労働三昧窶れ


2019年5月2日(木)

 伝聞によれば、アルバイトの職場では出庫伝票の日付表示を「令和1年5月1日」としてみたところ、注文品が滅茶苦茶になって出てきた。令和をとったところ正常に戻ったという。せっかくの意気込みが出鼻をくじかれたかっこうになった。 

 ぼくは出勤と同時に誰彼となくあけましておめでとうございます、と言っていた。これは戯れ半分であったが実は案外と本気かもしれん、と思った。ある人などは、真面目な顔で「あ、あけましておめでとうございます」と返答してくれたのだった。
 

2019年5月4日(土)

 午後3時過ぎになって天候が急変した。空にわかにかき曇り、風が吹き、大粒の雨……。やがて雷鳴。これは久々で心ときめいた。稲光りのあとの時間を数えてみるとだいたい4、5秒だったがひとつだけ光ると同時に音が鳴り響いた。思わず戸を開けて外を見た。近辺に異変はなかった。光のみ、音のみであった。


2019年5月9日(木)

 今年から道路ひとつ隔てた向こうの畑を半区画借りるようにしたのだが、ジャガイモとナスが昨夜霜にやられたという。師匠格のTさんから富良野にいる配偶者経由で知らせが届き朝見に行ってみるとジャガイモはてっぺんの葉が、ナスはまだちいさな苗木で2、3枚しかない葉が、それぞれ黄変していた。

 かなり大きくなっているジャガイモはこの先も大過なく育つだろうが、ナスはもうだめだろうと判断して、Tさんは新しい苗に植え替えてくれた。「霜の通り道になっているんですよ」なに気ないTさんのことばにふっと惹きつけられた。「竜巻みたいにですか」

 関東平野のど真ん中、かつて陸軍の飛行場があった場所である。どこまでも真っ平らな空間を北から南に向かって季節はずれの冷たい風が吹いていく。水蒸気は地上付近で霜に変わり草木を容赦なく薙ぎ倒す。

これが霜枯れか。本来はよい言葉ではないのになぜか感応してしまった。嗚呼、薫風の季節なのに。


2019年5月11日(土)

「今年のGWは飛び石連休となります」などと騒がれたのはみんながせっせと働いた昭和時代のことである。

ぼくはひょんなことから木、土と仕事が休みとなった。昨夜配偶者も半月ぶりに戻ってきて、「飛び石だ、あしたも休みだ」と喜んでいたわけだった。とはいえ休んでみれば、身体の調子、つまりリズムがヘンで、『パゾリーニの生と〈死〉』(兼子利光著、ミッドナイト・プレス刊)と『新潮6月号』を交互に繙くもあまり進まなかった。仕事(半肉体労働)をしている方が精悍だと皮肉な感想を持った。

 ところで、飛び石連休、このことばこそいまや死語であろう。昭和60年(1985年)祝日法が改正され「2つの祝日に挟まれた平日を休日とする国民の休日が制定」されたのでカレンダーからはとうの昔に姿を消している。

「10連休」のご時世にあっては人々の脳裏からもこのことばはなくなり「それって、なんのこと?」となる。昭和の記憶であるので個人的な体験を出汁にして記録しておこうと思った。


2019年5月16日(木)

「70歳まで定年延長」の報道を受けて街の若者は「身体的、精神的にそこまではとても持たないと思います」と答えていた。「老害」などと言われた時代があったことを思えば夢のような話であるが、いま70と4ヵ月を過ぎたぼくはさながら「仕事人間」の如しでこんな世の中のモデルではないかと錯覚してしまうのである。

 人手不足に加えて、ひとり、ふたりと病気で一時的にリタイアを余儀なくされ、その分の仕事がアルバイトの身の我らにもずしんとのしかかる。そのせいで仕事の段取りのことなどを最近は夢にまで見るようになった。

 しくしくと忍び泣く声が聞こえるので近くの同僚に、どうした? と声を掛ければかたわらにうずくまる女性を指さすのだった。なぜ泣くの? とさらに聞くと「ううん、何でもない。ちょっと辛いかな、と思っただけ」。たったそれだけの昼間の夢の一シーンであった。そんなか弱い女性はまったくの作り物だが、ことほどさように頭の中は仕事のことで一杯である、残念ながら。

 2日前仕事の終わる頃、左手首の内側に10センチほどの切り傷を見つけた。赤くにじんでいるので、そんなに前のことではないが、どこでどんなふうに付いたのかまったく思い出せなかった。身に覚えがないというやつであった。

 更衣室で傷口を見せながら20代の同僚にそんな話をすると「リストカットみたいですね」と言われた。「そんな歳でもないから。悩みも鬱もない、健康人間だよ」


2019年5月22日(水)

「スノードロップ」(島田雅彦、『新潮』6月号)を読んでいるとき、「身罷り」を「身籠り」と間違えてしまった。「七人の侍の一人が身○り、六人になってしまいました。」という一文だった。誤読したために、おやっ、と一時は慌てた。六人になってしまったということはひとりがそんな事情で活動停止かと「深読み」したほどである。

この誤りは、減るよりも増える方がいいに決まっている、という先入観のもたらしたもののような気がした。作品はキワモノ的な装いを凝らしているが、現代を射貫いているように思える。

それに較べれば同じ雑誌掲載の「百の夜は跳ねて」(古市憲寿)になると奇をてらうがゆえか俗臭芬芬たりである。エレベータ内の階のボタンの番号を30から55まで羅列する必要はあるのだろうか、などと思ってしまう。小説を読むことで新しいことを知りたいのですよ、と寺田さんは言ったが、これはどうだろうか。とにかく読了しよう。


2019年5月26日(日)

冬に枯らしてしまったゴムの木の根元から緑色のちいさな芽が出てきた。待ち望むこと久しかった。これは大きな希望である。


2019年5月28日(火)

 血液検査の至急報告書をみると「LDH」が基準値よりも高い値を示していた。真っ先に「これは何ですか」と医師に尋ねると余白に「乳酸脱水素酵素、Lactate Dehydorogenase」と書いてこれとこれとこれの略です、どこかに損傷があると血中に流れ出すものですが、いま飲んでいる血液さらさらの薬の影響もあるでしょう、この程度なら気にしなくて大丈夫、などと丁寧に説明してくれた。完全に理解できたわけではないが、前回も同じ質問をしたなぁ、と思い出して少し恥ずかしかった。

 家に戻ってから過去の検査結果を調べてみると基準値上限222に対して、1915年が192、16年273、17年290、18年以降はほぼ3ヵ月ごとに281、238、240、240、258(今回)などという風に推移している。この数値の真の意味を知りたくてネットに入っていくと「400とか900とかになると他の病気が考えられます」という記述に遭遇した。なんだそうか、数字に一喜一憂してはいかん、さんざんどこかで自身も言い、また聞かされたことばを思い出した。

 余談ながら「LDH」の検索網にはおおく「LDH、大晦日に初のカウントダウンライブを開催」などの記事が引っかかった。その名の芸能プロダクションがあるという。「Love, Dream, Happiness の頭文字「をとった社名だという。うーん、ネットという海は広いなぁ。




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