日  録  和鳴哀雅(わみょうあいげ)

2017年5月1日(月)

「雷が激しいのでパソコンを切りたいのですが、どうすればいいの?」配偶者からこんなメールが来た。ちょうど4時頃仕事が追い込みにかかる頃だった。時間に追われるような慌ただしさだったのですぐに返事できなかった。およそ一時間ほどあとに電話してみた。「通り過ぎたから、大丈夫」という答えだった。アルバイト先のあたりでは、雷も鳴らず雨も降らなかった。ことしはじめての雷は幻のごとく記憶のなかから消え去った。


2017年5月4日(木)

 10日ほど前に送った2通のメールの返事がない。届いたかどうかが心配になってきた。内容はたいしたものではないのでかりに届いていなくとも案ずるには及ばないが、そのうちの1通は棚田のお米についての照会だった。

 比叡山の東側の麓には棚田が広がっている。千年の昔からの風景であるという。3月にその棚田でお米を作っているという姻戚の老夫婦と話したことを思い出した。「販売もしていますので、こんどぜひ買ってみてくださいね。おいしいですよ」と夫人が言っていた。
 
 WEBにはこんな記事が出ていた。

「仰木の棚田は奥比叡の山なみから流れ出て琵琶湖にそそぐ天神川や雄琴川沿いにあります。仰木の棚田を潤す清流です。JR湖西線おごと温泉駅から車で約15分山あいに入ったところで、西側に連なる急峻な山の尾根を越えて真西に下って行くと京都大原の三千院です。」

「とてもきれいな水に恵まれているのですが、トラクター等大型機械を寄せ付けない急な傾斜で、猪や鹿、野兎や猿などの獣害がひどく、維持が大変に難しい棚田です。」

 老夫婦の話の内容からおふたりもこの地帯で棚田を守り抜いているのだと察せられる。それだけでも貴重なので秋には是非ともなどと文字通り食指が動いたのだった。

 思い返せば実家の田んぼも棚田だった。「ふきゃげ(吹上)」と呼んでいた。田植えどきにあぜ道を飛び跳ね、お昼になると大人たちに混じってぼた餅を食べた記憶がある。村中の人がお互い助け合って田植えを行っていた。いまもその棚田が残っているかどうか。もう一度眺めてみたい風景である。


2017年5月7日(日)

 文庫版「浄土三部経」を枕元において何度横たわっただろうか。漢文書き下し文を読んでいると「悲泣雨涙(ひきゅううるい)」「五体投地」「雑厠間錯(ざっしかんざく)」「和鳴哀雅(わみょうあいげ)」などの四字熟語に突き当たって、意味を想像するのがとても楽しい。最後のなどは「百宝色の鳥の鳴き声」を表現しているらしい。

 そこで思い出したのが東三河の鳳来寺に生息するという「声の仏法僧(ブッポウソウ)」こと「コノハズク」である。名古屋に住んでいた若い頃行こうと思いながらついに行きそびれたところだった。1974年のラジオ番組「永六輔、鳴き声を聞きに鳳来寺山に入る」が Youtube にアップされていたので聞いてみた。生中継だったらしく鳴き声が鮮明に流れ、たしかに「ブッ・ポウ・ソウ」と聞こえる。仏法僧とは、仏教の重要な要素「三宝」の中身で、仏は悟りを開いた人、法は仏の教え、僧は仏の教えに従って悟りを目指して修行を行う出家者の集団のこととあった。

 かくして休日が過ぎていく。ベッド入った途端に眠りに落ちてしまうのはからだの正直な反応かそれともこころの緩みか。眠りはこの世のいっときの「極楽浄土」にはちがいないのだが。


2017年5月9日(火)

 病院の日。予約時間を1時間以上過ぎて診察室に呼ばれた。待ち時間の間に測った血圧は「130−90」だったが、家ではときに下が100を超えることがあるのですと訴えると「ここでこれなら心配ないですよ」と言われた。小気味がよい返答だった。

 ついで、顔が赤くなるのですが血圧と関係ありますか? と訊いてみた。すると「薬の副作用かも知れませんね」とパソコンの画面を操作して「これですね」と示してくれたのは「顔面潮紅」。

「放っておいてもいいのですか」というと「どうします? 変えてみましょうか」と逆に訊かれた。
「ではお願いします」

 このところ配偶者にも同僚にも「赤いですね。大丈夫?」と気遣われることが多くなっていた。おもに夕方なので夕日または落日の景色さ、とうそぶいていたが、原因らしきものが見つかってほっとした。新しい降圧剤を80日分を処方してくれた。パソコン内のカルテには「経過観察」と書き込まれた。


2017年5月13日(土)

 戸籍謄本が必要になった。結婚したとき当時の居住地(板橋区)に戸籍を移しているので、先回までは車で高島平支所まで出向いたものだったが今回は郵送で取り寄せることにした。5日前に投函したが、1週間から10日はかかるというのであとしばらく待たねばならない。

 こんなのものは一生のうちに何度も必要というのではない。それなのに、それゆえにか、戸籍謄本というと心穏やかでない。ドキドキする。胸騒ぎがするとも言える。なにか新たな記述が書き込まれていやしまいかと恐れるのである。

 いまは電子化されているが昔は青焼きコピーだった。厚みというか重量感があった。人の深奥の秘密に触れるおののきがそこにはあった。こんな感想はひとりわれのみだろうか。


2017年5月14日(日)

 カープが勝利をほぼ手中に収めたころ、6キロ先の本屋さんに電話をした。
「『新潮』おいてますか?」

 
 しばし間があいて、
「5月18日菖蒲月増大号、菊川怜を射止めた……。あります、あります」
「それではなくて、文芸誌の方です」
「あ、もう一度見てきます。お待ちください」
 
 ここは7日になると文芸雑誌が各一冊ずつ入荷することを知っている。買いそびれることはほとんどないのだが、先々月(四月号)の『新潮』はなかった。行ってないと悔しいから照会したのである。

「ありました。レジに取り置いておきます。何時頃になりますか」
 試合が終わればすぐに出かけられるので、5時ごろと答えた。

 カープと『新潮』はなんの関係もない。当方のお気に入りにすぎない。


2017年5月20日(土)

 仕事帰りにスーパーに寄った。頼まれた買い物を済ませて計算してもらっているとレジの人がなにやら騒動しい。「1111円の買い物ですよ。めずらしいね。おまけにここのレジは11番ですよ」と話しかけてきた。「ついてるかな。賞品は出ないの?」うれしさも中くらいでお愛想を言うと「なにかいいことがありますよ、きっと」と返してくれた。

 はて、こんな場面は過去にも遭遇したことがあると思い当たった。『日録』を遡ってみると2002年2月、それも「11日」にこんな記述があった。

『近くのコンビニへ行くと、買い物代金締めて「1111円也」となった。昨年の暮れに続いて二度目である。今回は、かねて顔見知りのレジの女性が「ああ、今日はいいことがあるかも」と大いに喜んでくれた。売り物の百円ライターを付けて呉れた。「ご褒美ですよ」と言うから、「へえ、褒美が出るのか」と大いに感激した。記念にどうぞ、とレシートを差し出すとその人は恭しく受け取った。いい人だと改めて思った。』

 15年前のこの日は、応対が新鮮な感じである。このレジの人は下駄を履いたぼくが行くと注文する前にうしろの棚からハイライトを二個用意してくれるのだった。

 帰宅して配偶者に話すと「あら、宝くじでも買えばよかったね」と言うので「あした買おう」と応じた。先の日録によれば今回が三度目である。「三度目の正直」に期待している自分がおかしかった。


2017年5月24日(水)

過日、頭のてっぺんがもぞもぞするので目が覚めた。いまだ夢心地であるが撫でられている感覚だった。肌の柔らかさがうすい髪を通して伝わってくる。この歳になってめずらしいこともあるものだ。

しばらくして気づいたのは、頭の先には折りたたみベッドがぼくのベッドと垂直に置かれている。配偶者は足をぼくの頭に向けて寝ている。その方が心地よいらしい。すると頭を撫でているのは足の裏ということになる。

どうした? と声をかけると、ごめんごめん領域侵犯、との返答。

まあ、いいか。殴られるより撫でられる方がいいに決まっている、特に頭は。


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