日  録 はじめてのCTスキャン

2015年9月2日(水)

いきなり秋か、と思われたが今日は蒸し暑く、残暑の風情がある。陽がさせば軒端に干した洗濯物も、救われる。いや救われるのは、数日前に物干しから直接とったシャツを着てしまったあとで生乾きに気付き慌てて脱いだ自分である。

雨が降ったり止んだりの天候ではある。秋雨前線がもうやってきたらしい。季節の移り変わりが早い。何ヵ月もしないうちに、晩秋もなく、もう冬か、と嘆息するのだろうか。ともあれ、この秋は、どこかへ旅をしたいと思うのである。9月の誓い?

夕方になってから庭の夏野菜、トマトと茄子を片付けた。ピーマンだけはまだ瑞々しい実がいくつかぶら下がっていたので残した。「未練のピーマン」である。

駐車スペースの地面には雑草(主にススキ)が予想以上に大きくなっていた。こちらもついでにと鍬を振るった。半ズボン姿で作業をしていたので久々の真夏日に喜んだ(?)ヤブ蚊がふくらはぎにたかってきた。刺されたのは10ヵ所を下らない。

それでもめげずに鍬を振りおろして幼いススキを切っていると、鍬の先が石ころに当たる拍子に火花が起こった。一回目は偶然だったが、わざと力強く石を打てば、一割ほどの確率で火花が散った。なぜか嬉しかった。

蚊も出、汗も出、火も出たというわけである。その間には椋鳥が1羽どこからともなくやってきて、紅葉の木の葉陰から見ていた。これぞ残暑。(「残暑ざんしょ」などかけばトニー谷になってしまうが)


2015年9月4日(金)

診察の予約が11時だったので朝5時に目が覚める身は待ちくたびれた。人間ドックで再検査が指摘され今日の予約となっていた。

受付を済ませるとベッドのある部屋に案内されてしばらく安静にしたあと採血をするという。30分後ベッドに横たわったまま血液を採った。かなり時間がかかっているので、何本ですか、と訊けば看護師は6本と答える。ひぇーとぼくは叫んだ。

8日の人間ドックのときに3本、16日通常の診察の折りに3本(2ヵ月前から血液検査が予定されていた)、1月も経たない間に合計12本である。これ、多すぎないか。

肝心の診察の方は、超音波検査で右副腎に見つかったという腫瘍は20o、50o以上ならともかくこんなに小さいモノをよく見つけたという感じですよ、と女医先生は言う。他にもいろいろ説明があって、今日の血液検査の結果を待ってみましょう、と。

腫瘍でないという可能性も? もちろんです。臓器の襞を超音波がまちがって拾うことがあります。その小ささは無理矢理こじつけたのではないかと思うくらい。精度の高いのはCTスキャンです。

やった方がいいのですか。一応やりましょう。

こんな成り行きで11日後にCTスキャンとなった。

自覚症状がまったくないので、すべてが検査の結果次第というのが、なんともファジーである。CTスキャンの結果説明は、その3、4日あとという。それまであれこれ思い悩むこともできない。


2015年9月10日(木)

今夜は刺身が食べたい、天ぷらも食べたいと思ったのが5日ほど前。結局スーパーでパック入りのお寿司を買ったが、天ぷらは買わなかった。

その際(おそらく天ぷらからの連想だが)小さな頃田舎の台所に貼ってあった「食い合わせ表」なるものを思い出した。一緒に食べてはいけない食べ物の組み合わせが絵入りで示されていた。記憶の中では、原色の赤や黄色が煤けているが、家族が無事に生きのびていくうえで欠かせない指標のように輝いていた。

長じれば、迷信のたぐいで、寒村の啓蒙のためにしかるべき機関が作ったものだろうと思う時期もあったが、ネットで調べてみるといまも生きている「千年の知恵」のようである。ちゃんとした根拠も示されていた。「天ぷらとスイカ」「うなぎと梅干し」また「トマトとキュウリ」なんていうのがあり、現代風にビタミンが壊される、身体が冷える、などと理由が説明されているのである。

しかし、あの頃(昭和30年代)台所の土間に貼ってあったあの表はもっとまがまがしい迫力を持っていた。誤って食べた日などは、自身のからだにどんな奈落が訪れるか不安におののいたのではなかったろうか。昭和30年代、高度成長期に入る直前の、なつかしい心情である。


2015年9月12日(土)

マウスを取り替えると操作が快適になった。4年以上使ったマウスは、突然動かなくなることが頻繁になっていた。再起動すれば直ったのでそのまま使っていたが最近は時々IEを突然シャットダウンしたり、別の画面に切り替えたりするようになった。いたずらが過ぎるので我慢できなくなって取り替えたのだった。

PC関連のモノを買うなんてまったく久しぶりだった。ヤマダ電機でポイントカードを差し出すと、「これは随分前のやつですね。新しいのに換えますね」と言われてしまった。そのカード、受け取ったところまでは覚えているが、どこにも見当たらない。古いカードのように財布のカードケースにしまったつもりでいたが、ない。神隠しにあったようなものであり、これもマウスのいたずらか、と思えてきた。


2015年9月15日(火)

腹部・腰部の、初めてのCTスキャンを受けてきた。台に横たわってズボンを少し下ろしただけで早速はじまった。5秒間息を吸ったあと、息を止めている十数秒のあいだに撮影が行われているようだった。その吸って、止めての繰り返しもたったの3回。

あまりにもあっけなく終わってしまったので、病院にやってきた50分前に遡って、ここに至る道を反芻した。まず別室で体温、脈拍・呼吸数、血圧を測ってもらった。血圧が「98-60」と出た。ふらつきもないのにこんなに低いとは、ビックリして天を仰いだ。

「検査の前ですから、普通は高くなるのにね」と看護師も不思議がった。「お昼ご飯を抜いたせいかしら。このまま検査室に出しておきますね」。

レントゲン室に入ると技師が深刻な顔つき(元々そんな風な強面かも知れない)で「造影剤CTの予定ですが、腫瘍の検査なので、腫瘍に造影剤が悪影響を及ぼす可能性がありますので今回は普通のCTを行います」と言う。造影剤投与の「同意書」にサインして持ってきたのに……と思うが、ホッとしたのも事実である。

造影剤CTを指示した女医先生は「悪影響」について知らなかったのだろうか。それとも(知らないはずはないので)より精度の高い結果を得るために少々の「影響」は「必要悪」と考えたか。または、こんなのは腫瘍でも何でもないので平気だよ、と思ったか。結果は、今週の土曜日にべつのお医者さん(泌尿器科部長)から聞くことになっている。ああ、まな板の鯉(カープ)だ。


2015年9月16日(水)

きのう右足の甲に小さな膿疱がひとつできた。直径2ミリ、高さ1ミリ、草色の丘である。すそ野がふっくらとして赤々しい。丘はズボンの裾などが当たると痛くて、すそ野は痒い。なぜこんな所ににきびみたいなモノができたのだろうか。

痒いということは虫に刺されたのか。その虫は靴の中に潜んでいたのか。では何という虫なのか。アルバイト先に着いてすぐ、靴を履いたときの痛みを和らげるために絆創膏を貼った。その場面を目撃した同僚が「ブヨに刺された?」と訊いた。そんなところだ、と答えた。倉庫に入るとほとんどの人が「ブヨに刺された」ことを知っていた。


2015年9月19日(土)

2日前、未明から朝まで遠くで雷の音がしていた。夕刻に車を走らせていると鳥の影が路上に写った。そのときフロントガラスの前を横切った鳥の名前は知らないが、路上の影があまりにも鮮やかだったので、嬉しかった。

今日はCTスキャンと血液検査の結果を聞くために病院へ。説明してくれたのは診察してくれた女医先生ではなく泌尿器科部長だった。血液はすべての項目において正常、人間ドックで指摘された右副腎の腫瘍は2年に一回くらいのわりで診ていけばいいでしょう(心配に当たらず、ということか)と言われた。風格があって、堂々した物言いの先生だった。信頼できると思った。

もしやと思い同じ病院に通う友人にメールすると「その先生は私の主治医。名医です。運が良かったね」とすぐに返事があった。


2015年9月24日(木)

帰途ドラッグストアに立ち寄って、「サイズいろいろ新鮮たまごパック入り10個」を買った。いつもは自分でやるのに今日にかぎって女性店員が袋に詰めてくれた。配慮して生卵だけ別の袋に分けてくれた。今日の買い物は冷凍食品や牛乳や缶チュウハイなどが入ったやや重い袋と生卵だけの軽い袋のふたつになったのである。

10分ほどあとに自宅に着いて、肩にバッグ、左手に車と家のカギ、右手にふたつの袋をまとめて提げて車を降りた。一瞬、こういう時は生卵の入った袋が指をすり抜けて地面に落ちるのではないかという恐れが湧いた。よくありがちの失敗である。殊にからだの疲れがピークに達しているいまは慎重に運ばねばならないと思った。

左手でカギを差し込んで玄関を開けたときまで無事にやってきた。靴を脱ぎながらよしよしと安堵したとき上がり框にその袋は落ちた。10個中6個は割れて黄身が飛び出していた。時差はあったが予感が的中した、そのことは落とした心のショックを和らげた。しかしマヌケな自分を免責はしない。

卵を投げつける場面をテレビでたまに見かけるが卵であることになにか隠された意味があるのだろうか、と考えた。ほとんど腹立ち紛れに。自虐的、自伝的、それでいてすごく真っ正直な原田宗典「メメント・モリ」(『新潮』2015年8月号)を読んで数日が経っている。


2015年9月26日(土)

森内俊雄「赤い風船」(新潮215年8月号)よりの孫引きながら、「過去というものは、思い出す限りにおいて現在である」(大森荘蔵)ということばに出合ってとても大きな勇気が出てきた。森内俊雄は「異色の哲学者」と紹介しているが、ぼくには未知だった。ウィキペディアによれば、

「独自の「立ち現れ」から説く一元論が特徴/「わたし」と自然との間には何の境界もなく、「わたし」の肉体とそれ以外のものに境界があるだけである。共に、「立ち現れ」である点で、私は自然と一心同体であり、主客の分別もない。」

さらに、この人が育てた哲学者のなかに「野家啓一」の名前を見つけて、連載物を毎月待ち遠しくて読み継いだ記憶が甦った。例によって中身はほとんど覚えていないが、その師大森荘蔵、著作を何か読みたくなった。

日高図書館にあったのは『音を視る、時を聴く』(大森荘蔵×坂本龍一 哲学講義、1982年朝日出版社)の一冊だけだった。傍流だが入門書にはなるかと、借りてきた。

それにしても、過去と現在、さまざまに交錯するようになった。歳のせいだろう、きっと。


2015年9月27日(日)

夜7時に帰宅、早速雨戸を閉める。鴨居と敷居の溝が摩耗しているので、ブリキ製の雨戸はときに大きな音を立ててコンクリの三和土に落ちることがある。落とさないためにはコツがいるが、気持ちが乱れていると失敗するのである。

中秋の名月のきょうはキレイに閉めることができた。と思いきや、最後の一枚をぴたりと合わせようとしたときヤモリのこどもが顔を出してもがいていた。あわや、おしつぶしてしまうところだった。ヤモリは外に逃れ出た。よかった。彼にも我にも大きな危機であった。


2015年9月29日(火)

今夜のおかずに「ガーリックペッパーコロコロステーキ」というのを買ってきた。29日だからきっと肉の日だ、とガラケーを覗くと「招き猫の日」となっていた。由来は例によって謎である。

涼やかな風が吹くようになった午後、草茫茫になっていた庭の草むしりに着手。懸案の、というべきかも知れないが、30分も経つとやる気が失せた。腕の動き、足の運びがぎこちない。首のまわりや頬をヤブ蚊にいくつも刺された。1時間で切り上げた。庭は完全な虎刈り状態。

北海道から送られてきた玉ねぎがぎっしりと詰まった箱の側面には『北の味覚』と書かれていた。そこからひとつ取り、切り刻んでポテトサラダに加えた。しゃきしゃきとした歯ごたえは、小気味よかった。


 


過去の「日録」へ