日  録 小鳥の歌は、愛の歌 

2015年4月2日(木)

週2日の公休が火、木と飛び石だから、水曜日の帰り際には「え、また休むの!」とからかわれる。「みなさんはがんばってください」と軽めいて応じることにしている。この休日は心身ともに軽やかでとても楽しみなものだからだ。

だが今日にかぎっては意気が上がらない。5時に起きたが、しばらくして再びベッドに。次に目が覚めたときは7時半になっていた。これがつまづきの石、その後もぐうたらと過ごすことになってしまった。読みかけの本がすっと心に入ってこないのが無念であった。

グミやナツメのことを唐突に想い出したのはなぜだろう。小さい頃はよく食べたものだが、グミは酸っぱかったか、ナツメはりんごに似ていたか、記憶はあいまいである。ことしは、もういちど食べてみたいと思う。

ところで、ナツメといえば童謡『あの子はたあれ』である。 一番の歌詞が「あのこはたあれたあれでしょね なんなんなつめの木の下で おにんぎょうさんと遊んでる となりのみよちゃんじゃないでしょか」 (作詞・細川雄太郎)

夜は「youtube」で小沢昭一が唄うこの童謡をみつけて、ひとり楽しんだ。

世の中が新しい出立でにぎあうなか、郷愁にひたる。

2015年4月7日(火)

「では、また明日!」と言えることはやはり嬉しい。きょう一日の人との関わりになごりを惜しんでいるのだと思う。さよならの代わりにこの表現を好んで使ってきたことに最近気付いた。

中国語でさよならは「再見」、「明天再見」といえば(読み方はわからないが)意味は「また あした」ということらしい。

ついでにこんな歌謡曲を思い出した。メロディも口を衝いて出る。60年代のはじめ頃にたいへん流行った「美しい十代」(作詞・宮川哲夫) で、 その一節、

「明日またね」と手を振りあえば/丘の木立に夕日が紅い/美しい十代/あゝ十代/抱いて生きよう幸福の花

なんとも牧歌的ないい時代があったものだ。

「代休はありませんが……」と頼まれて本来休みの本日も出勤、いつも変わらぬルーチンを淡々とこなしてきた。疲れはない。

「ぼくって、Mかなぁ?」


2015年4月8日(水)

5年ぶりという4月の雪。朝からの雨がすぐにもみぞれに変わり、いつしか大粒の雪になっていた。午前9時、アルバイト先の所沢近辺では畑が一面うっすらと白におおわれていた。雪は昼過ぎまで降り続いた。満開の桜が散っているいまごろになって、ことしの冬には一度も経験したことがなかった景色が現れた。奇瑞だろうか。


2015年4月10日(金)

鶯色のインコが家の中に迷い込んでくる夢を見た。両手をかざすと掌に乗り移ってきた。おとなしくて、気品溢れるインコだった。飼い主が見つかるまで、キイロとアオが暮らす鳥カゴに入れておこう思い、とびらを開けた。新参者を受け入れるかどうか不安だったのでしばらく様子を見ていた。

キイロとアオは実際に飼っていたセキセイインコである。ヒナのときにやってきたから、カゴの外に出せば手にも肩にも怖れずに乗った。アオは早くに死んだがキイロは13年目の2004年3月24日、配偶者の手の中で事切れた。「春なのに……」と涙ながらに悼んだ。そのキイロとアオが夢に出てきたのである。

仲良くしてやれよ、と鶯色のインコをカゴのなかに押し出すと、キイロが出迎えた。そこで目が覚めた。早朝5時。野暮用ばかりが重なった一日の始まりだった。


2015年4月14日(火)

本ぶりの雨のなか、庭からは小鳥の鳴き声がきこえてきた。カーテンをあけて外を見る。音はすれども姿は見えない。それでも暇にあかせて待っていると、ネズミモチの梢のあいだからついと現れた。

小鳥は鳴きながらななめに降下、庭中央のドウダンツツジに着地した。しばらく可憐な白い花とたわむれたあと、左手の白木蓮のてっぺんに至る。ちょうどV字を描くような移動だった。

それから、さっきいたネズミモチのとなりの柿の木に移った。羽の色は緑色だが、鳴き声からすればウグイスではない。メジロだろうか。それにしては目のまわりは白くない。

柿の木の先でも「チッチチッチ」の鳴き声はいよいよ高くなっている。突然どこからともなく仲間が一羽飛んできた。その一羽が木の枝にタッチするかしないかのうちに、道の向こう、雨に煙る空の彼方へとふたりして飛び去った。一瞬のことだった。ぼくは呆気にとられた。

するとあの鳴き声は連れを呼ぶためのものだったのか。名前よりも、数分間の「鳥語」のすべてを知りたいと思う。小川洋子の小説『ことり』を読んでみたくなった。

63日ぶりの通院。薬の処方箋をもらうためで、簡単な聞き取りがあるのみ。特筆すべきことは体重が1.7キロ増えていることくらいだ。この一ヵ月配偶者がいるので「食糧・栄養事情」がよくなったおかげだろう。


2015年4月18日(土)

ネットで図書館の蔵書検索をすると『ことり』(2012年、朝日新聞出版)が鶴ヶ島市立図書館「西分室」にあると出た。「西分室」は「郷学の森」といわれるいろいろな施設のうちのひとつで、自宅から500メートルと離れていない。早速借りて読みはじめた。まだ途中だがこんな一行に出合った。

「小鳥の歌は全部、愛の歌だ」(会話文)

わが家では2、3週間前から台所付近の壁のなかや天井でガサゴソと大きな音がするようになっている。ついにネズミが棲みつくようになったか。緊張が走った。

一方で、深夜にぼくが聞いた音はネズミが走り回るというよりは勝手口の扉をどんどんと叩く音に聞こえた。近所の猫が中に入れてくれとねだっている姿を想像した。ここに移り住んだはじめの頃、実際にそんなことがあったからだ。翌日扉の前で息絶えている黒猫を発見して、ああそうだったのか、と後悔したものである。

帰り着くと早々に、ネズミはなんてなく? と配偶者が訊くから、そりゃチューチューだよ、と答えた。半信半疑の面持ちですぐにぼくをトイレに連れて行き、耳を澄ましなさいと言う。数分経ったころ、チッチッチッとか細い鳴き声が天井から聞こえた。しかも複数である。これは鳥の雛の鳴き声にちがいないと思った。どこからか天井裏に侵入して巣を作ったのであろう。ネズミとちがって、鳥ならばやがて巣立っていく。

音騒動もハッピーな結末を迎えたようだ。鶯色のインコの夢から『ことり』へとつづく小鳥の縁だと思いたい。


2015年4月23日(木)

6日ぶりの休日は現実感にとぼしいものとなった。きょう一日何をして過ごしたか? すこぶる曖昧である。そんななかで唯一たしかな“仕事”は自転車のパンクを直したことである。修理キットが残っていたことも、チューブに空いた穴を“一発”でふさいだことも、ともに奇跡のように感じられる。

というのはパンクの修理自体が久々のことだったのと、かつては直ったつもりでいてもしばらくするとまた空気が抜けているということが何度かあったからである。場合によっては半日仕事になることもあった。身構えて事に及んだが、あっという間に終わってしまった。これはこれで腑抜けのような心持ちにもなったのである。

早朝配偶者は富良野へ向けて出立。6月中旬までの不在となる。


2015年4月26日(日)

食器棚の抽斗から取り出した途端にコーヒー用のマグカップは手から離れて飛んでいった。割れてしまうなぁ、と目を凝らしているとはたして床の上で粉々になった。床に落ちるまでの放物線まで見え、原形が崩れゆく様が、スローモーションのようだった。一部始終が鮮やかに甦ってくる。

わずか1秒ほどの事故はまったく思いがけないものだった。ましてひとりの夜である。「逆夢」ということにあやかってこれもそんなしるしであればいい、と祈りながら掃除機で細かい破片を拾っていった。

手から離れた原因は、冷蔵庫のかどに親指をぶつけたことだった。爪の付け根が内出血しているのに気付いたのは何分も経ってからだった。日頃の緊張がよほどゆるんでいるか、それとも緊張(ストレス)が高まっているせいか、これは判断を留保せざるを得ない。


2015年4月28日(火)

かつてのように背負って長い旅ができなくなったので「あとで頼みます」と残していった衣類をやっと富良野へ送った。

仕事先から豆乳1リットルパック12本が入る段ボール箱を持ち帰りそのかたまりをつめると少し膨らむがまずは予想通り収まった。郵便局に向かう道すがらこれだけではつまらない、なにか同梱してやるか、と考えた。残りスペースはないも同然だが衣類だけに押し込めばなんとかなる。

思い付いたのがセブンイレブンの100円かりんとうである。これだけというのも芸がないのでたばこを一箱だけ加えた。窓口に開いたまま差し出すと女性局員がすかさずガムテープを貸してくれ、貼り合わせるときには触れんばかりに手を添えてくれた。その彼女が送り状の「中身」の欄を読んで言った。

「北海道まで航空便で送りますので中身がすべて一致しないと載せてくれません。衣類の他にはなにが?」

見られたかと苦笑しつつ「かりんとうとたばこです」と正直に答えた。彼女は「衣類」のとなりに「お菓子・たばこ」と書いた。ぼくの字よりも丸っこくて可愛らしかった。

そのあとに「いまそこにいるかのように……」ということばが浮かんできた。頼まれたわけでもないのに、頼まれたものを買ってきたような気分がしたからだ。こんな発想こそ、歳とった証拠かなぁ。


2015年4月30日(木)

休日なのに、頼まれて出勤。帰り際に、多少くたびれてもしかすると? 気になって5月の予定表を見れば次の休みは、水(6日)となっている。ということは29日から5日まで7連続勤務となるのだった。

5月のカレンダーを捲って赤い数字の連なりを眺めながら、このときも「ご老体」は労働にいそしむのかと思う。もう2日が過ぎたのであと5日である。こうなれば一日一日をひとつずつ消していく(悔いなく過ごす)しかない。

ぼくはやはりM(被虐的我慢症)かも知れない。他のカープファンもおなじMの心地がしているのだろうなぁ。鯉のぼりの季節がやってきたのだから、明日に期待しよう……などと。


過去の「日録」へ