痛みとの闘い


2019年7月2日(火)

 その人の名前を忘れる。何度も。必ずしも名前は必要ないが、仕事上知っていたほうがいいのに、一度忘れるとなかなか思い出せない。こんどの特徴はふとした拍子に思い出すがすぐにまた忘れてしまうことである。はじめて聞いたとき、堂々とした体躯、厳つい顔にそぐわない優しい名字だ、と思った。その印象があだ(またはトラウマ?)になっているのかも知れない。

 仙道? 千草? いやちがうなぁ、などとけっこう本気で悩むのである。もう一人「のだけ」という人にはどんな字書くの? と聞き返した。野原の野に、ほらむつかしい山の名前の嶽ですと教えてくれた。これはもう忘れることはないだろうと思うが、問題は件の人である。きのうの昼にいったん思い出したもののそのあとすぐ忘れてしまってもう20時間以上が経つのである。

 ありふれた名前のようだが、高貴な匂いもする。誰か教えて!

 追伸:その人の名前は「真下」だった。あれから24時間以上が過ぎてなお気に掛かるのでネットの名字ランキングを覗いてみた。おぼろになった記憶を喚起しようというわけである。すると1379位に出てきたのである。ついでに「武蔵国児玉郡真下村が起源(ルーツ)である、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏」という由来も目を引いた。これでもう忘れることはないだろう。記憶への長い旅だった。


2019年7月5日(金)
 

 朝外出時に郵便受けを見ると1枚の葉書が内側に張り付くようにして残っていた。消印は読みとれなかったが、文面に「明日から七月」とあるから数日前には届いていたのだろう。取り忘れたかとほぞをかみつつ読み直した。

 Здравствуйте! 

 冒頭はロシア語であった。大学の授業で1年、世の中に出てからテレビ講座で約2年「学んだ」ので綴りは読めるが正確な意味はわからなかった。昔々のことだからきれいさっぱり忘れている。この意味を知らで返信はできないと思って調べた。

 Здравствуйте! (ズドラーストヴィチェ) = こんにちは

 差出人の畏友はそのあと「早朝散歩を始めた。なんせ4時に目が覚めてしまうので。(中略)カープは無惨だね。わけわからぬチームじゃ」とある。返信(メール)には「『マチネの終わりに』を読んだ。ある個所では泣いてしまいました。これは複雑な涙と言わざるを得ないのです。(中略)選手はみな懸命なので応援するのみ」と云々。

 Пока Пока=じゃあ、 またね


2019年7月8日(月)

1:30、3:00。これが12時にベッドに入って4時50分に起きるまでに目を覚ました時間である。その都度パソコンに向かって、習慣のようにメー.ルをチェックしてみたりfbを覗いてみたりで、ブルーライトを浴びることになる。それだけで脳が興奮して(アドレナリンを出す?)また浅い眠りとなる。毎夜そんな繰り返しであり、健康の被害がどこに及ばんとするのか測り知れない。

人間ドックの結果が届いた。仕様が変わっていよいよ「成績表」らしくなっている。すなわち、表紙をめくると2ページの見開きに各項目についてAからFまでの評価一覧となる。それによると22項目中「異常なし」のAが12、「基準をかすかに外れているが日常生活に差し支えなし」のBが4、「経過観察」のCが4、「主治医のもとで継続して治療」のFが2であった。これはとりあえず了であろう。詳細は次ページから記載されている。


2019年7月9日(火)

 終日曇り空。出がけにフェンスの天辺にキュウリを1本発見した。U字形に曲がったキュウリなので鉄の柵を挟むように乗っている。車を停めてとなりの配偶者に「あれ、どうしたの?」と訊くと「鳥が来るから」という。

 フェンスのすぐ向こうのブルーベリーの木2本が荷造り用のひもでぐるぐるとガードされている。20年近いこの木年ごとに実が多くなりいまや熟す寸前に見える。「ブルーベリーはこっちで食べるから、君らはキュウリをとでも」と半畳を入れればやっとキュウリの存在に気付いた配偶者は車を降りてキュウリを家の中に仕舞った。車に戻ると「畑で採ったあと置きっ放しだった。忘れっぽくなったわ」と笑いながら言った。

 ことしの梅雨は日照不足で農作物への影響が早速出ているという。昼前には練馬の農家の人がナスが小さい、キュウリが曲がるなどとテレビで言っていた。朝のキュウリはたしかに曲がっていた。曲がっていたからうまく柵の縁に乗っかったのだった。またなぜか笑いがこみ上げてきた。日照不足は深刻で笑っている場合ではないのだが、植物に成り代わって「光合成ができないよ」と嘆いてあげるしかない。


2019年7月14日(日)

 カープ11連敗、20年ぶりだという。テレビの実況中継を観るのは怖いので半アナログ的な「一球速報」で経過を追うようにしてきた。先夜などは9回表2アウト満塁、アウトあとひとつで勝てたのに、押し出しの四球2連発で逆転された。選手たちには大きなプレッシャーがかかっているのだろう。これでやはり悪循環と言わざるを得ない。

 20年前と言えば1999年である。その頃ぼくは何をしていたのだろう。いろいろな空回りを経験していた時期だったかも知れないと思う。


2019年7月20日(土)

 何もする気が起きない情態が一週間以上続いている。持病の掌蹠膿疱症が左肩の関節に伝播してかすかな、しかしイヤらしい痛みが続き、ついつい横になってしまうのである。この欄の更新を気に掛けているので寝転びながら(おそらく夢の中で)2回文章を組み立てた。ひとつ目は物にならなかった(?)が二つ目がこれである。

 そんななかで昨19日は期日前投票を済ませてきた。選挙区は共産党の候補者、比例区は山本太郎に入れた。彼の率いる「れいわ新撰組」マスメディアにはひとつも乗らないがかなりの勢いがあると思われる。思えば6年前新宿で偶然街頭演説会に遭遇して聞き入ったのである。今回YouTubeなどで見聞きしていると率直でわかりやすい。根本の主張は6年前と変わらないが、パワーは何倍にもなっている。期待したいところである。


2019年7月24日(水)

 4時についに頓服(ロキソニン)を一錠飲んだ。そのせいか目覚ましアラームに気付かず、弁当を作り終えた配偶者に起こされることとなった。痛みが消えてすっきりと眠れたらしく時刻はすでに30分以上過ぎていた。前の日は一日中左肩の痛みとともにあった。それがある間は書くも読むもままならずだったが、薬で止めても効き目が切れればまたぶり返すのでずっと我慢してきたのであった。

 本格的な夏の暑さだったその日、柿の木に毛虫が発生したらしく配偶者は双眼鏡で確認している。枝葉は3メートル以上先から繁っている。高い位置に柿の実もなる!取る前に落ちてしまうのが毎年のことである。いっそ切ろうかという話になっているが、柿の木のたたりが怖いのでためらっている。毛虫はそんな忖度はしない。

 ぼくはおもむろに手袋をはめた。めずらしいね、何するの? と訊くから雑草を抜く、ただし植木鉢の、と答えて失笑を買った。身体が痛いと発想も縮こまるようだった。


2019年7月28日(日)

 おととい義妹が飼いはじめたばかりの猫を連れてやって来た。7歳の雌猫で、もとの飼い主がつけた名前がキキ、思わしく反応しないので、キキララ、と呼んでいるという。居間に入るとすぐに見知らぬわれらを避けるようにとなりのぼくの部屋へ走り、襖を取り払って物置と化している押し入れに入り込んだ。

 使わなくなった椅子の下にしばらくその姿が見えていたがそのうち見えなくなった。衣類や本やノートや文房具の入った段ボール箱と紙袋を取り出し、レコードプレーヤー、アームライトを取り分けての大捜索となった。するとキキララはいちばん奥の壁と段ボールとの10センチにも満たない隙間でじっとしていた。なぜそんなに逃げていくのだい、と呟きながら首をつまんで“救出”した。

 猫を抱くなんて久しぶりのことだった。よく見れば顔全体が扁平していて、緑色の瞳をした目が異様に大きい。エキゾチックな猫だなぁと言うと義妹は「西洋の血が混じっているらしい」という。それにしても物静かな猫だった。ニャンとも言わず膝のうえでかしこまっている。家では早朝からやかましいほど鳴く、と聞いてこれが「借りてきた猫の本領か」と思ったものだった。





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