日  録 紅満月

2016年6月3日(金)

二夜続けてスーパーマーズを眺めた。赤く大きく輝いていた。左下にはさそり座のアンタレスも見えた。火星とその赤さ(明るさ)を競うことからそう名づけられたと言われる。和名では赤星というらしい。これは知らなかった。

ともあれ主役はマーズである。火星と聞けば、われらの世代は火星人である。タコ形人間のイメージがいまだに甦ってくるから、記憶はおそろしいものである。不可思議な言動の人を「火星人」と呼んだりしたこともあった、かも知れない。「火星ちゃん」とあだ名されて親しまれた皇室の人もいた。


2016年6月6日(月)

もう梅雨入りしたという。朝から夕方まで、いつ降り出してもおかしくないくもり空にときおり晴れ間もという空模様だったが、夜になってついに雨が。こぬか雨だった。


2016年6月10日(金)

髪を切ってもらった。いつもの「1000円カット」のお店ではなく昔ながらの「理容室」に行ってみた。前回、前々回とスーパー内の前者のお店があまりにも「拙速」にすぎたので懲りたのである。

何年かぶりに顔面を剃ってもらった。「眉毛の下はどうします?」と聞かれてとてもなつかしかった。頼みます、と答えた。かつては「眉毛と眉毛の間は?」とも尋ねられて、そこはいいです、なんて答えていたものだった。そんな答えはどういう了見から出ていたのだろうか、といまは思う。まさか、一文字の眉にしたかったのではあるまい。

鏡の下を見ると「シニア割引」のチラシが置いてあった。60歳以上の方はスタッフに仰ってくださいとあったが、黙っていた。どうせ60未満には見えないだろうというあきらめと、万一そう思われたとすればちょっと嬉しいかも、というふたつの思いを愉しんでいた。

レジにて、何も聞かれず、何も話さず、請われるままに割引料金を払った。次々とやってくるお客さんはそのほとんどが「シニア」であることに改めて気付いた。


2016年6月15日(水)

三日前の夕方、柘植の植え込みの下で蛇の皮を見つけた。脱皮の直後だったようで触れてみるとまだやわらかくてぬめりがあるように思えた。皮の「体長」は1メートルほどで灰色のウロコも、顔、とりわけ目の跡もくっきりと残っている。もちろん本体の蛇は近くにはもういない。守り神として定位置に付いてくれたか。

皮をいったん繁みに捨てたが、こいつは縁起がいいぞ、と一部を切り取って財布に入れた。以来持ち歩いているが、いまのところ金運・開運の兆しはない。とりあえずこの俗信の所以を知りたくなってネットで調べて見た。

「脱皮を繰り返して生まれ変わっていく蛇の姿に無限の発展と繁栄を重ねる」

「皮は丸ごと祀るのですよ。」こんな記述もあってはっとした。


2016年6月17日(金)

自宅から三キロほど先、高台にある大学付属歯科病院へ行った。

折れたのはいつですか? と訊かれ、一ヵ月ほど前です、と答えた。(戻って調べると実際は二ヵ月以上経っている。)

折れたのは右上の前歯で、長い間黒くなっていたので虫歯が進行したあげくのことと思われます、と話した。虫歯というのはどこかで言われたのですか。いえ、自己判断です。

レントゲンを見ながら医師は、根元は残っているので使います。ただ根元のまわりが黒くなっていて、神経が死んでいます。根治療を行ってから、差し歯なりをします、ということになった。

以上が学生と医師による予診ともいうべきもので、その後根治療専門の科に行った。ここでは、インターンの医師と大学の先生らしき医師がふたりで治療をしてくれた。神経を抜き取る作業です、と教えてくれたが、死んでいるので痛みはなかった。治療の前に痛みますか、と訊くと、歯医者に来るのはしばらくぶりですか、と逆に質問された。30年ぶりかも知れない。

今後担当してくれるという先生らしき医師は、診断の結果として他の症状を次々と指摘してくれる。歯垢、根元だけ残っている歯の処置、入れ歯の検討などなどである。東北訛りが残っていて、そのせいか説得力がある。治療しながら決めていきましょう。通われますよね。否応のないことであった。歯医者から遠ざかっていた付けがどっと押し寄せて来たのである。

2時間以上の診療・治療をしてもらったことになるのだった。4人の先生がぼろぼろになった(そこまで放っておいた)歯をめぐって奮闘してくれたのかと思うとついつい神妙になり、ありがたいことだと思った。

家に戻ると、生まれて一ヵ月の孫の写真アルバムが届いていた。意を決して(重い腰を上げて)歯医者に行ったのは、この孫にいつか逢うための準備だったのである、実は。


2016年6月20日(月)

ちょうど15年前こんなことを書いている。

《左の肩が、右よりも数センチ上がっている。何年か前に家の者らに指摘されて、はじめて気付いた。日常生活には何ら不都合はないが、躯の稜線、天秤で言えば棒に当たる部分が傾いているのだとすれば、これは、実は、由々しいことではないのか。》

今日二度目の病院で歯全景のレントゲンを撮ってもらうことになった。あごを台に乗せ顔を正面に向けて装置に向かうと若い技師は「肩をもっと下げて下さい」と言った。口のまわりを反時計回りに一周するカメラが左肩でつかえてしまうのだった。

無理に下げると顔が中心線から逸脱する。何度か修正したあと技師は「もともと上がっているんですね。カメラがもし肩にぶつかって、痛くても、じっと我慢して、動かないで下さい」と顔に似合わず乱暴だった。十数秒のことだったが、直撃の恐怖に怯えた。

先の文章では続けてこんなことも書いていた。

《裸の上半身を鏡に映しながらぼくは中学校の理科の先生を思い出す。片方の肩を下げて、つまりもう片方を心持ち上げて歩く姿が颯爽としていた。古典的な二枚目だったから、世を拗ねている風にも、世間に刃向かっているようにも見えた。そのくせ、笑うと八重歯とともに人なつこさが溢れ出し、男子にも女子にも人気のある先生だった。当時三〇歳くらいだったと思うが、卒業して何年かあとに亡くなったという知らせが届いた。肩のせいかどうかわからないが、いま思えば、笑い顔の奥に一抹の哀愁が宿っていたような気がする。》

15年前ぼくは50歳を超えたばかりである。ここでの「オチ」はこうであった。

《最近は腰骨が躯を支えきれなくなって、気が付くと背骨の力が抜けた状態で坐っていることが多い。これは自覚症状であり、人は気付かない。それだけに、ここだけは、何としてでも矯正してみせねばならない。》

まだ若かった。この頃は赤く見えるからストロベリームーンというらしい今宵の満月、うすい雲におおわれている。 


2016年6月22日(水)

昨夜家に着いた頃めずらしくメールの着信があった。
「今なら紅満月ですよー」
アルバイト仲間の女性からであった。さっき別れたばかりだった。そのとき外はまだ明るかった。

夏至の日の満月は地平線の近くにあって、厚い雲(水蒸気)に光りが屈折して赤くなるといわれる。これは科学的な話だが、ついこんな歌を思い出して、返信した。

あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月

この明恵上人の歌は仏教的つまり精神的である。


過去の「日録」へ