厄介な記憶


2019年9月3日(火)

 起き抜けに庭を見てびっくりした。左側の一角、モミジの木の下が見違えるほどきれいになっている。腰掛け用の御影石も紫陽花も笹や雑草におおわれて見えなかったのにふたたび姿を現していた。すでに外にいた配偶者に「働いたなぁ。ぼくの一日の仕事量よりも多いよ」と声を掛けた。

 長袖、長靴、マスク、頭にタオルという完全虫除けの服装(つまり目だけ残した恰好)で早朝の数時間庭仕事をする。それが日課になっていて「時間を忘れてしまう」とうらやましいことも言う。おかげで、また御影石に腰掛けて、緑陰(もはや季節外れかも知れない)の思考が楽しめるというわけであった。ここまで、暢気なのは男ばかりなり、である。 

 午前8時にもならない頃「柿の木もなんとかしないと。毛虫の卵だらけだった。今朝は育った毛虫2匹を目撃した」。配偶者の心配はただひとつ毛虫が高い木の枝から落ちて通行する人を直撃することだった。仮にそうなっても法律的にも道義的にもこちらに責任はないというのがぼくの考えだが彼女はちがう。おおきな負担を感じてしまうのである。こんな性分を悪いとは言えない。

 根元からバッサリを目論んだ。生り年には柿の実は成るが高い枝にできるので容易に取れない。そのうえ渋い。庭の中央、道路に面して陣取っているので陽射しをさえぎる。ぼくにも毛虫とは別に「伐る理由」はあるのだった。

 ところが柿の木は頑固だった。チェーンソーの歯が立たない。二股に分かれた左側の幹をノコギリとチェーンソーを交互に使ってやっと伐り落としたあとは上空にまっすぐ伸びた枝を切っていった。老齢の幹とちがって若い枝は風評通りに脆かった。高伐りはさみの先端のノコギリで切り落とすことができた。高い枝の葉はやはりボロボロで毛虫が生息していた。見つけた毛虫は数匹。ひとつの枝に1匹のみと見受けられた。毛虫にも縄張りがあるのだろうか。

 上空に向かってまっすぐのやや太めの枝を5本ばかり残して作業を止めた。時計を見てびっくりした。もう午後一時になっているのだった。一心不乱に5時間も働いていたのだった。こりゃ時間も忘れる、と思ったものだ。途中脚立が傾いて転落しそうになったが危うく食い止めた。もし踏みとどまれなかったらそこで時は止まったことだろうとも思った。


2019年9月6日(火)

 ガラケー人間だが配偶者が使っているぼく名義のスマホについて「らくらくセンター」に問い合わせる羽目になった。2回、延べ1時間20分の通話を通してスマホがうんと近づいてきた。

 最初は写真や動画を「SDカードに移す方法」について質問した。本体メモリーを軽くして機動性を増したいという発想だった。SDカードは8ギガのモノを入れているのにほとんど使っていない。スマホから電話をすると案内の女性は「近くに別の電話機はありますか」家電の番号を知らせると「同じ機種を手元に用意して5分以内にこちらから掛け直します」と言った。

 互いに同じ機種を手元に置いて「計500ものメディアファイルをバックアップののちSDカードに移動」できた。まさに手取り足取りである。親切であった。それで40分。

 無事済んだと思いきや「メモリ不足のためこのまま続けるといろいろな支障が出ます」などという警告が出てきた。メモリーを軽くするという目的とは逆のことが起こったのである。これぞ手に負えなくてふたたび電話をする。担当の人が男性に変わる間の待機時間も含めてまた40分。

 言われるままに、いったん電源を切って再起動、SDカードを抜いて再起動、と操作を繰り返した。その都度「空き容量」をチェックして知らせると「残りメモリー370メガは不足とは言えない。その警告は本体のモノではなくSDカードのメモリ不足を言っている」となった。SDカードの空き容量は2.4ギガとなっているのでその診断は俄に信じられなかったが「私が言えることはここまでです。また何かあればお電話ください」となった。

 ところがSDカードを入れて再起動すると警告は出なくなったのである。「らくらくセンター」は凄い。おかげでガラケー人間は重要な操作方法を会得してしまった。無駄な知識、そしていずれ忘れゆく運命にあるが、得した気分にはなった。


2019年9月10日(火)

「トイザらス」を検索すると南古谷の「ウニクス」と富士見の「ららぽーと」にあるというので出かけた。二つの商業施設はかなり近い。前の職場のときにそばを通って通勤していたからおおいに土地勘はある。

 正確に言うと前者は買い物などのために途中立ち寄ったところである。教え子が警備会社の制服を着て車の整理に当たっていた。たまたま逢えた日などはなんとなく嬉しくなったものだった。後者は当時まだ建設中で開業した頃は職場が変わったのでそばを通らなくなった。

「ウニクス」では施設のなかに看板はあるのに「トイザらス」を見つけることができなかった。(実はメイン施設とは離れた棟にあるのだった。二階のわたり廊下に気付かなかった。かなり近くまで行っていたので矢印でもあればよかつたのに。もう一つ用事があって、帰りにふたたび立ち寄ったときに確認した。)

 はじめて訪れた「ららぽーと」はたくさんの人で賑わっていた。これにはびっくりした。若い人が多いのもまた驚きである。年配者といえば幼い子供を連れた若夫婦にたまに祖母や祖父(とおぼしき人)が混じっている程度だった。我らのような祖父母ふたり連れは他に数組いたかいないかである。

 閑話休題。この週末に福岡で会う孫のためにおみやげを買うのが目的だった。いろいろなお店にいろいろなモノがあって目移りしたが、こんにちはと話しかけるとこんにちはと返すハムスターの人形にはたまげた。また明日とか元気?とか短いことばだけだろうと思って「今日は暑い一日ですね」と言うと一言一句違わず話すのである。声音がどこか自分の声と似ているようなので早い山びこのようでもある。どんな仕組みだろうと気になったが種明かしをしてしまうと半ば興ざめとなるのだろう、知らない方が面白い。これは「トイザらス」に売っていた。

2019年9月11日(水)

暗くなっての帰り道、対向車線の際(きわ)に「5メートル先右折」なる大手スーパーの案内看板が目に入った。車で5メートルとは指呼の間(かん)もいいとこである。ゆっくり車を走らせてせわしなく視線を巡らせるがそれらしき「入り口」を見つけることはできない。入るつもりはないので特段支障はないのである。

そもそもそんな大きくもない看板が目に飛び込んでくるのはよそ見運転が増えてきた証拠である。かつてはしっかり前を見て運転に集中し、運転を楽しんでいたような気がするのだった。最近よそ見が増えてきた、何でも見ておきたいという興味、好奇心に勝てないのだなぁ、と配偶者にこぼすと、

「あなたは昔からそうでした! よそ見だけではなく、いまやらなくてもいいことを運転中に始めたりする。いよいよ注意してもらわないと」

「そうかなぁ。にわかには信じられんなぁ」

自らの言動を自身は解読できない、最近はそんな場面が増えている。


2019年9月13日(金)

「13日の金曜日」で「仏滅」だが今宵は「十五夜」、こちらには今日が5連休のはじまりである。こんな「長い」休みは正社員だった頃の「リフレッシュ休暇」以来およそ25年ぶり。嬉しいことである。

ところが、5連休の初日にして銀行の「通帳」を紛失してしまった。ATMで振り込みと記帳を済ませたあといつものバッグにしまうときにすりこぼれて落ちたか、ベンチで配偶者を待つ間に他の通帳を同じバッグから取り出して眺めたのでそのときに落としたか、どちらかしか考えられない。後者ならば「人がいっぱい行き来するところで見なくてもいいのに」と叱られるのである。

家に戻って銀行に電話をした。「悪用されないために通帳を使えなくしておきます」と言ってくれるのでお願いした。悪用はともあれ、それ以前に、拾った人が仮に中を見たとしたら、びっくりしてやがて呆れかえるかもしれない、と考えるとちょっと複雑な心境になるのだった。この失態、いずれ「毎日が日曜日」になる前兆でないことを祈るのみ。


2019年9月17日(火)

 息子夫婦の招待を受けて14日から16日まで福岡の孫の元で過ごした。1年ぶりに逢う3歳半の孫はまたひとつ大きく成長していた。アリさんが大好き、というので「おじいちゃんの住んでいるところにはたくさんいるよ。ダンゴムシもモグラだっているよ」と言うと、「なんで?」と問うてくる。「土がいっぱいあるからね」「どうしてここにはないの?」

 あらゆる疑問を見逃さない。どれもまっとうな疑問なのに(いやそれゆえにと言うべきかも知れない)答えに窮してしまうことが度々あるのだった。知恵のはたらく様子が伝わってくる。この時期の子供はみんな凄いのである。  

 15日には唐津・呼子に連れてもらった。遠くに名護屋城跡、すぐそばに玄界灘の入り江を眺めながら魚料理を食べた。あっという間の3日間だった。振り返ってみればいちばん疲れたのは孫ではなかったかと少し不憫な気持ちにもなる。この孫は遠くからやってきた祖父母を遊んでやらねばならないという使命感にあふれ、次々と新しい遊びを工夫して、休むヒマもなかったからである。遊んでもらった祖父母には大満足の日々だった。


2019年9月18日(水)

 この日は社日(しゃにち)だという。これはどこかで聞きかじったことがある固有名詞だと思い調べてみると、

「雑節の一つで、産土神を祀る日。春と秋にあり、春のものを春社、秋のものを秋社ともいう。古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する。 春分または秋分に最も近い戊の日が社日となる。」

 とあった。こんどは10年ぶりの帰郷に向けて精進しなければ。土いっぱいの田舎である。


2019年9月20日(金)

 土がらみの話題が続く。早朝畑に白菜を植えるというのでおっとり刀で下りてみた。普段の休日ならば何回目かの睡眠をとっている時間であるが師匠のT夫妻が手伝ってくれるのに、ひとり惰眠をむさぼるわけにいかない。

 めずらしい人間を見つけたとばかりにTさんは「お、戦力ですか、それとも……」とからかうので「ギャラリーです」と答えた。横から配偶者が「手伝いに使ってください」と声を掛けた。「それではとっくり結びを教えましょう」となった。

 簡単にほぐれては困るもの、例えば徳利をぶら下げるひもに使うからの命名らしいが、この畑では防虫ネットの両端と土中に埋め込む鉄棒とを結ぶ紐の鉄棒側に応用するという。網が吹き飛んではいけないのでこれは有効である。

 と頭で納得しても、なかなか難しいものだった。両手の二本の指先で紐をつまんで交互に捻って重ね合わせ、輪の中に鉄棒を入れて紐を両端からひっぱる。するとほどくことができなくなるのだった。たいしたものだった。

 二十歳そこそこの頃アルバイト先の丸善で荷造りの紐の結び方を習ったとき以来の感動だった。あのときは通りがかった書籍課長が「そいつは将来役に立つぞ」と声を掛けてくれた。社会に出てからいろんな場面で重宝がられたので「予言」は当たったがその人は何年後かに日本ダービーの日に府中競馬場の正門近くで命を落としたのだった。出始めたばかりAT車の暴走による交通事故だったが、なぜあの人が、と驚いたものだった。

 こんどのとっくり結び、どこか他の場面で役に立つかどうか、その機会をぼくは狙っている。


2019年9月21日(土)
 
 通帳を落とした商業施設に遅ればせながらメールで問い合わせてみた。まちがいなく「あの日・あの時・あの場所」で落としたと思っているので照会のメールは具体的に書いた。即日、管理事務所の所長から

「届いていませんか? というお問い合わせでしたが21日午後3時現在届いていませんが、届きましたら引き続きご連絡させていただきます」という返事をもらった。拾得物として届いているはずだと確信しただけに肩すかしを喰った格好である。

 すると気になるのは通帳の行方である。いまだそのままで人の足に踏まれ続けている。ゴミとして処分された。誰かが持ち帰って中を覗いてニヤニヤしている。いろいろなことが思い浮かんだ。自分が拾ったとしたらどうするだろうかとも考える。貴重品(に準じて)として警察に届ける、それも面倒なので、管理事務所に持って行く、しかしそれがどこにあるかはわからない。ぼくもホームページを覗いて知ったくらいだからほとんどの人がどこにあるのか知らないだろう。拾わない方が賢明となってしまう。

 さらにちがう場所で落としたのかも知れないと考えた。銀行ATMか、そこから商業施設までの数百メートルの路上か。その場合は「あの日・あの時・あの場所」は大いなる錯覚となる。


2019年9月27日(金)

『記憶にございません!』を家族3人で観た。映画を映画館で最後に観たのがいつだったか、それこそ記憶にない。それほど遠い昔のこと、生鮮な経験だったゆえんである。面白い映画だったこともある。風刺を超えた人間ドラマとして
斬新だった。

 家に帰ると二週間前になくした通帳の発行支店から電話が入っていた。折り返しの電話で「通帳をあなたの住所にきのう郵送した」という。「どこにあって、誰が届けてくれたのですか」と重ねて問えば「誰かはわかりませんが、当行の若葉出張所で見つかったみたいですよ」と教えてくれた。

 落とした場所はさっきまでそこにいた商業施設ではなかったのだ。1週間前、管理事務所への照会のメールには日時、場所を具体的に、詳しく書いた。つまり「あの日・あのとき・あの場所」は飛んだガセ記憶だったわけである。

 映画のなかでも「記憶っていうのは厄介なものだ」という医師の台詞(独白)があったが、その通りかも知れない。


 


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