日  録 時の逆行

2016年3月4日(金)

先月の29日夜になって、インターネットへのアクセスができなくなった。長年ADSL接続を利用しているが、2002年発行の「(モデムの)つなぎ方ガイド」が押し入れから出てきたので設定をやり直すことにした。

PPP(Point to Point Protocol) ランプはこの時点で点灯していたが、モデムをまず初期化して、ユーザー名、パスワード(ガイドに書き残していた。こういう事態を想定していたのだろうか)を入力。すると、PPPランプが点滅するようになった。ネットに接続するためには点灯していなければならないとガイドにある。

翌1日、プロバイダーのカスタマーセンターに電話をすると、ユーザー名が変更になっていると新しいユーザー名を教えてくれた。帰宅して早速入力、するとPPPランプは点灯した。が、まだインターネットにはつながらなかった。

次の日(2日)も電話をした。帰路の途中でかけているというと、物理的な対処法として、再起動とコードの確認を教えてくれる。それでもダメならば、パソコンを操作できるところからもう一度電話して下さい、修復方法を具体的に指示できると思います、という。

新しいコードを買って帰った。断線が原因ではないかと「直観」したからである。しかし、空振りだった。配偶者も気にかけていて、パソコンのまわりをまずきれいにしなさいなどと言う。いまのところ打つ手がなかったので、言われるままに机の上を片付けたのだった。

3日になると、当初の所在なさが消えて「つながらなくとも、生活に支障はない。まぁ、ゆっくり再開だ」と思うようになった。ネット不通の禁断症状は3日も立つと消えていたわけである。それにしても「PPPランプが点灯していれば必ずつながるはずですが」担当者のこの言葉は心強かった。

夜になってパソコンを立ち上げてみると、ネットに接続できるのだった。(まわりを掃除した以外)何もしていないのに、と思えば思うほど、なぜ不通になり、いまなぜ再通したのか知りたくなった。この三日間、多忙にもかかわらずいろいろ相談に乗ってくれた栄人は、

「謎が謎を呼び、いつのまにか解決しているところが、こういう機器のおもしろいところでもあります。」

蘊蓄のある者のみが言い得ることばである。


2016年3月5日(土)

このところドメスティックな作業を勇んでやっている気がする。障子紙の張り替え、排水溝の掃除、鏡のウロコ取りと来て今日はまた夕方遅くなってから障子紙の張り替えに挑んだ。黄ばんでぼろぼろ、文字通りの破れ障子である。もう何年ぶりか思い出すこともできない。前回もそうだったが溝近辺のホコリ(大量!)から片付けねばならないので余計時間がかかる。

風呂場の鏡は曇っていてほとんど何も映らない状態だった。100円ショップで「ダイヤモンドクリーナー」を見つけてその曇りをウロコと呼ぶことをはじめて知った。一個買って試してみると、かなりとれる。次の日もう一個買ってきて、気が付けば裸のままごしごし磨いていたのだった。鏡の機能は8割方復旧したが、すっかりからだが冷えてしまった。

「源ちゃん、こいつに全共闘小説を書かせたいんだが。そもそも成り立つかどうか、どうだろうか」「まあ、無理ですね」そんな会話がしきりに思い出された。

MPのWEB MAGAZINE に小説を連載させてもらうことになり、あのときから20年以上経ってやっと挑戦できる。どうなるか分からないが、このところの一連の作業はせめて身と心をきれいにしておこうとでもいう魂胆か。


2016年3月7日(月)

この日も1時間早く出て、2時間残業をして、夜8時に家に戻った。まるで働きざかりの男みたいだ、と言うと配偶者は笑った。時間が逆流して行くと自身は思うが口には出さなかった。すると、

「大丈夫なの?」

心配顔で訊いてきた。

「からだ? 平気だよ。むしろ充実している」

人手不足の上に、ここにきてもっとも働ける人が辞め、中心となる人が相手からぶつけられる交通事故で入院する羽目になった。いわば緊急事態なので、老骨もがんばるわけである。

ことしの正月、おせち料理を弁当箱につめてもらって出かけたときの感覚が続いているような気がする。二ヵ月余りが過ぎてどんな年まわりなるのだろうか、とそらおそろしくもある。

2016年3月14日(月)

詩の出版社『midnightpress』のWEB MAGAZINE で連載(小説;一対)がスタートした。寝ても覚めてもそのことばかりを考えている。いまはどこに着地するのかまったくわからないが、思い切って書くしかない。

登場人物はだいたい出揃ったので、一回一回完結させながら、通して読めばひとつの物語になっているという風でありたい。苦しいけれど、愉しい日々である。半(?)肉体労働も充実しているのでいよいよ時の逆行は避けられないところだ。


2016年3月16日(水)

お昼前、自転車に乗って1キロ先のスーパーへ。風が冷たい。車では滅多に通らない路地に入り込んで、変電所の鉄柵に沿って走っていくと左側の民家の軒先に柘植の花を見つけた。黄色くて可愛い。柘植なら自宅の庭にも三本植わっているが、ついぞ花は咲かない。なぜだろう。


2016年3月18日(金

久々の飛び石連休(水、金)となった。止まる(休む)とこけるよ、と軽口好きの同僚からはからかわれ、それではまるで走り続ける自転車、一生泳ぎ続けるサメのようではないかと苦笑するが、やはり家でゆっくりできる時間が持てるのは嬉しい。

早朝思い立ってフレンチトーストを作った。まずまず食べられる。洗濯をしたあとパソコンに向かうがモノにならず、雑誌を手にベッドに寝転んだ。うとうととしていたら、配偶者から電話があった。時刻はまだ6時半である。

メールを送ったが読んだか、と訊くので、気付かなかった、と答える。いったん電話を切ってガラケーを見れば二通入っていた。

配偶者は10年ぶりにパーマをかけた。介護生活をいたわって姪が送ってくれた小遣い、もったいなくてなかなか使えなかったが、生活のなかで身も心も刷新する手だてならと思ったのである。ありがたいことである。

いろんな人に支えられている、と改めて思う。ほんとうは支え支えられるのが人の世なのだろうが、(恥ずかしながら)他の人を支えているという実感がないだけに、元来優しい心根を持つ姪の気遣いが身に沁みる。


2016年3月21日(月)

ことしは閏年なので、20日が春分の日だった。いよいよ「春が来た」である。このところ吹き出しのごとく浮かぶ歌はこれではなく「春なのに」であった。

冬の真っ最中からこの歌を唄っていた(心の中で)。それほど待ち遠しかったのか。

今夜は体感的には真冬並みの寒さである。月齢12の月(満月とほとんど変わらない)を見上げて、何度か身震いしてしまった。「春なのに」と思った。うらめしい気持ちは共通だが、歌詞からは遠く離れて、こちらは情感に乏しい。嗚呼。


2016年3月23日(水)

椅子に坐ったまま居眠りをしあわや転げ落ちそうになった。すんでのところで体勢を立て直したのは自分で言うのもなんだけれどりっぱだった。今日、椅子に坐っていた時間を数えてみると、ざっと、のべ10時間に及ぶ。書けたのは400字くらいである。昨夕散髪をしたので首筋だけがやたら寒い。そんなのは転げ落ちそうになった言い訳にはならず、まして書けない理由にも(Eの完成ならず)。


2016年3月26日(土)

指を折って数えるとき、畏友の一人はまず拳を作って小指、薬指、中指の順に開いていたことを突如思い出した。五を越えるときは親指から逆に折りたたんでいく。ぼくなどは、まず掌を広げて親指、人差し指の順に折っていく。小指まできたら、折り返して広げていく。その友とぼくは同じ目的なのにまったく逆の動作をしている。ヘンなことを覚えているものである。

もとより、「指折り数える」などは待ち遠しさを表す言葉としてはまだ生きているだろうが、手を使って実際に数えるような人はいないのかも知れない。こんど集まる人はあの子にこの子にあいつにこいつに……合計七人だね、こんな時は便利であるのに。


2016年3月31日(木)

椿の木から、全開の花とつぼみの付いた枝を手折って容器に活けておいたところ、つぼみがほんのりと開きはじめてきた。枝といっても堅い木である。上手く水を吸い上げてくれるか危ぶんでいた。それだけにちょっとした感動である。

そういえばつぼみも花びらが幾重にも折り重なって堅そうであった。これが開くとき途轍もなく大きなエネルギーが要るのだろうなどと思い遣ったものである。無理することはない。つぼみのままで十分にきれいだ。そんな労りはつぼみには要らぬお節介だった。

花びらが刻々と裏返っていく様は日々の癒しである。無理やり伐ってよかった。


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