日  録  「世間知ラズ」

2019年1月3日(木)

 長髪のままで新しい年を迎えた。年末に床屋へ行こうと一度思い立ったことがあるが混んでいたので止めた。それからは「もう、いいや」と諦めた。耳にかかる髪がときに煩わしいが、切っていればかなり爽やかだったかも知れないが、確信犯だからいた仕方ない。

 年越しそばも食べた。元日には雑煮を食べて仕事に出かけた。そのあとに、電話で話せるようになったからともうすぐ3歳になる孫から電話があったというので、声聞きたさに(眠ってしまわないうちにと)帰宅早々電話を掛けた。いまの自分を伝えようとする懸命さがよかった。可愛くもあり、いじらしくもある。日進月歩とはこのことだろうと思った。

 髪の毛は日々伸びるが、こんなのは進化とは言わないだろう。むしろ、長い髪は「BACK TO THE PAST」と?


2019年1月5日(土)

早々に年賀状をいただいた人に返事を書いた。といってもふたりを除いてメールでのあいさつとなった。内容はこんな風だった。

《ぼくはあと何日かで古稀の誕生日を迎えます。ちょうど免許更新と重なり、最近導入されたと思われる「高齢者講習」を受けなければなりません。ビデオ学習と実技運転がそれぞれ1時間ずつです。面倒なことがまたひとつ増えるなぁという「感想」です。

歳を取ると碌なことがないと思う反面、○○君などの若々しい(!)、ゆかりある人のお子たち、将来の世界をになう子どもたちにたくさん出逢えるよろこびも感じます。

今日5日は、新年はじめてのお休みです。個人的には、ことしも壮年者並みに仕事を続けるつもりです。この会社は「元気なうちは、80歳、90歳までも働いてもらいます。あなたがいなければだめだと言われるようになってもらいます」などと真顔で言います。もちろんそのつもりでいます。(笑)

今年もよろしくお願いします。》

最後の段落を除いてはおおむね心の真実を吐露できたと思う。年賀状の大半はこどもや家族の写真が掲載されている。それを眺めるのが愉しみである。そんな年回りになったということかなぁ。


2019年1月8日(火)

網野善彦の『蒙古襲来』を布団のなかで読んでいると、

「評定での決定は「多分儀(たぶんのぎ)」とよばれる多数決によった。こうした合議制は社会の慣習に深い根を持ったもので、この時代、武家にもっとも発達し、公家や寺社にも一般的になっていった。」という一節に出くわした。

この時代とは、13世紀、鎌倉時代のことである。多分儀? 自分儀と関係があるのかなぁ、と思いは横道に逸れていった。多分儀の対語、すなわち何事もひとりで決めることではないかと仮定したのだが、どこで聞いたことばかはまだ思い出せないでいた。

一夜明けて、流れ星で最近話題になった「しぶんぎ流星群」のことだと思い当たった。しぶんぎってなに? という疑問が頭の片隅に残っていたのだった。四分儀と書かれていれば、およその推測はできたのに。いずれにしても、新年早々とんだ勘違い、とんだ勇み足だったのはまちがいなし。この先が思いやられる。


2019年1月10日(木)

 「古来稀なり」の歳を迎えた。よりによって誕生日の今日「高齢者講習」なるものを受けてきた。まだまだ身体は大丈夫と思うものの「制度」の側からカウンターパンチを浴びせられる気分である。70歳以上75歳未満の6人が講義を受け、動体視力や視野などを計測してもらった。最後の1時間は3人ずつに分かれて各10分間ずつ実地で運転する。32年前通った教習所でコースはほとんど変わっていないが、車庫入れができなくて往生した。異和感のある2時間だった。肉体労働の方がうんと楽しい。

いったいいつから義務化されたのか、調べてみると1998年だという。20年前である。当時ははるか先の話で気に留めることもなかったのだろう。ついにわが身に及んだということだ。ケーキの代わりに「福蔵」という名前の最中で祝ってもらった。


2019年1月12日(土)

 11日夜になってからだがふわふわするので体温をはかってみると38度を越えていた。熱を出すのは何年ぶりのことだろう。あまりに昔すぎて思い出せない。代わりにル・クレジオの短篇集の表題を反芻していた。それほどになつかしいことである。

 連休2日目のこの日は昨日の「高齢者講習」に続いて病院送迎の役目があった。ふだんの休みは寝起きも気ままにゴロゴロしているがこの2日間はちがった。そのせいで「発熱」とは思えないが、ともあれ、この日のうちに少なくとも熱は下げなければならない。薬箱から葛根湯内服液を取り出して飲んだ。30ミリリットルの小瓶である。12日朝には6度5分まで下がっていた。もう一本飲んで仕事に出かけた。お昼の前にさらに一本。これはかなり効いた。熱塊を抱え込んだようにからだがぽかぽかするのである。

「高齢者講習」の毒気も加わったか。なんともおぼつかない70代のスタートとなった。とりあえず大過なさそうだが、自覚を持てよ、とどこかから言われているような気がした。


2019年1月18日(金)

『金子光晴にあいたい』(松本亮 聞き手・山本かずこ、ミッドナイト・プレス刊)はいい本である。門外漢のぼくの眼前にも金子光晴の詩と思想と人となりが厳然と立ち上がる。ひとえに聞き手の力、編集の力だと思った。

 ぼくがこの詩人の名前を身近に感じたのは同人誌を一緒にやることになった人が『あいなめ』に投稿しているということを聞いたときである。昭和50年(1975年)代のはじめ頃だろうか。本書によると1970年2月に松本亮氏編集の『あいなめ』は30号にて終刊とあるから第2次の『あいなめ』があったのだろうか。しかしここで金子光晴の詩自体に触れることはなかった。

 その後2001年から2003年まで『詩の雑詩 midnight press』でこの本の元になる「素顔の金子光晴」の連載がスタートする。ここで詩の一部を覗くことができた。あらためて「松本亮氏が選んだ詩篇」を章末ごとに精読していくとこの詩人の奥深さに圧倒される。詩集はもとより、晩年に集中しているらしい何冊かのエッセーも読んでみたくなった。

 ひとつ思い出したことがある。当時ぼくよりもうんと若い20代の女の子に「ひとりでは行けない」とたのまれて(?)大塚の名画座で『ラブレター』を観たことがあった。1980年の半ば頃だったろうか。金子光晴がモデルであることは知っていたが、詩とは別と思いつつも、関係性のおののきは感じられたように記憶している。ともあれこの本に詰まっているモノは詩魂そのものである。
 

2019年1月19日(土)

 ホームセンターの正面入り口には庭木フェアの幟が何本も立っていた。誘われて懸案のプラムの木を探すことにした。家の庭には何年か前にプラムの木を一本植えたが「自家不結実性」のようで花はいっぱい咲くが実がならない。おそらく梅の木の花粉をもらって一つか二つ成るだけである。せっかく大きくなったのにこれではもったいない。そこで花粉をくれる相棒の木を、と長らく思案していたのである。

 いま植わっているのがどんな品種かとうに忘れたが、今回メスレーいうのを買った。午後のあたたかい陽射しが心地よかった。通路を隔てたとなりに大きめの穴を掘り、有機肥料を下に置き、表面に鶏糞をまき、たっぷり水を遣った。丁寧に植えたのである。あとで調べるとこのメスレー「1品種でも確実に成る」と説明されていた。相棒というよりは、一匹狼のようだが、花粉はいっぱい飛ばしてくれそうな予感。これは春の予兆に連なっていく。



メルマガによって「郷ひろみが高須クリニックの院長に福蔵を送った」ということを知った。メルマガ担当者はツイッターで大はしゃぎ、「あなたもみて、みて」と催促してきた。これにはすっかり興ざめ。というのはぼくは誕生日にケーキの代わりにどうしても食べたかった「福蔵」で祝ってもらったばかりであるからだ。どっちがニュース価値があるの? と問いたい。そりゃぼくの方だ(逆説的ですが)。


2019年1月22日(火)

 近くの警察署で運転免許の更新を行ってきた。受付開始直後の8時半ごろに着いたがすでに8人が待っていた。いつも待たされてきた記憶を反芻しながら70歳と12日目に行う今回こそは早く済ませて次の用事にかかりたいものだと思っていた。

 ところがあれよあれよという間に順番が巡ってきて20分後には新しい免許証が交付された。更新する人が少なかった、こちらは高齢者運転講習のおかげでビデオ講習がない、などの理由もあっただろうが、役所の流れ作業もここまで来ると気持ちがよい。

 次は5年後、認知症検査も加わるのだなぁ、と感慨にひたった。それもつかの間、新しい免許証を眺めていると左頭部のみ髪の毛がアトムのアンテナ状にぴんと跳ねていることに気付いた。寝起きのまま来たわけだが、こちらはずいぶん拙速だったわけである。とはいえ75歳までその写真とともに携帯していても何の不都合があるわけではない。

 余談ながらゆうべ右のヘッドライトが消えたので朝になってからボンネットを開けて調べた。素人にはバルブカセットの取り外しが難しかったのであとで専門店に寄ろうと思った。ボンネットを閉じてから、負け惜しみのように、未練たっぷりに、ガラスの上からひとつふたつ叩いてみた。すると突然点いたのである。予期せぬことが起こるのは春が近いせいか。


2019年1月26日(土)

 23日からことしはじめての6連勤に入った。指折り数えると長く感じるので数えないで一日一日を恙(つつが)なくこなしていこうと思った。今日で4日目が終わりあと2日となったわけだからこの作戦は大成功。

 とまぁ、こんなことを思い、書くのは6連勤を十分に意識している証拠であるわけで、とてもつつがなしとは言えまい。2日前の朝などは「具合でも悪いの?」、今日の夜は食事のあとにすぐベッドに潜り込んでいると「大丈夫?」、と配偶者は気遣った。それぞれ「平気だよ」「一杯のビールに酔っただけだ」と答えた。事実その通りだったが、傍目には「よほど弱って」見えたのかも知れない。ならば反省しなければならない。

 長らく行方不明だった「爪切り」が見つかった。11年の暮れ(もう7年以上前のことだ)入院中のぼくを見舞ってくれた近くの友人が持ってきてくれたものだった。委細は忘れたが、必要なモノある? と聞かれて頼んだのだったかも知れない。手元に置いたまま使ってきたのだった。その友人のブログが1か月近く更新されていない。自分のことを心配している場合ではないのである。 


2019年1月28日(月)

昨夜7時のNHKラジオのトップニュースは嵐だった。トップで流されることにも驚いたがそれから延々と関連ニュースが続くので仰天した。「2年後の解散」にそれほどのニュース価値があるものなのか。そのあといろいろなところで「アイドル論」などが展開されるのでついにあきれ果てた。世間がずっと嵐とともにあったのだとすれば、「よのなかばかなのよ」である。あるいは谷川俊太郎の「世間知ラズ」の一節、

自分のつまさきがいやに遠くに見える
五本の指が五人の見ず知らずの他人のように
よそよそしく寄り添っている

(中略)

私はただかっこいい言葉の蝶々を追っかけただけの
世間知らずの子ども
その三つ児の魂は
人を傷つけたことにも気づかぬほど無邪気なまま
百へとむかう




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