日  録 歩く姿勢が

2016年7月2日(土)

先月のなかばごろ両腕の肘から掌の間一面に突然赤い斑点が現れ出た。やたら痒いので、虫に刺されたか、なにかにかぶれたかと思われ、直前の行動を反芻してみると、粗大ゴミとして出すためにさびだらけの自転車を庭から運び出したことが思い浮かんだ。

この自転車は5、6メートル先のゴミ置き場に置いた何分かあとに近所の人がやってきて「是非欲しい」と言った。運転免許を返上したので代わりの足を探していたのだ、と。ぼろぼろだから使えますかね、と言いつつ、カギがかかったままだったので素手であれこれいじったりした。数分後10歳以上年長のその人は錆だらけの自転車に乗って前の道路をさっそうと通過した。

以来半月、痒さと見栄えの悪さとに煩わされながらも薬もつけず病院にも行かず過ごしてきた。いまやっと収束に向かっている。

思えば皮膚にできるモノには小学生以来随分苦しめられてきたものだった。毎年秋から翌春にかけて下肢一面に吹き出物ができるのだった。長じてからは毎年ではなかったがときおり思い出したように出てきた。病院にも行き、何度も薬を変え、自家伝染性湿疹(?)という病名をもらったこともある。これは人にはうつらないということだ、と理解したが、原因はお医者さんにも特定できないようだった。

もしこれが「錆アレルギー」なるものだとしたらまったくの初体験である。それでも、過去の記憶は鮮明に甦ってくる。自力で治したところはこの老体の中の免疫力をほめてやりたいものである。


2016年7月4日(月)

このところ、実(じつ)のあることば、ということを考えている。辞書によれば「実」とは「実直・誠実」とあるが、もう一歩踏み込んで「心からのことば」として考えてみたい。

逆の実のないことばの代表は「政治家の言」である。次は高級官僚、検察、裁判官とつづくはずであるが、耳に聞き、目にする機会はほとんどないので例示することはできない。経験上の推測である。ただ、二年前の袴田事件再審決定文(静岡地裁)はよかった。曰く、

「このような証拠を捏造する必要と能力を有するのは、おそらく捜査機関(警察)をおいて他にないと思われる。」
「拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない。」

「実(じつ)のあることば」は信用できる。心、打たれる。そこには読む人・聞く人への思いやりが宿っているからだ。言霊とはよく言ったものである。

心せねばならない。


2016年7月6日(水)

5時前後になったので南向きの窓2個所、東西各1個所の窓をすべて開け放った。東には南部鉄の風鈴もぶら下がっている。ところが一時間たっても風はそよとも吹かない。せっかく通り道を作ってあげたのに。一昨日は雷雨とともに急に気温が下がり、風が吹き抜け、鈴がかろやかな音色をかもしたのだった。

うらめしく思いながら、風のない部屋で、歯医者の待ち時間に読みさしのままだった「辻火」(田久保英夫)を読み終えた。

《要するに、スミコは男にだらしがないんだ。自分の播いたタネは自分で拾え。そうも思った。(中略)そんな考えが浮かぶと、目の前の窓のカーテンをあけ、深緑の橡の梢ごしに広がる夏空、高台下の町並を眺めた。それでも落ち着かない時は、レコードを選んで、プレイヤーにかけた。ラヴェルのピアノ曲集「鏡」だった。その水晶のように磨かれた音律、天に流れる繊細な羽毛のような和音の連なりが響き出すと、どこか心のはりつめた安らぎを感じた。》

どこまでも引用したくなるほどの不朽の名作と思うものであるが、これを繰り返し読み、現代の人に語ろうとするわれは骨董的人種であるのか。


2016年7月12日(火)

腰のあたりが重くかすかに痛い。働きすぎのせいか、歳のせいか、その両方、いわば負の相乗効果(?)だろう、などとあれこれ考えた。歩く姿勢がこれでは10も歳をとったように見えるではないか。何年間も逢わなかった友人がみれば「おい、お前、めっきり老けたな。すっかり爺さんだよ」とからかわれそうだった。

今日は6日ぶりの休み、午前中にふたつの病院の予約を入れていた。時間がバッティングしていたので一方をずらしてもらった。こんなところにも働きすぎの弊害が出ている。

ともあれ はじめは降圧剤を処方してもらうための診察だった。薬を変えて84日間が経ち、上も下も高めになり、頭もタイトな感じになることがあったので、お医者さんに訴えたいと思った。結果、薬がひとつ増え、血液を3本採取された。「時間はありますか?」と聞かれたので、ありません、と答えた。先生は、血液検査の結果を診て今日中にもう一度診察したかったようだったが、12週間後に持ち越しとなった。

次は4、5キロ先の高台の歯科病院だった。診療前に「前歯、いよいよ入りますか」と聞けば、「一応考えていますが」と、懸案の歯石除去にとりかかってくれた。延々30分かかった。

「今日はこれだけでいっぱいいっぱいですね。次回に仮歯を入れましょう。見た目が気になると思いますが、我慢して下さい」となった。次回の予約は、摺り合わせて、8月1日。それまで歯抜けで過ごさねばならないが、「歯磨きしっかりおねがいしますね」と念を押された。それでも口の中がすかっとした感じがあり、甲斐があったと思った。

病院のはしごはしたが、休みは休みなので心なし腰の強さが戻ってきたような気がする。これで、想像力が展いて、良いアイデァが浮かんでくれれば言うことはないのに。


2016年7月17日(日)

何も予定のない休日となった。日曜日が休みというのも久々な感じがし、本屋に行くか、散髪するか、それとも……などと種々考えたが時間が経つにつれてあれもこれも面倒になってきた。

野菜室には夏野菜がたくさん入っている。トマトはそのまま出せばいいので、毎日何個も食べる。キュウリも切り刻むだけで食べられる。休みの今日こそは旨そうな茄子とピーマンを何とか食べたいものだと思いついて近所のスーパーに出かけた。唯一の外出となったが、そこで見つけたのが「Cook Do 麻婆茄子」だった。

レシピを読みながら料理をした。手順Cの「BをAにいれる」で首を傾げた。よく読むと「BにAを……」だった。そりゃそうだよなぁとひとり合点しながら、文章が止まってしまう時には読み返す度に「てにをは」を変えたがる悪癖を思い出した。夢にうなされるようなものであった。ともあれ、30分もかからずに4〜5人分ができあがった。味もまずまず、残りは朝食用となるだろう。

夜になって外に出てみれば十三夜の月。おぼろ月である。


2016年7月22日(金)

コンビニの消長とその原因については、おそれながら、おおいに興味があるものである。

最寄りの駅前にコンビニ(セブンイレブン)がオープンしたのはたしか昨年の秋であった。こんどは駅までの道の途中、わが家からは北500メートルのところにローソンが店開きするという。広々としたかつての野菜畑は舗装されて駐車場へと生まれ変わった。敷地の端っこ、信号の角に一軒の家が残された。

この家の住人がオーナーかも知れない。ついこの間までこの家のとなりには古い家が建っていた。若い男がひとりで造作する姿をよく目にした。玄関を直し、縁側を作り、塀をこしらえ、通りかかる度にみちがえるほど素敵な家に変わっていった。他人事ながら好ましいものを感じた。それはもう3年ほど前のことで、つい最近この家はなくなっていた。残った家との関係など知る由もないが、古家が壊れたことがコンビニ誕生の予兆だったのか、とつい勘ぐってしまう。

さらに南に500メートルのところにはセブンイレブンがほぼ出来上がっているのを今日はじめて知った。元は人の住まなくなった住宅だったような気がする。その並び、西10メートルには先発のコンビニ「セーブオン」がある。もう何年か前のオープンである。当時、やっとできた、と思った記憶があるが、知名度がちがうし、競合も半端ではないだろう、などと要らぬ心配をしたくなる。

ふたつの新店のちょうど中間、わが住まいから2、30メートルのところには、パン、その他食品や雑貨、たばこを売る個人商店がある。うっかり忘れるところだった。店番の女主人はもちろん顔見知りだが、「緑のハイライトを下さい」というと「そんなのがあるのですか。はじめて聞きました」というほどののどかな性格をしている。


2016年7月25日(月)

健診のために新宿へ。12日に普段通う病院で血液を3本採られ、今日また3本。二週間以内に6本というのはいかにも多いが、血液はからだを生かしてくれている大本だからそこにはいろいろな情報が入っている。いまや“宿命”みたいなもので、文句を言う筋合いはない。

問題は胃のレントゲンである。バリウムを飲んであちこち向きを変えながら撮影することにはやはりなじめないものがあった。レントゲンの世界がデジタルだとすれば、この一連の動きはアナログの世界である。CTやMRIに比べればこの検査自体が遺跡めいているのかも知れない。

終わったあとで「なかなか機敏に、指示通り動けません」と機先を制するように言い訳すれば、若い技師は「いやいや大丈夫でしたよ。みごとですよ」と言ってくれた。ほめられたのかどうか、少し判断に迷った。


2016年7月30日(土)

このところ門灯が点かなくなっているので足元が暗くて14、5センチの高さの式台を登り降りするときちょっと緊張する。月明かりにはずいぶん助けられるが、いつも出ているとはかぎらない。10メートルほど先に街灯が立っているが足元を照らすほど光りは届いてこない。

けさ6時半、路上に葉書が一枚転がっているのを発見した。昨夜郵便受けから取り出すときに他の郵便物からすり抜けたものだった。両手に荷物を抱えていたので、こういうことはおおいにあり得る。もし門灯が点いていればその場で気付いたかも知れない。

葉書はいま通っている歯学部付属大学病院からだった。目隠しシールをはがすと、「担当医の都合により予約の変更をお願いします」というものだった。今月中がいっぱいでやっと8月1日に入れてもらったのに、10日まで延びてしまった。

こんどは前歯に仮歯を入れることになっていたので、またしばらく歯抜けのままでいなければならない。お預けを喰ったようで、少々落胆した。

武田泰淳は義歯を入れなかった(歯医者ぎらいだった?)とか、市川崑は前歯の欠けた部分にタバコを挟んでいたとか、憂さ晴らしよろしく、そんなゴシップを思い出していた。


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