日  録   裸虫の「啓蟄」     

2018年2月1日(木)

 朝晴れていたのに、お昼過ぎから雨が降り出した。夕刻には気温もぐっと下がって、みぞれから雪に変わっていった。明日朝までに積もるかどうかが最大の関心である。昨夜は3年ぶりの皆既月食だったことを思い合わせても、自然とともに生きることは大きなエネルギーがいる。予報も何もなかったむかしの人はどうしていたのだろうか。今日から2月である。


2018年2月2日(金)

 ほぼ1ヶ月半ぶりに歯医者さんへ。予約時間が近づいてきた頃看護師さんが待合所にやってきて「学生さんとの会合が長引いていて少し遅れるということです」こちらにはほかに用事とてないので「わかりました。大丈夫です」と答えた。

 治療台に坐るとすぐに担当の先生は「国家試験に臨む6年生の壮行会に参加していたのです」と教えてくれた。「去年もたしかこのことで福本さんを待たせてしまいましたね」とも言う。こちらはそんなことはすっかり忘れているが「この時期に試験があるのですね」と訊けば「基本的に二月第一週目の土日、と決まっています」と教えてくれた。

 これだけは是非と思い「受験するのは何人ですか」と畳みかけると「77名です」「緊張しますね」先生も同様に、との気持ちを込めてねぎらった。
 
 この日はいつもの2倍時間をかけて治療してもらった。これからは「入れ歯」製作に向けて加速されるらしい。手順をいろいろ説明してくれるがよく理解できなかった。そのうち、そばで手伝っているふたりインターンに聞かせているのかと思い当たった。あと3回ほどで完成するということだけはわかった。

 最後にインターンのひとりが歯形をとることになった。2回試行したが「だめ」だったらしく「やはり私がやることにします」と担当の先生と代わり、なんなく歯型を。このペースで行けば入れ歯デビューまであと3、4ヵ月。うれしいような、怖いような。


2018年2月3日(土)

 最寄り駅前のコンビニがあと何日かで閉店するようで、3週間も前から商品の片付けをはじめて、いまや棚はスカスカの状態である。見渡せば日常雑貨とか雑誌はそろっているが、生鮮品、冷蔵品、さらにはお菓子の類いも少なくなっていた。まさに店仕舞いといったところだ。

 最寄り駅まで1.5キロ、途中700メートルほどのところにはジャガイモ畑の半分を切り崩してコンビニができた。これはまだ一年も経っていない。駅と反対方向500メートルのところには二つのコンビニが並んでいる。一つは近辺ではもっとも早くにできたコンビニだったが一度閉店したあと大手コンビニとして再オープンした。それは去年の初秋だった。もう一つはその何ヵ月か前にオープンしている。

 素人目にはよくぞ採算が合うものだ、と余計な心配をしたくなるような立地であるのに、開店が相次ぐのは国道に向かう道路がつい鼻の先から2車線に拡幅されるからかも知れない。

 さて、駅前コンビニは立地は悪くないのに閉鎖である。となると、何年ほどが経つのか、かつてここは何だったのか、などが気になる。ともに思い出せないからだ。牛乳を買うつもりだったがないので不要不急の物を手にレジに立って当初から夜間働いている女性に「不便になりますね。どのくらい経ちますか?」と訊けば「3年半」と教えてくれた。

 もうそんなに経つのか、というのが正直な感想だった。コンビニの消長めまぐるしい昨今だが、月日の経つのもまた早い。早すぎる。

 

2018年2月4日(日)

 この朝福岡では雪が降り、明け方には積もっていたという。TVの天気図を見ると、関東地方をのぞいて西日本、日本海側はどこも真っ白。このあと何日かにわたって雪の日が続くらしい。上空1500メートルに−12℃の寒気が入り込んでいるためで、これを「余寒」(立春後の寒気)と言うらしい。

 この言葉に続いてやはりTVにて「蟻浴」ということも知った。雑誌では「地貌」(そこにしかない人間の暮らしを捉える)「辞本涯」(日本の果てを去る)。知らないことはまだまだいっぱいあり、おそろしい。それにしても漢字は美しい。


2018年2月8日(木)

 恵方巻のことしの方角は南南東だったという。今朝などは7時を過ぎると昇ってきたばかりの太陽が部屋のなかまで射し込んできて、からだを暖めてくれる。仰ぎ見てそのまぶしさに思わず目をつむるとじわっと眠りが襲ってくる。そんな至福は太陽がその南南東を通過するまでのほんの2時間程度である。休日が待ち遠しかったのは実はこのためかも知れないと思えてくる。

 昼寝の夢で高校の同級会の場面が現れた。丘の上のレストランには10人ほどが集まっていた。見晴らしのよい斜面に慰霊塔が建っている。まずは恩師ナベさんにあいさつを、と移動をはじめた。すると後に続く人数が3倍にもふくらんでいる。みなが着いた頃「おまえが音頭をとれ」という声に促されて「渡辺先生にご報告を兼ねて、黙祷を捧げます。黙祷」

 慰霊塔は功労者を祀っている。実在してもおかしくはないものである。レストランに戻ると、さっきはいなかった同級生、目下義理を欠いたままの男が、仲のよかったあの頃の顔つきのままに佇っている。ここは土下座してでも謝るべき場面だった。ほとんどそうしかけたときに目が覚めて、すべてが消えてしまった。丘はどっちの方角に開けていたか。それだけでも知りたかった。


2018年2月10日(土)

 
ある場所を通るとカーラジオが雑音に変わる。周波数の表示を見ると「594」(NHK第一放送)が「585」に変わっている。この事態になったのは今日が3度目である。

 一番はじめのときはそのうち直るだろうと思っていた節がある。チューニングが勝手に変わることなどはかつて一度もなかったし、あり得ないことだったからだ。したがって長い時間雑音を聞きながら走った。その果てになにげなく選局ボタンを押すと元に戻った。

 2回目は同じ場所で同じ現象に見舞われた。そこは国道の二車線のバイパスで県道(秩父街道)をくぐった直後だった。今日はサイボクハムの前の通り、ゆるい下り道であった。ともにすぐ異変に気づき選局ボタンを押し直した。その程度に「学習」はしてきたが肝心の原因は依然わからない。

「Google」で「カーラジオの周波数が突然変わり雑音に見舞われるということについて」で検索してみた。いくつか回答が出てくるが到底納得できるものではなかった。それは科学的、また物理的な原因を挙げて「試してみてください」などと指示しているからだった。今回経験した現象への見方がずれているのである。いっそ原因不明ですね、と言ってもらう方が腑に落ちていく。

 それでも原因は知りたい。いま気づいたことだが3回にわたるこの異変に共通な点は「自宅まであと5分」というところで起こったことである。誰か教えてくれないかなぁ。


2018年2月11日(日)

 この日がいまだに建国記念日だなんて! 成人の日や体育の日や敬老の日がもはやかつての日付ではないので同列に考えていた。いや、そうではない。どこかに移ったか? などと思う以前に、この日だけは忘却の彼方に追いやられていた。

 春分の日とか秋分の日ならばしかとした根拠がある(憲法記念日、天皇誕生日、勤労感謝の日もしかり) わけで日付も動かしようがない。しかしこの日は為政者が神話を元に作り上げた(でっち上げたともいえる)日である。ありがたがる謂われも覚えておく必要もないということになる。

 が、いまどきはこの記念日に対して目くじらを立てる人はほとんどいない。逆に賛美する人も右翼以外はいない。安部・自民党政権が日常的に「愛国心」を煽っているせいだろう。感覚が麻痺し、感度が萎えているのだ。

 昼過ぎに車を走らせているとポツリポツリと雨が落ちてきた。空には青空が覗いているのに。あ、狐の嫁入り。なつかしいことばを思い出したが、その由来は知らない。知らなくとも通り雨のむこうに陽射しがあることは、市井の希望につながっているようで嬉しい。


2018年2月14日(水)

 夢の中には実在の有名人やら知人やらが何人も本名で出てきた。有賀さつきにはじまり、教え子の父母なども飛び出した。その家庭へは何度もお邪魔したことがあるように設定されているが、実はそこは田舎の叔母の家である。支離滅裂さはまるで自分そのものである。その他にも幾人かが次々と現れたが、委細は忘れた。

 目覚め間際には大学時代の友人鈴森(仮名)が出た。彼はぼくのテリトリーに突然現れて居座り、並みいる人たちの中心にいる。さぁ一緒に帰ろうと誘うと「もう少しここにいるから、おまえは勝手にいね(帰れ)」などと冷たく言う。

 鈴森などは最近音沙汰がないが元気にしているだろうかと案じていたので、さもありなんと思うが他の人については夢にまで出てくる理由がわからない。無意識の意識としてのなにかがあるのだろうか。人恋しさが募るせいだろうか。春よ来い、早く来い。


2018年2月15日(木)

 暖かい日だった。3月下旬の陽気だという。裸虫(はだかむし)とも称される人間、とりわけぼくにはひと足早い啓蟄となった。

 朝所用で外出。配偶者も一緒に乗せていった。買い物を済ませ、100円宝くじを10枚(しょぼい!)買って帰宅。昼食のあとはもう一つの用事を思い出して、市役所、郵便局へ、こんどは一人で出向いた。その後駅まで送るのはあっしー君のルーチンだったが、戻ってまだ陽射しがあったので水のなかで根をつけたゴムの枝を鉢に植えた。

 さらに、夕方になってを買いに近くの大型スーパーに行った。目当ては「芥川賞発表・受賞作二作全文掲載」である。二人とも海燕の元編集長根本昌夫さんのスクールの生徒だというのも、興味をそそる。若竹さんなどは「約八年通ってまったく飽きませんでした」と語っている。なんという羨ましい褒め言葉か。

 ともあれ、こんな休日を「啓蟄」と言わずしてなんと呼ぶ? (夜になって寒さがぶり返した。あたたかくしてふたつの小説を読もう)


2018年2月16日(金)

 ブログ「久末です!」
によればこの近在の友人も『文藝春秋』で「百年泥」を読んでいるという。こんな同期現象に嬉しくなった。彼は今夜読了と書いているがぼくはまだ半分も読んでいない。いろいろ思うところもあるが、読み終えてからにしよう。


2018年2月18日(日)

 6連勤の半分が終わった。月は新月を過ぎたばかりで、極細の弓である。寒い夜空には、その儚さが美しい。 


2018年2月19日(月)

 通勤に片道25キロ、左折で入れるコンビニがいくつあるかを指を折って数えてみた。行きと帰りで道順がちがうので、それぞれ12店、5店となった。どこに寄るかはたいがい決まっているものの、最近はそこで働く人を思い出して“決断の基準”にしていることに気づいた。

 コンビニは極度の人手不足らしく、高齢の人(主に婦人)が多くなった。これらは親近感があっていい。学生バイトは男女を問わず、愛想はなくともかまわない。一方で横柄な高年男(オーナーかも知れない)、爽やかさのないアラサー、は敬遠する。

 数日前、物を探していると中年の男の店員が近寄ってきて、ちょっとトイレに行きますのでよろしくお願いします、と言うではないか。反射的に「あぁ、いいですとも」と答えたものの不思議な感じがした。あたりを見わたすとたしかに客はぼくひとりだった。むさ苦しい印象はあったが、その滑稽さは許容範囲である。

 自宅に一番近いコンビニは何ヵ月か前に店名を変えてリニューアルオープンした。直後にはあどけない顔の学生がレジにいた。たばこの銘柄を背後の棚から必死にみつけ出そうとする姿も初々しかった。「がんばれ!」と思わずつぶやいていた。こんやその同じ女性がレジにいた。笑顔もサマになっていた。うすく化粧をしていたが、口紅だけは借り物のように赤い。それもまた好ましいと思った。

 ドアを開けて外に出ようとするとその店員が追いかけてきた。「お客さん、これ」と言ってたばこを差し出した。「未成年ではありません。OK」のボタンは押したが商品を持ち帰るのを忘れたのだった。配偶者からの頼まれ物だった(ぼくは8年前に禁煙している)せいか。それとも、コンビニ店員のせいか。「ごめん、ありがとね」と失態を笑いでごまかした。


2018年2月22日(木)

 マスクは好きでない、など言っておられなくなった。月曜に熱を出した娘が翌々日に病院でインフルエンザと診断された。今朝になって配偶者は起きられなくなった。「からだがだるい。胸がむかつく」という。夕方病院へ同行したが、うつるにはまだ早いので、とインフル検査をしてもらえなかった。「もし今夜熱がでるようならひよっとします」と吐き気止めの薬とともに熱冷ましの頓服を調合してくれた。

 うつったかどうかは今夜の発熱の有無次第ですか、と横合いから看護師に訊くと
「そのあと検査ですね」。同居するぼくにはいまはなんの兆候もないが、マスクだけはしていて、とふたりからしつこく言われた。好きでない、などと愚痴っぽくこぼすと「危機意識がない。誰もがうつるものだ。ゆえにインフル」と論難される始末。 

病院から帰る車の中でインフルが快癒して復帰したアナウンサーがしゃべっていた。「いわば隔離状態ですから、視聴者の方々の励ましから勇気、元気をもらいました。ありがたかったですね」

 またしても、隔離と言っても家族だから限界はあるよな、うつるうつらないは運だな、マスクの問題ではないだろう、と思うのだった。


2018年2月24日(土)

 昨日配偶者も「B型」と判明、タミフルを飲むようになった。インフルに罹っていないのはひとりわれのみ。こうなると、隔離されるべきは自分か?

 ふたりとも食欲がない、食べれば吐くという理由で、昨夜の夕食はひとりで摂る羽目になった。(おかげてつぎの日の朝食と弁当はまったく同じメニュー)

 仕事から帰ると姉から荷物が届いていた。そこには手作りの冷凍したお好み焼きがいくつも入っていた。偶然とはいえタイミングのよい贈り物だった。早速ふたりは半分ずつ食べたという。

 今夜のぼくの食事は大阪風のこのお好み焼きだった。まだひとりで食べることになったものの格別の味がした。頼まれた咳止め薬はいつの間にか居間から消えていたが、28時間前に顔を合わせて以来娘とは一度も会っていない。どっちも隔離? とまた考えてしまう。


2018年2月25日(日)

 となりの部屋から悲壮な響きをともなった高い声が聞こえるのでそばに寄ってみた。額に手を当て、手を握って、どうした? と訊けば「警察を呼んで!」と二度言う。

「夢を見ているんだろ?」なだめると「いや、夢ではない」きっぱりと否定する。あとになって、とても怖かった、と配偶者は告白した。夢のストーリーは詮索しなかったが、いずれタミフルの副作用でもあったか。

 となりのTさんが作りたてのアップルパイを差し入れてくれた。食欲が戻ってきた2人はよく食べた。いちばん食べたのはひとり元気なぼくである。きょう一日、買い物、夕食づくり、洗いものなどに精を出した。少しは感謝されるかと思いきや、娘からは思いやりとかデリカシーがない、いちど病気になってみればいい、などと辛辣なことばが返ってきた。鋭いところを衝いている。


2018年2月27日(火)

朝、たまには道順を変えようかとふと思ったが、結局いつもの道を走っていた。自宅を出て40分ほどのち、富家病院前の通りを三角交差点に向かっていると車の流れがいつもよりも悪い。前方でUターンする車が何台も出始めている。そのおかげで前に進み、理由が判明した。

交差点手前の高速下の側道から右折で通りに入ろうとした10トン車が曲がりきれなくて道路を塞いでいるのだった。行くもならず戻るもならず、の状態らしく、運転手が乗り降りを繰り返している。待つ身にも思案のしどころであった。そこでこの歌を思い出した。

 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 (蝉丸)

結局Uターンして別の国道に迂回した。変えてみようと思ったまさにその順路である。


2018年2月28日(水)

最も日数の少ない二月、その最後の日に記事を残さないのは信義に悖ると思った。よく働いた一日だった。帰途につく頃は右肩がハンドルを回せないほどに痛く、何度も睡魔に襲われた。あわや追突、という場面が何度かあった。

帰宅早々にシャワーを浴びるといきなりからだがシャキッとした。回春とまではいえないとしても、まだ明日への活力は残っている。いよいよ3月。



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