日  録  赤のカープ

2018年10月2日(火)

 昨日は、台風一過、一転真夏日となった。冷蔵倉庫にいる身にはあまり実感できなかったが、自宅では台風の後片付けに奮闘した配偶者が玄関先で寝そべっているのを見つけた娘が仰天して、熱中症の手当を種々施したそうであった。配偶者はその後ずっと横たわったままで、帰り着いた頃は元気になっていた。しかし夕食を作ることはできず、3人は娘が買ってきたスーパーの弁当を食べることとなった。台風後の一家の異聞である。


2018年10月3日(水)

 血涙が出る、などというのは比喩的表現だが、5日前に右目が真っ赤になっていた。疲れたときなどに目が「充血する」ことはかつてあったような気がするが、それよりもひどい赤だ。瞳のまわりの白い部分に血がにじみ出ているのだった。外に出てこないので「涙」ではない。ウサギの目である。生活に支障があるわけでもなかったのでそのままにしておいた。血液の凝固抑制剤のせいかとも思ったが、推測でしかない。その後日々だんだん薄くなってきて、今夜になってにじみが消えた。来月末の通院時に訊いてみよう。それまで覚えていれば。

2018年10月6日(土)

 高速走行中、2歳半の孫は突如泣き始めた。しゃくり上げるようにして「お母さんに抱っこ」と繰り返し叫んだ。となりにいる配偶者(おばあちゃん)がどんなことばをかけても、助手席から母親が新奇なおもちゃや食べ物でなだめてもおさまらなかった。「抱っこ」してもらわないとこの不安感は消えないのだと訴え続けるようであった。何キロか先のサービスエリアに入って、母親に抱かれるといつもの笑顔が戻った。

 そんなエピソードを反芻しながら「お母さん」に心を馳せた。母に抱かれねば収まらない、からだのあるいは精神の不調とはいったいどんなものだったのだろうか。自分のこどもたちにもこんな場面はあったはずだが思い出せない。自身の幼児の頃の記憶にいたっては欠片すら残っていない。

 ただこの歳になって、「お母さんよ」となんとはなしに独り言のように呼びかけることがある。それは、生みの母であったり、時として配偶者のことであったりする。『夏の花』の原民喜は6歳年下の妻に「母親のような存在」を感じていたという(梯久美子『原民喜/死と愛と孤独の肖像』岩波新書)。「母」なるものを求める心根は一生続くと考えていいのかも知れない。母とは偉大なものである。


2018年10月8日(月)

 レジで受け取った2円を落としたのは1ヵ月半ほど前のことだったが、こんどは別のコンビニで右手に握りしめた100円玉ふたつが零れ落ちた。頼まれた片栗粉を左手に持ちレジの前に並んでいるときだった。落ちた先はアイスクリームが入った冷凍ボックス。

 2円の時は陳列棚の下だったので手を入れて思いがけず10円玉を引き当てた。こんどばかりは諦めざるを得ないと思った。商品のアイスクリームをかきまわして探すわけにはいかないからだ。ところが店員に話すと、探してみましょう、といくつかのゲージを商品ごと次々と持ち上げて底にころがっていた1枚を見つけてくれた。あとの1枚はなかなかみつからない。

「ありがとう、もういいですよ。」と言った。別の店員が代わりの100円玉を差し出した。「それはいけない。もし見つかったら取っておいてください」「わかりました」

 それが半月ほど前のことで、今日そのコンビニに行ったのに聞きそびれてしまった。親切に対応してくれた店員たちの所作だけで十分な気がするからだった。


2018年10月14日(日)

 休日だったきのう、延べ数時間かけて「いかれころ」(『新潮』11月号)を読み終えた。新潮新人賞を受賞した三国美千子氏の180枚の小説で、いかれころとは「踏んだり蹴ったり」とか「頭が上がらない」の意味を持つ河内弁らしい。時代は昭和58年、4歳の女児の視点で旧家の祖父母、叔母叔父、大伯(叔)母大伯(叔)父、父母といったまわりの人間がていねいに描かれ、どの人物も鮮やかな輪郭を持っている。とりわけ語り手の女児は「魅力的」であった。

 叔母の自転車の荷台で、

「私はまた空に両手をぱっと開いた。/空に垂れている白い花弁をむしりとれないかと思ったのだ。」

 表現は凡庸に流されていないと思った。


2018年10月16日(火)

「板垣退助の百円紙幣」が1万円以上の高値で売られているというパソコンのポップ広告がきっかけだった。わが家には新品の同じ紙幣が10枚近くあるのを知っていたのでそのことを告げると、配偶者はパソコンの前にやってきて巾着袋を広げ始めた。ウォーキングリバティと銘記された50セント硬貨や昭和30年代の100円硬貨などが7枚ほど机の上に広げられた。

 そのうちのひとつが50銭硬貨であった。表に稲穂、裏面には鳳凰が描かれている。母方の祖母が配偶者の生年が刻印された硬貨を記念に残しておいてくれたのだという。70年以上も散逸せずにいま手元にあることは奇跡に近いのではないかなどと思いつつ古銭商のサイトを覗いてみた。

 するとほぼ同じと思われる「昭和22年の50銭黄銅貨」に15万円の価格が付いていた。どんな訳があるのかは調べられなかったが、「貴重品だ。別にして大事にとっておこう」と言った。

「銭」は為替交換レートなどではいまも使われているが、実はサンフランシスコ講和条約の翌年の昭和28年に廃止されたらしい。当時ぼくは4歳だから記憶にないのは当たり前である。しかし昭和30年代に100円硬貨を使っていた覚えが皆目ないのはどうしたわけだろう。田舎にまで流通するほど多くは製造されなかったのか。それともはるか昔の些細なことなので忘れてしまったのだろうか。


2018年10月19日(金)

 椅子に坐るとき椅子から立つとき頭や肩に小さな洗濯物が降りかかる。ハンカチ靴下タオルなどである。部屋の真ん中に引かれた一本のひもに洗濯物がびっしりぶら下がっているからである。陽射しがあってもほんのいっときの日が何日も続いた。陽光に晒すいとまもなかった。今日も朝から曇り空で、昼過ぎには雨がぱらついている。おかげで、めでたくもないのに部屋のなかは満艦飾? 

 満艦飾とはなにか、改めて調べてみれば、

『満艦飾(まんかんしょく、full dress ship)とは、軍艦が祝祭日・記念日・式典等に際して祝意を表すために、艦首からマストを通して艦尾までの旗線に信号機などの旗を連ねて掲揚して飾ること。(ウィキペデイア)

 とある。もっともこれは元来の意味であって、比喩的に「部屋干しの洗濯物」のほかに「思いいっぱいに飾り立てること」を表すようになっているという。がしかしである。いまどき「あの娘はさながら満艦飾だね」などという人はいないだろう。

 軍艦を間近に見たこともないのによくぞこんなことばが浮かんできたものだ。刷り込みとは恐ろしい。またひとつ古い人間になったような気がするのだった。
 

2018年10月22日(月)

 先々回「銭」のことを書いたがこのお金の単位がいまも使われているところをもう一つ発見した。月々の電気使用料金である。銭を足していってもちょうど円にはならないので切り捨てていると思われるが、銭まで表示する意味は何か、とつい考えてしまった。


2018年10月27日(土)

 19日以来8日ぶりの休日となった。23日にはかつての同僚のTさんから松本の田圃で作ったお米が送られてきた。もう何年来の贈り物である。「雨が多く、刈り取り、脱穀が思うようにならず、ハゼ掛けの日も短く、味が平年よりおちるかもしれません。」と同梱の手紙に記されていた。お米作りの大変さを忍ばせるが、お米の味は粘り気、甘さ、艶々しさとともになつかしい安曇野のものであった。夕方になって、やっとお礼の手紙を書いた。「今年も短い秋がやってきました。こうして貴重な味覚を味わえるのは年々大きな喜びとなります」と感謝を伝えた。

 日本シリーズ初戦。6時半からテレビ観戦。互いに譲らず、12回規定により引き分け。11時過ぎになっていた。緊張と期待とでハラハラドキドキの4時間半だった。


2018年10月29日(月)

「第2の心臓」と呼ばれるらしい「ふくらはぎ」がだるくて重い。凝った状態であり、原因は昨日今日のことではなく何日か前まで遡らねば突き止められないこともある。行動とからだが同期していない、ひらたく言えば反応が鈍くなっているからである。

とはいえ行動範囲が狭いのでおおよその見当は付く。アルバイト作業はパレットに段ボール箱を積んでハンドと呼ばれる道具で引っ張るのも仕事のひとつである。引っ張りながら該当商品を求めて行ったり来たりする。ここまで凝るのはよほど重いものを相当長い距離引っ張ったにちがいないと思われるがすぐには思い当たらない。遠い昔のことのように感じるからである。

パレットには約10キロの段ボール箱を最高4段・64個積む、パレットの自身の重さも加わるので1トンに近くなる。これを100メートル引くと息が上がって、ふくらはぎはガクガク震える。最近は4段近くなるとフォークリフトに乗っている人に運んでもらうようにしているが、たまに自分でのろのろと引くこともある。いつ引いたか。


2018年10月31日(水)

 家を出て数分経ったころにタオルを忘れたことに気付いた。忘れないようにいつも起きてすぐにケースから取り出して居間のソファーに置いておくことにしている。今朝もそうした。なのに弁当は鞄に入れたがタオルは入れ忘れた。車を運転しながら不安な気持ちが昂まってきた。日常が綻んでいく心細さに通じている。

 7時から開店しているワークマンに寄った。予想したとおりタオルは売っている。それも色とりどりであった。赤にするかと一瞬思ったが、濃紺にした。これで気持ちが落ち着いて作業に入れた。「おや、タオルがいつもとちがうね」と同僚から言われた。「途中で買ってきた。赤にしようとも思ったのだけどね」「アントニオ猪木かい」「いや、ちがうよ」

 今宵赤のカープは負けてしまった。


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