むかしむかし、あるところに


2017年11月1日(水)

 月が改まってことしもあと2か月を残すのみとなった。暦によれば今宵は十三夜。「中秋の名月(十五夜)」に次ぐ旧暦9月13日のお月見だから「のちの月」と呼ばれる。中秋の名月が中国から伝来したのに対して、こちらは日本固有の風習だという。

 日の暮れるのが早いので仕事が終わったあとしみじみと月を見上げた。上辺が少し凹んでいるので満月ではないが、だいだい色の月は北風が吹く宵闇を照らして、気持ちをあたたかくさせる。

 栗名月、豆名月などともあだ名されるのは月を愛でながら秋の収穫を言祝(ことほ)ぐ意味からといわれる。家に戻るとTさんから松本の実家で自ら作ったお米が届いていた。同梱されている手書きの手紙も毎年の楽しみである。まずはそちらの方を味わった。近況を教えてくれたあとに、

『今年は雨の日が多く、気温も安定せず、作物、果物に異常が起こりましたが、稲作は例年以上の収穫をあげることができました。山林と湖が自然を保護している地形に感謝です。唯、汗をかいて農業を続ける者が更に減り、JAの大型コンバインが、何の情緒もなく、工事現場のような有様です。その隣でハゼ掛け(引用者注-稲を刈り取った後に木材や竹などで柵柱を作り束ねて天日に干すこと)をしていると時代錯誤の観があり、空行くカラスが笑っているようです。』

「信州合宿」の折りに何回も通った安曇野の風景が蘇る。山に囲まれてなお悠久の大地を感じさせた。心していただかねばならない。

 
2017年11月2日(木)
 
 朝から庭の高木の枝切りを敢行した。正面のネズミモチ二本のうちの一本はほぼ根っこから伐採した。もう一本は山鳩のためにとっておくことにした。柿の木は地上から3メートルほどを残してそれより高い枝は伐り落とした。

 いままで柿が成っても高くて取れなかった。高切り狭でいったん挟んでも途中でポトンと落ちてしまって食べられない。鈴なりの柿が手の届く範囲にたれているのが理想。新しく芽が出れば来秋そんな風情が楽しめる。

 通りかかった近所のKさんがあめ玉をくれた。それを頬張り、となりのTさんが貸してくれた脚立に乗って、いよいよ白木蓮である。高さ15メートルの大木だ。これから大判の葉を落とすので路上に散らばってゴミ当番の人に掃除させることになる。それが心苦しいから今日是非、と配偶者に懇願された。そろそろ飽いて、疲れてもきたぼくは、今度でいいと思ったが勘弁してもらえなかった。

 かくして朝の陽射しがたっぷり届く庭になった。別の意味で無残な庭であった。何もない、はだかの、吹きさらしの庭である。もしここでけがをすれば植物の祟りだな、などと思いながら、伐り落とした山のような枝木をかたづけるのは後日ぼちぼちやることにして作業を終了した。

 時間はすでに12時を過ぎていた。3時間以上没入していたことになる。チェーンソーの慫慂だったかも知れない。


2017年11月3日(金)
  
「文化の日」だ。この言葉もかなりレトロではないかと思った。憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と謳われている。その「文化」が日常どんな場面で使われているのかと考えてみると、学校での文化クラブや文化祭、報道機関の文化部、それに文化庁・文化財、文化放送などもある。かつては文化住宅とか文化包丁とか文化シヤッターとかなんにでも文化を冠した時期があったように思う。いまはもう野暮すぎてそんなことはしないだろう。

 その昔には年号としての「文化」が存在し、「化政時代」(1804~1830)というのがあった。町人文化が一大隆盛を極めた時期だった。当時政治はどんな風だったか興味がある。少なくとも戦(いくさ)はなかった。

 この日は70年前に日本国憲法が公布された日でもある。第9条に「軍隊」を明記して戦争に突き進もうとする安倍政権。われら国民にはいまこそ文化と平和を一体のものとして守っていく義務があるのではないか。


2017年11月4日(土) 

 日本シリーズがやっと終わった。期間中覇者をしりぞけて進出したベイスターズを応援する気にはなれなかった。カープファンの中には「セリーグ代表として頑張って!」と応援する人もいるだろうが、ぼくはダメだった。一人一人の選手の悔しい気持ちがわかるだけに、つい偏狭な位置に立った。

「勝負」の世界だから選手たちは来季奪回することでしか屈辱を霽らすことはできないと考える。しかしぼくはこの「下克上」を早く忘れたい、そのためには福岡びいきでもあるのでホークスが日本一になればよいと思っていた。

 ファンというのは哀しいものである。針の穴から世界を覗いているような気がしないでもない。グローバルからは遠く離れている。こういうところは小説の世界と似ているが、世界の構造が見えてくればよい小説ということになる。 


2017年11月5日(日)
  
 晩秋になって秋晴れというのもなんとなく使いづらいが、気持ちのよい朝となった。陽射しがいっぱい届くようになった庭で配偶者が水仕事をしているのに釣られて洗車を思い立った。長く続いた秋雨、2度も台風がやってきた、そのあとだけに汚れきっている。そもそも車を洗おうなんて、思いつく暇もなかった。もう何ヵ月もほったらかしだった。

 車体に水をかけていると何度も虹が出た。きれいな小さな虹だ。しばし見とれた。これだけでもやり始めた甲斐があった。

 しかしきれいにすべきは外よりも内部だった。試しに運転席のフロアマットを取り出してみた。はたけどもはたけどもほこりが出る。よくぞここまで泥土のたぐいを吸ったものだとあきれ果てて、最後は木の幹に叩きつけて出した。それはまるで自分の体へのはげましのようだった。


2017年11月6日(月)

  4時半に起きるとすぐにストーブを点けた。布団の中にいるときからひんやりとして暖が欲しかった。朝のニュースではことし一番の寒さですと言っていた。

 6時半になっていざ出勤と車に乗り込むとフロントガラスが凍り付いていた。配偶者が持ってきてくれたお湯をかけて溶かした。いかに寒いとはいえ、ここまでとは思いもしなかったが、明日が立冬だというから、季節の流れとしてはまっとうなのかも知れない。


2017年11月7日(火)  

 伐った枝木や葉っぱの片付けで疲れたので満州の餃子を買ってきて欲しいと配偶者からメールがあった。家に戻った頃はもちろん真っ暗なので庭の様子はわからない。

 どれだけやったの? と訊けば「4時間くらいかな。まだ少し残っている」

「それは、疲れもするわ」

 いたわるでもなくぼくは驚いた。二日前にぼくもやり始めたがブヨか何かが大勢顔の周りを飛び交いそのうちの何匹かが肌を刺した。それもあって1時間ほどでやめている。この片付けは果てしのない作業だとげんなりしたのも事実である。

 それにしてもこの3時間の差は何だろうかと思った。ぼくと配偶者は歳がみっつちがう。彼女の方が年上である。それなのにより元気にはたらく。

 配偶者の言い分はこうであった。「葉っぱが枯れて火事になったら大変だから」

 ぼくが万に一つと楽観するところを、すぐにも起こりうる惨事と考える、その差なんだろうか。年の差には関係ないなぁ。


2017年11月9日(木)


 腰痛と筋肉痛を理由にして日がな一日ゴロゴロしていた。風はやや強かったもののずっと晴れていたが、庭のあと片付けはほったらかしにした。おかげで夕方になる頃には体が軽くなっていた。これはいいものだなぁ、と思ってしまうところが、哀しい性(さが)であった。  
 
 ということで再読ながら『渡良瀬』(佐伯一麦著、新潮文庫)を一気に読み終えた。夏の盛りの頃からはじまった物語も晩秋、師走そして、昭和最後の正月へと時が流れていく。人恋しさに駆られ、愛を求める主人公の懸命さが心を打つ。折りたたまれた世界がひらいていく感覚がある。まちがいなく傑作だとあらためて思った。
 

2017年11月10日(金)

 大きな失敗をした。10キロ近くのダンポール箱を持ち上げたとき背後から問いかけられた。箱を両手にしたまま振り向いた。そのとき腰に痛みが走り箱が手から離れてしまった。その箱が飛んで、呼びかけた人の足の甲を直撃したのであった。

その後何度か謝罪をこめて様子を訊くと「いまのところ、大丈夫だから」と言ってくれた。大事には至らなかったのが幸いである。何か考え事をしていたのかも知れないが、何を考えていたのかも飛んでしまった。自戒自戒。


2017年11月11日(土)

 ボディソープが切れてしまったので買ってこいと同居の娘からメールがあった。

 最近はこんなメールしかやってこない。まるでメールぱしり? ともあれ、帰りにドラッグストアに寄った。店員にまず売り場を訊ねる。そこではわれらが使う石けんは下段の狭い一角に追いやられている。大部を占めている棚から指定されたメーカーの商品を探す。詰め替え用を買おうとしているのだが泡か液体かは察しがついたがボディソープとは書いていない。すべてボディウオッシュである。ここで悩んだ。こういう場面ではちがう商品を買ってしまうことが過去にしばしばあったからだ。

 思いあまってまた店員に訊いてみた。すると「同じだと思います。からだをお洗いになるのでしょう?」と言ってくれた。「お洗い、というほどのものではありませんが。ありがとう」と答えた。

 家に着いて商品を示すと、これこれこれでいいんだ、と娘は言った。こちらの悩みの深さも知らず、ウオッシュもソープも同じに決まってるじゃない、ときた。こんどからは昔ながらの石けんで洗いやがれ、と返答した。


2017年11月12日(日)

 めずらしいことに自転車の前後輪がともにパンクしているというので今日は修理しようと思った。その前にもう一度見分しておこうと劣化した虫ゴムをとり替えてタイヤに空気を入れていると近所の奥さんが「風が強いね」と言い置いて通りすぎていった。ところがこの庭は無風地帯で、陽射しがいっぱい降り注いでいる。修理にはもってこいの日和である。

『渡良瀬』(佐伯一麦著、新潮文庫)の主人公がパンク修理をするのは夜明けだった。「深呼吸すると、いくぶん二日酔い気味の頭に風が通った。しっとりと湿気を含んでいた。/拓はパンク修理キットと書いてある包みを開けた」約2頁にわたって描写が続く。

「空気を入れるところのナットを指でしっかり締め付けると、拓は「ようし」と満足そうな声をあげた。/居間に戻り、テレビをつけると、六時のニュースが始まっていた。天皇の十九日の下血以来、初めての休日となった秋分の日の昨日、祭りの秋に自粛ブームが広がっていることを告げていた。……」

 近くのホームセンターに出向いて修理キットを買って戻ってきたものの、わが修理は“まぼろし”となった。前も後ろも空気が
減っていなかったのである。パンクではない可能性もある。なんか得したような気分に駆られ、その店で買ってきたお気に入りの「田舎まんじゅう」を頬張った。次いで、スーパーに売っていた「鬼まんじゅう」も食べた。まんじゅうづくしの、食欲の秋に変容した。


2017年11月14日(火) 

 来秋のNHK朝ドラ決定のニュースをラジオで聞きながら、連想で、なんとか政子、いうユニークなおばさん(おばちゃんと言うべきか)がかつていたなぁと思った。しっかりと細部を思い出せないのでネットで調べると「大屋政子」でヒットした。奇抜な衣装で「うちのおとうちゃんがねえ」と甘えた声で言う姿がかすかに思い出された。

 1999年に亡くなっているから20世紀の人だったのだ。時代は昭和。大阪にはほかに「カモカのおっちゃん」で一世を風靡した田辺聖子さんもいる。ぼくが関東で唯一受けたギャグはいまで言うアラサーをつかまえて「おっさん」と呼びかけることだった。女と子供は「ちゃん」をつけ、男は「さん」を付けて件の人を呼びならわしていた。いまはどうだろうか。 しょうもないことを思い出した。


2017年11月15日(水) 

 毎週何枚か送られてくる孫の写真が楽しみである。といっても直接入ってくるのではなく、配偶者のスマホが受信して、そのなかから選(よ)ってこっちのガラケーに転送してくれる。見れば大概は情況がわかるのだが、この一葉は次のようなキャプションを口頭で聞いて大いに合点した。

「動物園ではじめて虎さんと対面したときの綾ちゃん。」

 日一日、あれもこれも成長である。いとおしいものである。わが子たちの時にはおそらくこんな感慨は持ち得なかった。歳をとったせいでもあるのか。


2017年11月16日(木)

 午前中書きかけの物に手を加えた。久しぶりのことであるので自分のメモのために記録しておくと、それは神の餅という題でことしの4月から始めてやっと10数枚にならんとするところの原稿である。

 早春の頃友人に近頃しきりに母のことが思い出されると書き送ると「そうか最後はやはりそこへ行き着くのか」と返事をもらった。「最後は」という文言があったかどうかはあやふや(きっとぼくの創作だろう)だが、この原稿、出だしは母のことである。母のエピソードをいくつか重ねてから四十代の男女の世界に踏み入るという構想である。

 しかし、やはり母のことで全編貫くのがいいか、と迷い迷って遅々として進まず、原稿ファイルに辿り着く前にダウンしていた。開けても数十分もすると他に逃げる。今日わりと長く読み返しながら、向かい合いながら考えていくしかないのだと再認識。モチーフ以前、モチベーションの問題だった。


2017年11月17日(金)

 4年前まで2年間ほど一緒に仕事をしていた人で、つい最近こちらへまた戻ってきた社員。北関東あたりの朴訥な訛りが残り、大酒飲みを豪語するほどの破格の人である。なつかしくもあり、気も合う人である。

 その人が突然「人事異動みましたよ。息子さんこんど本社勤めなんだって。遠くなって大変だね」と言う。当然こちらはキョトンとした。この会社に同姓の人がいて、その人がこの職場で最高齢のぼくの「息子」だと思われている。

 8年前この会社でアルバイトとして働き始めた頃の記憶が蘇った。ぼくのことをみんなが知っているのである。ふたつの塾で教えている、都合4ヵ所で仕事をしている、これらは事実だったがある人などは「大学の先生と聞きましたよ」と言う。定着しなかったが「教授」と何回か呼ばれたこともあった。そこからはじまって、昨日の些細なエピソードが一夜明ければみなの知るところとなる。噂好き、家族的な会社だとびっくりもし、感じ入ったものである。

 本社転勤になったという、「息子」と勘違いされた同姓の人が、どんな人か俄然興味が湧いてきた。いつしか、なんとか雀の一人になっている。


2017年11月19日(日)

 昨夜、外に出ると空気が変わっていた。いままで経験したことのない冷たさ。いよいよ本格的な冬に突入するのだなぁと思わせる空気が頬を打った。といってもこの数ヵ月の天気は日替わりメニューみたいにむちゃくちゃであった。

 今日昼過ぎに、陽射しのあたたかさに釣られて、庭の片付けを行った。だんだんと興が乗って、

「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。 おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。」

 昔ばなし・桃太郎の冒頭を口ずさむほどになっていた。枝を短く伐ってひもで縛ると「柴」になるからである。これを燃料にすることができれば最高なのだが、「燃えるゴミ」として回収してもらうことになる。ということは「長さ30センチ」というしばりが付いている。開放感も中くらいである。柴を八束こしらえたところで止めた。それでも一時間半が経っていた。

「時を忘れて」いたわけで、昔ばなしの一節が飛びだしたのもうなずける。ところで中学生の頃大好きな国語の先生から「ずさん」という言葉を使って短文を作れ、と指名されて、「……思わずその唄を口ずさんだ。」とやってのけた。クラスメートにはまったく受けず、先生はあきれ果てた風だった。桃太郎とは正反対の嫌味な子供だった。思い出すたびに汗顔。(そのせいか、歳を重ねるにつれてだんだん素直な人間になっていく? ような気がする)


2017年11月21日(火)

 先月の終わり頃にアクセスログ解析を設定してみた。動機はHPをどんな人が訪れてくれるのかを知りたいからであった。というとカッコいいが、このデータがさっぱり読めない。これでは宝の持ち腐れとなってしまうので原点ともいうべき「説明」を精読してみることにした。それによると解析の中身は、

 となり、英語で書かれている文字の意味についても詳述されていた。

 すなわち「Sitesは訪問者数」「Visitsは訪問者数 (過去30分以内において同一のIPアドレスを含まない訪問者数)」「HitsはWEBサーバに記録されたすべてのアクセス数(エラー含)」「FilesはHitsのうち、正常なアクセス数」「PagesはHitsのうち、HTMLページの数」(※VisitsはPagesを元に計算され、SitesはHitsを元に計算されます。)などである。

約1か月目にしてなんとなく読めるような気がしてきた。もっと早く精読すべきだった。これは早呑み込みというぼくの悪癖である。ともあれ読めてどうなるのかという疑問は残る。あの人この人と特定できないわけで、ムダなことをしているような気がしないでもない。ただ国別の統計で今月「台湾から9件」には驚いた。

2017年11月23日(木)

 朝から冷たい雨が降っていた。晴れるまで外出を控えて、家の中で雨を眺めているつもりが、かり出されて買い物に付き合った。雨は小止みとなり、空が明るくなりかけている。こっちの用事はガソリンスタンドだけだった。レジに立って支払いを済ませると「アンケートにお答えいただくとガソリン代が特別割引になります」と一枚のパンフレットを渡された。ネットでのアンケートらしいがあとでやってみるかという気になった。

 スーパーでは男の人の、競り市でなら似合いそうな(あまり美しくない)声が「おいしい牛乳にキャップがつきました。どうぞお試しください」と叫んでいた。声は感心しないがキャップ付きの牛乳には関心があったので配偶者と二人で試飲した。男の人は意外にも若者ではなかった。製造会社か、販売会社の社員のようだった。勤労感謝の日に狩り出されたのだろうか。

 成り行き上一本買い物かごに入れると「くじを引いてください。消しゴムが当たります」と直方体の箱を差し出した。配偶者が手を突っ込んで取り出すと牛乳パックの100分の1ほどのミニチュア消しゴムが出てきた。紙のくじでめくれば当たりとかはずれとかあるかと思ったがそのものが出てきたわけである。これも意外なことだった。いまは使うこともなくなったなぁ、と呟くと「飾っておけば」との提案だった。改めてみれば「まぶしい牛乳」と表示されている。意外づくめだ。


2017年11月24日(金)

 いままでWindows10の機能を使ってメールを受信していたが受信メールをスクロールしていると突然画面が消えることが何度かあったのでメーラーをサンダーバードに変えてみた。すると2013年から現在までの五年間のメールが押し寄せてきた。その数約2万通。これには度肝を抜かれた。

 すべてのメールは一度ダウンロードして必要なものは読んでいる。なのにまたやってくる。なぜこういうことが起こるのかさっぱりわからないが、害はなさそうなのでするがままにしておいた。2万はさすがに多い。目を瞠りながら眺めていた。遅々として時は過ぎる。

 やっと終わってから受信箱に残すメール数を100に設定した。ひと息ついて前の機能を覗くと600通ほどあったメールがきれいに消えていた。どれもこれも摩訶不思議なことばかりである。ITの世界は。


2017年11月26日(日)
 
 予兆とてない、思いがけない夢。前々夜などは捜し物のために母屋(おもや)を訪れている。自分がいくつぐらいかわからない。成人はしているが、いまの姿ではない。自分であり自分でないような夢のなかの自分、と言ってもよい。

 腹ちがいの長兄は40数年前に46歳で死に、嫂も10年前に亡くなり、母屋を継いだ甥も2年前に死んだ。ここには誰もいない。実際は残された甥の家族が住んでいるが夢の中では建て替えられる前の昔の家である。なつかしい縁台が見える。坐っておしゃべりしたり、小さい頃長い廊下を走り回った記憶もある。

 ガラス戸を開けると客間に布団が敷かれ人が横たわっていた。「あにさん、具合はどう?」肩を支えて上半身を起こすと力なく笑う。軽くて小さい兄は話すのも大儀という風である。帰省のたびに縁台に並んで坐ってぽつりぽつりと話し込んでいる風景がよみがえった。そんな機会は数えるくらいしかなかった。兄は盲腸の手術中に病院で亡くなっている。葬儀のあとに駆けつけると義姉さんは「この人もあなたに逢いたかっただろうよ」と言った。

  もはや夢でしか逢えない。その夢もすこぶる頼りない。

 
2017年11月27日(月)
 
 出勤途中によく立ち寄るコンビニには元気なおばちゃんがいる。飲み物だけでは物足りなくてもう1点買う。それが黒糖饅頭のときおばちゃんは「これ、おいしいですよねぇ。疲れたときなんか最高。わたしも大好き。よく食べるのよ」と言う。栗饅頭のときも、「……これ、わたしも大好き」である。

 初めてのときは「ああ、そうですか。好みが合いますね」なんて答えていたが、二度目三度目になると返答もしづらくなる。おばちゃんはこちらの困惑にはおかまいなしに同じ呼びかけを繰り返す。小柄で丸々とした風貌である。レジを離れるときには、「きょうは雨が降るそうよ」などと天気を予告しながら、行ってらっしゃい、と声をかけてくれる。

 70歳を超えているように見えるが実に生き生きと立ち働いている。と書きながらレジの向こう側からこちらの姿はどのように映っているのだろうかと思った。この老爺も仕事後の甘いものを楽しみにして朝早くから頑張っているんだわ。わたしも負けていられない、などか。


2017年11月30日(木)

 鏡をながめながら、夫婦の顔というものも長い年月を閲するうちにだんだん似てくるものだなぁ、とつくづく思った。特に目元や口元などは、いま居間で寝そべっている配偶者と生き写しである。

 犬の顔が飼い主に似ていくとはよく言われることで、事実その通りだと思われる。犬を連れて散歩する人とすれちがうと思わず顔を見比べることがあるが、もうそれどころではない。実証例が身近にあるのだ。

 それにしても、考え方や行動ならわかるが、血のつながりはないのに風貌まで似るのはどういうわけだろうか。自分の思い込みでそう感じるだけだろうか。他人が見れば、どこが? と一笑に付されるのがオチであるのかも知れない。

 そこでこんな結論(仮説)を得た。年をとるとみんな一様に、おじいさんおばあさんの顔になっていく。人間って、こと寿命に関してだけは平等なものだ。

  午後になってM大歯学部付属病院へ。いよいよ義歯を入れるための歯形をとった。上は左右計3本、下は骨を補強してから数本と説明される。このあとのそんな治療の流れはいまひとつ理解できなかった。通い始めて1年半になるので、もはや委せるしかない。何ヶ月かあとに入れ歯を入れた自分をイメージしてみた。身も心もおじいさんだった。これは納得がいった。



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