日  録 大阪へ 

2015年11月2日(月)

久々の雨。 いったん止んだが、夜中に外に出たときはまた降っていた。仕事が終わった頃西の空のうすいピンクの夕焼けを見た。明日は本当に晴れるのだろうか。

名古屋のO君からメール。冒頭「思い出したことがある。早稲田卒業だったか、しも君というのがいたね。気のいい男だった。その後どうしている?」とあった。はたと考え込んでしまった。まったく記憶に残っていない。お風呂でも、夕ごはんを食べながらも、思い出そうとしたがかけらだに浮かばない。

O君の記憶力はぼくよりもうんと優れているので、返信メールに「もう少し詳しい情報を教えてくれ」と書いた。

見当ちがいだとは思ったが、若い頃業界紙でいっとき一緒だったさわやかな若者と、物怖じせぬおおらかな、うら若き女性を思い浮かべた。

女の人の名前(大湾さん)は覚えていたが男の子はなかなか出てこなかった。それでも何時間かあとにはついに思い出した。「へや(部屋)君」というのだった。変わった名前だから完全に忘れることはなかったのだ。

いま問題は「しも君」である。もし思い出せるものなら思い出したい。


2015年11月4日(水)


数日前、人間ドックを受けた保健機関から手紙が届いた。8月の健診で指摘された項目の再検査を勧める内容だった。3ヵ月も経つのになんでいま頃と不審に思って診断結果表を取り出した。

血液一般のところに「C3」とある。調べてみるとこれは「経過観察。3ヵ月後に再検査」という意味の記号だった。ちなみに「C12」というのもあった。知らなかったこちらが迂闊なのはいうまでもないが、符牒(符帳、符丁とも)という古い言葉を思い出した。

同時に、血ならもういい、と思った。一ヵ月以内に6本も採血したのがつい2ヵ月ほど前のことだったからである。

その後アルバイト仲間の女性と「ヘモグロビン」の話になって、Hbの値が基準を何ポイントか下回っていると話すと「わたしなんか基準の半分。それでも、倒れずに、仕事している」と言う。女傑というべきか。


2015年11月7日(土)

昨6日宮崎からやってきたM君に逢うために、仕事がおわってから六本木アークヒルズに行った。六本木などは昔からさまざま名前を聞くだけで、実際に行くのはおそらくはじめてである。

あらかじめ印刷しておいた地図と地下鉄構内の案内板をたよりにM君が投宿しているホテルに無事到達した。まったくお上りさん感覚だったがロビーで何年ぶりかの再会を果たし、ヒルズ内の居酒屋で近況を話し合うことができた。地元のいも焼酎「あくがれ(在処離れ)」(ゆかりの若山牧水の詩にちなむ命名)をはるばる持参してくれた。「おくさんに飲んでもらおうと思って」と言ってくれた。もちろんぼくも飲む。


2015年11月9日(月)

明日あさっての「連休」は大阪に行くことになった。2年前の10月27日に突然死んでしまった義兄にあいさつをしなければならない。葬儀にもいけなかったことをずっと悔やんでいた。

姉は「無理しなくていいよ」といったんは言うが、来ることを喜んでくれている。自宅までの道順を何回かに分けてメールで教えてくれる。もうしばらく行ったことがない大阪は見知らぬ大都会で、これもまたお上りさんみたいなものである。

何回目かのメールで自宅からすぐ近くの「司馬遼太郎記念館」にいこうと姉は提案した。Y君が新聞社の東大阪支局に支局長として常駐していたとき、となりに住むこの歴史作家を訪ねたおりの話を思い出した。記念館はそれらの近くに建っているようなので、行きたいとすぐに返信した。

そのY君はじめ大阪在住の何人かと逢っておきたい思いもあるが、こんどはそことここのみの往復にとどめようと思った。


2015年11月14日(土)

11日、司馬遼太郎記念館に行ってきた。自宅もそのまま残っていて、玄関をくぐって自然の息吹にあふれた庭を縫うようにして記念館に辿り着く。コンクリート打ちっ放しの円柱の建物(安藤忠雄設計)、著書と膨大な蔵書(の一部)が吹き抜けの天井までびっしりと埋まった展示室、ともにすばらしかった。紙の書物群に囲まれると、たしかになにごとかを考えさせられる。

悠久の自然か、人の生き死に、か。

小学6年生の教科書のために書いた『二十一世紀に生きる君たちへ』を読むとこの国民的作家は日本の行く末、日本人の未来を心から案じていたことがわかる。この本には生原稿が収録されているが、赤や緑のペンを使った推敲のあとがすさまじい。姉の住まいのすぐ近く、姉と行った記念館、もっと早くに来ればよかったが、おのずと時期というものがあるのだろうか。


2015年11月16日(月)

往復の新幹線車中から読み継いできた『姫神の来歴』(山貴久子著、新潮文庫)読了。神代の昔(二世紀ごろ)に向けられた想像力の奔放さに魅せられた。同時に日本人の心性を追い求めたという著者のモチーフがグサリと胸を刺した。

玉依姫に育てられた鵜萱草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)がルビなしで読めるようになったのであった。この神こそ猿田彦大神であり、大国主命である、と著者は言う。もちろん、この神は男神だが、姫神たちは眼前に在るように、清清しく立ち上がってきた。2年前に51歳で急逝したのが惜しまれる。

10日朝東京駅に向かっていたぼくは赤羽で京浜東北線に乗り換えた。ドアの近くで脇目も振らずに外の景色を眺めていた。というのはとなりに立った女性がちらちらとぼくを仰ぎ見るようだったからだ。

次の駅でドアが開くと駅員が飛び込んできてぼくの前に立った。「すみません、ここは女性専用車両なんです。ご協力お願いします」若い駅員の腕にしがみつくように降りて、ひとつ後ろの車両に飛び乗った。東京駅に着く寸前に「女性専用車両は東京駅までです。ご協力ありがとうございます」というアナウンスが聞こえた。

新大阪について地下鉄に乗り込むとそこもまた「女性専用車両」だった。二度目は茶番だというが、ゆっくりとまわりを見渡す余裕はあった。座席に坐るひとりの男性を見つけたときはなぜかほっとした。ぼくは次の駅でこっそり移動した。

笑い話のようにそのことを話すと配偶者は「二回も! 女の人に惹かれてゆく体質じゃないの?」と論評する。あのときバッグの中には、ちょうど半分、櫛名田姫についての2章分を読み終えた『姫神の来歴』が入っていた。


2015年11月18日(水)

「同性パートナー証明書」にからむニュースで「LGBT」などとラジオがいうので早速調べてみた。ぼくは性的マイノリティは必然だと思う者であるが、こんな略語が流行っているのに知らないなんて悔しすぎると思った。

結果は、Lはレズビアン、Gはゲイ、Bはバイセクシュアル、Tはトランスジェンダー(体と心の性が一致しない人)、この4つの頭文字を並べた略語だった。なんだ、とちょっとがっかりした。元が七色の虹、レインボーにちなむ英文ならよかったのに、と。

暖かい日がつづき、龍眼を玄関に入れる機会を測りかねている。この南方育ちの木には嬉しいことかも知れないが、この間六本木で逢った宮崎のM君は時ならぬ気温の上昇で留守中干し柿にカビが生えてしまった、と嘆いている。それもこれも異常気象のせいである。


2015年11月21日(土)

休日だったきのう、マイナンバー通知カードの再配達を午前中に指定していた。すると早朝、娘あての荷物、夜の配達を希望したが休みなら早いうちに受け取って欲しいと配偶者から電話があった。

どこの便で送った? と聞けば「ゆうパック」という。郵便局に電話して、配達時間を午前中に変えてもらった。期せずして、ふたつの書留的郵便物を待つことになり、居間に滞在。テレビでたまたまやっていたメリル・ストリープとトミー・リー・ジョンーズのアメリカ映画『31年目の夫婦げんか』を観た。ふたりの円熟の演技はよいが映画自体はそれほど面白くなかった。観賞中にふたつの郵便物は相次いで届けられた。

昼過ぎに起きてきた娘は、届いたばかりの新しいバッグに持ち物を詰め替え、ひとつには収まらないや、と言いながらそのバッグを肩にかけ、片手に布袋をぶら下げて出かけていった。間に合ったというわけか、と思いつつ、気に入って早速使う様子になぜか救われた。


2015年11月24日(火)

ゆうべはさつまいもご飯を炊いてみた。前に食べたのはいつだったか思い出すことはできないが、芋と呟くだけでなつかしさに見舞われる。唐突に食べたくなったのである。

仕事が終わったあと「さつまいもは残っているか?」と配偶者に電話すると「どうだったかな? なければ庭の鉢にひと茎残っているから掘ってみるといいよ」などと言う。外は暗いので、それだと今夜には間に合わず、途中スーパーに寄って芋を買った。

WEBのレシピに従って(数ある中のひとつを選んで)ていねいにつくったが味はイマイチだった。ご飯のなかのホクホクした芋が記憶に残っているが、これはやわらかすぎたせいである。

もう晩秋だ。今日は陽射しがあって気温も20度を超えたが、明日以降はぐっと冷えるというのでついに龍眼を中に入れた。ゴムの木も大きくなっているので、玄関は一気に狭くなった。


2015年11月27日(金)

目が覚めたのが8時過ぎだったのでビックリした。すでに暖かい陽射しが感じられた。昨晩部屋干ししておいた洗濯物を外に出したのが、おそい朝のはじまりだった。


2015年11月30日(月)

マイナンバー制度が実施されるので世の中は大わらわだが、5年ぶりに逢った姉は「わたしはあの数字を足しながら歩いているのよ」と車のナンバープレートを指さしながら言った。みなまで言わないがボケ防止対策であろうと察しはついた。

ぼくの場合もずっと以前から車を運転しながらそこに注目するクセがあるので不思議な暗合におどろいた。血のつながりの仕業かと一瞬思ったが、ぼくは4桁の数字を入れ替えて「宝くじ(ナンバーズ)」の参考にしてきたわけで、これは悪癖に近い。当たるためしはなく、いわば「実利」からはほど遠いからである。不肖の弟ここに極まれり、と。


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