日 録 久々のめいぼはなんの徴? 

2018年6月1日(金)

 朝飯前とはこのことであった。長らく切れたままだった車のスモールランプ、前夜YouTubeで交換方法の映像を見ておいた。この頃は夜明けが日ごと早くなっていく。待ちかねて取りかかった。

 ラジエーターのホースなどが入り組んでいてなかなか該当のソケットに手が届かなかったが、向きを変え、少々の痛みを我慢して引き抜いた。あたらしい電球を差し込んでソケットを元に戻す。これで完了だった。すべてはマニュアル通りである。10分ほどで済んだ。

早く直してもらわなければ、と修理店に持ち込むことばかりを考えていた自分がまったく不甲斐なく思えた。きっかけは、そんなに複雑で専門家にしかできないなんてことはないはずだという「発想の転換」だった。「電球の交換くらい、」と云々。いまごろ気づくなんて何年車に乗っているのよ、とは配偶者の弁であった。


2018年6月2日(土)

 アルバイト先の都合で今月から休日が土曜と火曜になり、勤務時間も変更になる。今回は「月替わりのマジック」がはたらいておとといに続いてのお休み、いわゆる「飛び石連休」(これはもはや死語?)となった。人手不足は相変わらずで本格的な暑さに向かって連日残業の日々が予想される。せいぜい英気を養っておこうと、読書などに精を出そうとするものの、時を措かずに居眠りの仕儀となる。

 この日録も第187集になる。月替わりには新しいファイルを作って、必要な個所だけを変えてHP上にアップすることになる。先々月あたりから、ブラウザ(Google Chrome)にすぐには反映されないことに気付いた。リンク先は間違いなく「diary 187」に変わっているのに画面では先月の日録(「diary 186」)が表示される。ただ、IE(Internet Explorer)で閲覧すると正常になっているのである。

 Googleマジックか。それがいつの間にか正常に戻るからおかし。新たな謎である。謎は解きたい。


2018年6月3日(日)

 外はかなり暑かったらしい。冷蔵庫内で仕事をする身には一向に存ぜぬことであった。残業を終えると外はもう暗かった。空には一番星が輝き、吹く風もどことなく爽やかである。季節がいまどこへ向かっているのかわからなくなった。昨今いろいろな場面で感じてしまうミッシングである。見失う瞬間。
 

2018年6月5日(火)

 またひとつ新たな謎が出来した。

 玄関のチャイムが鳴り響くのでなかから大声で返事をしながら戸を開けてみたが誰もいない。あたりを見渡せど人の気配はない。三日前にも同じことがあった。鳥がタッチしたか、風のいたずらか、あるいは電磁波がどこからか届いて誤作動したか、などとつたなく想像を巡らせたのだった。

 いろいろ変遷があってここ2年来、REVEX製のプラグインチャイムX200、というのを使っている。勝手に鳴るのは記憶のかぎりこの2回のみである。今日は、ボタンのそばに5ミリばかりの蜘蛛が這っていた。ぼくの顔を見ると慌てて逃げ出したようだった。

※7日、リーベックス株式会社から「問い合わせ」に対する回答メールがあった。それには「出荷時同じIDコードになっています。そのまま使用しますと、電波の届く範囲で同じXシリーズを使用しているとそちらの電波も受信します。IDコード(矢印の向きを変える操作)を変更してご利用いただくようご案内しています。」とある。

 変更方法も詳しく説明されているが、いまのところそのつもりはない。小動物のせいか、神秘な現象のせいだとよかったのに。ところで、そうだとすれば近所で同じチャイムを使っている人がいるということになるが、こちらが鳴ればあちらもまた鳴るのだろうか。その家がどこか、新たな興味が湧いてきた。


2018年6月8日(金)

ロージャ、雑誌に載ったおまえの論文もう三度も読んだんだよ、ラズミーヒンさんが持ってきてくださってね。/ラスコーリニコフは雑誌を手に取ってちらと自分の論文を見やった。/それでも彼は、はじめて自分が書いたものが活字になったのを見るときに著者が感ずる、あの奇妙な、甘ずっぱい気持ちを味わった。まして彼はまだ二十三歳だった。/

「亡くなったお父様は二度も雑誌に投稿なさってね。、最初は詩で、二度めはちゃんとした小説だった(わたしは自分から頼んで、清書させてもらったものさ)、ところが採用になるようにってふたりで一心にお祈りしたのに、とうとう採用にならなくてね!」(『罪と罰』江川卓訳、下巻331ページから333ページにかけて)

江川卓には謎解き三部作なるものがあるが、〈謎解き『罪と罰』〉だけが見つからない。訳者がこんな些細なエピソードに言及したかどうかしらべたいのだが。

2018年6月12日(火)

 6連勤をやっと終えて(午後からは大気不安定、雷や大雨が予報されていたが)梅雨の晴れ間みたいな休日である。切れたままのウインカーランプを取り替えねばならなかった。

 このランプ切れはおとといの夜に発覚した。右の方向指示灯をつけると点滅が異様に早い。心臓が早鐘を打つが如し、運転者の体調まで悪くなっていくようである。はじめて出合う症状だったのでネットで調べると電球が切れているサインとある。3個所のうち前方のランプが消えていた。

 この状態できのう一日を過ごした。うしろの車への合図はできるが、対向車への合図が不能状態である。いつもの通勤路で何度右折するかを数えてみた。7回あった。その都度脈拍数は異常に増えていたにちがいない。

 朝になって、お店に向かう前にボンネットを開けてソケットを取り外してみた。(今月初めにスモールランプの交換をしているので慣れたもの!)オレンジの点滅灯を抜いてかざしてみたが切れている風ではない。もう一度填めてウインカーを倒すと点いたのである。この休日に真っ先にやろうと思い決めていたのに出鼻をくじかれた感じである。

 この車はかつて、消えたヘッドランプを叩けば点いたものである。そのときは自動車部品店に交換を依頼したが「電球は切れていませんので」とそのまま返された。その後何度か点かなくなったが、その都度叩くと点くのであった。面白がって人前でも試したが、そのうち、半年ほど経った頃、本当に切れてしまった。

 こんどはどうだろうか。あれこれと、原因不明の現象が起こりすぎる。


2018年6月13日(水)

 入れ歯ができて約一か月、見映えのために下のだけははめるようにしてきた。上は大仰すぎてだめである。作ってくれた歯医者さんには悪いが仕舞ったままである。下のも食べるときは異和があるので外してきた。使い方が本末転倒、うしろめたさがあった。

 今日お昼に弁当を食べたあとで再び装着しようとしたところ、はまらなくなった。カチッという音がせずゆるゆるの状態である。こうなると、意地でも填めたくなる性質だが、あれこれやってみたがだめであった。外している数十分の間に何が起きたのだろう。

 せっかく入れてもらったお茶を忘れる、箸箱には箸が入っていない、と今日は非日常的なことが次々と起こった。そんなこととどうしても関係づけてしまうのだった。故に謎というのだろう。

 そう言えば、夜になって誰もいないのにまたチャイムが鳴った。今日は何回かあり、そのたびに出なければならない、と配偶者が困った顔をするので、意に反してメーカーに教えてもらった工場出荷時のDとやらを変更した。これで同じモノを使っていると思われるご近所の電波を拾ったりしないはずである。試しに押してみてよ、などと確かめることができないのが残念である。
 

2018年6月16日(土)

 梅雨寒の数日間である。半袖では過ごせない。本棚から何気なく取り出した司馬遼太郎『幕末』を読み始めて、2、3篇のつもりが全12篇をすべて読んでしまった。つい引き込まれた、というべきか。


2018年6月17日(日)

「父の日」のプレゼントにドリップコーヒーと小さな羊羹セットをもらった。歳を取るにつれて甘い物に目がなくなってきた。アルバイト先では60前後の人何人かといつしか「物々交換」をするようになり、この日などは「奈良のうまいもんを取り寄せていますので」などと聞いてお裾分けが俄然楽しみになったほどだ。

 ドリップコーヒーには「トートバッグ」が付属していて「これを持って外に出かけよう」などと書かれている。ここに「おやつ」を入れて出勤すれば乙な物かも知れない、とっさにそう考え、家の者に言えば苦笑される。ドラえもんの4次元ポケットみたいに、このなかから次々とスイーツが出てくるようになれば、みんなは驚くだろう、などとこちらはほくそ笑む。仏前には甘い物をと言われる。生前左党だった人も仏様になれば甘い物を好む。とすればだんだん私めも仏様に近くなっているのか。これは笑っていられまい。


2018年6月19日(火)

 三人で埼玉医科大学国際医療センターに出かけた。診察室にはふたりが入り、ぼくには来るなと娘は手で制した。ぼくの役回りは送迎運転手であった。

 はじめて来たが、住まいから車で10分ほどのところにあった。小高い丘のうえに建物群が燦然と建っていた。ひろびろとした駐車場がほぼ満杯なのでかなりの人が来院しているはずだった。しかし中に入ってもそんなに混み合っている感じはしなかった。とてもゆったりとしていた。

 ここには保健医療学部が併設されている。ふたりの教え子が同じ頃に入学している。もう10年も前になるのでいまや立派な看護師さんか臨床検査技師かになっているはずだった。もしやここで働いていやしまいかと目を凝らしていたが、かの人たちはほとんど通りかからないのだった。建物の中も広く、機能が効率よく分散されているのだろう。

 帰りがけにスターバックスのテラスで休んで帰った。前は緑の小山、うしろはヒポクラテスとナイチンゲールの全身肖像画だった。


2018年6月20日(水)
  
 18日大阪で大きな地震があった。姉の元には見舞いの電話がいくつか入った。そのうちのひとつはふるさとの叔母からのものだった。もうひとりの叔母(母の末の妹)は足が痛いので手押し車を押して毎日お宮さんにお参りしているという。ここではみんな手押し車を押している、とも付け加えた。みんな高齢になった、何年も帰っていない山間の村も必死に生きている。

 このところの白日夢では、畦道を颯爽と歩く姉の奉公先の主人を見る。肩に生舟のような長方形の木箱を担いでいる。そこに入っているお菓子を縁のある家々に配り歩いているのだった。遠く眺めているとわが家にもやってきた。入れ物を持ってきなはれ。ぼくに言いつける。土間を走って台所からおおきな皿を持って戻ると主人は無造作にあん巻きをいくつか入れていく。ぼくの顔をじっと見て姉の弟と認識したのかさらに数個を足した。

 あれはうまかった、どこのものか。といま思うと、三河名物大あん巻きであったのかも知れない。もう一度食べてみたいと思った。郷愁とともに。


2018年6月21日(木)

夏至の日。日没が午後7時だったという。家に着いたのがちょうどその頃、まだ外は明るかった。一年の折り返し点がもうすぐやってくる、早いなぁ、となぜか嘆息。


2018年6月23日(土)

 枝元剪定の度が過ぎたせいか今年は梅の実が収穫できなかったが、数日前に緑の葉に隠れるようにしてひとつ残っているのに気づいた。今日それはオレンジ色に変わっていた。取ろうして触れるとポトリと落ちたので、拾って匂いを嗅いだ。上品な甘やかさがあった。かじることもできたが、車の中に残しておくことにした。熟れた実は花の香りを凝縮して引き継いでいるのかも知れない。「梅の香り」を検索すると沖縄民謡が多くヒットして嬉しかった。

 サッカーW杯ロシア大会の話題のなかで「赤の(クラスナヤ)広場」がテレビに映し出された。遠い昔に聞いたことがある、なつかしい固有名詞に思われた。いつの間にか「天安門広場」にとって代わられた感がある。ウィキペディアによれば「クラスナヤ」は、ロシア語で「赤い」を意味するが古代スラヴ語では「美しい」を意味するらしい。革命の「赤」ではないというのは新しい発見だった。

 三つ目は「黒いキリスト」である。『謎解き『カラマーゾフの兄弟』』(江川卓、新潮選書)に出てくるのだが、「カラ」の語源は「黒」、アリョーシャは「黒いキリスト」として人格完成していく、と著者はいう。これは再読しなければと思った。

雨音を聞くと心澄みゆく心地がする。雨が降るのに梅雨の晴れ間、であるかと。本日の三題噺。


2018年6月27日(水)

 4、5日前から、左目下まぶたにものもらいができている。ずいぶん久しぶりな気がする。赤く腫れているが、痛くもなし、痒くもなしで、毎日目薬を差してきた。やっと膿が出てきたのでそろそろ寛解に向かうのかも知れない。

 ものもらい、全国各地でいろいろな呼び名があるようだが、小さな頃ぼくらはめいぼと呼び慣わしてきた。「めいぼめいぼ、とんでいけ」と呪文を唱えたことを思い出した。小豆を一粒井戸に投げ入れるともっと効果的だった。大人に教えられて実際にそうするのが常だった。するとすぐに治った、かどうかはもう覚えていない。はるか昔のことである。

 いまならどうだろう。小豆のある家などきっと稀だろう。たまに置いていたとしても、井戸がない。せいぜい近所の池か。ちなみにわが家には小豆はないはずである。近くの池や泉も思い浮かばない。迷信を実践する環境がもうない。

2018年6月28日(木)

 けさ早くからK病院に出向き血液、心電図などののちその結果をもとに診察。人間ドックでここ数年来「要治療」の指摘のあった「心房細動」、説明を聞いて納得した。ついに薬が増えることになった。その効能は抗凝固。いわゆる血液さらさらか。これが血栓を予防するという。血液検査で効果のほどがわかるので、3週間後にふたたび。その薬を手に昼前に帰宅した。

 午後になってこんどは突然はまらなくなった入れ歯を持って歯医者さんに行く。これもそういうことを想定した上での「予約」だった。難なく直してもらって、歯医者はやっと卒業。ただ入れ歯はなかなかなじまず、食べるときは外すという、本末転倒状態。この辺は、丸2年間通った甲斐があるのかないのか。

 いや、あるのだろう。口腔衛生は俄然改良されているし、欠けた前歯も修復されている。この年になってやっと歯医者恐怖症がなくなった。ともあれ病院のはしごは疲れる。


2018年6月30日(土)

昨日梅雨が明けたという。今日の帰路、行く手の空に稲光を何度も見た。北東の空かと思われる。かつては雷と梅雨明けとを関連づけて節目を実感していたことを思い出した。このところ気象と季節のずれが大きくて、年々新しい事態が起きる。忙しいのである。この稲光、あかね色をしたなかなか品のあるものだった。音は聞こえなかった。



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