日  録 初孫と対面す

2016年9月3日(土)

息子夫婦に招待されて1日から3日まで福岡にいた。二年ぶりの福岡行きは、3月に生まれた孫に逢わせてやりたいという息子夫婦の孝行心であり、こちらもこの日がくるのを首を長くして待ち続けていたのだった。そこに血のつながった新しい生命がいるというのは不思議な感覚で、対面の前から、気がさわぎ、胸がドキドキする。

とまぁ、こんなのは理屈も理屈、机上の空論みたいなもので、実際に対面してみればずっと見ていても飽きないほどにかわいい。この孫は3日間、糸島へのドライブ、食事、空港への見送りとずっと付き合ってくれた。そして、泣いた、笑った、話しかけた。

ことばにはなっていないが必死に何かを語りかけているようで「あぁあぁ、そうかい、そうかい」と聞いてあげるのもまた楽しいのだった。


2016年9月7日(水)

なんの予定もない、とりわけ病院に行かない休みというのが新鮮である、などと配偶者に語りかければ、パンクしたままの自転車を直して欲しいわ、と即座に言われた。膝の痛みはなくなってきつつあるが新しくできた700メートル先のコンビニまで歩くのはまだ億劫というか剣呑である。自転車があればどんなにいいか。

かくして、泥まみれの自転車を荷台に積み込んで開店直後のホームセンターへ走った。若い店員にパンク修理とタイヤ交換とどっちにしたらいいですか、と訊くとタイヤをつまんで「こんな風にひびが入っています、交換をお勧めします」予想通りの答えが返ってきた。10年以上前に購入して、乗らないときは半ば雨ざらしの状態だった。訊かずもがなであったか。

夕方になって本屋さん「よむよむ」へ行く。いっとき棚から消えていた文芸誌が今回は揃っている。そのなかから「文学界」を買った。いちばんの目当ては宮内悠介さんの小説「カブールの園」である。柄谷行人と高澤秀次の「対談・中上健次と津島佑子」も惹かれる。その足で近くの「ぎょうざの満洲」に寄って冷凍餃子を買った。水曜日は特売日だったからだが、個人的には特別の日というわけでもない。それでも気力を充填するに十分な休日となる。


2016年9月13日(火)

涼しい朝だった。毎日5時にセットしてある携帯の目覚ましアラームがお休みの日の今朝も鳴り響いた。近くにいたぼくは深い眠りにより気付かなかったが配偶者は飛び起きた。7時過ぎに居間に行くと、せっかくの眠りを破られてしまった、と苦情を言った。部屋には灯りが点いているのでベンキョーしてるかと思ったらグーグーと寝ていた、とも。

毎朝5時に起きて一時間ばかりパソコンの前であれこれやるのが日課になっている。それを指してベンキョーと言ったのである。揶揄する感じは微塵もなかったのでついに応援してくれるようになったか、と嬉しくなった。そうであったら、怒りも和らいだのかも知れなかった。

配偶者は「腹が立ったので、携帯をほおり投げた」とおだやかならぬ言動だったのである。あとで探すと、布団の下に隠れていた。ほおり投げたのではなかったのだ、と思った。

かくして一日のはじまりは熱かった。その後行った歯医者さんでは新たな虫歯が見つかり延々一時間口を開けっぱなしとなった。あごがしびれた。


2016年9月20日(火)

昭和52年の新聞記事(コピー)が手元にある。「原爆“遺跡”は語る」という中国新聞の連載記事の7回目である。副題が「詩人/元陸軍被服廠」添えられた写真のキャプションは「屈託なく笑う少女と鉄のとびら。あれから32年の歳月が流れた」である。

この記事は詩「倉庫の記録」を一部引用したあと「今、巨大なレンガ造りの建物は、運送会社の倉庫、広島大学の学生寮に使われている。学生、従業員のほとんどが、峠三吉の詩はおろか、かつての惨劇も知らない。ゆがんだ鉄格子、鉄扉だけが“あの日”を思い起こさせる。」と締めくくられている。

この黄ばんだ新聞のコピーはちょうど2年前に、その寮で一年間一緒に暮らした熊本在住のA君が送ってくれたものであった。何回か引っ張り出して読んだり眺めたりするうちにあの頃の記憶が甦ってくるのだった。

「MP Web Magazine」での連載、今月の「赤レンガ」はこの建物を念頭に書いた。編集長の岡田さんからは「小説に出てくる場所ーその描写ーは、どれも魅力的で、いつか福本さんの案内で訪ねてみたいと思いました。とりわけ、「赤レンガの建物」は象徴的です。」と過分なお褒めをいただいた。

また、元広島テレビのアナウンサー・新宅冨士夫さんは「薫風寮同窓会をしましょう」というメッセージをくれた。実に45、6年ぶりの音信、その第一声だったのでうれしかった。


2016年9月28日(水)

昨日あたりから玄関脇の金木犀が花の匂いを出しはじめた。見上げると金色の花が満開である。これはフェンスの向こう、隣家の庭に立っている。かたやわが家のは? と回り込んで見ればこちらも花盛りであった。香りはまだ強くないがいずれ甘やかな匂いを発散してくれるだろう。楽しみなことである。

花や夜なく虫はもう「秋」を教えてくれるが、今日も蒸し暑い日で気温も高くいまだ「夏」である。ここ数年は秋らしい秋のないままだったように思われ、それは恣意的な(加齢による?)実感なのか、気象的に説明できるのか知らないが、さてことしこそは天高く馬肥える秋の日をいっぱい経験したいものである。三日後は「もう10月」である。先に言っておこう。


2016年9月29日(木)

お腹がとても空いていて、お菓子かパンをかるく摂るといっそう空腹感が募ることに気付いた。もっともっと食べなければ気が済まなくなる状態。つまり、軽く摂ったことによって、眠っていたお腹を目覚めさせてしまう。(「やぶ蛇」みたいなものか?)

そして完全に覚醒させるためにはもっと食べなければならない。満腹になることを「お腹が起きる」という讃岐地方の方言がやっと腑に落ちた。

ところで今日近所の人が自分の庭で育てたという「ポポー(Pawpaw)」を2個もらった。一目見てこの果物は60年くらい前に新しもの好きの祖父がどこかから取り寄せて敷地内に植えたものではないかと直感した。しかしその名前はうろ覚えで、はじめは濁音をつけていた。これはちょっとちがうぞとネットでたしかめてみた。

食べてみてそうだこんな味だったと当時を思い出した。熟した柿よりもあまくて、トロッとしている。口の中で溶けていくような。独特な匂いもする。

田舎では二年くらいは食べた記憶があるが早い時期に木そのものがなくなった。口に合わなかったのか、土に合わなかったのか、いまとなれば知る由もない。それなのに味だけを覚えていたから不思議なものである。食べ物の記憶は眠ることがないのだろうか。ポポーの木のとなりには農耕用の牛の家があった、そんな大昔である。


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