本、読んでる?


2019年6月4日(火)

 ふた冬の間枯れたままだった龍眼の木からも新しい芽が出てきた。元々亜熱帯性の木だから、5月の異常な暑さに覚醒したのかも知れない。何年もにわたって実もならせたこともあり、鹿児島ルーツのこの木には愛着以上のものがあった。枯れたあともせっせと水を遣ってきた。もっともそれ以外何をしたわけでもなく、ただ祈っていただけだといえる。それだけにこんどは嬉しい復活である。

 記録によれば7年前に一度枯らしたことがあった。その年の春には枯れ枝の中程からの力強い新芽が出てきて、ひと夏の間に元通りになった。今回の2年越しというのはやはり驚異的ではないだろうか。もうだめかと思う日がなかったわけではないが、こうなれば祈りが通じたと思ってしまうのである。

 こういうのは蘖(ひこばえ)と呼んでいいのだろうか。ネットには、俳句では春の季語となっている、 森林伐採の後、切り株からの蘖によって新たな森林ができるようにすることを萌芽更新という、ともあった。


2019年6月7日(金)

 東京五輪のチケット、開会式の最高額は30万円(税込み)だという。どんな人が申し込むのだろうか、と想像しかねていたところ、昼食時の雑談で「申し込みましたよ、夫婦で60万。抽選待ちです」アルバイト仲間がさらりと言った。しばらく返す言葉が見つからなかった。

 前の東京が小学生の低学年の時だったというこの人は、聞くところによると東レの女子バレーボールチームのコーチを長く勤めた人だった。スポーツに縁のある人なのである。さもありなんと納得した次第。それにしても大枚はたいて生で見る価値を見い出すことはぼくにはできない。

 東京オリンピックの時高校一年生だったぼくは体育館に移動してみんなでテレビを観た記憶があるが、中身はずっとおぼろなままである。スポーツにも当時から音痴だったのか。2年後にその体育館では弁論大会が開かれクラス代表として演壇に立った。演題は「パトリシズムと愛校心」である。仔細をいまなお覚えているから不思議なものである。大きな羞恥心とともに思い出すのであるが。


2019年6月9日(日)
 
あの「AED」は、Automated External Defibrillator の頭文字をとったものだという。日本語訳は自動体外式除細動器と言うらしい。「細動」にぶるっときた。長年心電図をとるたびに「心房細動」と言われ、2年ほど前からそれに対処するための薬も飲んでいるからである。

先月の通院の折にお医者さんは聴診器を当てながら「不整脈が起こっていますね。活発ですね」などと言った。「自覚症状がないのですが」「それは慣れっこになっているからでしょう」

いまさらながら、国立循環器病研究センターのホームページに入って心房細動についての説明を読んだ。やっと心臓が動く仕組みがわかり、心房細動がなぜ起こり、なぜ危険な病気なのかがなんとなくわかった。

それによると、キーワードは心臓を動かす電流をつくる心房の「洞結節」(発電所)と心房と心室の境界にある「房室結節」(変電所」)にあった。胎児のときには心臓のいろいろなところに発電所を持っていいるが洞結節以外は蓋をされて生まれてくる。その蓋が外れることが心房細動の原因であるという。いわば胎児返りだ。

もうひとつ「エントリー」という医学用語が説明されていた。生まれる前の発電所の蓋が取れたことよって高い頻度で生じる電気に加えて、加齢などにより電気回路に当たる筋肉が疲弊しショートや断線が起こる。これによる電気の旋回を「エントリー」と言う。しかしこの「電気の異常興奮」も心室には伝わらない。変電所の働きをしている房室結節が、伝わる電気の量を調節してくれるからである。

これがぼくのからだの現状らしいと見当がつく。激しい動悸などの自覚症状がないのは変電所がまだ機能しているからだ。しかしいつ過電流、つまり旋回、エントリーに抗しきれず不全に陥るか、神のみぞ知るである。身体のことは究極、そこに落ち着くような気がする。


2019年6月11日(火)

 身体のことは神のみぞ知る、などと大仰に書いたのは数日前だったが、その前日の早朝、庭の草むしりを終えた配偶者が顔をまっかっかにして戻ってきた。小さな虫の一群に顔面を襲われたというのであった。痛みも痒みもないが頬が大きく腫れている。以前北海道の病院でもらったフルコートが残っていたので塗って様子を見ることにした。

 夜になっても腫れは引かなかった。両頬ともふっくらと盛りあがつているが左側が特に大きい。あのあとまた刺されたという。どうやらちがう虫のようだ。ひと晩様子を見て明日にも病院へと進言していたところ、午前2時を過ぎて鏡を見た配偶者は「腫れが顔全体に広がっている」と言い出した。見ればそんな気がする。

 K病院に電話をして当直の医師に取り次いでもらうと専門ではないがとりあえず来てください、との返事、すわ急げとばかりに出かけたのだった。問診を受けたあと「顔だから塗り薬よりも飲み薬を処方します。何にするか他の先生と協議しますので、外で待っていてください」若い当直医師は言った。三日分の抗アレルギー剤をもらって帰ってきた。午前3時を過ぎていた。

 それから二日後には腫れはすっかり引いて元通りになった。「わたしって意外と美人だね」などと軽口がでるようになるほどの回復ぶりであった。あの若い医師は「名医」かも知れないと思った。やがて「神」になるだろう、多くの患者にとっての。


2019年6月15日(土)

健康診断が意外と早く終わったので新宿をぶらぶらすることにした。雨の中、七丁目の「健診プラザ」から明治通りに沿って歩き、六丁目の交差点で右折した。ここがまちがいだったとはあとでわかったことだが、やがてその区役所通りが職安通りと突き当たった。また右折するともとの七丁目に戻っていたのだった。ぐるっと方形の一区画を回っていたことになる。もう歩くのも大儀だったので、朝降り立った駅から都営大江戸線に乗ってひとつ先の「新宿西口」まで行った。

地下を移動中にカープの応援歌が聞こえてきた。アンテナショップの出店だった。こんな時にお土産などはあり得ないと思いつつ、衝動的に「レモン胡椒」と「レモンケーキ」を買った。道には迷ったが、最後にはいいものにめぐり逢えたと自分に言い聞かせる。

ところで、A.D.は「ラテン語 anno Domini 主の年に」、B.C.は「Before Christ 西暦紀元前」のそれぞれ略語である。歴史の教科書以外ではほとんど使わない。A.D.はそこでもいまは使われていないかも知れない。

はじめてこの略語に接したのは中学生になったときだった。中学の社会科の先生は同じ村のお寺の住職だった。お互いよく知っている。というかその住職先生はぼくの生まれたときからそれまでの12、3年間を知り抜いている。お寺さんは生まれ育った家のとなりにあったからだ。

その先生はなぜか「B.C.」というあだ名で呼ばれていた。授業で「それはB.C.253年の出来事でありました」という言い方を可笑しく聞いた誰かがつけたのだろう。あとに続いたわれわれも「B.C.」と呼び捨てていたわけであった。

深い意味があったとは思えないが、令和に入った時代に「やぁーい、昭和」と指さすようなものである。いま差されているのは若い頃職場があった新宿なのに、迷子同然に歩いた自分である。これはいわば、心の健康診断だったのだろうか、などと云々。


2019年6月18日(火)

夕べは満月だった。夜が明るかった。今朝5時を過ぎると道路の向こうの畑では何人かの人が作業をしていた。窓越しに眺めていると庭に(虫除け)完全武装の配偶者が現れた。こちらは朝食のパンをかじったあとまたひと眠り。数時間後に起きると畑の人も配偶者も依然外の作業を続けている。

「みんな早くから頑張っているなぁ」
「あなたは外で働いているから、顔見せなくともなんにも言われないわ」
「そうでなければ、あそこの人はいつも家に閉じこもって何をしているんだろうね、と近所で評判になるか」

とはいえこの日は下水の中継タンクのドブ浚えに挑戦した。匂いもあったしそこが詰まって流れが滞っているようだという配偶者の見立てもあり重い腰を上げた。他の人の100分の1ほどの「仕事」だったが、達成感はある。いい気なもんだが。夜は十六夜の月。明るい。


2019年6月21日(金)

新潟北部の街村上市で震度6強の地震が発生した。長岡出身のアルバイト仲間に「実家は大丈夫でしたか?」と聞くと「えぇ、なんともなかったみたい。どこにいても起こりますからね、地震は。怖い、怖い」

さらに「今回は上越の方が大変でしたね」と言うと「あら、北が、つまり都に遠い方が下越だったと思う、たしか」と訂正された。新潟市は下越地方の、長岡市は中越地方の、それぞれ中核都市である。「北にあるから上」という発想はたしかに安易であった。もっぱら天気予報で使われる呼び名だが、いままでまったく逆に理解していたことになる。無知と、所詮異邦のことと思う心性を大いに恥じる。

蜜柑などの果樹栽培が盛んな蒲刈群島出身の女性を奥さんにもつ畏友から上蒲刈島と下蒲刈島の命名はどうしてなされたかについて何年か前メールで長い説明を受けた。

それによれば経済的に裕福な方が「上(かみ)」と名乗ったということらしいが、真偽のほどはわからない。学生の頃上蒲刈島の持山へ蜜柑狩りに何度か招待されて行ったことがあった。上とか下とか考えもせず眼下の瀬戸内の海にみとれていたもので、いまだに瞼に残っているのである。


2019年6月25日(火)

「本、読んでる?」
突然聞かれた。読書も思索も遅々として進まなくなったなぁと自省しながら、
「寝ながら読む程度だね」
「そんなことができるんだ。器用なんですね。それとも、本の夢? 夢の本?」
本を両手にベッドに入ってもほんの10分も経たないうちに眠ってしまう。そのことを言いたかったのだが、なぜかシュールな会話になった。

すぐに眠ってしまうのは本のせいではない。気力の問題である。ついでに体力と言いたいところだ。今日も白昼のべ6時間は本を手にうとうとしていた。しかし『パゾリーニの生と〈死〉』(兼子利光著、ミッドナイト・プレス刊)を読み終えたのは大きな成果であった。映画『アポロンの地獄』しか記憶に残っていないがこの本はパゾリーニという稀有の才能を「消費資本主義」のうねりの中で再現した労作であると思った。

そんななか昨日の同僚との会話を思い出して苦笑。文庫になったばかりの『マチネの終わりに』をオムニ7に注文した。




過去の日録へ