日  録 人恋しさと汗ばむ陽気

2016年4月1日(金)

連載小説「一対」(Midnight Press Web Magazine)予定の半分を書き終えた。1回9枚前後で全12回を予定している。ここまでは、ほぼ構想通りきたが、これからの6回はまったく未知の世界である。言葉をつむぎながらあれこれ、ああでもない、こうでもないと考えていくしかない。

あまりの 闇の深さに突如虞(おそれ)が湧いて、6回分をまとめて編集長の岡田さんに送った。そうすることで行き先が霽れていくのを期待してのことだった。過去を捨てて未来を生きる、のような心境である。投げつけられた編集長はいい迷惑かも知れないが、いまやぼくの書くモノにシンパシーをくれるのは岡田さんだけである。甘えてみたくなる所以である。

というわけで、今日も一日考え続ける。しばらくは虜(とりこ)の状態がつづく。ここちよい疲労のエイプリルフール。


2016年4月6日(水)

久々にお風呂に浸かりながらボクの場合は揉み手だったか、はっと気付いた。ラグビーの五郎丸選手がキックの前に行うおまじないを見たとき、そういう仕草ボクだって何度もやるけどなぁ、と思った。でもどこかちがうと思っていた。これで疑問は解けたが、情けないもんである。

彼我の差は歴然。広辞苑には「詫び事・頼み事などの時、左右の手のひらを相互にすり合わせ、物を揉む時のような手つきをすること。」とある。揉み手から祈りへ、さらには無我の境地へ、早く進化せねばならない。


2016年4月9日(土)

二度目のCTスキャン(腹部)の予約日だった。朝9時に心構えその他を聞くために電話をした。半年前の前回は造影剤を飲む予定だった(結局飲まなかった)ので「昼食抜き・水だけ」などという制約があったことを思い出したのである。

予約状況を調べてくれた人は「今回は診察だけです」という。たしか「気がかりな点があるので念のために半年後にもう一度CTスキャンを」と言われていたので不思議な気がした。なんの資料もないし、こちらに自覚症状もないのに何を診察するの? そんな疑問を抱えたままK病院へ。

はたしてお医者さんはPC画面のカルテを見ながら「あ、ごめん。CT撮って今日は帰ってもらうわ。血液も、いいですか」となり、「診察」はCTと血液の結果を見ながら10日後となった。

実は、診察だけと言われたとき、何かのまちがいと思いつつ、二度目のCT必要なし、という結論になったのかも知れない、と思ったのである。パスできるものなら、と期待を抱いていた。はかない一日であった。


2016年4月13日(火)

朝台所の窓に張り付いたヤモリは夕方になり、夜が迫ってきてもほぼ同じ位置にいる。

お昼ごろに、それまでの横一直線から、からだのカタチをクランク型に変えた。5時には、向きが180度回転したが、カタチは変わらない。台所に行くたびに「まだ、いる!」と感動を覚えた。

やがてどこへともなく行ってしまうのだろうが、それは当のヤモリ自身預かり知らないことかも知れない。ぼくはといえば、今日一日ほとんど机に坐っていた。ひとつの想念が実を結ぶのを待っていたがダメだった。新しく書き加えたのは3行にも満たない。どこへ行くのか見当も付かないのはヤモリの比ではない。


2016年4月18日(月)

13日夜にパソコンが突然シャットダウンしてしまうということが数回起こった。ワープロを使っているときやネットにつないでいるときなどあらゆる場面でプチッと切れてしまう。これはただならぬ事態と直観し、五年前このパソコンを作ってくれた Eight に連絡した。彼は症状を聞いて原因をあれこれ探ってくれ、対症療法を指示してくれる。

そのひとつがなかの掃除だった。カバーを取ってみてビックリ仰天。ホコリの山である。厚さ30ミリはあった。マザーボードを覆い、メモリーの間に入り込み、ふたつのファンの羽をかくしている(これら横文字の名称はすべてEightの教示による。為念)。

5年間一度も掃除をしなかった。というより思いつきもしなかった。内部から火を出す心配もあったわけである。怠慢で、迂闊で、無精である。ホコリを 手で取りだし掃除機で吸い込み、何とかきれいな状態にし終えたときは午前1時を過ぎていた。いままでよくぞ我慢して動いてくれたと感謝しなければならなかった。

ところが、あたかもその罰のように、掃除を終えて電源スイッチを押してみてもうんともすんとも言わないのだった。こちらの報告を聞いてEight は電源ユニットの故障と「診断」した。同時に新品を発注してくれたようだった。

かくして17日仕事を終えると、首都高速を飛ばして彼の自宅に行った。手際よく交換して、パソコンは無事復旧した。彼はさながら名医の如しである。このパソコンをもいっそう好きになった。好きならちゃんとケアしろよな、これからは、という一人二役の「突っ込み」となる。「はい」とうなだれるしかなかった。


2016年4月19日(火)

脇の丸椅子に掛けて担当のN医師が来るのを待つ間、パソコン画面のカルテを眺めていた。最初のCTは超音波エコーで指摘された副腎腫瘍(の疑い)、二回目となる9日のCTは一回目のときにみつかった膵臓の腫瘤(と書いてあった)の存在を確かめるためだった。今日は結果を聞くためにここにいるのだった。

やってきたN先生は「問題ないですね」と言った。「白ですか」とぼくは念を押すように訊いた。「そうです、白ですね。副腎も膵臓も(半年)前と変わっていません。血液の結果もいいですよ」「ありがとうございます。いつも指摘されるんですが、貧血はどうですか」「ないですよ。大丈夫です」

富良野の配偶者にメールを送った。「すべてが白だったよ。道理で調子がいいわけだ(笑)」

あとは順調に想像力がはたらいて書き進めていけるかどうかだけだ、気がかりは。と、これは心の内で呟く。


2016年4月22日(金)

早朝6時、陽射しに誘われて、夜中に洗濯した物を外に出した。お昼前に、所用を済ませるために外出。車の中も外も暑く、うっすらと汗をかいた。すると唐突に人恋しさが募ってきた。顔を見るだけでいいから、いますぐにも逢いたい。

17日にパソコンを見事な手際で直してくれた(顛末の詳細は18日付の日記をご覧下さい)Eightを筆頭に、誰彼の姿が脳裡を掠めていく。そんな彼らと逢えば、目の前の大きな壁に穴が空いて、向こうの風景が見えてくるかも知れない。他力本願に似た心境である。あの夜 Eight にも「またみんなに会いたいなぁ」と漏らしていた。汗と人恋しさの関係はつまびらかではないが、とにかく、恋しい。メールでもしてみようか。


2016年4月28日(木)

「自分は「そんげ変なこと」より、さらに変なことを考える物書きになってしまった……。」藤沢周「或る小景、黄昏のパース」(新潮2016年3月号)

「がむしゃら」とか「愚直」とか聞くと涙ぐむほど感動してしまう。

カープの新井貴浩選手は打席でも守備でもテレビで顔がアップされると表情が真剣そのもので、ゆるみというものがひとつもない。これはすごい、天才というよりは努力の人だろうと思っていた。そこはひそかに(おそれながら)近しいものも感じていた。

26日に2000本安打を達成するといろいろな人がこのふたつの言葉を冠して新井選手をほめ称えた。自身も「野球がへたくそだったぼくが……」と語っていた。よろこびや感謝のことばを語るときの笑顔もまたすばらしかった。結果として実れば感慨もひとしおであろう。

われらは体力も知力も落ちてしまったが、それでもがむしゃらになっていたい、と思うものである。結果は求めない、と言いつつひそかに達成感をねらっている。いつまでたってもギブアップしない、換言すれば夢から醒めない、それが人生か。


過去の「日録」へ