日  録 風景の一部として

2016年8月1日(月)

はっさくのついたち、などという言い回しがあったかどうか。 成句のように口を衝いて出てきた。八朔とは「旧暦8月朔日(ついたち)のこと」と広辞苑にはあるからおそらく使い方としてはまちがっているだろう。広辞苑には続けて「この日、贈答をして祝う習俗がある」と書いてある。これは知らなかった。調べて見る価値がありそうだ。

はっさくといえば「ミカンの一種」でもある。この頃から食べることができるようになるのでこの名前がついたと言われる。あの酸味がなつかしい。食べたい。というので、暗くなる少し前に近くのスーパーに行ってみた。グレープフルーツはあったがはっさくはなかった。


2016年8月9日(火)

3日、4日は信州・駒ヶ根と伊那で畏友三人と過ごした。同級会みたいな「合宿」もことしは6回目となり、これまでにどこへ行ったかを思い出すのに時間がかかるようになった。ことしの小黒川渓谷キャンプ場は5年前の2011年に来たところで、すぐに記憶が甦ってきた。ミネラル豊富な延命水が湧き出ていることは、教えられて思い出した。

ロープウェイで標高2612メートルまで運ばれて、はじめて千畳敷カールを見た。2万年前氷河がけずったあとだというから凄いものである。高台から見下ろしているとなだらかな、なんでもない遊歩道に見えるので、「歩こう、歩こう」とはしゃいだ。じっさいに歩き始めてみるとけっこう起伏もあってすぐに息切れがしてきた。体力不足(減衰?)は歴然だった。月1、2回山に行く友人が「楽そうに見えてもこれは山登りと一緒なんだ。息を整えながらゆっくりと」とアドバイスしてくれた。そばを学齢前の子供が駆け抜けていった。

今日そのときの写真が送られてきた。30枚のうちほとんどは花と風景である。心癒されながら眺めていると、ときどき思い出したようにBBQに興じる人物の姿が現れる。ああ、やっぱり、と思う。酒を飲みながらあれこれ話し、議論もしていたときはみんなむかしのままだったのに、風景の一部になると「爺さん」そのものである。時は残酷、などというと月並みだがまた来年も集まりたいと思うのだった。


2016年8月10日(水)

再配達を「午前中」と希望したので早朝から自宅待機。それは11時半になってやっと来たが、その前に予定外の荷物がふたつ。ひとつは明日戻って来る配偶者からの冷凍品、もうひとつは昨日不在票が入っていた人間ドックの検査結果だった。「佐川女子」は「お車があったので、いると思いました」颯爽とした身のこなしだった。

早速封を切ってざっと見渡すと「A」がずらりと並んでいるのだった。悪いところはない、存分にはたらけということか、と昂揚した気持ちを抱えながら用事を済ますために出かけた。戻って詳しく眺めると、3ヵ月、6ヵ月後に再検査、治療必要が数項目にわたっている。67年を経過した身体の「成績」としてはそんなところで、大きな驚きはなかった。

午後は歯医者へ。「9月に人前に出なければならないのです。それまでに入れて下さい」と訴えると急遽予定を変更して仮歯をこしらえてくれた。とりあえず歯抜けが直った。


2016年8月18日(木)

「あかあかと みちてらすつき いまはきえぬ」という五七五の御詠歌もどきを拵えたばかりに、知らぬうちに自分でもそれを呟きながら夜空を見上げている。

今日が月齢15.3というから、ゆうべは満月だったのだ。雲が多かったせいか、皓々と輝く、というわけではなかったが、足元を照らすに十分な光りだった。いわばそんな光りに背中を押されて「初の連載小説」に挑んだ。

現代の錚々たる詩人たちの集う雑誌(MP Web Magazine)に場所をもらえるようになり、8か月の間そのことばかりを考えてきた。寝ても覚めてもことばとの格闘であった。

冒頭の一節はひょんなことからそこに挿入することとなったものである。やっと完成に近づいたいま、もはや自分のことばでないような気にもなって、心地よく縛られている。単純明解な心性というべきだ。


2016年8月25日(木)

今日は歯医者さんの予約が入っていた。きのうアルバイト先で「7日ぶりの休日となるけど抜歯の予定なので休んだ心地がしないと思う」と先回りして愚痴をこぼすと「まったく、うかうか病気にもなれないね。ましてや、虫歯なんて論外」と返された。

繁忙期のうえに人手不足で、頼まれれば断れない気の弱い(?)性格なので、先回は七連勤、今回は六連勤、済んでしまえばなんだできるじゃないか、と安堵するものの、自信と不安が交錯する。

というわけで午後は歯医者へ。脈拍、心電図、血圧をリアルタイムで計測しながら、若い女医先生はその都度何をやるかを説明し、恐れおののいている患者に気遣いのことばを掛けながら淡々と“手術”を進め十数分で完了した。血圧は落ち着いていましたね、心電図はちょっと乱れていましたが、と講評してくれた。

抜いた三本の歯のかけらを見せて「持って帰りますか」と言う。「そんな」と笑い飛ばすと「根元は誰もいらないといいますが、立っていた歯は欲しがる患者さんも多いですよ」冗談ではないのだった。

5日後の休日にはまたここに来ることになった。ふた針縫ったのでこんどは抜糸だと言う。


2016年8月30日(火)

『一冊の本』(朝日新聞出版)9月号が届いた。楽しみは「ギガタウン 漫符図譜」という「こうの史代」さんの連載である。四コマ漫画が4頁続きそれぞれに「漫符」が織り込まれている。脇には短文の説明が付されている。

今月は連載16回目で、「眉と目と口」に関する「漫符」がならぶ。たとえばそのひとつ、絵は「大きな×の下に歪んだ口元」その説明が、

「激しく泣いている、あるいは苦難に遭っていることを、ややコミカルに示す表情。両目をぎゅっと閉じた状態を簡略化したものと思われる。」

どの「漫符」も独創、独断のようでいて、どこか普遍性を感じさせる。

ところでこの『一冊の本』、裏表紙を見れば通巻246号とある。20年半続いているのである。ずっと購読している自分にもビックリする。ときに、つまらん記事ばかりが増えたな、とげんなりすることがあり、そのつど初代編集長を思い出す。あの頃はよかった、と。しかし「ギガタウン」のおかげで、いままた待ち遠しい。


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