日  録  八朔から「旧八朔」へ

2019年8月5日(月)

 宿痾の肩関節の痛みがやっと遠のきはじめた。痛みというのはからだの中のマグマみたいなものである、というのがこの半月の感想であった。目に見えない火玉がマグマだまりから出てくる。ぼくのマグマだまりはいま左肩ある。右から移動したようで右の痛みはなくなった。噴火の痕跡のように肩にはおおきなくぼみが残っている。掌蹠膿疱症というのは掌蹠つまり掌や足の裏にできる膿疱が関節にもできるらしい。それが痛みの元だと説明された。関節を変形させる力のある膿疱、目に見えない火玉でなくて何だろうか。
 
 発症は40の手前だった。あちこちの病院をめぐり、原因を特定するための検査も複数回受けたが、結局対症療法しか術がなかった。大量の薬をしばらく飲んだが、かえって本体の身体が具合悪くなりそうになって、痛みも膿疱もすべて飼い慣らすことに方針転換したのだった。

 以来30年である。よくぞ我慢してきたと思えるが、今回の痛みは執拗だった。2日3日は9度目の「信州合宿」だったので出発前に薬局でロキソニンを買ってバッグの底に忍ばせた。畏友たちと再会するのに痛みに気を取られ、楽しみを半減されては癪だったからだ。

 これが杞憂だったのである。ほとんど痛まず、薬を飲む必要がなかった。標高1400メートルの立原高原、野辺山、清里高原の清泉寮などは、癒やしの空間だったのだろう。家に戻って、痛まなかった、と配偶者に話すと「楽しいことを身体が正直に反映しているのよ。あなたはいつもそうだね」と。図星だな。


2019年8月11日(日)

 柄谷行人の『世界史の実験』(岩波新書)に触発され柳田國男を読み直したくなって、『山の人生』や『毎日の言葉』『日本の伝説』やらを本棚から探し出そうとした。後の2冊(文庫)はすぐに見つかったが、肝心の『山の人生』は見当たらなかった。

 見つかった2冊は字が小さい。奥付が昭和48年、54年となっているがいまでは考えられない小ささである。こちらも若かったとはいえよくぞ読めたなぁと感心した。もっとも中身はほとんど覚えていないので「読めた」と自慢できたものではない。こんど「行くわ」とか「行くばい」とかは「行きます、私は」から転じたもの、つまり「わ」「ばい」は一人称の人称代名詞であるという主張を確かめることはできた。(『毎日の言葉』より。柄谷行人の受け売り)

『山の人生』は早朝ネットショップに注文した。そのあとでこの日が「山の日」だと気付いた。祝日は後付けながら奇しき縁に小さく頷く。こんな程度の発見しかないのが猛暑の日々の体感である。


2019年8月16日(金)

 もっとも近い大都市が人口28万の川越であるが先日そこへ行った。何年ぶりかの大商業施設は驚くばかりでわれらは異邦人というよりは浦島太郎であった。目的は二つあったがお店の名前がすべてカタカナ(横文字)。案内板をみても何を売っているのかさっぱりわからない。

 それらのなかでなんとなく聞き覚えのある名前がゴディバだった。まさか外資系のチョコレート屋さんとは知らず声に出さず連呼していた。そうすれば思い出すかも知れないと思ったからだが店を探し当ててやっとわかった次第である。一つだけとてもわかりやすい名前があった。それは「靴下屋」である。ほっとするが今回の目的は靴下でもなかった。

 なんとか用事を済ませたあと帰りの車の中で食べるためにたこ焼きとタイ焼きを買った。一口茶屋というお店だった。タイ焼きを一口食べて思い出した。2年ほど前にここでは二度と買うまいと誓った店だったのだ。餡が水っぽ過ぎ、焼き方に心がこもっていないと感じたからだった。たこ焼きは食べなかったのでわからないが、あの店があるあたりは人通りもなくなんとなく寂れた感じがあった。店員の声さえも掠れて、どこか突っ慳貪に聞こえたものだった。いまや横文字隆盛の時代だと俄浦島は思うのだった。


2019年8月19日(月)

 3日前にはお盆休み中の娘と配偶者が買い物をするというので運転手役を務めた。長い待ち時間をどう過ごすか。混み合うフードコートを覗いてここなら気兼ねなく時間をつぶせそうだと見当をつけた。本屋に戻って「むらさきのスカートの女」全文掲載の『文藝春秋』を買った。ハンバーガーをかたわらに置いて、こんなことでもなければ受賞したばかりの作品を読むこともないだろうと思いながらページを繰っていった。

 するとこれがなかなかよいのである。最初は「子供向けの童話」を読むような感覚だったが、そのうち「もしかしてドッペルゲンガー?」と思うようになった。覗く女と覗かれる女が実は同一人物であろうなぁと確信しながら読み進めた。いくつかの矛盾点も気にならず、というか矛盾を矛盾として受け入れていくことが心地よかった。対幻想のなかではなんでもあり得る。そこが小説の、あるいはことばの面白さだろうと考えさせてくれた。


2019年8月23日(金)

昨晩スイカ畑のスイカがひとつ何者かに喰われてしまった。直径10センチくらいの丸い穴がぽっこりと開いて爪痕か歯型かが幾筋も奥深くにつながっている。カラスにはこんな芸当はできないのでハクビシンかアライグマの仕業だろうということになった。

近接する隣人のスイカ畑も同じような「手口」でふたつ喰われている。こんな被害はかつてはなかったということだった。彼らはいい物を見つけたと思ったかも知れないが、雨も上がったので畑を片付けることにした。普段は畑仕事などしないのにこの日は泥まみれになって作業をした。

犯人がアライグマなら因縁がある。何年か前「親子」が屋根裏に住み着いたことがあったのだった。親が戻ってこないのでお腹を空かせた子供が2匹天井裏につながる通風口から滑り落ちてきたところを捕まえた。偶然の捕獲劇だったが、以来天井から足音が消えてほっとした。

親が戻ってくるかも知れないというので市から捕獲用のゲージを借りて子供が落ちていたところにしばらく置いておいた。わなにはかからなかったが、何ヶ月かあとに市から外来特定生物捕獲員認定証をあげるので講習を受けてください、という連絡があった。子供2匹を「市に渡して」殺処分させたというので家の者らからひんしゅくを買っていたので応募は辞退した。

「もうスイカがないのでがっかりするだろうなぁ。夜中になれば隣の人のスイカ畑にやってくるアライグマが見られるかなぁ」などとうそぶくと「ヒマなら観察していなされ」と配偶者から軽くいなされた。ところで、大2個、中1個、小2個がことし最後の収穫だった。合わせて20キロはあると思われる。甘ければ、最高でーす、となる。甘くなくても贅沢な水分補給、まさに天地の恵み、である。


2019年8月26日(月)

地蔵盆の二十四日、帰宅したその足で市役所に向かい期日前投票を済ませた。今回個人的に魅力のある候補者はいないのでモチーフはすこぶる弱いが前回の知事選の投票率が二十数%というのでこれはなんとも低いと感じたのは出かける一因となった。

事実上野党と自民・公明の一騎打ち、実際このあたりの選挙掲示板には二人のポスターしか貼っていない。あとの3人はどうしたのだろう。ポスターを掲示するにも及ばない泡沫と自らいうのか。

一票を投じた野党系の大野氏が当選したことを朝になって知った。注目の投票率は30%を超えたらしい。


2019年8月30日(金)

27日は3ヵ月に一度の通院日だった。今回の血液検査で「APTT」は44.7。APTT(activated partial thromboplastin time)というのは、日本語訳が「活性化部分トロンボプラスチン時間」といよいよ訳がわからないが、つまりは血液が固まるまでの時間のことらしい。

ぼくの場合基準値「24〜40秒」よりも上限で4.7秒長いので「(血液さらさらの)薬が効いています。50くらいは欲しいという人もいますが、あなたの場合は薬の量を半分にしてこれだからまぁいいでしょう」とお医者さんは言った。血液さらさらの文言、最近はあちこちで見聞きするのでかなり一般的になっているのだろう。

先日も救急医療センターのドキュメント番組で鼻血が止まらなくなった人が運ばれてくる場面があった。医師の診断は「血液さらさらの薬のせいですね」電気レーザーで止血するまで一時間ほどかかったと報告されていた。鼻血は予測不能のもののような気がするがこの薬を飲んでいる者は迂闊に怪我もできないのである。それでも血栓ができて深刻な事態になるよりはということで、「良し悪し」はあざなえる縄のごとし(?)の感を深くする。


2019年8月31日(土)

今日で八月が終わる。カレンダーを見ていると八月一日は「八朔」、前日の八月三十日が「旧八朔」となっていたのでちょっと不思議な感じがした。八朔に始まり八朔に終わるとはどういうことか。旧暦ならばまた八月がはじまるわけだ。猛暑の八月になごり惜しさを感じるわけではないが、いや早く夏が終わってくれないかと思わないでもなかったのに、いざ終わるとなると急ぐこともないだろうゆっくりしていってよ八月、なんて思ってしまう。

お盆に田舎に帰った姉からの手紙に高齢になったが元気なふたりの叔母が「順わや」と聞いてきた、と書かれていた。この「わや」が解読できない。「どうしているのか? 逢いたいものだ」ぐらいの意味だと推察できるがこんなことば遣いはあっただろうか。悩んでしまった。そしてついに一度帰郷するしかないという結論に達した。その準備をしよう。それには進みゆく時がいる。さらば、八月。



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