富士の人穴へ


2017年8月2日(水)

 いつもの時間に起きた配偶者がお昼のおにぎりやらおやつやらをこしらえてくれている。こちらは、身支度を行って、出発時間が来るのを待っているだけである。まるで、遠足に行くような心地がする。いざ富士山麓へ。


2017年8月3日(木)


 精進湖を見下ろすコンビニ前のベンチでそのおにぎりを食べているととなりに坐った男性が話しかけてきた。

「どんなご用でいらしたの?」
あれこれの説明もむつかしいので、
「同級会のようなものです」

「(富士五湖では)5日にわたって花火大会を行うんですよ。今日は甲府市であるので、湖は休み。晴れてくれるといいんですが、雨だと大変。失礼します」

たったそれだけの会話で関係者らしい男性は近くに停めた車に戻った。すぐにまたやってきて「はい、お土産あげます」豆腐でできたボールドーナツの入った袋をぼくらにくれて立ち去った。

 そのドーナツは一人に2個ずつ食べられたがあまりもおいしかったのですぐになくなった。無縁のわれらにこんな上等なお土産をくれるなんて、奇瑞というか、奇特であった。せめてお名前、いやお仕事の内容だけでも聞いて記憶にとどめておくべきだったか、と反省したのはコテージでかなりお酒も飲んだあとだった。いまやむべなるかな、である。

 9回目を迎えた「信州合宿」だったが、これは若返りの元だと今日戻ってから気づいた。ひとつずつ歳が減っていくようではないか、と。本気でそう思えるところが、少々怪しいが。
 

2017年8月8日(火)

 
どう? 似ている? と訊かれて、かなり近いなぁ、と答えた。配偶者がスーパーで見つけてきたきゃらぶきのことである。田舎から帰るときはおふくろが必ず持たせてくれたものだった。

 きゃらぶきとは蕗の佃煮。道ばたか野原の蕗を摘むがその後の行程(レシピ)は知らない。こんなにうまいのか、と気づくのは故郷を離れてからである。名前の由来は煮ていくと伽羅色(きゃらいろ)(黒茶色)に変わるからだそうである。これはいまはじめて知った。

 もうひとつ忘れられないおふくろの味に日野大根の桜漬けがある。これは絶品、似たものはどこのスーパーでも見つからなかった。いまも、田舎の味として伝承されているはずである。


2017年8月10日(木)

 8日付の日記を「Facebook」に投稿したところ郷里在住の後輩から日野大根の桜漬けは「母親の独壇場。90歳を超えてもしっかり作っています。親戚が待っていますので。」というコメントをもらった。食の文化は横にも縦にも、つまり空間的にも時間的にも広がっていくことを改めて実感した。

 このコメントのなかの「親戚が待っています」は言い得て妙である。ぼくらはまさに待っていた親戚だった。あっという間になくなってしまい、もっと送ってと頼んだこともあった。受け取るだけの文化は気楽なものであった。コメントをくれた彼は「本当は作り方を教えて欲しいと言ってほしいのに」と書いている。一本、技あり。


2017年8月11日(金)

 台風五号が通過した直後だからあれは三日前の夕刻だった。東の空に大きな虹がかかった。ごく近くに見える二重の虹。絶好の撮影シーンなのにこの日にかぎって携帯電話を家に忘れてきていた。何度も後悔しながら帰り支度を終え数分後再び外に出ると跡形もなかった。こういう記事には写真がないとサマにならないわけだが、見たものは見た。瑞兆と思いたい。その儚さゆえに。流れ星が落ちてしまう前に願い事を呟くたぐいの。


2017年8月14日(月)

 今日は久々に腰が痛かった。なぜだろうと考えていると、きのう立ち読みしながら本屋さんの店内を約1時間歩き回ったことに思い当たった。パラパラとめくりながらあれこれ批評がましいことをつぶやきながら結局買うに至らないのである。時間つぶしに来たよくない客である。

 というのは10日後に富良野行を予定している配偶者と娘が買い物をしたいというので送迎を買って出た。数キロ先の若葉ウォークなら本屋もあるから退屈しないと思ったのである。買い物の時間は意外と長きに及んだので冷やかし時間も延びたというわけだった。しかしこういう時間は悪くなかった。

 これなども最近は滅多にないことだったが、数日前には田舎の叔母と8年ぶりに電話で話すことができた。二人だけになった母方の叔母の一人である。80歳を過ぎているはずだが声も中身も昔のままで嬉しかった。

 もうひとつの喜びはブログ『久末です!』が二か月ぶりに復活していたことである。


 2017年8月18日(金)

 このところ片付けものに精を出している配偶者が捨てていいかどうか確かめてくれと言うので「検分」にあたった。モデムやコントローラや再生機などいろいろな電子機器と一緒に大量のCD-ROMがあった。そのなかに「2004年の合宿写真」とメモのあるCDが混じっている。「検分」そっちのけでさっそく開いてみた。

 いまから13年も前のことである。誰が写っているか興味津々だった。すぐに名前が思い出せる生徒が何人もいて「ああ、あのとき」と記憶が蘇ってくる。引率したぼくは55歳、かなり若く写っている。他の引率者の中にはあらと、なおと、しんのすけなどの顔が見える。初々しい。生き生きとしてもいる。

 当時小学6年、中学3年生の主役らはいまや「25歳」であり「アラサー」である。人生の一番いい時期を迎えている。フェイスブックなどのSNSがあるおかげで彼らのうちの何人かの近況はときおり届いてくるが、13年前のスナップは貴重な宝である。いいものを見つけた。   

2017年8月20日(日)

 プロバイダーがこれまで行ってきた「ホームページ公開代理サービス」を10月末で終了するという。newweb、KDDI、auoneと名称は変わっていったが16年間ひとつながりであった。終了の理由は利用者の減少だという。「個人のHP」などはいまや流行らなくなったのだろうか。ネットにあかるい人は他の場所で発信しているのだろうか。

 なにごとにも永遠・不滅はないものだと思い知るが、ぼくはHPを閉鎖しないことに決め、かねて見当をつけておいた「さくらインターネット」に場所を移すつもりで数日前仮アップ(http://yukiai-zaka.sakura.ne.jp)してみた。ネット上にはそっくり同じHPがふたつ存在することになる。それはたいしたニュース価値はないが、せっかくだからリニューアルということも考えられる。そんな技量があるか、いやHPにかける情熱が残っているか。ともにはなはだ心もとない。



2017年8月22日(火)

  仕事帰りに、三井アウトレットパークの100メートル先にあるコンビニの配送センターに1リットルのジュースパックを一本届けてくれないか、と頼まれた。一度も行ったことはないが前を何回か通ったことがあり有名なその場所はよく知っている。そのせいか、ちよっと寄り道をすればいいだけだと考えた。

 いつもは国道16号をほとんど横切るだけだが、八王子方面にむかって延々と走る羽目になった。思ったよりも遠いのであった。こんなはずではない、行き過ぎたかな、と不安にもなった。

 無事センターに入ると入り口の自販機前で休憩をしている体格のよい若者が「○○さん」と声をかけてくれた。ジュースパック一本を持ってきた会社の人間だとすぐにわかったようだった。話が簡単でいいや、となぜか心が弾んだ。

 オレンジジュース6本を入れるところに一本だけ別の種類のパックが入っていたのである。デザインが似ているのでよくあるまちがいだった。若者は余分だったパックを持ってきて「戻るの? 戻らないよね。明日来た人に渡すよ。」と言った。

 左折で入った出入り口、右折で出ることが禁止されていた。休憩中のマスクをした若い女性に帰りの道順を尋ねると「タイミングが合えば右折も可ですが」「出る人いるの?」「いえ、いません」仕方がないので左折で出て次の信号で右折して脇道に入った。そしてなかなか国道に戻ることができなかった。道を見失う感覚だった。案の定だ。


 2017年8月23日(水)

 今日配偶者は娘とともに富良野へ行った。今年の3月までおよそ6年間義父の介護のためにひとりで行ったり来たりしていた。こんどは飛行機嫌いの娘を説得して二人で行った。旭山動物園や『北の国からの』のロケ地、六花亭などをたずねて歩くという。

  夕方の便をとり、それが使用機到着の遅れのために30分以上出発が延びた。旭川には20時過ぎに着いて、富良野行き最終バスに乗ったという。ちょっと気の毒な気がするが、いま富良野の実家には誰も住んでいない。そこを訪ねるというのはもっと不憫な気がしてしようがない。不義理の義理の息子であるぼくもいつか行かねばならない。


 2017年8月27日(日)

 「行逢坂」を「さくらインターネット」のサーバーに移行、auonenetの「リダイレクト機能」なるもので必ず新しいアドレスに飛ぶようにはなったが、「更新日時」と「アクセスカウンター」が付けられない。後者はともかく訪れてくれる人のためにも更新日時は欲しい。画竜点睛を欠くとはこのことである。

 どうすればつけれるのか、手をこまねいているのも癪なので、ネットでいろいろ解説を読んでいる。これがさっぱりわからない。迷路に入り込んでやがてへたり込んでしまうがごとし。CGIやPHPという「概念」はわかっても文法がさっぱりだから運用できない。

 それでも次の日には、なにか糸口がないか、もう一度ネットをめぐる。そんな日々を何日も繰り返している。まるで迷宮のなかのシジフォスのようである。やはりわが栄人の指南を待つしかないのかと思われる。


 2017年8月31日(木)


 28日夜配偶者と娘は富良野から帰ってきた。二人にとっては父祖の地なので旅行というと語弊があるが、「旭山動物園」「ファームとみた」など近辺の名所に出向いて懸命に歩き回ったという。ときおり写真を送ってくれたし、帰ってからもスマホ内の写真集を見せてくれた。それらのときぼくは食べ物や本人たちの表情もさりながら背後の風景、山や丘や平原、つまり北の大地に心をうばわれた。

 生まれも育ちも「やまがつのごとき者」には遙かすぎる。一度だけ家族そろって車で行ったことがあった。そのときにも感じた悠久感が戻ってきた。写真ではなくいつかこの足で踏みしめてみたいと思う。


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