日  録 生前葬? 

2015年7月1日(水)

数日前アライグマの捕獲器を市に返却した。こどものアライグマがいたところに一ヵ月近く置いておいたが、親はもう戻って来ないのではないかと判断した。親はどこへ行ってしまったのか気にはなるものの、ここで捕まらなかったことはかえってよかったのかも知れないと思うようになった。

その矢先、庭に巨大な牛と泥まみれの犀がなだれ込んできた。一方が他方を追いかけている。じゃれあっているようにもケンカをしているようにも見えたが、見定める前に目が覚めてしまった。明け方の、邯鄲ならぬ感嘆の夢だった。

田舎では昭和30年代の前半まで各戸が農耕用の牛を飼っていた。家の中に「牛の部屋」があった。家族同然のあつかいを受けていたのである。その牛が時に部屋を飛び出して、坂の多い集落の道を走り回った。

いまも覚えている情景は飼い主の若者が牛の前に立ちはだかり、大声で話しかけながらなだめている姿だった。牛も立ち竦んだまま、やがておとなしくなり、連れられて家に戻る。一部始終を目撃したぼくはひとりで牛に立ち向かった、ハンサムな若い戸主にすっかり感動した。きれいなお嫁さんが来て何年も経たないうちに亡くなったのは村にとって大きな損失だと大人たちは言っていた。ぼくもそう思った。

こんな風景はいまはどこにもないのだろうか。それとも、どこかに行けばいまも見られるのだろうか。


2015年7月2日(木)

帰り際にすれちがったとき、きょうも会えるかなぁ、とその女性社員は言った。笑うと八重歯が覗き、いまどきは滅多にお目にかかれないそばかす美人である。ええ、おそらく。爺さまが孫娘にさとすように、でも気を付けてね、と付け加える。

彼女は4年前統合された現在の配送センターに他の営業所から転勤となった。以来14、5キロ先の自宅から自転車で通っている。車通勤のぼくと途中まで同じルートを走る。渋滞をきたす車とちがって彼女の自転車はすいすいと走る。追いついたと思えばいつしか追い抜かれる。

彼女はいつもさっうとして、一心に前を向いて一定の速度で走り抜ける。走る姿はまたいっそうの魅力がある。後ろ姿とバックミラー越しに勇姿を覗くのは運転中のたのしみである。もちろん見つからない日のほうが多い。

こちらが気付いているだけで彼女はこんな「車ストーカーの存在」を知らないはずだった。ところがつい数日前、お互い信号待ちをしているときに偶然目が合ってしまったのである。

職場で最年長というのはたのしくもあり、哀しくもある。


2015年7月4日(土)

プラムが色づいていた。あ、これだと思う。

先日、自動販売機でいままで買ったことのないペットボトルを選ぶと「レモンのピールエキス入りの天然水」とあった。この「ピール」がわからない。飲んでみたところで想像もつかないので休憩室にいた何人かに訊いた。そのときは誰も教えてくれなかったがあとで調べてわかった。皮むき器をピーラーということも知った。

プラムのピールははやくも紅色になり、雨に映える。皮にかじりつく日も近いかと食い意地を募らせる。知らないことを知るのは気持ちのいいものだ。


2015年7月7日(火)

近くのホームセンターで「グズマニア・マグニフィカ」を買ってきた。帰るとすぐ小ぶりの苗を鉢に植え替えた。名前がなかなか覚えられないので、苗に付いていた名札を土に差した。

ネットで調べる(花の名前はその都度玄関まで行って確かめねばならなかった)と、この観葉植物の特徴は重なり合った葉の根元から水を吸収することだという。したがって成長期には「葉筒」と呼ばれる株の中心にたっぷり水を貯えておくことが大切。つまり、土に水をやるのではなくからだ全体にシャワーの如く振りまくのがよろしいと指南されている。そうとは知らずに買ってきたが、税込298円、お得だったかも知れない。というのは、

『ボケる、ボケないは「腸」と「水」で決まる』(朝日新書)の著者・藤田紘一郎氏によれば、人間の脳の約80%は水分、水分不足になるとボケやすくなるのが道理、良質の水(アルカリ性の天然水が推奨されている)を毎日1.5から2リットル飲むことで認知症が予防できるらしい。

ふっとそのことを思い出して、毎日の水遣りが楽しみになったからである。


2015年7月12日(日)

「押し入れ」からギターが出てきた。こどもの高校入学祝いにあげたものだから、二十数年経っている。当初は教則本を手に練習する姿を見かけたがその後は、親たちの意と異なり、「夢中」になることはなかったようだ。ケースをあけてみるとまだ木の香りが漂ってくる。

なぜギターだったのか? 配偶者の提案だったと思うが、ぼくにも思い出があった。高校一年生の夏休みに山小屋に泊まり込んで測量の手伝いをした。1週間くらいのアルバイトだったが、もらった給料のすべてをはたいてギターを買った。

はじめてのバイト代だろう? いまいちばん欲しいものをどーんと買うことだよ。一緒に寝泊まりしている県職員のひとりがアドバイスしてくれた。記念にもなるしなぁ。半世紀も前のことである。

上手くなりたかったが、イメージ通りにはいかなかった。それでも、22、3歳の頃までは手元に残っていたはずだ。ほとんど部屋の調度品だったかも知れないが、捨てるに捨てられなかった。

「禁じられた遊び」のイントロくらいは思い出せるかも知れないと抱きかかえてみた。すると弦の順番がまったく逆である。左利き用になっている。そのせいではないがドレミファも鳴らせなかった。本でも買って一から学んでいくしかないみたいである。そんなことを思いながら、左利きの息子の住まいに近い将来宅急便で送るか、持って行くか、などと思案していた。


2015年7月14日(火)

今日も朝から30℃を越えている。すべての窓を開け放っていても一陣の風すら入ってこない。

きのうの朝、梅の木の下で雀が一羽死んでいた。からだは無傷のようだったから、暑さにやられたのかと思う。水が見つけられなかったのかも知れない、と配偶者は哀しがった。

スコップを取り出して、息絶えていた場所にほど近い木の根元を掘っていると、そこは通路だから、とだめ出しがあった。さらに奥の侘び助の木のかたわらに埋葬した。そんな顛末をアルバイト仲間の女性に話すと「あら、かわいそう。水が欲しかったのね」と言うのでビックリした。猛暑は小さな雀には人の何百倍もの負荷がかかる。もちろん人も用心しなければいけない。


2015年7月20日(月)

アルバイト仕事の性格上、先端に鉄芯をはめこんだ「安全靴」(もどき)を選んで、仕事以外でもそれを履いて生活しているのだがおとといまでの靴はぶかぶかであった。仕方なく冬用の靴下をはいていた。

サイズは成人して以来ずっと同じ25センチ。メーカーによって誤差があるのかも知れない、とすればミスチョイスだったと悔やみつつ冬から春にかけて半年以上はき続けてきた。こんどはちゃんと試着してからにしようと思った。しかしおととい買った新しい靴は以前ほどではないが、それでもゆるいのである。

「足も縮んでしまうのかな?」とひとりごちると、

「小さい足だよ。もともと小さい」と誰かが言う。すると「足の小さい男は好きじゃない」などと別の誰かが敷衍していく。もちろん口からでまかせで根拠があるわけでもないし、それで好ききらいを決めるほど酔狂でもないはずだ。

「足の大きな人は背が高い。そのリクツなら、背の高い人が好き、となる」こちらも屁理屈でやり返せば、

「身長170センチでも足の大きい人はいる」と見てきたような嘘を吐く。

かつては170センチに数o届かない身長だったが、いまは確実に3センチほど縮んでいる。背とともに足は縮むとしても、おのれの「足元」だけにここは侮ってはいけないのだろう。


2015年7月23日(木)

20日夜、この日はじめてメールを開けるとかつて勤めていた国立の塾から「急で申し訳ありませんが本日代講お願いできないでしょうか」という内容のメールが入っていた。受信時刻は11:47。すでに7時間以上経っているのでもはや「時効」となっているが、代わりの人は無事見つかっただろうか、と少し気になった。

それにしても、2011年の11月に膝の皿を割って入院、手術となり、年明けて直ってから辞める決断をした。あれは気力の問題だったのだ。もう二度とこどもたちの前に立って学習を教えることはないだろうと思った。そのときから3年半が過ぎている。その長い空白を感じさせないメールにおどろき、タイムマシーンに乗ったような不思議な気分となった。

その気分のなかには、「昔の自分」をよくぞ覚えてくれましたね、という感謝や感動がある。過去にはもう戻れないが、過去は確実に(どこかで、ひそかに)息づいていることを再確認させられた。


2015年7月25日(土)

23日の日記をほぼそのまま facebook に投稿したところ、過去最大の「いいね」と10件以上のコメントをもらった。それらをくれたのはいまは30前後から40代のはじめとなった元生徒(教え子)で、世の中の中核となって仕事や子育てに邁進している者たちである。

facebook
ではかれらの「現在」にまじって66歳のぼくは日常の雑感とともに「過去」をいとおしんだりしているのである。時に場違いの感なきにしもあらずだが今回のようなことがあると参加しているのもいいかなぁ、と思う。

何度かコメントを読み、中身を反芻しながら、これはもしかしたら生前葬かも知れないとも思った。コメントはぼくを称える弔辞である。とはいえ本人はまだまだ生きていくのだからそれらは今後の糧=励みになる。いままで3回の「励ます会」に出たが、いずれも再生を祝う会だった。寺田さんなどは「生前葬ですなぁ」などと韜晦しながら満面の笑みを浮かべていた。


2015年7月28日(火)

7日ぶりの休日、自他への言い訳に、ぐーたらと過ごす一日だった。それでも夕方になって市立図書館西分室へ自転車で向かった。まだ陽射しも強そうだったので帽子をかぶって出た。こどもの、むかしの帽子なので小さかった。ぎしぎしに頭に当てて、風がないので飛ばされる心配はない。それよりも、足は縮んだが頭は無駄に大きい、などとからかわれそうだった。10分ほどで分室に着いたが、この日は休館日。ぐーたらにはとんだ落とし穴があるというわけか、無念。


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