宅を見据えながら、道の真ん中なのでこのままにはしておけず、スコップ片手に雪と格闘した。なかなか車は動いてくれなかった。庭に入るときにも、何度か立ち往生し、その都度雪をかき分けた。小一時間も格闘していただろうか。

雪かきって、けっこうからだが温まるよ、と呟く。負け惜しみみたいだった。


2014年2月9日(日)

午前9時を少し過ぎた頃にみずほ台駅に着いた。陽射しもあり、歩道や路面に残る雪はすでにシャーベット状になっている。これならば車で来てもよかったか、と思わないでもなかったが、昨夜の雪道に懲りている身には正しい選択のはずである。バスが来るまでにはあと30分ほどある。

バス停あたりを往ったり来たりしながら時を過ごした。バス待ちと思しき人がひとりふたりと並ぶもののいつしかいなくなっている。そのうち到着時刻となり、ぼくを先頭に三人が並んでいた。5分過ぎた頃にうしろの若者が電話している。「……ほかに待っている人もいるのでちゃんと伝えた方がいいですよ」と言って電話を終えた。振り向けば「今日は運休だそうです」とその若者が教えてくれた。「まじっすか」と返答した。こんな言葉を使うのは何年ぶりかだった。

そのバスの名前は「ライフバス」という。ウィキペデイアには「大手バス会社がこの地域で積極的にバス路線を展開しなかったため、地域住民の足として乗合バス事業を行うために創業された会社」と書かれていた。

約4キロの道のりを歩いた。市街地を抜けると、どろどろにとけた雪道となり、新雪のままの日影の道となり、くつの中は水浸しなった。40分ほどで到着し、社員のひとりが運休を知らずに1時間待ったと聞いて、奇妙な親近感を覚えた。バスの運営会社には、あの若者同様、怒りらしきものは何一つ湧かなかった。雪景色を堪能した喜びが勝ったのだろうか。

大雪異聞であった。


2014年2月10日(月)

朝、近くの警察署で免許更新。5年間有効のゴールド免許を受け取って、つぎの更新時には70歳になっている、はるけくも遠くへ来たもんだとの感慨にひたった。それも生きておればの話だが、帰りに自宅近くのコンビニに寄った時のことである。

後部ドアを開けて買い物袋を座席に置こうとすると前の運転席に乗った人が「あんたのは、あっち」と不機嫌な声で言った。振り向くと同じ型の車・シルバーのデミオがあった。あっちが自分ので、こっちは他人様のものだった。ビックリしたに違いないその人に何度もお詫びの言葉を口にした。

白昼堂々の、とりちがえである。店舗前面の4台の駐車スペースにはこの二台が離れて停まっているだけだった。早くも焼きが回ってきたと少し哀しい気持ちになった。三日連続の事件となったわけだが、何げなくナンバープレートを見れば、並びはちがうが4つの数字が一致している。まったくこの世とは、紛らわしいものである。

憂さ晴らしに、大雪三題噺、としておこうかなぁ。


2014年2月13日(木)

いわゆるピンポンが長い間壊れていたので昨年10月、外玄関と居間を結ぶ無線チャイム(中国製)を取り付けた。はじめの10日間ほどは一度も鳴らなかった。「誰も押さないチャイム」などとあちこちに公言したのもひとえにその音を早く聞きたいがためだった。

以来4ヵ月、何回も音が響き、その都度いそいそと玄関に立ってきた。有効に機能してくれることは慶賀の至りながら、実はその音の曲名を知らないことがずっと気にかかっていた。取り付けるとき、内蔵されていた5曲の中から即座に決めた。試聴してみるともっとも耳になじむメロディだったからである。

今日の夕方FMからその曲が流れてきてやっとフランク・ミルズの「愛のオルゴール」という題名に辿り着くことができた。1979年に大流行して、いまも結婚式などでよく使われるという。胸のつかえが下りる記念すべき日となった。

今日は2回「愛のオルゴール」を聞いた。ひとつは、一日早くバレンタインチョコを届けてくれた。もうひとつは新聞代の集金だった。


2014年2月15日(土)

先週につづく二度目の大雪でまたドジを踏んでしまった。この種の噺はなかなか果てしがないようである。その都度もう打ち止めにしたいと思うのであるが。

昨夕、先回の轍は踏むまいと車を置いて電車で帰ることにした。同僚に最寄りのみずほ台駅まで送ってもらった。遅れは出ているもののすぐに下り電車に乗ることができた。決断が早かった分首尾は上々だったが、それだけになにか引っかかるものがあった。好事魔多し、というやつである。

電車が目的地近くになって「あ、家の鍵」と思い当たった。車の中に入れたままにしてきたのである。ふだんの習慣が災いした。鍵をかけ忘れたところはないか、と思い巡らせた。風呂場、トイレ、台所、いずれもダメだった。ここも戸締まりに厳格な姿勢が「あだ」となる。

自宅近くのファミレスまで歩き、そこで娘が帰ってくるまで待つことにした。窓際に坐ってずんずんと降り積もる雪を眺めていた。ここはもうにわか雪国である。

今日はついに仕事に行けず、かわりに道路の雪かきをした。すぐに息があがったのも「ドジ」の変種であろうか。


2014年2月18日(火)

35日目の通院日。血圧120-100、「下はやや高いですがこのままいきましょうか」とはじめてくすりが変わらなかった。次回は「血を採りましょう」と言われた。

病院近くの本屋さんに立ち寄って 『小林秀雄対話集 直観を磨くもの』(新潮文庫)を買った。「河上徹太郎 歴史について」では60年来の交友を「出会いの還暦」とシャレのめし、ぼくの生まれた年(昭和24年)に発表されたという「三好達治 文学と人生」には「やっぱり、僕は文学は思想だと思うね。思想のための経験だね/人生は二度読めない。二度読めるのは思想です。」などという発言が記録されている。

いい本はいい言葉に満ちている。


2014年2月23日(日)


3週間ぶりに雪の降らない週末となった。あちこちにまだ大量に残っているので、雪景色は楽しめる。

二回目の大雪の時には、車の屋根に載っているラジオ受信用のロッドアンテナが根元から折れてしまった。よほど重みに耐えかねたのだろう。

思ったほど受信に支障を来していないようなのでそのままにしておいたが、ふと、応急措置を、と思い立った。

ねじ式になっている部分を取り外して家の中に持ち込み、千枚通し型のドライバーで残滓をほじくり出して穴を広げていった。そこに折れたアンテナをもう一度差し込む、テープでぐるぐる巻きにしておけば、走行中に強い風を受けても落ちることはないだろう。その程度の幼稚な行程である。

穴は少しずつ大きくなっていくが思いのほか固かった。何回か繰り返すうちにドライバーが滑って左手人差し指の指先を直撃した。幸い深くは刺さらなかったが、こんどは指の穴から血が滲み出てまん丸くなっていった。ルビーのようだ、と思った。これも大雪にまつわる小咄のひとつとなった。


2014年2月25日(火)

カープの今季のキャッチフレーズが「赤道直火」だと知った。なかなかに熱い。

蓮田に住む、広島時代からの友人を訪ねた。新居に引っ越すため本を処分したい、その前に欲しいのがあれば持っていっていいので、一度物色に来いよ、とかなり前に言われていた。急に思い立っての蓮田行になった。

居間に拵えられた本棚から12冊を選び出した。『なぜ猫とつきあうか』(吉本隆明、ミッドナイトプレス版)や『わが解体』(高橋和巳)はなつかしさに駆られて手に取った。富岡多恵子(『斑猫』『逆髪』)、乙川優三郎(『むこうだんばら亭』)、中沢けい(『海を感じる時』)などはすぐにも読んでみたいと思ったのである。


過去の「日録」へ