日  録 「M」の極致

2015年5月1日(金)

「メーデー」の朝、駐車場で一緒になった同僚と「思いがけず7連続勤務となりました」と語りかけると50代のその女性は右手の指を順々に折りながら「木、金、土、日、月、火」最後に小指をピーンと立てて「わたしは6日連続です」と言った。他に別の仕事もやっていると聞いているので、これはぼく以上にハードかも知れない。

多忙につき有給はおろか週休も満足にとれなかった社員を「休ませる」ために、アルバイトに社員の仕事を大いに肩代わりしてもらおうというのである。こういう体制になってやがて一年になるが、双方にとってわるい話ではない。おかげでこちらも「一人前」に働いている。そのうち「定年知らず」とあだ名を付けられるかも知れない。

「メーデー=労働者の祭典」はもはや遠い昔のことのようだが、きょうは殊勝な気分になった。


2015年5月2日(土)

明け方、遠くの保養地で同級会をはじめる夢を見た。このたびは、都合でできなかった卒業試験を行うと案内状にあったのでほぼ全員が次々と集まってくる。地下室に回廊があり、何メートルかおきにベンチが置かれている。その指定された席に坐って試験を受けるようである。自分の席を探し回っているうちにホテル「H」の入り口に至った。扉を開けると大きな教室になっている。

満員で入れないので最後尾にいたM君に不義理を詫び、二言三言やりとりしただけで外の牡丹園を歩き回った。何人かの同級生もそうしているが肝心の牡丹はまだ花が咲いていない。しおれかかっているのさえある。同級生たちの輪郭もひどく曖昧であった。

担任のナベさんはまだか、とぼくは首を巡らせるが、ふと気付いた。先生は5年前に死んでしまったのだ。

では卒業試験は誰が仕切るの?

起きてからのこんな疑問はさかしらというほかはない。日々の生活が試験のようなものだからだ。試験からは卒業できないということの暗喩かも知れない。ナベさんとは夢の中なら逢える。


2015年5月7日(木)

古い文庫本のカバーに「2014.5.12 今夕こそは帰りに本屋に立ち寄ろうと思い家を出た。」というメモがあった。 なぜこんなことをわざわざ記したのだろうと気になってその日の日記を読んでみた。たしかに本屋に立ち寄ってお目当ての本がなくて落胆したようなことを書いている。その中身はともかく、8日ぶりの休日に蛸壺を覗くように過去の日記をまさぐることには、なにかヘンな感じがつきまとうのだった。

それはたとえればいつまで経っても歳をとらないということにつながっていくように思った。もとより不死ではあり得ないが、過去に還りつつ生き続けていくかぎり「老い」とは無縁でいられるだろう、少なくとも気持ちのうえでは。

ところでその文庫本とは中城ふみ子の歌集『乳房喪失』である。裏表紙にはタバコの火でわざと焦がしたとしか思えないような丸い穴が六つもある。ほかに意味不明の落書きも随所にある。44年前鹿児島出身のN君が広島を去るときに記念にもらったものである。

いまなお手元にあるのはN君との縁だろうか。


2015年5月10日(日)

昨9日、新井貴浩選手がカープに戻ってきてはじめてホームランを打った。

NHKニュースでは併殺打を打たされた直前の打席に次いでそのホームランの場面を流した。心憎い編集だった。会心の当たりのあとにバットを宙に放り投げるスタイルはどのチームにいても「絵」になる。

ぼくはタンスから「背番号25、たて縞のユニホーム」を引っ張り出して羽織ってみた。新井選手がカープを去った年か翌年かに「虎ファン」の直人からもらったものである。

直人はその日、試合を観戦したあと新井選手のユニフォームを着て現れた。「いいなぁ」と感嘆すると彼は即座に「あげます」と言って脱いだ。その一連の仕草があまりにもいなせだったので、喜んでもらって帰ることにした。余程怨めしそうな(物欲しそうな?)顔をしていたのかもしれない。

長い間鴨居に飾っておき、いつの間にかタンスに仕舞われていたのがそのユニフォームである。何年か経って戻って来るなんて思いもしなかった。「男気」と「いなせ」は同義語みたいなものだ。自分にはついぞないものだけれど。改めてありがとう、直人。


2015年5月12日(火)

ふと思いついて、滅多に使わない通帳に記帳してみると「5.11 KDDI料金 3円」とある。10日か翌日に引き落とし日が設定されていて、144円、152円、25円などと記されている。少額は少額だが、明細を知る手だてはもはやない。

電話料金割安サービスとして「加入」しているはずで、それはかれこれ20年も前のことではないだろうか。時代は変わって家電(いえでん)はほとんど使わなくなってこんな金額になるのだろうが、さすがに3円には驚いた。

帰り道で(こちらもふと思い立って)カインズホームに立ち寄った。「コンバット/アリ用」というのがあったので買って帰った。台所にアリが大量に出没する季節になったからである。掃除機で吸い込んだり、ティッシュで退治することにささやかな罪悪感を覚えはじめていたので、試してみようと思った。

深更になって現れたアリたちを観察しているとシンクの角を伝い降りた一群が床の容器の回りをウロウロしている。何匹かは中に入って、すぐに出てくる。この小さな容器をくぐったアリが巣に戻るとみなが感染して全滅するというのである。能書き通り効くかどうか、たのしみである。

一方で、体長3oにも満たないモノを相手に、なんともおおげさなことではあると思った。

小さな一日だった。


2015年5月19日(火)

朝雨が止んでいたので、あちらこちらから伸びてきた若竹の伐採に挑んだ。背丈よりも高くなっているものや道路にはみ出しているものもある。気が付けばこうである。まことに竹の生長は早い。起き抜けにでくわした近所の人に庭がめちゃくちゃですと自嘲気味に話したことが行動をあと押ししてくれた。が、雑草にまでは手が回らず、ひと汗かいて次の作業へ移った。

若竹ほどではないがゴムの木もあっという間に大きくなる。昨秋、やむなく枝を切りそのうちの一本を花瓶に挿しておいたところ根をたくさんだし、茎からはとんがった芽がいくつか飛び出すようになった。

数日前、ゴムの木いらんかね? と弟が花屋さんを営み自身も生花教室に通っているというアルバイト仲間の女性に訊けば「あ、欲しい。ベランダが西向きなので花が置けないの」と言った。昨日帰りがけにひと目で気に入って買ってきた黒い平鉢に植え替えた。西日のさすベランダに無事置かれるようになればいい。

ゆうべは肩が張って動かすと痛みがあった。ついに肩まで? ここ数日、おそらく「仕事」をがんばりすぎたせいでふくらはぎから太ももにかけての筋肉が痛んでいたからだった。

「年寄りの冷や水」という警句を思い出させられたが、ともにいつしかおさまっていた。休日はあらまほしきものなり、である。


2015年5月21日(木)

未明、建物をも揺るがすほどの大きな響きで目が覚めた。ぼくはしばらく起きて、いなびかりと雷の音との間隔がだんだん間遠になるのを確かめながら久々の雷鳴を楽しんでいた。和菓子の「雷おこし」はどうしてそんな風に呼ばれるのだろうなどと考えていた。

その味がなつかしく思われた。その程度の単純な連想だったが、その頃のりは「二度寝をして、雷に打たれた飛行船のメンバーがマンションに無事降り立つのを見守っている夢」をみたという。彼女の誕生日のこの日は、3年前に「金環食」、その翌年にも何かの華麗な天体ショーが見られたはずだ。ことしはいささか物騒な現象だが、夢の中身は心優しいのりらしいものであると思った。

札幌から秋鮭の姿造り二尾が送られてきた。昨夜二度目の配達で手元に届いた。釧路の冷凍会社が熟成したもので、体長80pの「秋味」が2枚におろされ、さらにいくつかの切り身にされていた。かまも都合4個パックされていた。朝、早速そのうちの一切れをいただいた。まぎれもなく北の味がする。雷おこしは夢みたいなものだが、これは現実だった。妹よ、ありがとう。


2015年5月24日(日)

毎日風呂に入り、毎日髪の毛を洗う。シャンプーで洗ったあとコンディショナーですすぐ。コンディショナーがいまは広く使われているが昔はちがう呼び名だった。はてなんだったかなぁ、と考えた。

なかなか出てこなかった。髪を洗い終わっても思い出せなかった。どうでもよいことだがな、と肩の力を抜いた途端にリンスというそのことばが出てきた。

英語のrinse はすすぐという意味だそうだからもっと英語力があれば早くに思い出していたかも知れない。それにしてもこのことばはもはや死語なんだろうか。商品名からはまったく消えているはずである。


2015年5月31日(日)

26、27,28日、交流戦の初っぱな3試合を連続してテレビ観戦した。カープファンとしては依然「M(被虐)状態」であり続けるが、28日の試合ばかりは思わず落涙するシーンがあり、もはや勝ち負けはどうでもよくなった。

12対3、敗色濃厚となった8回、一塁線上を強烈な打球が飛んだ。それを捕球したのは、新井貴浩選手だった。スローで見ると地面から一メートル以上飛び上がっていた。感動したのはその美技と、そのあとの新井選手のきりっと唇を結んだ表情だった。38歳のベテランは、一瞬一瞬を、真摯であろう、真剣であろう、ともの言わず語っていた。

試合は8回裏に7点を取って2点差に追い上げるが結局負けた。しかし悔しさはなかったのである。

これぞMの極致だろうか。


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