日 録 「せーの、いの一番 

2018年3月2日(金)

 休日なのに4時前に目が覚めた。あたたかい朝だった。いままでの寒さがうそのようである。歯医者の予約が10時にはいっているので、それまであと6時間。カウントダウンに入るにしてもまだ早い。2時間ほどしてから再び眠った。

 9時30分には歯学部付属病院に着いたが、改めて予約時間を調べると10時30分になっていた。おまけに前の人の治療が遅れて診察室に入ったのは11時前だった。

 先回取った歯型が実物そっくりでびっくりした。それを前に、欠損している3本をどのように補填していくかの説明を受けた。前後の歯をけずって平らにする、ワイヤーを通す穴を開ける、さらに正確に復元された上顎の空洞部分に書き込まれた黒い線は両側の入れ歯を結ぶワイヤーのイメージだという。

 今日は削って平らにし、歯型を取るところまで、あと2、3回の通院で完成といきたいですね、できればゴールデンウイークの前にでも。

 つけっぱなしでいいのですか。

 寝るとき、歯を磨くときには外してください。

 入れ歯のイメージはまだまだ遠いものの、いよいよ秒読み段階になってきた。


2018年3月4日(日)

 眠っても眠っても寝足りない。お腹がくちくなれば眠気が襲ってくるのは、条件反射みたいなものか、本能のままに生きる動物に還っていくのか。いやいや、春眠暁を覚えずの「域」に入ってきたのかも知れない。それほどあたたかい、4月下旬から5月上旬の天候というからびっくりする。

 根がいっぱい出てきたゴムの木の枝を鉢に植え替えた。長い間花瓶に挿したまま玄関に置いていたので、大仕事を果たしたような気になった。ほっとした。葉の落ちた龍眼の木も(一時的に)外に出した。こうなるとふたたび芽吹く日が楽しみになる。


2018年3月7日(水)

 ベッドに横たわったまま障子戸を開ければ縁台に乗せているゴムの木の鉢植えが見える。寒さなどを警戒して鉢植えには園芸用のグラスハイバーポールで桟を作り透明のビニール袋をかぶせているが、室内のあかりを受けて艶々しい緑の葉がビニールとガラス越しに目に飛び込んでくるのである。

 夜中ふいに目が覚めたときなども障子戸を開け、ガラスに付いた水滴を拭って、見る。風のあるときにはなかで葉も揺れている。ふたたび頑是なくなった「老人」が新しい遊びを覚えた風であると思いながら人工の鉢植えと自然が対峙する様を考える。「老人」は常に鉢植えの味方である。タイトルは「老人と自然」だなぁ、などと。


2018年3月9日(金)

 柳広司のエッセー「読書様々(さまざま)」(『図書』3月号)に刺激されて李陵・山月記・名人伝などが読みたくなった。昨日オムニ7(ネット通販)で注文したところ明日朝に指定したセブンイレブンのお店(ご近所)に届くという。

 この連載エッセーの通しタイトルは「二度読んだ本を、三度読む」である。この考えにはおおいに賛同する。いっとき“はまった”こともある。本棚の本を眺めながらなんといい本たちが入っているのだろうか、このまま朽ちさせていいのか、と思ったのがきっかけである。ちょっと不純ではあったが、次々に再読していった。これは読書様々(さまさま)。

2018年3月11日(日)

 東日本大震災から7年が経った。そのときはアルバイト先(狭山市)の倉庫で仕事をしていた。同僚が携帯のTV画面を見せてくれた。ひどいことになっている、と思ったが、倉庫はまったく安泰だった。

 夕方次の仕事場(国立)まで移動しなければならなかった。飯能までは車で行けたが乗り継ぐべき電車はすべて止まっていた。長い時間待っていたが、結局行けなかった。たったそれだけの記憶なので、その他のことで何か記録していることはないかと「過去の日録」を見てみた。

 ところが2009年の8月に旧パソコンが壊れたために以降日録再開は2011年4月となっていた。1年8ヵ月の空白の最後尾に3.11がすっぽりと入っていたのだった。一ヵ月が過ぎた4月、いろいろな思いがあったはずだが「ことば」としては残っていなかった。少し残念だったが、みんなと同じくどこかに希望の在りかを探っていたのはまちがいないと思う。

 その月の終わりには「明日は結婚式に招待されている」とあり、翌日「式は、なごやかで、明るく、「ふたり」の出発にふさわしい活気に満ちたものだった。人間が大好きで、人を信じ、人から信頼される、類い稀な心根を持つ花嫁は、終始いい笑顔をみせてくれた。参列したみなが愉しい気分になったのではないだろうか」と書き留めている。


2018年3月13日(火)

 ジャガイモを植えるために庭の一角を数日前に掘り起こした配偶者が「太い根が現れたのでなんとかして」と言った。ジャンパーを着て外に出たが気温がぐんぐん上がってきたので脱いでキンモクセイの枝に引っかけた。

 1平方メートル、深さ20センチほどの穴の底には直径5センチほどの太い根が横たわっていた。素手ではもとよりスコップや鍬でたたいてもびくともしない。そこでとなりのキンモクセイなどの木を伐って以来のチェーンソーを持ち出した。まわりの土をも蹴散らしながらむき出しの根は難なく寸断された。何の根かわからないがこんなところでチェーンソーを使うとは考えもしなかった。

 ついでに穴を広げ、深く掘った。石ころと粘土ばかりだった。そこに土を入れ堆肥、腐葉土を混ぜた。あとはジャガイモを植えるだけである。こんな作業は久しくしなかっただけに新鮮だった。汗もかいた。向かいの畑では近所の人が耕運機で土を掘り起こしている。ものみなが動きはじめる春の一日だった。


2018年3月17日(土)

 シャンプーがなくなっていたので石けんで頭髪を洗った。これをやるとかつて義兄と行った銭湯の一場面を思い出す。大学生になりたての頃だから昭和42、3年である。夜風が冷たかったのでちょうどいまごろの季節だったかも知れない。

 鏡の前に並んで坐ると「大阪で阪神の悪口言うたら、そりゃ怖いぜ」唐突に自身の経験を交えて話した。シャンプー忘れてきた、と言うと「そんなもん、石けんで十分や」義兄をまねて頭に石けんをこすりつけた。そりゃそうだなぁ、と納得した。とてもシンプルで、素晴らしい発想に思えた。

 たったそれだけの記憶だが、いつまでも忘れない。恩義深かった義兄は5年前の秋に突然逝き、いまはもう逢えない。おまえが女の子だったらうちの(実姉)はもっと嬉しかっただろうなぁ、ということも言った。ぼくのなかに女性的な何かを直感したのだろう。鋭い洞察力をも持っていたと感心するのだ。


2018年3月18日(日)

 意を決して下水管の掃除、通称ドブ浚えを行った。期せずして3年前の3月17日の「日録」に半年振りにやったという記載があることを知った。原因と作業の手順を丁寧に(?)書き、「今回は(泥の詰まった管が)貫通するまでに先回よりも長い時間がかかった。長い間ほったらかしにし過ぎたか。こんどはもっと早くやろう。先回もそんな反省をしたような気がする。」と述懐している。

 このたびの「ほったらかし」は確信犯的である。2、3ヵ月もするとまた詰まるので嫌気が差していた。少なくとも一年半は経っている。台所直下の水槽はヘドロが凝り固まっていた。「歴史は繰り返す」みたいに3年前と同じ時期にせっかく意を決したのだから、抜本的な対策を講じようと思った。

 ここにくるのは基本的に(汚れた)水だけだから、壊れた洗濯機のホースを切り取って管と管を直接つないでみた。泥が堆積する水槽に負担をかけないようにするためだった。成否はしばらく経たないとはっきりしないが、2時間近くかかった泥まみれの作業を終えた。

 ついでに、裏庭の地続きにあった合歓の木の残り株を切ってしまおうと考えた。チェーンソーを出すまでもないだろうとのこぎりで切り始めた。ところがこれの切れ味が悪く、半ばまで切れ込みを入れたところで手を使って折ろうとした。折れた拍子に先端がおでこを直撃。傷とたんこぶができ、ずきずきと痛むので、冷却剤で長い間冷やした。

 どこに災難が潜んでいるかわからないものである。「ほったらかし」の罰だったのかも知れない。


2018年3月23日(金)

 4、5日前、やたら鼻水が出る、喉がいがらっぽい、など諸症状が現れた。咳と熱はないのでいまのうちに退治しておこうと葛根湯を続けて飲んだ。そのおかげか依然声はかすれているものの、ひどくはなっていないようである。明日までの「6日連続出勤」をふだん通りにこなしてきている。
 
 諸症状、こちらは風邪だと思っているが「それは花粉症のはじまりなのかも知れませんね」と身近な若者は感想を言う。「スギが終わっていまやヒノキの時代。変わり目ですからね」

 アホエン信奉者にも風邪は容赦なく迫ってくる、年齢とサプリメントの戦いだなぁ(BS、CS番組のコマーシャルを想起しながら)などと悲嘆している身に、これは重大な見立てである。もし花粉症なれば、毎年苦しい思いをされている人を身近に見ている(さっきの若者もそのひとり)だけに辛いものがある。これだけは勘弁してもらいたい。


2018年3月25日(日)

 中島敦『山月記』の一節、

「格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡さを思わせるものばかりである。(略)なるほど作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるには、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか、と。」

 これは虎になった詩人「李徴」から「いまなお記誦せる数十の詩編」を聞かされたかつての友の感想である。虎の李徴はこの直後に「臆病な自尊心/尊大な羞恥心」と自身が陥ったところを分析する。たしかに誰しもが一瞬立ち止まって考えさせられる文言であるが、ぼくがはっとするのは引用部分の方である。

「どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがある」という的を射た批評。至言である。いまある世界を突き崩す構造がないと作品として自立しない、と読み替え、そこに至らしめる道がいかに遠くけわしいかを思うのであった。


2018年3月29日(木) 

「できあがったらいの一番に読んでください。」

 ん? いの一番? MP・岡田さんへのメールのなかに使ったあとで、これはまた古いことばを記憶していたばかりか、思わず口(?)を衝いて出たことにおどろいた。あえてそのまま送信した。

 いの一番と言えばうま味調味料の商品名として有名である。味の素やハイミーとおなじ部類に属する。1961年に発売されたこの商品によって記憶されていたのだったが、こんかいネット上で語源を知ることになった。

【語源】 柱の番号が語源。昔の図面では柱の順番を横(縦)方向に「い、ろ、は、……」縦(横)方向に「一、二、三、……」と記載していた。一番最初に建てられたのが 「いの一番」の柱であったためこの言葉が生まれた。

「いろはにほへと」の一番はじめであることから「真っ先に」を強調するように「いの一番」といったという説もある。これなどは「あいうえお」なら「あの一番」、「ABC」なら「A、ファースト」に通じるところだが、大工さん用語の方が断然いい。建てはじめるときに大きな声で「せーの、いの一番」と叫んだというから、一種の縁起モノだったとも思えるからだ。

 ところで、かつては食卓に「味の素」があり沢庵にも味噌汁にもなんにでも振りかけていた。あの習慣はどこへ行ってしまったのだろうか。


2018年3月30日(金)

 午後歯学部付属病院へ。入れ歯の模型ができていたので何回か着脱を繰り返して咬合を修正してもらった。模型なので歯の部分は「ろうそくの蝋」でできている。先生はアルコールランプでナイフの先を暖めては蝋の歯を成形していく。これを元に別の素材で入れ歯を作るのだという。

「自分でやるのが一番いいのですよ。人に任せると、納得がいかないことが多くて」
「器用さがいりますね」
「実習のときは、私も苦労しました。なかにはいかにも不器用な人もいますけどね。私はそんなでもなかったみたいで」

 成形し終わって先生はアルコールランプを蓋で覆って消した。消えると同時に蓋をいったん持ち上げて蒸気を逃がした。きまりに則った一連のその操作があまりもなめらかなのでみとれていた。

 歯ではじまって歯で終わる、弥生3月である。


2018年3月31日(土)

 夢のなかで指数方程式を解いていた。「2のx乗=28」の類である。見事解けて、よしこれで先に進めるぞ、と思った矢先に目が覚めた。

 どこに行くかはわからないが、愁眉を開いたのである。あくまでも夢の話であるのは無念。


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