愛しい者


2017年9月3日(日)

 涼しい朝、いつもより2時間おそく起きると庭先で聞き覚えのある、強弱の激しい甲高い小鳥の鳴き声がした。窓を開けてみるが声のみで姿を見ることができなかった。ジョービタキにしてはちょっと早い気がする。彼ならば姿を見ればすぐにわかる。鳴き声はどうか。youtube で聞き比べてみたが、音痴のわれには判別できない。

 ちょうど1か月前青木ヶ原樹海の「野鳥の森公園」で鳥の声を出す道具(バードコール、鳥笛とも呼ばれる)をはじめて見たことを思い出した。 それは白樺の枝に金属ボルト埋め込んでボルト側をまわすと小鳥とそっくりの鳴き声がして小鳥を呼び寄せるという、単純な道具だった。500円で売っていた。

 連れのひとりが買って、鳴らし方まで教わり、森の中で使っていた。遠くで声はするが寄ってくる気配はなかった。しかし、これはお土産として上等かも知れない思った。家の庭で鳴らしてみればどうだろうと考えたのである。

 通り道のやすみどころにあたるのかいろいろな鳥がやって来てひとしきりさえずる「うっそうとした」庭である。いまや畑の徘徊に飽きたカラスまでが遊びに来るようになっている。いまさら呼ぶほどのことはない、と思い直して、結局買わなかった。
 

2017年9月7日(木)

 早朝新宿に出向いて健康診断を受けてきた。

 超音波、胃検査があるために10時間以上の絶食を余儀なくされた。おかげで体調はすこぶる軽快だった。最後のバリウムだけがゆううつの種だったがこれならばぐっと飲めるぞと思って出かけた。

 副都心線の「通快」なるものに乗ったので、乗り換え駅のチェックのために目と耳に神経を集中していた。ほとんど「おのぼりさん」である。一本の線だから一回乗り換えるだけでいいはずだったのに。加えて、ネットで調べた所要時間に移動や乗り換えのロスタイムを見込まなかったので予約時間に30分遅れてしまった。「大丈夫ですよ」と言ってもらってひと安心だったが、油断からの失態である。

 去年よりも身長が0.5センチ、体重が4キロそれぞれ減っていた。係の女性は気の毒そうに「もう一回測りましょうか」と言ってくれたが、苦笑しながら辞退した。歳とともに縮小するからだ、という概念にとらわれているから「是非に及ばす」と思うのだった。

 女医先生は胸に聴診器を当てただけで「不整脈」を指摘した。最後の胃検査では「輾転反側」が指示通りできなくて何回もダメだしを喰らった。「そうではなくて、こうですよ」「息を吸って、おなか膨らませる。吐いちゃダメよ」技師の言葉はどれも怒り声となって届いた。

 いよいよ運動音痴を自覚し、通快、軽快からはどんどんと遠ざかっていく体だったが、配偶者からの「頑張って」「お疲れ」メールに救われたのだった。せっかくの新宿、今回はとんぼ返りとなった。残念。
 

2017年9月10日(日)

 かねて気になっていた障子紙の張り替えを敢行した。破れ障子などというのは江戸時代の貧乏浪人の住む長屋の「粋」であっていまどきは怠惰をそしられるのがオチである。そこで勇み立って、と言いたいところだが二年近くもほったらかしにしておいたのはやっぱり怠け者であったろうか。

 お風呂場の天井や壁に塩素系の洗剤を散布してカビ取りも行った。10年以上こんなことはやらなかった。それもこれも10日後にやってくる孫のためである。

 配偶者はお風呂に浮かべるアヒルやおさかなの模様の入った敷物、砂遊び道具セットなどを買いそろえていた。小さなスコップに熊手、如雨露やバケツも超ミニである。眺めているだけで気分が和んでくる。待ち遠しい。


2017年9月17日(日)
 
 数日前には見晴らしがいいからというので歩いている途中に誘われてアルバイト先の社員の家に行った。歩いていたところは広島駅の近くである。社員の家からは海が見下ろせるというのだから夢とは妙なもの、ぃや都合のいいものである。次の日その人に会ったとき口まで出かかったがやめた。夢の中では奥さんもいたが、その人は独身と聞いていたからである。

 きのうの朝はスポーツタイプのオープンカーで坂の上の家にやってきた人の顔に見覚えがあった。ぼくもその家に用事があったのだが留守だったので出直すつもりで坂道を下っていた。向こうの人もぼくに気づき手を挙げた。その人は息子の勤める会社の社長であるのだった。会釈したのみで、日頃のお礼も言えないうちに目が覚めてしまった。

 思いがけない夢を見るものである。よくおふくろが出てくるんだ、と連れ合い(義兄)を三年前になくしている姉に話すと「けなりい(うらやましい)なぁ。わたしにはちっとも出てけーへんよ」と悔しがった。「みんなどこへ行ってしまったんだ」と呼びかけてみたくなる場面だが、夢のなかの言葉はむこう側のおふくろには届かないんだろうなぁ。


2017年9月18日(月)

 昨日は7日ぶりの休日、この日を待ちかねたように朝早くから買い物に出かけた。行き先はカインズホームであり、お目当てのあかちゃん本舗と食品スーパーそれに100円ショップの同居する商業施設・わかばウォークである。

 待ち焦がれて身も細るほどの配偶者は買い物メモを自宅に忘れてきたと言った。あれにするかこれにするかと悩んでいる風であった。「それにしてもアヤちゃんの経済効果は大きいなぁ」と呟けば苦笑い。アヤちゃんというのは今週末にはるばる会いに来てくれる孫の名前である。

 4時間ほどのちに自宅に戻るとぼくはぼくで早速先週やり残した分のお風呂の掃除。ほかに研磨剤を使って鏡のウロコ取りにも挑戦した。見違えるほどよく映るようになった。

 夕方台風18号のために野球が中止になっていたので散髪に行った。これも孫に会うための準備と言えるが、直後シャワーを浴びるために風呂に入ると鏡に自分の体が鮮明に映し出された。顔つきもさりながらあばら骨が浮き出た様は「老いさらばえる」という形容がぴったりである。これはアリス効果?


 2017年9月24日(日)

 キンモクセイが芳香をはなちはじめた昨日の朝、夜来の雨も止んだ頃、息子夫婦とアヤちゃんがやってきた。
 
 一年ぶりに逢うこの1歳半の孫は飛ぶように走るように歩き回り、自分の意志を伝えることができるほどの成長ぶりだった。午後は晴れ間が差してきたので1時間以上砂遊びに没頭した。つきっきりでともに興じていた。

 きょう川越駅で、いざ別れめとおろそうとすれば、いっそうしがみついてイヤイヤをする。これは遠く離れて暮らす「爺々」には堪える。それでも傍らの息子にあずけると改札の向こうに入ってからも小さな手を振っていた。

 今度逢えるのはいつだろうかと思うのである。一年も経てばまた成長して目を瞠ることになるのだろうが、どうかこの日たちのことも覚えていてくれ、と。


 2017年9月25日(月)

  終わってみれば2日間の休暇はあっという間である。楽しいことはすぐに終わるのたとえもあるがその通りであった。息子夫婦と孫を迎えるための準備は約1か月、配偶者はぼくの数十倍そのためにはたらいた。それも楽しみなことにちがいなかったので、いまはおおきな虚脱があるかも知れない。

 ぼくはこの日からまた6連続勤務となる。早速今日は3時間の大残業となった。夏も終わりかけているのに人手不足のせいで忙しい。当面楽しいことは控えていないが愚痴をこぼしながら働かねばならない。書きかけのものも本腰を入れて継続しなければならない。新たな希望へと舵が切れるかどうか、成否が問われるところだからだ。


 2017年9月30日(土)

 深夜寝入りばなに「ヤモリがトイレにいるので外に逃がしてやって」と頼まれた。スーパーのレジ袋を手に現場に立つも、影も形もなかった。

 それが昨夜のことで、今夜も同じ頃に起こされた。「カーテンの向こう」と言って配偶者はドアを閉めて出て行った。二夜連続なので今度こそはと狭い室内をくまなく時間をかけて探し回った。しかしまたもや見つけることができなかった。

 配偶者には見えてわれには見えないヤモリとは何者だろうか。ヤモリは家守とも守宮とも書く。今夜遭遇-3度目の正直はあるかどうか。


 


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