初体験とノスタルジー



2017年10月1日(日)

 30日早朝ファイル転送中にHPへのアクセスも閲覧もできなくなった。サーバーのせいかと思ったがどこにも障害情報は出ていない。エイトにもSOSを送った。

 サポートセンターに問い合わせのメールを深夜から早朝にかけて送ろうとするが途中でタイムドアウトしてしまう。これは最近パソコンの速度が遅いためであったが、何十回目かでついに送れた。それが午後4時頃である。原因と対策を知りたいの一念で、根気よくも12時間、つまり足かけ2日間を費やすことになった。

 問い合わせの送信完了と同時にサーバーのコントロールパネルなどを苦労しながら開けていろいろ眺めていると「レンタルサーバ」なるものの仕組みがおぼろげながらわかってきた。問題が出来すれば自身の頭と手で突破しろ、ということなのかも知れないと合点した。矢先に、もしかして、

「index.html」ファイルが1から3までくっついているのだった(このHPのために何年も前にエイトが作ってくれた)が、2を変更したときその肝心の大本をUPし忘れたのではないか、

 と思いついた。はたしてその通りだった。

 大山鳴動してネズミ一匹、である。長い漂流だったがよい勉強になった、というのも負け惜しみに近いが、かくしてHPは復活した。ありがとうエイト。心配かけました、トキヒコさん。
 

2017年10月2日(月)

 友人宛のメールに「おさがわせしました」と書いてしまったあと、なんかちがう、正しくは「おさわがせしました」ではないか、と思った。

「さわがしい」とは言っても「さがわしい」とは言わない、なのに「お」をつけるだけで、どちらもそれらしく聞こえてしまう。それが誤用の発端だった。

 ところが自分だけの誤りかと思いきや、他の多くの人も「おさがわせ」と言うらしいことがネットを見てわかったので、これまたびっくり。あなたはどっち派だろう。

 
2017年10月4日(水)

 倉庫で仕事中に携帯電話が鳴った。番号のみの表示だった。普段は出ない(忙しい時間帯でもあった)のだがこのときにかぎってなぜか出てしまった。まわりがざわざわしているので聞きづらい。ついに「どちら様ですか」とつっけんどんに言えば「M大の○○です」となつかしい東北訛り。一年半にわたって歯の治療を受けている先生だった。

 やりかけの仕事を放置、静かなところに移動して話し込んだ。今月中にひとつ予約を入れてもらった。そのあとで先生は本当の用件を切り出した。11月の予約日に学会が入ったのです、と。

 とにかく優秀ゆえに多忙な先生である。その先生から直に電話が来るなんて思いもしないので恐縮した。


2017年10月5日(木)

 夜お風呂場で椅子に坐ろうとしたときその椅子がすべって転倒した。後頭部がドアにぶつかった。一瞬の出来事だった。自分でも何が起こったのかすぐにはわからなかった。下段のガラスが鋭い破片をむき出しにして割れているのを見て事の重大さにびっくりしたほどである。

 頭に傷はなく、ガラスが自ら衝撃を吸収してくれたようで痛みもほとんどないのはよかったが、いたるところに災難が待ち構えていることを思い知ることとなった。どんなに注意しても魔が差す瞬間というのはあるのだろう。

 その直前サーバのサポートセンターからの返事を反芻していた。すなわち「弊社ではお客様にて設置されますコンテンツについて、特に関与いたしておらず、ホームページの作成・運用等につきましてはサポート対象外といたしております。 」素っ気ないなぁと思った矢先の「事故」だった。だからと言って、もちろんサポートセンターを責めることはできない。こちらの心根の問題である。

 割れたガラスの後始末とドアの応急措置が待っていた。思案の末に、孫が来たときに使った鯨の絵の風呂マットをはめ込んだ。いまどきは風呂のドアにガラスは使わないそうだが、これはなかなか味わい深い代替物となった。お風呂が楽しくなること請け合い、であると云々。

2017年10月10日(火)

 三たびトイレに現れたヤモリに見つめられて、あ、つぶらな瞳だ、と思った。何かを訴えかけるような、哀しげな表情にも見える。かつてどこかでこんな瞳に遭遇したことがあるような気がした。

 しかしいまどきこんな表現は陳腐極まりない。ヤモリだからいいが、人には使えない。


2017年10月12日(木)

 さくらお勧めのCGIを使って「アクセスカウンター」だけはなんとか設置できた。肝心のこの日録の「更新日時」はいまだに…といってプログラムの知識は皆無だからネットを見て、その都度エイトの教えを受け、ボケ防止よろしく不毛な時間を消費している。取り柄は成功するまで諦めないこと、と増上慢。いや単に執拗いだけか、もっと肝心の仕事から逃げているだけのような気もする。

 エイトによればサイト作成者が作成上どん詰まりを起こすという「初めてのプログラミング体験」がこのCGIらしい。「夢カウンター」の開発者は「自分が作ったものが動いたときの感動が忘れられず、以来18年やみつきになっている」と述懐している。

 もちろんこちらは楽ではない。深くは降りていけない。浅く、狭く、である。もはや薹が立ちすぎている。


2017年10月14日(土)
 
 
 一昨日チェーンソーを買ってきた。日本語では鎖鋸。当座の使途は道路にはみ出したキンモクセイの枝を伐ることである。手動のこぎりでは手に負えなくなった。大げさな選択のような気がしないでもなかったが、歳のことを考えれば電気の力に頼らざるを得ない。

 初めてのチェーンソーは明日晴れたら…ということにして、とりあえず「取説」を読んでみた。いざ使うとなれば相当の注意と覚悟がいるとわかった。たとえば「肩よりうえに持ち上げて使ってはいけない」などはおおい納得した。一読したあとには完全防護服を着たヘルメット姿の自分が想像された。やはりおおげさだったか。

 それにしても、このところの初めてづくし、短い秋の異変かも知れない。


2017年10月15日(日)

 承前。
 チェーンソー・デビューは雨のために次の休日まで延期となった。現代の樵はチェーンソーを使って大木を伐り倒している。テレビでしか見たことはないが、樹齢数十年の樹木が瞬時に倒れ行く様は剛毅ではある。一方で、鉈でくさびを入れ、反対側から大きなのこぎりで「ギーコギーコ」と伐っていた時代がなつかしい。

 腹ちがいの長兄は営林署(当時の呼称)から委嘱されて国有林の管理を任されていた。40年ほど前に46歳で死んでしまったが、農業の合間に腰に鉈を巻いて山に入っていた。下草を刈ることが主な任務だったようだが、あるいは大木を伐ったことがあるかも知れない。庭の樵たらんとして、我が身はまた震える。母の従兄弟がチェーンソーで自ら命を絶ってからもすでに40年は経っている。

 もうひとつの初体験「プログラミング」はネットでSSIとかPHPというIT用語に出合うがさっぱりである。勉強にすらならない。というのはこちらの目的は簡便なひな形が欲しいだけだからだ。いわば他人のふんどしで相撲を取ろうという了見である。そんな自分にだんだん嫌気が差してきた。「更新日時」は諦めようか、と。


2017年10月16日(月)

 人間ドックの結果は「大学の成績表」なみに「進級可」だったが、強いて悪いところを探し出すとそれは「体力」ではないか、と思わざるを得ない日だった。脹ら脛は凝り凝りになるわ、膝は笑うわ。

 休み明けの今日はことほどさようによく働いた。休憩もそこそこに次から次へと仕事をこなしていった。終わると早々に家路についた。夕食後はすぐに眠りに入る。いまや仕事中の楽しみは配偶者が作ってくれる弁当だけだな、と独りごちながら。


2017年10月18日(水)

 たったいま「日録」の更新日時が表示されるようになった。1か月以上に及ぶ悪戦苦闘の末に、などというとカッコいいのだが、どこがどうなって稼働するようになったのかがわかっていない。 実はここがいちばんの問題なんだろう。

 これでダメならもう諦めようと何度も思い、少し少しいじっていた。と、突然画像が現れた。執念が実ったみたいなもので、そうなればもっとちがう風にしたいなどといろいろな欲もでてくる。可否の原因もわからない身にはなかなか叶わない欲であるが、とりあえずはほっとした。
 

2017年10月19日(木)

 朝6キロほど東にあるK病院、いったん家に戻って、今度は5キロ北の高台にあるM大歯学部付属病院へ。ねらったわけではないが保険証をカバンに詰めて「病院はしご」をすることになった。

 K病院では待つこと約1時間、診察は5分で終わった。M大病院は予約時間には診察室に招じ入れられ、教授とインターンが1時間以上かけて根っこしかない歯に詰め物をし仮の冠をつけてくれた。

 長時間口を大きく開けたり閉じたりしていると、つむったままの目の奥に母方の曾祖母が現れたのでびっくりした。母が入院するときには涙を流し、死んでしまうと思っているのかしら、と母はいぶかり、治しに行くんだからね、と念を押していた。

 実姉の娘(姪)に子供が生まれると「玄孫だよ」とみんなが喜んだ。かなり長生きをしたのだった。
 
 その日曾祖母に朝まで寄り添っていた母は、静かな寝顔でね、まだ生きてるみたいな気がしたよ、とぼくに言った。祖母と区別してなんと呼んでいたのだったろうか、大おばぁちゃんだったかも知れない。とすれば、顔も丸く、体も小さくて丸丸としていたので、大は似合わない。かわいい顔でいつもニコニコしていた。三代目(?)のぼくもそうありたい。そんな思いが呼び出したのだろうか。


2017年10月20日(金)

 カバンを買おうと配偶者が言うので売り場に従いていった。入れるものは主に弁当、ペットボトル、タオル、そして財布、遭難したときあるいは災害にあったときのための呼び笛などであるが、車で移動する身には入れ物としてあればいい、つまり何でもいいのである。「いいよ、いいよ」と固辞するも「「じゃあ、ひと足早いクリスマスプレゼント、ということで」となり、それならばとなったのであった。

 そのカバンを今日はじめて使った。入れる物がぴったりと収まり、肩から下げるとしっくりとなじむ。直前までは、娘の使い古したものを利用していた。飾りはほとんどないが、嫋嫋としたカタチはいかにも女性風。「ヘン、ヘン」と酷評したのは元の持ち主だった。その前には息子の「お上がり」を使っていた。気に入っていたのだが、なんせボロボロ、ついに吊りひもが切れた。

 新しいカバン、やはりいいものだなぁ、と思う。仕事の行き帰りだけではもったいない。いつかお遊びとしての都心デビューをさせてあげたい、などと隠れていたフェティシズム沸々。


2017年10月22日(日)

 大雨警報が出ているというので開場早々に投票を済ませた。小選挙区は共産党の候補者、比例区は立憲民主党に入れた。「戦争へ進む」安倍政権がこけて欲しいという一念である。

 昨21日は「国際反戦デー」だった。昼頃仕事先の倉庫でそれを思い出した。「インターナショナル」の歌を口ずさもうとするが、歌詞がすんなりと出てこなかった。夜youtubeで「日本語版」を聞いてみると「同胞(はらから)」「腕(かいな)」などが混じりなかなかに古風な表現であった。リフレイン「ああインターナショナル、我らがもの」は至言である。


2017年10月23日(月)

 台風21号。未明、激しい雨音を聞きながら、大きい風を待ち受けている。わが家では、あと何年間かTVニュースをまともに見ることがなくなった。総選挙の結果安倍政権が続くからだ。

 それにしても、なぜ「改憲、好戦、アメリカ追従」の自民党なんだろうか。「民意」ほど不可解なものはない。


2017年10月24日(火)

 facebook に旧理学部の写真が出ていた。当時正門からまっすぐ伸びるメイン道路の突き当たりにその赤レンガの建物があった。大学跡地は公園やマンションになっているらしいが、これだけが残されている。

 入学早々用事もないのにその建物の中を探検したことがあった。天井の高い廊下を歩き回った。思えば十分に感傷的な行為だった。高校の恩師が20数年前にこの校舎で学んでいたからである。いま写真を見てもっと感傷的になった。夏に行ってきたという友人は「なんとかの夢のあと、だなぁ」メールで感想を送ってくれた。としても、よくぞ残っていると感謝しなければならない。

「われら三人の共通点は、妻が広島出身であることだよ」と畏友は教えてくれた。家族そろってカープファンである。この夜日本シリーズ進出を逃したことは悔しくて悔しくて仕方ないことだったろう。白状すればぼくは試合中継を見なかった。怖くて見られなかった。それほどの意気地なしであった。

 一番悔しい思いをしているのは選手たちだろう。若い彼らが新しい夢をまた見せてくれることを期待して……。いよいよ感傷に堕ちる秋である。


2017年10月25日(水)

 朝から雨の一日だった。夕方家路につく頃には本降りの状態。冷たい雨だった。

 朝4時半に目が覚めてそのまま起きていたので行き帰りの運転中、しきりに睡魔に襲われる。ずっと5時起きだったのにこのところ早くなった。一度味を占めるとやみつきになるたぐいなのかも知れない。その効用とは、インターネットの接続がこの時間やたら早いことである。

 そんなことが生理現象の説明になるかどうかわからないが、ここぞとばかりにHPの更新を続けるのである。UPが速やかでかつてのイライラ感がない。(理由はADSLが空いてるせい?)。それにも飽いてくれば、原稿に向かうのである。


2017年10月26日(木)

 晴れたのでいよいよデビュー。まずはあの木を伐ろうか。チェーンソーに油をそそぎ入れながら思案した。キンモクセイのかたわらでいまや縮こまって在るようにみえるネズミモチ。植木屋(豊美園)の隠居が「排気ガスなどに強いので高速道路などに使われているんだよ」と教えてくれた木。ネットでは、

「庭木としての観賞価値はあまり高くないものの、堅強な性質を持ち、都市部の劣悪な環境でも耐えることから、垣根や緑地の「植えつぶし」(庭の植栽であまり重要でない場所や空いたままにしておけない場所に、あり合わせの樹木を密に植えること)として使われる。」

 とあった。配偶者に話すと「あの木には毎年鳩が巣を作る。カラスに卵をとられたこともあったわよ。伐らないで」と言われた。庭の水たまりで遊ぶ山鳩の夫婦を何度も見かけたことがあった。それは仲睦ましい光景だった。

 ということでチェーンソーデビューはいきなりキンモクセイの枝切りとなった。これは凄い威力を発揮した。直径10センチほどの枝があっという間であった。向かって左半分を伐り落としたところで日没を迎えた。伐った枝木を土の上に寝かせるとうずたかい山となった。天に向かって立っているときには想像できなかったかさばり方である。空は広々としているが、地面はせせこましい、ということか。


2017年10月27日(金)

 夕ご飯を食べるとすぐに眠くなるのでベッドに入るがいつもは眠りが浅い。1時間そこそこで目が覚める。ところがこの夜にかぎって熟睡していた。指を折って時間を数えると2時間半に及んでいる。朝早い身にはしばらくするとまた寝なければならないのだが、気分はいっとき壮快であった。

 帰宅してびっくりしたことはキンモクセイが丸はだかになっていたことである。二メートルほどの主要な幹のほかには何もない状態だった。ひとりでチェーンソーを使ったのだった。「よくがんばったなぁ。無理したんじゃないか」とねぎらえば配偶者はソファに寝転がったまま「具合が悪い」と不機嫌である。

 いずれこんなカタチにするつもりだったが、いざこうなってみれば緑の地球儀のごとしと形容していたときの威容がなつかしい。いまは、残っている幹から芽吹いて、また少しずつ生長していくことに希望をつなぐしかないのだろう。これで春が待ち遠しくなる。


2017年10月29日(日)

 近くの工場直売店へ行くことになったがその名前が出てこない。銀座なんとかだったがなぁ、と考えながら運転していると入るべき側道を遣り過ごしてしまった。仕方なく遠回りして国道側から入った。ここで「コージーコーナー」という名前が「判明」したのだったが開店までまだ30分以上ある。

 そこで、先にスーパーに寄ったあと行き先を「くらづくり」に変更した。近辺には4店舗あるはずだが、スーパーからもっとも近いのはまだ一度も行ったことがない「にっさい店」である。ところがそこへ向かっているつもりが道に迷った。どうせ帰り道だからと行き慣れた「お伊勢通り」の店に変えた。かつて住んでいた町なので土地勘があるはずだったが左折交叉点をひとつ間違えてまたもや迂回することになった。

 目的のところになかなか辿りつけない、そんな一日のはじまりだった。きのうは『冬のソナタ』でチェ・ジウの演じた役名が出てこなくて苦しい思いをした。重い荷物を引っ張りながら「息切れがするわ。年のせいかなぁ?」と言えば「それ以外に何があるというんだ」とまぜっ返されるのだったが、冗談口を叩いているうちが花かも知れない。


2017年10月30日(月)

 台風(22号)がまたやって来て足早に去っていった。日の出時刻がすでに6時台になっているのにもあらためて驚いたが、明るくなると空は晴れていた。台風一過とはよく言ったものである。陽射しは暖かかったが強い北風が吹いていた。これが木枯らし一号だったという。

 10月もあと一日で終わろうというのに、台風のあとに木枯らし一号が吹くなどは、めずらしいことのように思える。昔の秋を知っている者には異変ですらあるのだが、やがて慣れていくものだろうか。錦繍のただなかに佇んでみたいと思った。
 
 



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