日  録  なぜかなつかしい日々

2018年11月3日(土)

 7連勤に続いての6連勤が終わり、7日ぶりの休日である。なにゆえにこんなに働くことができるのかと首をかしげていると、からだは元気そのものだが心はそうとも言えない、精神は日々年寄りになっていくのではないかと不安になった。

 そのせいかどうか、このところ小さい頃田舎で間近に見ていたお年寄りたちを断片的に思い出すことが多いのである。往来で会うと「おまえ、どこの子や」と訊かれる。「マサルの子や」というと「そうか、そうか、マサ公のなぁ。そうするとおかぁはカズやなぁ」その腰の曲がった小柄なお婆さんがどこの家の人かは知っているが、祖母の姉すなわち母の伯母、ぼくには大伯母であることはまだ知らない。みんなどこかで血がつながっているような集落だった。

 またあるとき、同じ姓の老爺は、中学生になったぼくに「品物を手にしてはまた元に戻すことを何度も繰り返していたなぁ。大きくなったな。その分わしらは歳を取っていく」と言った。学齢前まで住んでいた家のとなりにあるその家は集落唯一の雑貨屋だった。おそらくその頃のことだろうが記憶になかった。何回か同じことを言われたものだった。

 兄が東京からお嫁さんを連れて帰郷すると、「おまえもあんなきれいな人と一緒になりたいのだろう」とからかうのだった。その老爺夫婦は熱烈な恋愛の末に結婚した。集落では一世代に一組あるかないかの「事件」だから、伝説のように語り継がれていた。そんな事情に興味を覚える年頃になっていた。

 もうそれは遠い昔の話である。いやはや。


2018年11月6日(火)

 こんどは腰にきた。椅子を立つときに差し込まれるような痛み。ベッドに横になろうとすれど思うにまかせず超スロー、寝返りも打てない。封切り前の鎮痛消炎剤があったので張ってみた。使用期限がちょうど一年前という代物だがなんとなく効いてくる気がする。

 物を上げ下げする仕事のせいで痛くなったのだが、仕事中はほとんど痛みがないのである。休みを見はからって痛み始める。宿痾の肩の痛みだって、仕事中は平気なのに家に帰ってきた途端に病む。

 かねがね不思議に思っていることだったが、このからだはよほど「内弁慶」と言わざるを得ない。仕事のある明日はきっとケロッと治っているはず。その明日は暦の上でもう「立冬」。今夜は風呂にゆっくりとつかって明日に備えよう。

2018年11月8日(木)

 パソコンモニターが突然黒変した。すわ故障か。

 帰宅直後電源を入れメーラーを起動して一つのメールを表示させた。シャワーや食事などを済ませてから、マウスをクリックするとセーブ画面から復帰するはずなのに黒いままである。いや、かすかに、透かし彫りのように絵が見えている。落ち着けと自分に言い聞かせながら本体のスイッチやモニターのスイッチをあれこれいじっていた。

 前に故障したときにエイトが貸してくれた予備のモニターを押し入れから取り出して交換の準備も整えた。そのうちモニターの「INPUT/EXIT」のボタンを押し続けると画面が立ち上がり、マウスでメーラーやグーグルを起動すると、黒変しなくなったのであった。

 ところが夜明け前にもう一度画面が消えたのでついに交換した。おおむねうまくいったと思うがひとつだけ難点が残った。いままでは縦横比が1対2くらいの横に長いモニターだったがこんどは2対3である。そのせいか、両端が切れて表示されるのだった。左下端には電源を切るためのタスクパーがあるがこれが隠れている。なんとか出てこないかと思案している。画面にフイットさせることができるはずだが、いまだ見つからない。そもそも拙い感覚をたよりにただあれこれといじるのみで、治れば僥倖、なぜ治ったか突き止めることができない。ここは理論派に聞くしかない。教えて、エイト。


2018年11月9日(金)

 (承前)あぁ、解像度、の問題だった。解像度を上げる(1600×900から1600×1024へ)と全画面表示はできたが、元々画面が小さいので、字が小さくなった。フォント表示を125%にするとぼやけて見えるというので断念。あちら立てればこちら立たず、逆だったか、こちら立てれば……あちら……、こんなことはどうでもいい、この解像度、ネットであれこれ説明を読んでもよくわからなかった。


2018年11月13日(火)

「キラキラです。」は「木田光(あきら)」、「丸亀の小亀です。」は丸亀市出身の「小亀太郎君」、前者は中学、後者は大学のそれぞれ入学時に耳にした自己紹介での発言。いまだに覚えているのはそれだけインパクトがあったのだろう。ふたりの顔は鮮明に浮かんでくる。自己紹介としては完璧だったわけである。



 平野啓一郎の『透明な迷宮』(新潮文庫)を読み始めた。所収6篇のひとつ「family affair」について初出の雑誌で読んだとき(2013年)次のように書いている。

《この作者は、題名通りの古風なテーマにて、こんなしみじみとして、スリリングな作品も書くのだと驚き、感動もしたのである。/ところでこの作品に「角打ち」というのが出てきた。はじめて聞く言葉だったが、前後の文脈からあれかも知れないなぁと思ってそのままにして読み進めた。気になってネットで調べてみると、はたして「酒屋の店頭で酒を飲むこと」とあった。》

『月蝕』が読み切れなかったので遠ざかっていた作者を胸元に呼び込んだ一作だった。再読してみて「しみじみとして」は当てはまらないと思ったが、5年前のことなのに角打ちのくだりはよく覚えている。一方で角打ちの発祥地らしい福岡あたりが舞台で会話に方言が飛び交うことは忘れていた。



 モニターの故障と前後して「Windowsの認証を行ってください」の透かし文字が画面右下に入るようになった。気になるのでエイトに沙汰を仰ぐと、「してください」。指示に従ってプロダクトキーを変更するだけで一発認証できた。エイトはすごい。この歳になると自己紹介をする機会はさすがにないと思われるが、いまぼくはなんと言えばいいのだろうか。恥多き人生だった。未来はそんなに長くあるわけではない。「10年遅れて耳順となる男です」とでも。


2018年11月16日(金)

 昨日今日は最寄り駅まで約15分間歩いて、そこから電車、さらにバスと乗り継いでアルバイト先に出向いた。昨日よりも今日はひとつ早く出て7時発のバスに乗ろうと思ったが間に合わず前日と同じ7時半のバスになった。このバスは7時と7時半では出発駅が異なるが実は同じバスである。すなわち7時に出たバスがひとつ先の駅に着くとこんどは逆ルートを走って戻るのである。陸の孤島のような地域の要所を巡るわけである。

 降りる駅は7時発だと5、6分で着くが7時半発だと15分ほどかかってしまう。遠回りしながらいろんな企業の前で停まって労働者を降ろしていく。はじめは満員だったが、昨日などは次は自分が降りる停留場だと思ってまわりを見渡すとお客さんは誰もいなくなっていた。

 今日もその同じバスに乗った。南米出身と思われる人が多い。外国人の顔は覚えられないが、日本人ことに女性のなかには昨日もいた人がいる。教え子のひとりに似ているのでつい見つめることとなった。大和撫子のような、しとやかな顔つきをしている。年齢的に合わないのできっと別人だろう。さて今日もいよいよ降りる停留所が近づいてきたが、ひとりぼっちではなかった。降りなかった彼が貸し切り状態となって運ばれていった。

 明日こそは、7時発に乗ろう。


2018年11月18日(日)

車が完璧にリニューアルして戻ってきた。5年前に中古車として格安(込み込み21万円)で買い、以来故障もなく8万キロ以上を走った。掘り出し物だったかも知れない。こんどが3回目の車検だった。ディーラーの担当者から説明を受けながらこれで“安心”してどこへでも行けそうだ。

このMさんとも30年来の付き合いとなる。雑談の中で、「もう塾で教えていないのですか」と聞かれた。

「完全にリタイアーしました」
「辞めちゃう人が多いですね。お客さんのなかで何人かいた塾の先生もすべて辞めています。実は次男坊がいま塾に通っているのですが、先生たちも大変ですね。夜遅くまで、熱心に付き合ったり、夏は合宿に連れていったり」

代車として自身の車を提供してくれたとき、子供の靴が車内に残っていたことがあり、ほのぼのとした気持ちになった。そんな小さな靴を履いていた子がいまは中学3年生だという。彼とぼくにはちがう歳月が流れていた。ああ、どこか遠くの見知らぬ街を走ってみたいと思うのだった。


2018年11月20日(火)

 午後も大分過ぎてから、国道を南下して『須弥山(しゅみせん)美術』に向かった。後部座席には皿、箸や御室焼・仁秀のフリーカップ、信楽焼の茶器、さらにはピカソの平和の鳩などが入った大袋が置いてある。自宅から10キロと離れていないところに骨董屋(骨董・美術品鑑定)があること、電話に出た人の声の若々しさにびっくりした。「ピカソは見てみたいですね」ということばに後押しされて、地図をたよりに走って行った。

 近くのT字路の手前で車を停めて現在地を知らせると、赤いバイクに乗った若者(社員)が迎えに来てくれた。狭い道を数百メートル先導されて住宅街のどんづまりに着いた。建物ははコテージ風の平屋、雑木林に囲まれ、敷地のあちこちに薪が積まれている。骨董店とは誰も思わない佇まいである。

 案内された応接室の眼下には蛇行した入間川。水の痩せた流れに棹さす釣り人がひとりいる。向こう側の丘も紅葉がはじまっている。用事も忘れてみとれていた。

「ここが気に入って地主を探し出して売ってもらったのです。こんど世田谷に店を出すので、もうこんなのんびりとした仕事はできなくなります」

 ここが20年間古美術一筋、42歳の社長の須弥山であるのか、と思うがそこまでは聞かなかった。


2018年11月24日(土)

「警告:あなたのホームページは乗っ取られています」。朝、こんな画面がいきなり現れた。ここ何週間かこの他にも「pc修復、いますぐスキャン」「Reimageをダウンロード」などというポップアドが出るようになって煩わしくてしようがなかった。

 きっかけは「発信元Microsoft、PC修復を」の文句にだまされて、スキャンを行い、ソフト購入の寸前まで進んだことにあった。何日か前には画面いっぱいに赤い警告板、それだけにとどまらず高音のブザー音が鳴り響いた。画面を消しても次々と新しいのが現れ、ブザー音は鳴りっぱなしである。「どうしたの?」駆けつけた配偶者は蒼ざめた顔付きであった。

 ネットで検索してみれば、これはウイルスまがいの「悪質広告」だという。投稿日時からもう何年も前から出回っていることもわかった。遅まきながら「除去方法」(そのサイトを虚偽でないか入念にチェックした)を手順通りに実行。うまくいったと思われる。配偶者に報告すると「すぐに信じてしまうあなたが悪い。というか、なんの目的もなしにインターネットを見ているからそうなるのよ」。手痛い一撃を喰らう。


2018年11月29日(木)

27日、病院へ。血液検査と診察を経て91日分の薬を処方してもらった。一錠136.4円を182錠(一日2回服用)、47.5円(ジェネリック)を91錠、締めて29147.3円である。このうち3割が自己負担なのである。

ジェネリックのない前者の薬(血液さらさら)は先々回一カプセル110ミリグラムから75ミリグラムに変えてもらった。「高すぎる」と不平をもらしたのがきっかけだった。「薬を値切った」という負い目があるがそれでも先生は血液検査の結果を見ながら「これで十分効いています。効き過ぎても困るのでね」と診断してくれた。

処方箋の有効期限は4日間である。それを過ぎると自費となる。3ヵ月薬を止めてみるのも一興、からだがどんな風に変化するか、知りたい気もする。しかし、そんな勇気はなかった。薬を飲むのにはちゃんとした謂われがあるのだった。すなわち高血圧と心房細動。昨日の夜薬局に走り、途切らせることなく今朝から飲み始めている。


2018年11月30日(金)

26日月蝕歌劇団の高取英さんが亡くなった。昨夜はfacebookに次々と投稿される追悼文を読み写真を眺めていた。そのfacebookで近況を知るのみの人だったが、お互いずっと若い頃にMPの岡田さんに引き合わされて長い時間お酒を飲んだ。どういう成り行きだったのか、どこでだったのかはすっかり忘れているが、たった一度きりのその出逢いは記憶にとどまったままである。それは当時も何十年か経ったいまもなつかしい感情を秘めている。世代的な親密感みたいなものかも知れない。心優しさと共振したのだろうか。哀悼。


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