日  録 「放っときな」  

2018年8月2日(木)

猛暑が戻ってきた。陽射しによって背中が熱く痛い感覚をまた経験した。明日は信州御嶽さんの中腹で古くからの友人3人と逢うことになっている。古希になっても、気持ちだけはまだまだ若いつもりだが、さてどんな話題で盛り上がるのだろうか。

残業3時間を終えて帰宅。この時間でなおも暑い。日本列島どこも同じか、御嶽のコテージは標高1500メートルというがどうだろうか。


2018年8月7日(火)

「御嶽さん合宿」から戻った4日夜、左にいっぱいハンドルを切って車をバックさせているとき前輪が縁石(ブロック)とこすれ、潰れてしまった。

右側に十分な余地をとって停めていないとこうなる。目分量でやるためにこんなことが繰り返し起こる。前回(半年以上前)にはタイヤ側面が一部削がれた。「いちばん弱いところだから早急に交換した方がいい」とあちこちから忠告されていた。今回そんなタイヤで往復600キロをなんとか耐え抜いてくれたのであった。

判断ミスによる「事故」ではあったが、バーストしたタイヤを目の前にしてぼくはぞっとした。もしこれが高速走行中だったら、と想像したのである。運がよかったとしか思えなかった。なかなか履き替えないから、ちょっと荒療治で思い知らせる、というサインにも思えた。

閑話休題。高速を伊那インターで降りて権兵衛トンネルを抜け中山道の宿場町木曽福島に至り、そこから御嶽山の中腹を目指した。その道のりが長かった。 「木曽路はすべて山の中である。」を実感しながら走った。翌日は8合目まで車で行った。あの噴火から4年が経っているのである。

こちら1年ぶりに会う友人らとは、お互い姿形は変わって(老いて)も若い頃と変わらない気持ちで接することができる。ことしほど余韻が長く続く年はない。二日経っても、三日経ってもしあわせ感が消えないのであった。早くも再会が待ち遠しい。


2018年8月10日(金)

何年かぶりに外で夕食を摂るために国道を走っていると午後8時という時間の割には車が多いと感じた。この日から道路、空、鉄道で帰省ラッシュがはじまるという。世の中は明日からお盆休みに入るが、こちらは「7連勤」の始まりである。あまり意識せず一日一日をこなしていくしかないと「生活の知恵」のようなことで気を紛らわせる。

お昼前には国際医療センターへ、付き添いは配偶者に任せてもっぱら送迎役である。忘れ物をしたというのでひとり家とセンターを往復した。暑い一日だった。配偶者らが言うには近所の医院は毎日診察しているので「週7日勤務だ」と。あ、辛そうだ。

2018年8月11日(土)

御嶽山の中腹、標高1500メートル、「おんたけ休暇村」には赤とんぼがいた。どこからともなく飛んできて目の前の枝に留まるので指先をくるくる回してやった。回り続ける指先を見ているうちに動けなくなるので瞬時に羽を捕まえる、これが人間の魂胆である。ところが回る指を人なつっこく見つめているがいざ手を伸ばすと逃げていった。俊敏であった。ここでは日が落ちると急に涼しくなってジャンパーがないと寒い。下界とは大ちがいであった。


2018年8月14日(火)

「7連勤」の中日(4日目)、日中冷蔵倉庫から外に出ると異様に暑い。全身が焼けるようである。いままで経験したことがない暑さ、いや熱さであった。体温越えはおろか気温は40度にもなっているのではなかろうかと思う。早々に用事を済ませて中に戻ると生き返る心地がする。

夜、真っ先にシャワーを浴び、効きが弱くなったいクーラーの元で、ビールを飲みながら食事をするとまた生き返った気分となり、あと3日か、と数える。今日カープのマジックは点灯ならず。


2018年8月16日(木)

お盆の食卓にマクワウリが出た。5、60年前の夏、おやつ代わりによく食べたのに、田舎を離れてからは久しく口にしなかった。メロンに似ているが、少し固めで、甘さも控え目である。何よりも家の前の畑からもいできて口に入れることができた。メロンほどの高級感はないが、農家の子供の贅沢品であった。

固いが甘い、かつての味の記憶は十分に戻ってきた。富良野で生まれ育った配偶者は「甘瓜」と言ってやはりよく食べたらしい。それが特産品メロンに進化していったのだろうか。


2018年8月18日(土)

 突然朝夕に秋めいた風が吹くようになった。すると、若い頃の、赤面ものの行動がいくつか思い出される。大学に入ってすぐ馬術部に入ったのはいまとなれば謎でもある。

 別のキャンパスにあった馬場まで自転車でせっせと通った記憶がある。やがてこの広い道(平和大通りにつながるバイパスだった)を本部キャンパスまで馬に乗って駆けていけばどんなに格好いいだろうと思ったのかも知れない。そういう意味では志は低かった。馬術競技(どんなのがあるかすら知らない)を闘うような気概はなく、馬の世話と、部の資金稼ぎのための交通量調査のバイトに明け暮れていた。

 馬にまたがって並足の練習まではさせてもらったがそれ以上進む前に辞めてしまった。1年持たなかった。同じ学部のひとつ上の部員はうわ背があり体格も大きかったが馬上の姿がサマになっていた。競技もうまかった。トイレで鉢合わせる「ヘンなところで会うなぁ」と笑いかけてくれた。笑顔のきれいな、たしか八重歯があり、育ちの上品さを忍ばせるような童顔となった。新谷という名前もいまだに忘れない。

 あと記憶に残っている人は笠置部長である。馬場と隣接した木造の古びた東雲寮に住んでいた。何回か部屋に呼ばれたこともある。小柄で、物静かで、話しぶりも誠実そのもので、4年生だったがずいぶん大人に見えた。馬に乗ると一転厳しい表情に変わった。走っても、跳んでも格好よかった。

 辞める少し前になってひとつ上の女子部員(この人の名前は忘れた。姿形は鮮明に覚えている)がこの部長に恋をしていることに気づいたのだった。

 部長をみつめる目や接する態度がわれら後輩に対するモノとちがうのである。どういう風にちがうか、言葉で表せないものか、とずっと考え、悩み、いまだに実現しない。あれは忍ぶ恋か、片思いか、などと思うこともあった。意が届かなくて悲しく泣き崩れるその人の姿を思い浮かべたこともある。その後のことは辞めたぼくにはわからない。想像するしかない。

 半世紀前の、いわば刹那の出来事だが、人の恋に共感したはじめての記憶であった。それだけでも馬術部に在籍した価値はあったか。


2018年8月20日(月)
 
レジでおつりを2円受け取った。そのうのちひとつを落とした。それは立って車輪のように転がっていった。行方を見ると陳列棚の下に潜ったようである。屈んで眺めても見つからないので指を入れた。すると手応えがある。引っ張り出せば10円玉。1円玉は諦めてそちらをもらって帰った。

いかにもコンビニでの出来事らしいが、それを書き留める自身も「それらしい」かも知れない。『おむすびコロリン』がどんなお話だったかが気になったのは夜も更けてベッドに入るときだった。


2018年8月24日(金)

無添加石けん3個入りの包装を解くと本体がいきなりむき出しになった。ふと潮解という言葉を思い出した。ことばの響きの美しさからだったが、ネットで調べてみるとその解説はとんでもなくややこしい。

「その固体の飽和水溶液の蒸気圧が、それと接触する大気の蒸気圧の分圧より小さい場合に起こる。たとえば、塩化カルシウムの飽和水溶液の水蒸気圧は20℃で7.5mmHgで、通常の大気の水蒸気圧(約20mmHg)よりはるかに小さいから、塩化カルシウムは容易に潮解する」

「水蒸気圧って何?」答 「一定の温度において液相または固相と平衡にある気相の圧力、すなわち飽和蒸気圧をいう。」

ここまでである。物理・化学は好きだったがいまのわれには「固体が空気中の水分を吸収して溶けてゆく現象」これで十分だった。台風20号が去ったあとには湿った空気が肌に粘り付くようである。皮膚が潮解せねばよいがと案ずるのは取り越し苦労というものであったが、この言葉は魅力的だ。なぜだろう、と考えてみると、いのちのみなもと“水”の神秘性にいたるようだ。やっぱり科学だ。


2018年8月27日(月)

 窓を開けると鮮やかな朝焼けであった。午前5時、送電線にはカラスが数羽は群れている。どこからともなくジョウビタキの鳴き声が聞こえてきた。越冬のために日本にやってくる「冬鳥」らしいが、初鳴きである。しばらくあとに外に出たが、遠くでまだ鳴いていた。人なつっこいその姿はついに見られなかったが、猛暑のなかでススキの秋を想った。

 この日午後から夜にかけて激しい雨が降った。雷も近くで鳴っていた。帰り道、ワイパーを最速にした。いつものルートを避けて幹線道路を走ったが、冠水個所がいくつもあった。突っ込むと急ブレーキがかかったようになった。ヘッドライトだけで波打つ路上を見分けるのはかなり困難なことだった。その深さを瞬時に判断することもできない。知らず覚えず、自然には常に謙虚にならねば、と呟いていた。


2018年8月31日(金)

 あれはやめよ、こうしろ、ああしろ、と最近は娘があれこれ“忠告”してくるようになった。ありがたく感じることはなく、煩わしいだけだが、本人は寿命を縮めないために言っているつもりで、そう公言もする。寝る前のコーヒーはよせ、あまいものは控えろ、歯磨きは必ずしろ、あげくは自分のゴミは自分で、誰かが片付けると思うな、とくる。ある夜、「そうでしょ? お母さん」配偶者に同意を求めると……

「放っときな」

 仕事のある日は毎朝弁当を作ってくれる愛妻であり、小沢昭一氏に倣えば「わたしの趣味はいまや妻であります」という閾に近づいている。配偶者にとっても、この人については半ば諦めの境地、半ば惻隠の情、そこからこの言葉が飛び出した。至言であると思い笑った。

 ところで、現在満70歳に向かって秒読み段階に入っているが自分が古稀だなんてまったく信じられない。これはどうしたわけだろう。



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