日  録  山の本名

2017年2月2日(木)

夜半近いころ外からひっきりなしに獣の咆哮のような音が聞こえてきた。出てみると強い風が吹いていた。雪があればまちがいなく吹雪だなぁと空を見上げると清澄な星のまたたき。音のすごさほどに風は冷たくなかった。

朝、ゴミ出しに行くとモクレンの冬芽が朝陽にキラキラ輝いていた。やっとの休日。腰のあたりは「よろぼうし」然としているが、この一日でまた新たな英気が養える。前に向かって進む、とは古くからの友人の至言である。春はまだか。春はきっとくる。


2017年2月5日(日)

雨はまだか、まだかいな、と待つこと半日。結果は午後のいっとき「おしめり」で終わったようだ。車のフロントガラスについた水滴でその程度が知れた。実体感がなかったのは残念である。配偶者が富良野から持ち帰った、妹提供のペットボトル加湿器(パソコン接続用)は今日も休まず稼働中である。

椋鳥の大群がやってきたのは朝方である。めずらしいことだった。窓を開けると地面を歩き回っていた大半は飛び立ったが、柿の木に留まっている十数羽は悠然としていた。数日前の晴れた朝にはモクレンの枝に集う雀の群れを目撃した。冬芽をついばむのかとじっと観察していたがそんな気配もなかった。ジョウビタキやウグイスは群れてはやってこない。それでも孤独な感じはしない。群孤一如。

今日『浄土三部教(下)』(岩波文庫)をセブンネットを通して注文した。ほとんど衝動的に阿弥陀経を勉強してみたくなった。書きモノと連関しなくもないが、書くこと自体がそもそも衝動であるともいえる。


2017年2月9日(木)

小中学生の頃、たまに使うと新鮮だったことばのひとつに「すこい」がある。いまや死語だが、語源の説明を見ると「こすい」の「こ」と「す」を入れかえたものとあり、「こすい」とは「ずるい。わるがしこい。けちけちしている」の意味で古語に属する、漢字では「狡い」と書く、とある。ちなみにワープロ変換では、鼓吹、湖水の次に出てきた。

語感はよくないが実際にはそんなに悪い意味で使った記憶はない。子どもらは、こういうよそから入ってきたことばは使う場面を狙ってここぞとばかりに発する傾向があった。相手に不快感を与えない工夫だった。地の方言ならケンカになっているところを回避できる。たとえば、

「それどこで手に入れたの?」
「こっそりみよちゃんにもろた」
「すこい!」

そんなことばのひとつに要領がいいを意味することばがあったはずだが、と思った。これがなかなか出てこない。何年か前までは覚えていたのに。「さくまいがええ」(三重の方言らしい)を使うことはあったが、これではない。もっと、かんたんなことばだった。記憶も遠くなったものだ。


2017年2月11日(土)

アルバイト作業中尻餅を突いた。どういう形にせよ床に倒れるなどは実に久しぶりである。7年前の怪我以来気を配ってきたのに迂闊であった。今回はパレットからなかなか抜けないハンドリフトを勢いよく引っ張ったところ抜けた途端身体がうしろに勢いよくよろけたというわけである。

取っ手を握ったままだったので遠くへ飛んでいかなかったのは幸いというべきだった。左の尾てい骨を打ったが二日経過したいまも痛みはない。大過なかったのでよかったが一歩間違えば大けがにもなり得た。今後はもっと細心の注意、いや小心になろうと思った。

広辞苑「しりもち」の項には「@うしろに倒れて尻をつくこと。A喜んでこおどりすること。B江戸の習慣で、子供が初誕生日の前に歩いた時につく祝いの餅。」とある。

AとBはまったく知らなかった。それでもBは縁起かつぎのようなものと見当はつくが、Aは用例が浮かんでこない。まさか、宿敵が尻餅をつくのを見て「しりもち、しりもち」とはやしたてることでもあるまい。もしそうならば宿敵とは自分自身のことであるのだろうが。


2017年2月12日(日)

自宅の近辺を営業で回っている社員が朝「きょうも一日おっぱい山を見ながら働きますよ」と冗談ぽく言うので「ははは、朝から意気さかんなことでけっこう」と応じると「知らないんですか。あの橋を渡るとちょうど正面に見える山ですよ」と一転真顔になった。

彼とは近くのコンビニで一度ばったり会ったことがある。それで数日前のこんな会話となった。今日確認するとやまなみの真ん中にあった。ひと目で分かった。

秩父連山を遠く仰ぎながら30年以上経つが俗称とはいえそんな名前が付いているとは不勉強も甚だしい。せめて山の名前を知りたいと思った。すると全国あちこちにおっぱい山があることがわかった。○○富士と同種であるがどこかちがうおもむきがある。これらの山はどれも低い。とても身近な感じがする。陳腐ながら悠久の母なる大地、と呼んでみたくなる。

さてこの山の本名は何だっただろう。


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