日  録  あ行の誘惑

2019年2月1日(金)

1月最後の日の昨日、やっと雨が降った。雪の予報もあったが、このあたりでは叶わなかった。夜明けに外に出てみると月齢26.1の月の上方に金星、さらに木星が大きく輝いていた。1か月にわたる大接近(天体ショー)であるという。おかげでいいものを見た。

月を見ようなどと思ったのは岡田幸文さんの個人誌『冬に花を探し、夏に雪を探せ。』.7で良寛和尚の「五合庵」という詩を教えられたからだった。最後の2行にこうある。

唯有東村叟(ただ東村の叟ありて)
頻叩月下門(しきりに叩く 月下の門)

思えばもう何年も「叟(おきな)」のような「ひと」に逢っていないなぁ、と不意に寂しくなったからである。岡田さんもそんな叟のひとりである。


2019年2月2日(土)

昨日アルバイト先の所長から封筒を渡された。中には高齢者用の保険証が入っていた。健保組合のお手紙が同封されていて所長あてには「福本順次様が1/10に満70歳となります。福本様に手紙と一緒にお渡しください云々」とありそこには「平成31年2月からは保険証と一緒に提示してください」とあった。

医療費の負担がいままでの3割から2割に変わるのである。一万円のところが七千円を切るのだと考えるとありがたいものであるが、一抹の淋しさもともなう。もう後戻りできない現実を突きつけられたような悲しみとでも言えばいいのか。嗚呼。

2019年2月5日(火)

てくてく歩いて行くから「テクシー」というのだ。山室信一氏によれば流行った当時は「モダン語」だったらしい。たしかにこれは何度か使った覚えがある。

場末(吉島)のバーで飲んでいて次は流川へとなった。先に出たぼくらよりも、Kたちの方が早く着いていた。どうしたんだと聞けば「おれらはタクシー」という。「ぼくらはテクシーだからなぁ」そんな具合だった。

学生時代の友人Kは酒場から酒場への移動に必ずタクシーを使うので有名だった。みんな「ゲルピン」だった頃、このこだわりはいまもって不思議である。Kは「デカルトの方法序説」などという凝った文章を仲間の同人雑誌に書いていた。ハイカラなところもあった。立ち居振る舞いは貴公子のように優雅だった。氏素性を詳しく聞いておけば良かったといまだに悔やまれるのは、ぼくも好きだった女性とその街から消えて以来消息が不明だからである。

閑話休題。「テクシー」がいつ頃から使われているのか気になったのでグーグルで調べてみると出てきたのはTexcyというブランドの靴だった。「足にやさしく歩きやすいカジュアルシューズ」というのがキャッチフレーズらしい。

「テクシー」についてはずっと後段「銀座にタクシーが登場した1912年から数年後に言われ出したがいまや死語である」と簡単な説明に行き当たった。Kとぼくとの思い出は1968年。当時すでに死語だった可能性はある。すると死語を使って青春の真っ只中を生きていたのか。なんとも皮肉な感じを覚えるが、それをふと思い出すことこそが摩訶不思議であるのかも知れない、と。


2019年2月8日(金)

雨が降ると聞くだけでわくわくした。じっさい昼すぎまで降った。気温の急上昇があった。冷蔵倉庫から外に出るとなま暖かい風が吹いていた。家に戻ってすぐに、釣られて動きはじめたかと丸坊主になったゴムの木、とりわけ根元の茶色い尖った芽に懐中電灯の光を当てて見た。

そんなに早くは無理にちがいない。何回もの寒暖を経験して「春」をからだに取り込んでいく。植物も人間も同じである。明9日は終日雪の予報である。積もるかも知れないと言われている。不謹慎でも、わくわくする。


2019年2月9日(土) 

朝、雪が降り出す前にと、車にガソリンを入れるために出かけた。さらにスーパーに寄って頼まれた買い物を済ますとパラパラとちらついてきた。家に戻って本格的な降雪を待っていた。しかし午後もかなりすぎてもその気配はない。雪を待つのも妙な気分になってきて、配偶者とともに同じスーパーにまた出かけることにした。お目当てのひとつは「三幸製菓・ミックスかりんとう」である。

1月中旬頃はじめてこの店に現れたがまたたくうちに消えたお菓子である。お客様相談室に「是非また入れてください」とメールすると「2月上旬より入荷予定でございますので、ぜひご利用くださいませ。 」という店長直々のメールがはいっていた。そろそろだとこちらも待っていたのだった。

先回とちがって地味な場所に陳列されていた。5袋買って外に出ると、雪である。ただ積もる感じはしなかった。あとで知ることになったが、低気圧が東の海上に逸れていったのでこのあたりの「大雪注意報」は昼すぎ、つまりかりんとうを買うはるか前に解除されていたのだった。

雪を待ち、雪を避けて、こんな日はこたつ(いま家にはないが)に入ってお菓子を食べながら過ごそうなどという昭和への郷愁もあったのにまったく肩すかしであるが、夜になって外をうかがうと庭や畑はうっすらと白くなっていた。と、そんな初雪の日なり。


2019年2月13日(水)

昼寝から目が覚めると午後4時半だった。身も心も爽やかになって、「やっと「朝」がきた」と叫んだ。

ほんとうの朝には種ジャガイモを買うためにホームセンターへ。こんど前の畑一区画の半分を借りることになったからである。キタアカリ、トウヤなど数品種を求めた。3月に植えると6月には収穫できる。配偶者は運動不足の解消を、こちらは食べる愉しみを、それぞれ漫画の吹き出しの如く念じていたにちがいない。

このところの休日は腹くちれば眠くなる、で一日の半分は寝て過ごす。そうしないと疲れがとれなくなっているのである。白昼に「福本順次(45)」の文字が出てくる夢を見た。夢としてはなんともリアルである。二十数年前に刊行された『日本仏教史』(末木文美士、新潮文庫)をfbで勧められて読み始めたがこれがベッドの友であった。


2019年2月14日(木)

カレンダーによれば今日は旧暦の1月10日であるらしい。旧暦の時代に生まれたわけではないのでヘンな感覚にはちがいないが中国などの「春節」に倣えばぼくの2度目の誕生日である。それがどうした? ということになるだろうが、年2回 Happy Birthday があるなどと考えるのはちょっと粋ではないか。

冗談はさておき今日はバレンタインデーである。個人的には無縁の世界であると思っているが、世の中もかつてほどの盛り上がりはないらしい。「自分チョコ」と聞けばさもありなんと納得する。秘めた恋、心に育んだ恋などというのは遠い昔話の如しである。ぼくは北九州市文化遺産にちなんだ「ネジの形のチョコ」とくまモンの高齢者運転マーク(紅葉マーク)を隣の人からもらった。これなら取り付けられる。抵抗なく。


2019年2月16日(土)

午後ワカバウォークで蘭華のミニコンサートをやっていた。はじめて知った歌手だがフジTV「ザ・ノンフィクション」を見ている娘は知っていた。所属事務所の56歳の社長、63歳の音楽プロデューサーと蘭華の3人が組んで売り出しに奮闘する番組だったようで、2週にわたって放映された。それが昨秋のこと。いまや新しいアルバムをひっさげて人の集まる場所でキャンベーンをやっているのだった。

広場後方の椅子に坐って登場を待っていると続々と人が集まって来る。ぼくのように偶然行き合わせて坐るという風ではない。この歌手のために集まったという感じだった。なかには福島や岡山からこのために来たという人もいた。よく見ればお年寄りばかりだった。買い物中の配偶者にメールすると「あなただって同じでしょ」と返事が来た。

シンガーソングライターということだが演歌っぽいところもあり、情感のこもった歌いっぷりだ。良かった。全編聞けなかったのは残念だった。家に戻ってYOUTUBEで何曲か聞いてみた。39歳の彼女は中国系三世で、蘭華は本名だと知った。


2019年2月19日(火)

韓国議長の発言に対する日本政府の反応はどう考えてもヘンである。一人のひとつの意見として聞けばいいのであって公の場で謝罪を要求すべきことではない。不適切だとか謝罪せよなどというのは「天皇陛下」に何を言うかという国粋主義に近似していると思う。怖いことである。

当の議長の反論「盗っ人、猛々しい」が至極まっとうに聞こえる。こんなことを言うと政権筋からは「非国民」のレッテルを貼られるのだろうが、それはもっと怖い。目茶苦茶な安倍政権がなぜかくも長く続くのか。早く潰れて欲しい。

離れて暮らす息子がインフルエンザに罹ったという。その間孫の写真・動画が届かないからといって「あぁ、がっかり」などとぼくは言わない。あの大臣とはちがうのである。


2019年2月23日(土)

深夜東の空にオレンジ色に輝くやや大き目の月(スーパームーン?)が見えた。その後、朝までの浅い眠りの合間にいくつかの夢を見た。グロテスクなもの、壮大なもの、さらには家族や仕事にまつわるものが多い。目が覚めた直後すぐに忘れてしまうがどの夢も漠然と「奇妙だったなぁ」と思われるのである。

なぜこんな夢が唐突に現れるのか、あのことが深層にひっかかっているせいかなどと慮ったりするが、中身が記憶に残っていない以上「印象」でしかない。最近それはとても勿体ないことのように思える。魚をとり逃がした釣り人のようである。

「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月」の明恵上人には「19歳から晩年まで、見た夢を詳細に記録した『夢記(ゆめのき)』」という著作があるという。栂尾・高山寺に拠った鎌倉期の宗教者はなぜ夢を記録しようと思ったのだろうか。内容はどんなものだろうか。遅ればせながら読んでみたくなった。

2019年2月25日(月)

陽気が春めいてゴムの木の芽や梅・プラムのつぼみがいつ開くか愉しみとなる。そんな折り、届かなかった郵便物、などと書けば凡庸な物語の題名のようだが、16日に集配局の窓口から差し出した郵便物三通のうち弟宛のものだけがいまだ届いていないことが昨日判明した。

同じ体裁の他の二通は三日後に届いているのにそれだけが迷子になってしまった。そこでJPのホームページから「届いていない郵便物等の事故調査」を依頼することにした。差出人、受取人のかなり細かい情報や郵便物の外観・中身などをフオームにしたがって書き込んでいった。かなり長い時間がかかった。全体として「お役所」のようであり、「お上」から聴取を受けているような印象があった。官製の名残りを見せられた。(かつては官製はがきなどと呼んでいた。)

苦労して書き終わると、こんなメールが入っていた。《郵便物等の事故に関するお申出を受け付けました。/この度は、ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。/取扱状況を順次詳細に調査し、ご回答申し上げますので、今しばらくお待ちください。》

普通郵便も追跡しながら調査してくれることをはじめて知った。というか、郵便物が届かないなどは人生初めての経験ではないだろうか、と思った次第。どんな結果が出るか注目されるが、これぞ春の椿事か、と。

2019年2月26日(火)

3月ぶりの通院。高齢者用の保険証をはじめて使うことになった。負担割合が2割になったわけである。1割減るということはかなり大きなことだと実感した。1割つまり10%というのは侮れない。ことし秋からの消費税率のことを思った。病院から戻ると練馬の義妹が来ていた。孫の話にもなってお互いに歳を取ったことをこちらも実感。そのくせ、甥や姪の歳を聞いて驚いた。ずっと逢っていないから、若い姿のまま残っているのである。記憶も時代もわがままなものである。

BSTBS『報道19:30』にてドナルド・キーンさんの追悼番組。偶然出合った番組だったが釘付けとなった。日本を愛した天才が駆け抜けた1世紀に心洗われる思いがした。

2019年2月28日(木)

2月最後は雨の日だった。終日からだが重く、アルバイト作業中疲れがとれない感覚が続いた。めずらしいことだったので夕食後、昨日配偶者が何十年ぶりに買ってきたアリナミンAを飲んだ。常備品だった時期があるわけではないがどこかなつかしい名前の医薬品である。いまやジェネリック品が存在するほど世に迎えられていることがなつかしさの中身である。きっと効くだろう。

味の素を連想した。これは10代から30代にかけて食卓の必需品だった。いろいろなものに振りかけていた。いちばんに思い出すのは白菜の漬け物にかけている姿であった。わが家を訪ねてくれた義母が同じように味の素を使うのでなつかしくまた嬉しかった。メーカーはふたの穴をほんの少し広げて売上増を図っているなどと噂されたこともあった。いつからか食卓から消えていった。

アリナミン、味の素……あ行の誘惑、と思った。がこれ以上続かない。もっとあるはずなのにおかしい。まだ効いてこないのか? ちなみに孫の名も「あ」からはじまる。



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