日  録 春節、雨水、山野草

2015年2月2日(月)

きのうの朝、何分も早く着いたので車の中で背もたれを倒して仮眠をとった。いつもは携帯のアラームをセットするのだが、この日は油断した。窓をこつこつと叩く音で目覚めると同僚の女性が立っていた。寝過ぎだよぉ、柔らかい声がかすかに届いた。連れ立って出勤し遅刻をまぬがれる。

明け方の夢に男のうしろ姿が見えた。振り向くと長身のうえにハンサムである。若い頃の弟のようだった。颯爽としていた。

場面は変わって、女性が悲しがっている。涙をこらえて訴えかけてくるが中身はよくわからない。美人だなぁ、と感じ入っているとその女性は配偶者だった。これは、そろそろ最終局面(あと4話)に入った純愛ドラマ『冬のソナタ』の影響であるのだろう。他愛ないものである。

夜半過ぎ、身を切るような風の冷たさに思わず顔を上げると、満月まであと2、3日の月が皓々と輝いていた。右下にシリウス、その右上にオリオン座がくっきりと見える。月も星たちも、とても大きく、生きているもののように点滅している。悠久の昔を紡ぐようにも思え、合掌。地上では酷いことばかり起こる。


2015年2月3日(火)

節分だけれど、豆まきもせず恵方巻も食べずに終わろうとしていた。邪気を払い福を呼び込むせっかくの機会をのがすことになる。「神様、ゆるしてください。」と呟きたくなった。あやまるのは本末転倒かも知れないが、なぜかそんなセリフを吐いてみたくなったのである。とてもきざっぽく言えたらサイコーとまで思った。

何時間かあとに、となりのTさんが自家製の太い恵方巻と海苔巻き寿司を届けてくれた。玄関口で、ことしは西南西ですからこっちの方かしら、と方角も教えてくれた。早速ふたりしてかぶりついた。あまりの旨さに、願い事を唱えるのを忘れてしまった。

明日は立春。新しい心で臨むことができる。


2015年2月5日(木)

起きたときには雨が降っていた。ゴミを出し、洗濯をし、何週間ぶりかでベッドのシーツをとりかえ、窓の外とPCのワープロ画面を代わる代わる眺めながら待っていると、10時を過ぎたあたりからぼたん雪が落ちてきた。

そのなかを灯油を買うために近くのGSへと車を走らせたのはよほどの衝動に駆られた結果である。雪にときめくのも、出かける用事が何もないから安心というのでは、打算がすぎて寂しすぎると思うのである。

その物語・小説に構造はあるか、というのがここ数日の考え事である。なにも難しいことを言ってるわけじゃないんだ。要は縦軸と横軸と、そのひねり方だよ。久しぶりに寺田さんの声が甦ってくる。雪に促された白日夢だった。

このあたりでは、しばらくすると雪はまた雨に変わってしまった。夕方雨戸を閉めていると、音にびっくりしたのか庭の枯れ草の中から雀が一羽飛び出し、ぼんやりと暗くなった雨の空に消えていった。はぐれ雀か。

書き落とすところだったが、ナンバーディスプレイには午前3時8分に着信ありとあった。非通知のために拒否されているが、こんな時間に、どこから? 誰から? この滅多にない出来事はしばらく頭のなかに残った。現実世界の構造にことばが届かないもどかしさを痛感す。


2015年2月8日(日)

洗面所の鏡の前に立つと顔が真っ赤であった。とんがった頬骨が一対の門灯のように光っているのである。

仕事中も休憩の終わったあとなどに顔全体が赤みを帯びていることがたまにある。そのときは身体に火照った(重い)感じがあるので、その理由は定かではないが、なんとなく納得してきた。この夜は風呂に入る直前のことであり、身に覚えはない。

すぐに元に戻ったがこれも“豹変”と言っていいのだろう。いまだに謎なのは、小学校に上がるまではいたずらが過ぎるほどのガキ大将だったのに一転、学校では気弱な泣き虫になってしまったことである。通知表の「社会」だけが極端に悪かったのは3年生のときだった。

母が呼び出されてその説明を受けている。女の子に何か言われるとすぐに泣くんですよ、と先生は言っていたという。そんな場面はひとつも覚えていないが事実だったのだろう。その後持ち直していったと思うが、強くたくましくはならなかった。いまだに後遺症に悩んでいる。

ささやかな謎はもうひとつある。中学生になるとかけっこが急に遅くなったことである。それまでのように「選手」に選ばれなくなった。運動には向いていないと諦めて「郷土部」という地味なクラブに入った。いま思えば謎が謎を呼ぶみたいな選択だった。

今回は「紅顔の美少年」に豹変したことにはならない。従兄のお嫁さんになっていた三年下の同窓生と何十年ぶりかに会ったとき「かわいらしい顔してはったのに、大きくなるとこんなふうになるんだね」と真顔で言われたことを思い出した。

さしずめ「あしたにはこうがんありてゆうべにははっこつとなる【朝には紅顔ありて夕べには白骨となる】」(蓮如御文)の類であろうと云々。


2015年2月10日(火)

朝、病院へ。予約時間の30分後に診察(約3分間)。会計、近くの薬局でも待ち約2時間で完了。2種類の降圧剤をもらうのが唯一の目的だった。

「おくすり手帳」には最初の処方が25年10月1日とあるから、飲み始めて早くも1年3ヵ月が過ぎたことになる。今回、2種類のうちのひとつにも後発品ができ、名前が「プロプレス」から「カンデサルタンOD」へと変わっていた。63日分の薬代がかなり軽減された。ところで、26年4月から新たに飲むことになったもう1種類(これもジェネリック医薬品)と同じく「口腔内崩壊錠」だという。これは新しい。

「お水がなくても、お口のなかでとかして唾液と一緒にのみこめばいいのですよ。もちろん、水で飲んでもいいですよ」

薬剤師のやさしい説明を聞いて合点した。実は「口の中でとけてしまう前に飲み下さねばならない」と思っていた。説明書に「口腔粘膜からは吸収されません」と書いてあったからだ。20数年間薬と無縁だった者の「浦島太郎的誤解」だった。「水なしで飲める」というところに「力点」があるのに読めとれなかった。

こんな間抜けなのに血圧が高いのはなんでだろう、とふと思う。


擬・貧乏ゆすり考

診察がおわって会計を待っていた。正面を向いた長椅子の二列目の右端だったが、横には30センチと離れず同じ長椅子が直角に置かれ、そこに老夫婦が坐っていた。横を向けば婦人の顔とまぢかに相対するのである。

夫は順番を待ちかねるかのように立ち上がってはどこかに消えまた戻って来る。それを繰り返していた。「こっ、こっ」という音に目を向ければ婦人が靴の底で床を叩いている。前、うしろ、右、左と交互に足が動く。それはリズムを刻むようであり、所在なさを紛らすための単なるクセのようでもあった。

足の怪我のあと国立まで電車で通っているとき、杖の先で床を叩いていると、となりに坐っていた若者が「気に障るんですよ。やめてくれませんか」と言ってきたことがあった。無意識のうちにやっていたが、指摘されてみれば、文字通り傍若無人な行いにはちがいないと反省した。

また、川越の丸広百貨店でエスカレーターに乗りながら傘の先で足元の鉄板を叩いていたことがあった。6階の紀伊國屋書店に向かって上へ上へと乗り継いでいた。このときは、天井から館内アナウンスが聞こえ出したものだ。

「……また、傘でエスカレーターを叩いたりしないで下さい。傘の先が隙間に挟まって、怪我をすることがございます。」思わずまわりを見回したが、誰かが見ていたわけではなく、監視カメラがあるわけでもなく、まったくの偶然と思いたかった。とすれば、雨の日にはこういう行動に出る人がけっこういるというわけだろう。

ともども「こっ、こっ」である。これらはあの「貧乏ゆすり」の代償行為ではないかと思いついた。配偶者は「若い頃、よくしていたわよ」と言うがこちらにはそんな記憶はない。ここ十年、いや二十年、意識して止めているということかも知れない。

ネットで調べると、語源こそわからなかったが、原因のひとつとして「人間は何もしないという行為は、心理学的に不安になる事が多いために、それを解消するために貧乏ゆすりをして気を紛らわせる。」が挙げられていた。いちばん納得した。

やってはいけない不作法なことと教えられてきたが、最近は貧乏ゆすりには意外な健康効果があると言われているらしい。傘とか杖では代用できないようだが。


2015年2月12日(木)

わが家の雨戸は開け閉めの際に近隣にとどくほどの大きな音がし、ときおり板のレールを外れて庇の下のコンクリートに落ちてしまう。そのときの音はもっと大きい。建築時のままのブリキの雨戸である。

そんな雨戸も今朝などは開けるよろこびが強かった。開ければ、出たばかりの太陽の光りが居間いっぱいにあふれるからだ。

梅もそろそろ芽がほころぶだろうか。


2015年2月13日(金)

いちょうはあの銀杏? 遊離脈を作れと?

肉じゃがのレシピを見ていると「人参をいちょうぎりにする」と書いてあった。調べてみると、うすい円板にしてから3、4個のおうぎ形に切ればよい、とある。銀杏の葉脈のくびれを作るのかと思ったので、そうでないとわかってホッとした。ミカンの皮をうえに跳ねてウサギに見立てる、そんな想像をしたのかも知れない。

たまねぎにいたってはどこをどう切ればいいのかいまだにわからない。ネットには、料理に応じてみじん切り、薄切り(2種類)、くし形切りなどがあるという。それぞれマニュアル付きだから実践してみればいいのだが、なかなか本気になれない。

ハスキーボイスだった小林カツ代の料理番組に思わず惹きこまれたことがあるが、日々料理を楽しむ人がうらやましいし、尊敬もする。料理は人に優しい創造的な営みだと思うからだ。

まだ子らと一緒に暮らしていた頃、腕を上げたなぁ、と配偶者を見直したことがある。ただただ子のために我流でいそしんできた結果なのだろう。食に関しても“その日暮らし”のいまとなれば、なつかしき、かがやかしき時代だった。

もっとさかのぼれば母や、姉の手料理に至る。いまよりもはるかに乏しい食糧事情のなかであんなにも旨かったのはなぜだろう。そう感じるのも、郷愁のせいだろうか。


2015年2月14日(土)

仕事帰りにスーパーに立ち寄った。レジでお金を払っていざ買い物かごを持とうとすると取っ手がない。思わず係の女性を見た。ないんだね、と訊くと、若い女性は、はい、と笑いながら頷くのである。仕方なく両端を掴んで近くの台に持って行った。まわりにあるかごを見渡すとすべて取っ手がない。元はかごに備わっていたものをわざわざ取り外したと思われる。

これは何か重要な考えがあってのことにちがいない。しかし、どんな考えだろうか、と考えた。

使用済みのかごを収納しやすくした、という以外残念ながら理由が思い浮かばなかった。どうでもいいことのようだが
事実些末なことだが、代わりにここに至る過程を想像してみると、忸怩たるものがある。

こうすればいい、ああすればいい、という小さな改革は仕事の中には(生活の中にも)いっぱいある。誰かが提案して、賛同者がなん人かいて、いざ実行となる。没になることもあるだろう。

若かりし頃会議中に「そうやってあなたたちは私たち若い者の提案をことごとく潰していく」と怒った同僚がいたことを思い出した。そのときはもっと若い頃は自分も同じようなことを言って怒っていたのだと思い知らされた。

いまはまた、怒りをなくすと人は保守的になりつまらなくなっていくのだろうと思う。俗に角がとれるというやつである。取っ手の比ではないように憂える。


2015年2月17日(火)

ここへ何をするために来たんだ? と途方に暮れることが増えた。主に家の中を移動するとき(机から居間、台所、洗面所などへ)に起こるので大きな失敗にはつながらないが、気になるようになった。

思い出すまでにかかる時間が以前よりも長いことや、なかにはついに思い出せないこともあるのがいっそう癪である。まぁいいかなどと断念してしまうこともしばしばで、以前はそんなことはあり得なかった。思い出すことに真摯に向かい合えなければ、生きている意味は半減する。すこしは深刻に考えた方がいいのではと思ったのである。

連想ゲームではないけれど、思いは茗荷(ミョウガ)を食べると忘れっぽくなるという「俗信」、さらにドッコイショという「民話」へとつながった。

この民話は小学校5年か、6年のときの学芸会の演し物だった。ぼくは、帰り道で舞台中央にこしらえられた小川をドッコイショと大きな掛け声とともに飛び越えた途端に大事な何かを忘れてしまう男の役だった。

ためしに「ドッコイショ」で検索してみると、神奈川の民話として紹介されていた。要約すると、

《山ひとつ越したヨメさんの実家でうまいダンゴをごちそうになったムコは、親から娘(ヨメ)はダンゴ作りが上手いと聞かされた。帰ったら作ってもらおうと思うが、名前をわすれてはいけないので帰り道でも「ダンゴ、ダンゴ」と言いながら歩いていた。それが小川を飛び越えた途端に「ドッコイショ、ドッコイショ」に変わってしまった。家に戻ってヨメにドッコイショを作ってくれと言うても通じない。ムコはついにヨメに手を挙げてしまった。ヨメは「頭にダンゴようなコブができた」と叫ぶ。「そうだ。それ、それ」》

なんともマヌケな男の話である。これだとまるでお笑いコントのようである。学芸会ではヨメを殴るようなあらっぽい場面はなかったので「ダンゴのようなコブ」のオチは成り立たない。つまり「ダンゴからドッコイショ」ではなかったような気がする。

もっと別の教訓劇に脚色されていたにちがいない。お寺の住職でもあったあの先生ならやりかねない。でなければ、親や児童らの前であんなに真剣に演じた理由も見つからないのである。とまぁ、思い出すのはそこまでで委細は依然セピア色だ。55年も前のことである。しょうがないか。


2015年2月19日(木)

中国の元旦、春節であり、この日が24節気の雨水にもあたると名古屋のO君がメールで教えてくれた。雨水とは、降る雪が雨に変わり、氷が溶けはじめ、水が川に流れ込んで大地を潤していくことであるという。

O君のメールは「ことしは山野草栽培を心掛けてみようとおもふ。こばぎぼし、ほたるぶくろ、しゃが、さぎそうなど金を使わず楽しむのじゃ。貴兄にも勧めまいらせそうろう。」(原文のまま)で終わっている。

山野にはすぐにも春が来るような気にさせてくれる文面で、ありがたい。立春から雨水、このあと啓蟄、春分へと、季節は確実に進んでいく。その前に春一番も吹くのだろう、と心がはしゃいだ。

O君たちと野草を手で触れながら山をめぐる日が待ち遠しい。中国からの観光客の剛毅な買い物ぶりを映すテレビを横目で見ながら、こちらは寂の世界に遊ぶ。そんな雨水。


2015年2月21日(土)

寒さが余程やわらいで気がゆるんだのか、朝、車に乗り込んでいざ出発というときに顔面に異和を覚えた。メガネがない。しばし考えた末に洗面所に置きっぱなしにしてきたことに気付いた。ここ数年間にはメガネなしで走ったことが1、2度あるが、ごく近所へのお使いだった。今回は仕事先まで25キロもあるのでさすがに取りに戻って、かけ直した。

昼休みにメガネを外して本を読んでいると「読めるんですね」とほぼ同年配の同僚に感心された。メガネをかけたままではダメですが……。元々近視だったものが歳とともにメガネ不要になってきて……などと説明した。その人も乱視と老眼のせいで読むことがますます苦境におちいっていると話した。すぐあとに朝の顛末を語った。居合わせた他の人も笑ってくれた。

何やかやと寝そびれ、午前1時を過ぎてベッドにもぐり込むと、また顔面が……メガネを外し忘れているのだった。「夢がよく見えるように、メガネをかけてお眠りなさい。」という昔の笑い話が思い浮かんだ。期せずしてメガネ三題噺のような一日となった。


2015年2月24日(火)

昨日はアルバイト先の冷蔵倉庫の中で汗をかいた。5キロくらいの重さの飲料容器をパレットの上に並べているときだった。時刻は4時を過ぎていた。夏でもこんなことは滅多にない。珍事とでも呼びたいくらいだ。事実同僚の誰彼に、汗ばんできたよ、と話しかけていた。外は4、5月の陽気だったという。

帰ったら、ひとっ風呂浴びて汗を流す、そんなことを思った。冬の風呂の楽しみはぶるぶる震えながらお湯の中に飛び込んだ直後にやってくるぬくもりだった。最近はヒートショックに用心しながらなので、いきなり飛び込むわけにはいかない。そろりそろりで、ああ、無事だった、という安堵がよろこびを半減させる。今夜だけは、もうひとつのお風呂の楽しみを満喫できると思った。

その夜には夢の中でたばこを吸っていた。禁煙して5年が過ぎたが、はじめの頃はよく見たこんな夢も久しぶりだった。ひとつ吹かすごとに中空を見上げてほっとひと息ついている、そんな自分の姿(たぶん!)に感嘆した。


2015年2月25日(水)

今日から勤務時間が1時間早まった。“サマータイム”ではなく、終業時間は同じだから1時間余分に働くのである。車の混み具合を考えれば、家を出る時間はいつもの時間の1時間前よりも何分か早くしなければならない。5時過ぎにはきまって目が覚めるのに、念のために6時と、6時半の2段階の目覚ましアラームを2つの時計に設定しておいた。

そこまで神経質になる理由は、心身が耐え得るのか、と無意識のうちに問うているからだろう。3年間の勤務体系を変更して、はたしてからだがなじんでいくかどうか不安がある。しかし一方で新しいことならなんであれ挑戦しなくてはいけない、と思うのだった。

「ご相談があります。来月から、1時間早く出てこられませんか。来月といっても次の日曜日から3月だからあと5日後ですが。明日から、ならしてみたらどうですか」

日頃の働きぶり(?)を見てもっと働けと上司は言うているのである。見かけはともかく、からだもことばも元気であれば、また何かが生まれてくるだろう。明日知れぬ身にも春は確実に近づいてくるように、などなどと殊勝な感慨にひたる。

とりあえず初日の首尾は上々だった。

It is easier to do something than worry about it.


2015年2月26日(木)

パジャマ姿のままゴミ出しに行って戻ってきたときは今日一日このままの恰好でずぼらに過ごそうと思った。数時間後、何日も洗っていなかったそのパジャマを洗濯機に放り込んでいた。何もかもが面倒くさくなる一方で、きちんとしなければ気が澄まない。つくづく矛盾していると思う場面はことごとくこんな心性に由来している。

昼過ぎどこのATMに行くか迷った。候補は近い順に言えば、@スーパーのなかA銀行の営業店B大型ショッピングモール(ともに用があるといえばあるふたつの銀行のATMがならび、スーパーもある)の3ヵ所である。いちばん便利なのはBなのにいちばん遠い。@は近いうえにスーパーで買い物ができるのが取り柄、Aにした場合は最低限スーパーにもう一度立ち寄らねばならない。

それほど論理的に考えを巡らせたわけではないが、気が付くとBに向かって車を走らせていた。それも@のそばを通り、Aの前を過ぎてBに至っている。いちばん遠い場所にジグザグと迂回を繰り返しながら辿り着いたようなものだった。

余談ながら、Bでは二階にある本屋さんを覗いた。そんなに久しぶりではないのに売り場のレイアウトが変わっていた。しかも以前はあった文芸誌が一冊もなかった。一階のスーパーでカナダ産しゃぶしゃぶ用の肉(パック入り、256グラム)を買って帰った。本が肉に化けたような不思議な感じがした。

ほぼ終日雨の「2.26」であった。



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