「あ、幻か」


2017年7月2日(日)

 今日は雑節のひとつ半夏生。

 雑節とは二十四節気・五節句以外の季節の節目となる日のことで、節分、八十八夜、夏土用、二百十日なども雑節に入るらしい。二十四節気を補う意味合いを持っていて、一年間の季節の移り変わりをより的確につかむことができる。いずれも生活や農作業に照らし合わせてつくられていて、古くから日本人の生活の中に溶け込んでいると云々。

 この日は、梅雨も末期なのか曇り空に霽れ間がのぞき気温は一気に上昇、3時前後に外出したときには体感はすでに猛暑のものだった。いよいよ夏本番か。


2017年7月6日(木)

 一昨日はアメリカの独立記念日。なぜ覚えているかというと『7月4日に生まれて』という題名の映画があったからである。1989年(平成元年)制作のその映画を実際に観たかも知れないがたしかな記憶はない。

 新たな一日を迎えるたびに、今日はなんの日? と問うことがあり、縁もゆかりない(つまり史実でしかない)「7月4日」を覚えている。また、「6月19日」(桜桃忌)などもなかなか忘れない。「4月21日」や「10月26日」などは年若い者たちの誕生日である。これらは縁とゆかりが大いにある。

 そして、一か月後は「8月6日」。「あの日」から72年、そのたった4年後にぼくは生まれている。22年後にその街を選んで五年間住んだ。大事な縁であった。


2017年7月11日(火)

 蒸し暑くて寝苦しい夜。冷たい水タオルが飛んできた。唸っているぼくを配偶者が見かねたのだった。首筋や額に当てていっときの涼をとった。まさに夢心地である。

 ここまでしてくれるのは相当苦しんでいたのだろう。直前にはこんな会話もあったように思う。扇風機使ったら? へぇー、そんなものあったかな 何年も前に子供からプレゼントされた超小型の卓上型か(独白)。元来扇風機はすきじゃない。風が通り過ぎたあと不快感が残るんだ、自然じゃないから。勝手にしな。

 冷たいタオルがぬくまる頃に起床の時間となった。障子紙の向こう側に朝蜘蛛がうごめいていた。こいつは朝から……。


2017年7月14日(金) 
 
 仮面舞踏会の場面の一節に「オペラの端役女優の背の高いブロンズ女が、ひかがみまで垂れる髪を見せびらかすため野蛮人の女に扮していた。」(フローベール『感情教育』生島遼一訳)

 ひかがみって? 髪が垂れるあたりなので腕の肘付近かと思ったが、気になって調べると膝のうしろ側とあった。これはとんでもなく長い髪となる。

 ぼくは出勤途上でみかけるふたりの女性を思い浮かべた。ともに中年過ぎの小柄な人だ。最初のひとりは私立小学校の正門に集合する交通安全誘導員。学校名のロゴが入った制服を着ている。通学路の交差点に向かう前、仲間を待つあいだ両手をうしろに回して髪を引っ詰めている。その髪はとても長い。

 その数分後ジョギング中の女性とすれちがう。がに股ですいすいと歩くこの人の髪も長い。さらさらと音立ててなびく風である。腰までは届きそうだがはたしてひかがみまではどうだろうか。しかしバーバリーな感じはこちらの女性のほうが勝っている。


2017年7月16日(日)

 案の定今年一番の暑さだったと夕方のニュースで言っている。観測所では軒並み35度前後を記録したらしいが生活の場ではさらに数度は高く、体感的には40度にも迫っているのではないかと思われる。

 もうすでにそんな気配だったが朝一番に蔵づくり本舗に出かけ、お中元、法事用にお菓子を選定、それぞれ発送の手配をした。そのうちの1つをいったん「19時から21時」に配達時間を指定したが、奥のレジで作業している店員に大声で「やっぱり午前中にしてください」と言った。遠くにいた配偶者が駆け寄ってきて「なに叫んでいるの」と訊くので「明日は日曜日だからずっと家にいると思い直したんだよ」「明日は月曜日。日曜日は今日でしょ?」「あ、そのままでいいです」

 家に戻ってから明日の月曜日は祝日「海の日」であることに気づくと送り先の姉に明日は休みかどうか確かめて「やっぱり午前中に」とお店に訂正の電話を入れた。

 過度の労働時間を減らすことで最近問題になっている配達時間制度、この暑さぼけの利用者にも迷走をもたらした。その数時間後には暫時激しい雷雨と夕立があった。


2017年7月19日(水)

「忙しくなるとおたがいギスギスしてつまらないことで相手に当たったりします。いつも○○さんのように温厚というわけにはいきません。気持ちひとつで仕事もはかどり、事故も防げます。今日も一日仲間をいたわる気持ちを忘れず、頑張ってください」

 朝礼の席での責任者の発言である。いつもとちがう内容に「うーん、言えてるな。こっちにも反省点はいくつかあるぞ」と思ったものである。

  この夜の「T対C」の試合は7回くらいまでは緊迫したよいゲームだったが、8回にCarpが大量点を挙げて、終わってみれば大味なゲームとなった。

 勝ってうれしいのは当たり前だが、内角攻めの末に同点タイムリーを放った阪神・西岡の投手一岡への「怒り」がどうも品がなくていやだった。映像を何回見直しても言っている言葉は不明だが塁上に得意然と立ってなお「罵っている」ような気配である。投手との戦いに勝ったのだからもっと悠然と構えるべきだった。

  こういう場面は去年の日本シリーズでもデッドボールを巡ってあった。中田翔のような一流と言われる人にしてこんなのかと唖然とした記憶がある。次の8回での大量得点は、西岡選手に対する教訓だったとつい言いたくなる。

 この場合、○○さんというのは「新井貴浩」のことだと思った。


2017年7月23日(日)
 
 壁を這ってタンスの奥に逃げていった大きなゴキブリをみたのは夢ではなかった。その直後、女性編集長から原稿を戻されて「結末はいまいち、飛鳥山を読んでみてください」と言われている自分の姿は夢だった。神妙に「わかりました」と応じている。言外に「そこに手を加えれば掲載できますよ」と読み取って俄然張り切るのだが「飛鳥山」が誰の、どんな小説か見当もつかないのである。

 夢の中のぼくは若い。女性編集長はもっと若い。一度も会ったことがない見知らぬ人である。人生は短すぎる。


2017年7月27日(木)

 激しい雨音と雷鳴を冷蔵倉庫のなかで聞いたのはおとといのことである。仕事は人手不足のせいで相変わらずいそがしい。法定残業時間を超えないことがアルバイトにも適用され、誰それは法定時間(45時間だか42時間)に迫っているので早く終わろう、と通達される。そのなかには老体のわれも入っている。これは事業体にとっても、働く者にとっても大きな矛盾である。

 今日の休日はK病院へ。はじめに「どうですか」と聞かれたので「調子いいです。薬を代えてもらってから顔が紅潮することもなくなりました」と言った。仕事バリバリしています、という文句を飲み込んだ。

「あ、そう。診立て通りだったね。ごくまれなんですけど、血管を膨張させるので赤らむ人がいるのです。ふらついたり、ね。ところでこの薬は、こんど後発品ができています。開発コストをかけた会社には、依然不満はあるようですが」

 後発品が出ることは薬剤師の教え子から聞いて知っていたが、いつになく饒舌なお医者さんの話に神妙にうなずいていた。

               ※

 古くからの友人と行ってきた「信州合宿」、今年は8月1日から3日まで山梨の富士山麓となった。ぼくは二日目の朝に合流することになっているがその日は「青木ヶ原樹海」を散策、風穴、氷穴のたぐいも見物できるという。

 そこで花田清輝に「人穴」についての小説があったことを思い出した。朗々として『全集』を揃えた時期(80年代のはじめ)もよみがえってきた。10年ほどあとにその「全集」は古本屋の求めに応じて売ってしまった。

 図書館へ走って、書庫から9冊の「講談社文芸文庫」を取り出してもらい、そのうちの二冊を借りてきた。『小説平家』の第二章が「霊異記」で「人穴より出でて帰参」(吾妻鏡)した新田四郎忠常の話である。花田清輝、評論よりも小説が好きだった。

 ところで古本屋が引き取ってくれた『全集』は10万円の値段がついた。古本市場がまだ輝いていた時期だったのだろうか。いまや内容にかかわらず「一冊10円、20円」である。その古本屋の店主は言った。「目方じゃないんだけどな。いま流通できるのは中上健次だけだよ」夭折して数年経った95、6年の頃だった。


2017年7月30日(日)

 夜中トイレに起きて洗面所に立ったとき、手を拭こうとするとピエールカルダンのタオルに白く発光するように人の顔が浮かび出た。笑っているのか、泣いているのか、どちらともとれる表情だった。あなたは? と問う勇気も出ず、ふくらはぎに寒気が走り、立っていられないほど震えていた。瞬時にして消えてしまったので、「あ、幻か」と我にかえることができた。

 誰が、何のために眼前に現れたのかと考えるのはあと知恵みたいなものである。そのときたしかにぼくは半睡の状態だったが、はっきりと顔を見たのは現実だった。そのままに受け入れるしかなかった。惜しむらくは、何秒間も対面できなかったことである。ピエールカルダンの…とわざわざ書くのは同じタオルが大阪の姉の家にもあったので驚いた記憶につながっている。


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