日  録 かぎりある肉体?? 

2018年7月2日(月)

 いきなり真夏の暑さである。冷蔵倉庫のなかで仕事をしているのに汗をかいた。残業時間帯に入ってかなり経ち、同僚の応援を得て早く終わらせようと必死で動いていると下着一枚の上に半袖の制服なのに汗だくになっているのだった。

「汗、かかない?」とジャンパーを着込んだ防寒仕様の同僚に聞けば「全然」と答える。彼我の差はなんだろうと思ったものである。年齢差20である。仕事力は格段にちがうので、力を入れ込む向きが逆なのか、とあらぬ考えに囚われた。


2018年7月3日(火)

 午前4時過ぎに目が覚めたのでテレビをつけると2対0である。そのまま最後まで対ベルギー戦(W杯ロシア大会決勝トーナメント)を観戦した。結果は鮮やかな逆転負けであったが、悔しいとか悲しいとかの感情は湧かず、背の高いベルギー選手のヘディングシュートを思い出して改めて瞠目したのだった。あれで入るのか、すごいものだ、と。

 午前中に所用を済ませてからは猛烈な暑さにぐたっとしていたがネット上で朝日新聞社の「スポーツについてのアンケート」に答えた。ほとんど夢見心地である。というのは、「どんなスポーツをしていますか」「18歳以下のお子さんはいますか」などなど、すべての設問はこちらにはもう回答する資格がない、当の新聞社にとっても役に立たないだろう、と思えたからだった。それでもとりかかったうえはと、最後まで答えてしまった。

 そして、「平等で、プログレッシブな社会を」などという文脈で使われる「プログレッシブ」という単語に行き当たったのである。日本語にすると垢にまみれた政治用語の感があるが、英語読みだと背筋が伸びる。かつて「アグレッシブ」というのもそんなことばのひとつだった。もともとは侵略的などの負の意味を持っているようだが、よい意味としては「どんどん攻めていく」(人生のことである)となる。


2018年7月7日(土)

 ネットで『新潮』八月号(四方田犬彦の作品が目当て)を予約したあと、異例にもネットに公開された、いま話題の『美しい顔』を読んでみた。この小説、題名は素敵だが、題材の支離滅裂さに閉口した。あっちへ、こっちへと引っ張られて、収束感がないのだった。

 盗用云々のことは確かめていないが、なぜ、主人公が東日本大震災の被害に遭遇した女子高校生でなければならないのかが納得できなかった。「7歳の弟」や「となりの奥さん」の存在が自分発見のカギ、つまりモチーフだとすれば、ほかの設定ができるはずだった。これはオリジナリティにもかかわる問題である。

 苦労を回避してはいけない。つい楽をしたくなるのは根気がなくなっているからだった。待ちに待った休日だからこんな贅沢もできる。他山の石。


2018年7月10日(火)

 朝早くから背中に当たる陽射しが痛く感じられた。そのころ配偶者のお供でスーパーに買い物に出かけた。お魚コーナーで彼女が品選びをする間、黒板の魚の漢字表を読んでいった。すべて読める自信があったが「鱧」のところでつまずいた。悔しさ、無念さから調べてみた。「はも」だった。

 午後、枯れた蜜柑の木の前でうずくまっていると通りかかった人が立ち止まった。はじめて見るご婦人だが日傘を差して団地の奥から出てきたので近所の人だろう。「暑いですね」というのが挨拶だった。

 この木は何の木と聞くから蜜柑と答えた。どうして枯れたの? この冬の寒さにやられてしまって、ふたたび芽が出ないかとずっと待っているのですが、と言うと、あら、そこに出ているわよ、と大きな声で教えてくれた。幹から出てくるものとばかり思っていたのに、根から直接若芽が出てきたのだった。これぞひこばえか。この暑さでひょっこりと起きたのかしらね。よかったね。そう言って発見してくれた人は立ち去った。


2018年7月14日(土)

 スーパーの入り口付近にある「ハニーズ」の前で買い物かごをカートに載せて待っていた。ときどき動くが大きくは逸れない。なかで服を物色する配偶者を見失う畏れがあるからだった。それしても遅かった。

 数十分後、待ちくたびれて、少し離れたベンチに坐ってカートの取っ手に顎を乗せていると、これは中学生の頃に飼っていた犬の得意ポーズだったことを思い出した。夕方になるとコロという名前のその犬は土間の式台に乗って畳の縁に顎を乗せて家族の動きを見ていた。なまくらなやつだと当時は憎からず思ったが、いまは人が恋しくてしかたなかったのかと思う。

 すると、携帯が鳴って「いまどこにいるの?」と訊くので「ずっと店の前で待っているんだよ」と答えた。いつの間に出て行ったのだろう。あれほど見張っていたのに気づかなかった。しかし、コロを思い出したおかげで心は平常だった。はるか先の食料品売り場へ移動した。空のかごを乗せたカートを押して、ゆっくりと。


2018年7月19日(木)

 前回3週間前の通院時に新しい薬が増え、今日はその効果を確認するためにK病院へ。診察は12時の予約だったが、採血があったので11時に着いた。それから延々と待った。

 扉に貼られている30分ごとの患者の数を数えてみれば9時から12時半までの間で30人を越えている。ひとりにかかる時間もちがうが、延びが延びを呼んで、おそい時間の予約にどんどんしわ寄せが来る。それはある程度予想でき、覚悟もしていた。かなりの激務であると院長先生に同情する余裕もあった。

 13時近くになって名前を呼ばれた。立ち上がって、見回せど呼んだ看護師さんの姿がない。空耳か、いやちがう、たしかにぼくの名前だった。それから自分でも少し落ち着きがなくなった。待合室をうろうろし始めた。

 それから30分後には本当に自分の番がやってきた。看護師さんに「さっき一度呼ばれたのですが。呼んだ人の影も形もなくて」というと「私は今(呼び役を)代わったところで、前の人のしたことは知りません」とつれない返事。さすがに悪いと思ったのか「きょうはことのほか混み合っていまして、すみせん」と言ってくれた。

 さて本題の薬は「利いていますね」との診断だった。「この薬高いですね。一生飲み続けなければならないのですか」と訊けば先生は「そうだよ」と答えたあと薬価表らしき分厚い本を取り出して、「たしかに高いね。アメリカ人対象の治験で通常一日300ミリ投与となっているが、日本人とは食生活もちがうので、そんなに飲む必要はないかも知れない。量を減らしましょう」となった。「引き続き経過観察ね」

 その薬の名前はプラザキサ、血液の凝固を抑制するものらしい。余談ながら、サプリメント(アホエンのこと)を併用しても大丈夫ですか」と聞けば「いいでしょう。効果は知れていますよ、サプリメントですから」と信奉者にはすげない返事だった。


2018年7月26日(木)

猛暑日が何日続いていたのか、数えるのも業腹、教えられるのも剣呑であった。今日午後になって20年物のクーラーのある居間と遮断して東と西の窓を全開した。やっとそんな古びたクーラーよりも外の風の方が涼しいと感じられるようなったからである。「福寿海無量」の短冊(かつて平林寺でもらった)を吊り下げた南部風鈴がよい響きで音を立てたのでなつかしかった。

2泊3日の検査入院から娘が“生還”した。一昨日、陽射しが肌を刺し貫くようだった午後、娘に付き添って埼玉医大国際医療センターにいた。病室に入って一緒に看護師さんの説明を聞いた。検査とはいえ、手術並みの態勢で臨むらしい。大変であると思った。昔々母が入院するときに祖母(ぼくには曾祖母)がぼろぼろと涙を流すのを見た。

「お年寄りには、入院というと、死にに行くような感覚なんだよね。大丈夫だよ、治して帰ってくるからね」病室ではいつしか夕刻になっていた。

いままた夕刻が近づいている。短冊が揺れて、可憐な音が聞こえてくる。


2018年7月29日(日)

若い台風の逆走。7連勤の3日目が終わり、マジックは4、などと戯れるが、なかなかきつい。肉体もさりながら、精神的に。


2018年7月31日(火)

 昨日の夕方、仕事を終えて200メートルほど離れた駐車場に向かう道すがら枯れ枝に蹴つまづいて転んだ。歩く速度のままに、野球選手がベースに滑り込むようにして砂利道に倒れ込んだ。その一瞬膝で受けてはいけないと考えたからである。両膝の皿を相次いで割ってしまった苦い経験がこんなときにも頭をもたげた。飛んで五体投地、というのはあと知恵である。

 枯れ枝は台風のために吹き寄せてきたもの、それに気づかなかったのは、大型トラックの若いドライバーを見上げていたからである。そうでなければ、というのは詮ない後悔である。そのドライバーも含めて数人の人が「大丈夫ですか」と声を掛けてくれた。からだを支えた右手親指の付け根あたりが少し痛む程度で他は無事であった。

 翌日になって痛かったあたりが紫色に腫れ上がった。これ(内出血)は、血液の凝固を抑える薬・プラザキサのせいで実際以上にひどく見えるのだろう。が、転けるというのは精神的な痛手が小さくないものだと思い知る。年齢からくる肉体的な疲労が元の原因であるだけについ自信も萎える。



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