日  録 「I'm happy to see you」 

2018年5月1日(火)

便りのないのはよい便り、などという諺があったような気がする。生活に忙しいので便りをするヒマもない、元気な証拠ではないか、というのである。ところがお互いこの歳になればそんな悠長なことも言っておられない。

2日経っても3日経ってもメールの返信がないだけでそわそわしはじめる。友人の身に何かあったのではないか、GMだから夫婦そろって海外旅行でもたのしんでいるのかな、いろいろ想像を巡らせる。今日こそ返事がくるだろうと思うもののやはり急いてついに電話をする。

「いまカープが熱々になっているぞ」元気な声にほっとするのである。この諺は、半分は有効であった。


2018年5月3日(木)

未明から今日にかけて春の嵐がやってくるというので構えて待っていた。ところが内陸部の当地はさほどのこともなく朝を迎えた。風もなく、やがて雨は止んだ。不謹慎にもちょっとがっかりしたものである。

午後、配偶者の買い物に付き合う。新装なった大型スーパーの子供服売り場で後をついて歩いていると

「I'm happy to see you」

 と前面にプリントされたTシャツを手に掲げて思案している。お、ぴったりだ、と思いそれを買うように促した。

孫はどんどん成長してもはや赤ちゃんではないのに、離れて住んでいるゆえかいつまでも赤ちゃんのような気がする。そのあと食品売り場でベビーカーに坐るホンモノの赤ちゃんにじっと見つめられた。顔を幾様にか変化してみたがついに笑ってもらえなかった。しかしこれもこの日一日の happy である。


2018年5月5日(土)

 昨日も今日も朝の通勤路が空いていた。40分ほど前に到着して昨日はひと眠りして体調を整えた。GWのおかげ、いや余禄に預かっているような気分だが、慢性的に人手不足の職場は気ぜわしさが蔓延している。今日はすぐに仕事に入った。

 合わせて2時間ほどの残業をして帰宅すると足腰がいつになくだるい。ベッドに横たわるのにも痛みを庇わなければならない。まったく不都合なからだになったものである。いつしか横になって知らないうちに眠っていた日々はいずこ? 「バタンキュー」が口癖の大酒飲みの友人がいたことを思い出した。バタンはわかるが、キューはなんだろう? 


2018年5月10日(木)

『罪と罰』(江川卓訳)を読み始めた。文庫で全3冊、まだ「上」の半分くらいである。これまでに少なくとも2回読んでいる。先回は10年ほど前だった。読みやすくなった文庫本を新たに求めて読んだ。そのときの感想などはもはや思い出せないが、今回は冒頭からぐいぐいと惹き寄せられる。とりわけドゥーニャやソーニャ、ナスターシャなどの女性の行く末、描写にわくわくしている。


2018年5月13日(日)

 7日ぶりの休日で、身も心も、のうち「身」がくたくたになっていた。いつも通り5時に起きたもののパンを食べたあと2時間ほどまた眠った。起きて早々、10時前に買い物その他のために外出、戻ったのがお昼である。昼食をとるとまた眠くなってきた。ここはまだ雨は降っていないがもしや西日本は本降り? と気づいた。案の定マツダスタジアムのカープ戦は中止だという。落胆と幸せが同時に訪れ文庫本(『罪と罰』)片手にベッドに潜り込んだ。

 夢の舞台はかつての住まいとおぼしき団地だった。階段で若い女性ふたりとすれちがう。ひとりはかつての教え子のNである。もうひとりはNが研修のために連れ歩いている新入社員で胸に丸いワッペンをつけている。そこには赤い「研」の文字。

 お互い時間に追われる身だったが「せめてコーヒーでも」とふたりを誘う。応接間(そんなモノはなかったはずだが)は散らかっていますよ、と出迎えたこれも教え子のYが言う。居間でいいよ、と答える。会社が急成長を遂げ所在地がコロコロ変わるなどいろいろ話を聞いていると、いつしか居間はあふれんばかりの人だかりであった。田舎の兄もいる。

 場面が変わって小さな車に段ボール箱や紙の束を積み込んでいる。みるみるうちに満載となって、一緒に乗っていくはずのEightの席がない。トランクに移すなどしてうしろの席をひとつようやく空けたものの、運転席が埋もれている。立ったまま運転しなければならなくなり、おまけに重量オーバーのせいかブレーキが利かないのだった。

 見送りに出てくれている大勢の人(さっき居間にいた人たち?)に突っ込みそうになったり、公道に出るときには一時停止ができない。ずるずると滑り込むようにして公道に出た。そこで目が覚めた。あわや、という事態にならなかったのはよかった。

 たった2時間の昼寝のなかでにNやYなどいま逢いたいいろんな人に出会えたのはよかったが、身がくたくただと夢も目茶苦茶になるという実例だったのかも知れない、半ば苦衷あり。


2018年5月15日(火)

 入れ歯がやってきた。上と下にひとつずついわゆる部分入れ歯というやつである。今日のところは付けたり外したりが上手にできるようになっただけで、2年間通い詰めたわりにはまだ恩恵が少ないような気がする。入れたままでいると口の中に異和が広がり、いざものを食べる段になっても思うように噛めない。つい外して食べることになる。(これまで不都合はなかったのだ)

 初日だからまだ慣れないのだろうと思うものの、やはり本末転倒のような気がする。二年前のこの日の日記には「フランスパンをかじっていて前歯が欠けた」という記述がある。そこから歯医者がよいが始まり、いくつかあった虫歯を抜いたり、治療してもらったあとに前歯のかぶせもの(クラウン)に続いて部分入れ歯ができたというわけである。

「問題が起こらないことがないのが入れ歯というものですからなにかあれば連絡ください」とお医者さんは言ってくれたが、入れ歯をつけているとしきりに唾液が出て、日常から遠ざかっていくようである。やがて、本当に、これでものを噛むことができるようになるのだろうか。


2018年5月18日(金)

 このところ最も関心のあるのは入れ歯のことである。でそのことを書く。いわば入れ歯異聞である。上のは左右一体型とでもいうのか金属のブリッジでつながっている。ブリッジは上顎にピッタリと密着して、右ふたつと左ひとつの義歯を支えている。下は右奥の親不知と犬歯に輪っかをはめて二つの歯を補填する仕組みである。

 まだうまく噛めないので食べるときは外している。これが情けない。せっかく作ってもらったのにいまだ用を足さないのである。外に出るとき下だけを填めて出かける。上はなんとも大げさで、口中に唾液を呼び込む。下は大きく欠損した部分を隠してくれるので見た目にもよいのである。

 弁当の時間に、慣れなければという強迫観念もはたらいてそのまま食べた。時間はかかったが終えることができた。何度か外そうと思った。その方がスムーズで味もわかる。よく我慢したものだが、充実感はない。

 帰りの車の中で大福餅を食べはじめた。入れ歯を填めたままだとなかなか噛み切れないので、喉に詰まらせたら大変という危機感がやってきた。仕方なく外して食べた。あぁ、まだまだだ。入れなくても食べられる(その方が楽ちん)のがいけないのだろうか。入れ歯生活、道まだ遠し、である。


2018年5月24日(木)

 ことのほか寒さの厳しかった今年の冬に、蜜柑の木が枯れ、龍眼の木が枯れてしまった。

 かつてのように、枯れた幹からいつしか新しい芽が出てくることを期待しているが、今日現在その兆しがない。ダンゴムシが数匹枯れ枝を往還するばかりである。ときにダンゴムシは幹の股あたりでじっと佇んでいる。毎日せっせと水をやり、陽に当ててやるのができる精いっぱいのことである。

 蜜柑の木の両となり、春が来る前にバッサリと伐った(チェーンソーで!)キンモクセイと柿の木からは新緑の幹芽が旺盛に吹き出している。彼我のちがいは太さ、高さ、年季であるがかなり「けなりぃ」(うらやましい)のである。毎日、いまかいまかと、身近に眺めながら祈り呟いている。それは希望である。


2018年5月27日(日)

 朝。庭の畑ではじめてキュウリが一本獲れた。パンを食べたあとだったが、初物なのでかじりつきたいと思った。手で折って配偶者に半分渡すと、ドレッシングを取りに行った。ぼくは50%塩分カットの「やさしお」をつけて食べた。格別の味がした。

 しばらくして、国立の塾ではカッパ(敬称抜き)とあだ名されていたことを思い出した。数人の女子中学生の間だけだったがなぜカッパだったのだろうか。

 顔や頭が似ている、といってももとより想像上の動物である。とても根拠はうすかった。半日近く考え続けたがついに思い出せない。当時名付け親の中学生から謂われを聞いているはずだったからである。

 遠野物語や芥川龍之介や清水崑を思い浮かべて、これは悪くないあだ名だと思ったことはあった。初物のキュウリを食べてまたカッパに近づいたか。


2018年5月30日(水)

「おかえりなさい」という中島みゆきの歌があるが、口語的に「なさい」がぼくは言えない。生まれが関西のせいか、「なさい」は上品すぎるので「おかえりやす」になってしまう。「おいでやす」はさすがに使うことはもうなくなったが、この「やす」って何だろうとふと疑問に思った。

三省堂大辞林(WEB版)によれば、

[「近世語で、語源については、「やんす」「おわす」「ます」など諸説ある。現在でも関西地方で用いられる。(ア)丁寧の意を表す。ます。「ここにありやす」(イ)接頭語「お」を添え、そうすることを相手に望む意を表す。なさい。「早うお帰りやす」「おいでやす」]

とある。おなじ「やす」でも「おかえりやす」と「おいでやす」とでは意味が微妙にちがってくるのだなぁ、と思う。いや、丁寧と相手への望みの両方を兼ねていると考えることもできる。歌舞伎や浄瑠璃の心中物でよく使われていたというからそこに敬意や親愛の情がこもっていても不思議ではない。なかなかいいではないか。この言葉、せいぜいおつかいやす、なのか。

もうひとつ。語源のひとつとされている「やんす」は江戸っ子のことばである。[がんす」はどこだったか。広島だったか。また調べてみたくなる。

 


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