年齢の壁?


2019年10月1日(火)

 今日から消費税が上がる。軽減税率もポイント還元もよくよく考えればいまの知性のない、姑息な政権のいかにも考えつきそうな「お為ごかし」であると思った。気付くのがちと遅すぎたが、試みに「PASMO」のポイント還元登録ページに入ってみた。買い物の都度ポイントは付与されるが集計は3ヵ月毎、指定された場所(駅など)にて自分でチャージしろという。しかも、来年の6月30日までの9か月間の「サービス」。これもはじめて知った。永遠に続くわけではないのだ。Tポイントの方がうんとましではないか。

 いずれにしてもそのためには「登録」が必要なのである。住所に名前に生年月日にパスワード、いやぁ、疲れるうえに、飽きてくる。くそ、安倍め。


2019年10月4日(金)

 秋がまだやってこない。小さな秋でも短い秋でもいいから、と念じておれば今日は朝から氷雨であった。韓国のベストセラー小説『82年生まれ キム・ジオン』が翻訳されて日本でもよく読まれているという。NHKの特集時には「なに、これ?」状態だったが、昨夕中沢けいがラジオで話すのを聞いて、このことだったのか、とはじめて知る始末。

 島田雅彦の『君が異端だった頃』を知ったのは平野啓一郎のツイッターだった。自伝的な「史的資料」と作者は言う。読んでみたくなった。その少し前に佐藤正午の直木賞受賞作『月の満ち欠け』が『図書』のあとがき「こぼればなし」で岩波文庫になることを知った。遊び心からと版元は言うが作者の韜晦も込められたものか「岩波文庫的」と冠せられている。この本はセブンネットに早速予約注文した(9日発売)。

 このところ文庫本『山の人生』を寝入りばなに一章ずつ味わっていたようなものだったが、一足早く「読書の秋」はやってきた模様である。個人的にはという留保はつくが。


2019年10月6日(日)
 
数年ぶりの昇給(時給アップ)にみなが沸くなかぼくだけは「据え置き」だと告げられた。その理由を聞いていっそう悲しくなった。

「70歳という年齢の壁なんですよ。長く勤めてもらっているし、同一労働同一賃金ということもあるのでかなり食いさがってみたのですが、社内規定があって」

悲しみの中身は、如何ともしがたい年齢のことである。元気に皆と伍して仕事をこなしているのに、世間的には「70の老人」であるのだった。やがて心が「哀愁」を帯びてきた。こんな気持ちになるのは数十年ぶりだろう。


2019年10月8日(火)

パソコンの画面右下に「○○さんが久しぶりにツイートしました」というポップが入った。お知らせ機能をオンにしているためにいろいろなことを教えてくれるが大半はどうでもいいことである。これはちがう。とりわけ「久しぶり」にぼくはドキッとしてすぐにツイッターを覗いた。覇気のない休日の、一抹の清涼剤となった。

この機能はどれくらいを「久しぶり」というのか、気になったので調べたところ前回のツイートは9月23日、約半月前だった。けっして長いとは言えないと思う反面、数時間前にSNSに書いたコメントの返事がないのでやきもきするのだから時間感覚は不思議なものである。

ふとこんな唄が思い出された。「松の木ばかりがまつじゃない。(中略)あなた待つのもまつのうち」何じゃこりゃ。


2019年10月13日(日) 

 いま午前3時。それまでの風の音や雨の音がまるで幻聴だったかのように外は静かである。台風19号は、いつもは掠る程度または置いてけぼりだったこの近辺を巻き込んでいった。河川の氾濫も停電も突風被害もあったようだ。わが家にかぎってはすべて無事だった。

 一応前々日の11日には雨戸を閉めドアに目張りをし窓にベニア板を打ち付けるなどの対策をした。12日は家から一歩も出なかった。嵐の通り過ぎるのをじっと待つような状態だった。時折雨戸を半分開けて外を覗いてみたりした。夜になってからは風の音が唸るように変わったのでそれもしなくなった。ベッドでうとうととしていた。真夜中近くに目を覚ますとすっかり音は止んでいたのであった。台風一過。


2019年10月14日(月)

 かつての同僚Tさんが故郷安曇野で作ったお米を送ってくれた。もう10年来の秋の贈り物となっている。嬉しくてありがたいことである。同封された茶封筒に入った手紙も楽しみのひとつとなっている。

 ことしは「時の流れに鈍感になって、細かなことに気が回らなくなり、漸く、之が老いなのかと思い始めています。」と前置きにあり、しかしながら、

「体力保持の努力はできており(中略)稲刈り、脱穀、モミ擂りと山から吹き下ろしてくる涼風の中でしばし労働の喜びに浸ることができました。収穫量も例年を超える豊作でした。」とあった。いよいよ恐悦至極。



2019年10月16日(水)

 15日、宮崎の友人、大阪の姉から安否確認のメールが相次いで届いた。無事を報告したあとになって都幾川が決壊した東松山市に住むUさんのことを思い出した。慌ててメールをすると、数時間後に返信があり、「台風前日に雨水を下水に流す処理&台風対策を完了、近隣から感謝の電話があり云々」とあった。面目躍如である。というのはUさんは建築屋さんなのである。若い頃からいくつも家をそれぞれ一から完成まで手がけてきた人なのである。

  比喩的に言えば 雨戸のない台所の窓にベニア板を打ち付けただけのぼくなどは足元にも及ばないわけであった。これも実は配偶者の発案で資材(釘も含めて)を調達したのは彼女である。

  見舞われることはあっても、相手を見舞う柄ではないというわけか。

 丸一日家に閉じこもっていたおかげで届いたばかりの『月の満ち欠け』(佐藤正午著、岩波文庫的)を一気に読み終えることができた。予知夢とか生まれ変わりとかをテーマにしたスリリングな小説である。今回の唯一の取り得であったろうか。


2019年10月18日(金)

 Tさんから送ってもらったお米を安曇野の「美しい米」と名付けたい誘惑。炊き上がったお米を見て配偶者が思わず「美しい!」と叫んだからである。米粒が立ち、輝いている。しかもそんな美しさに輪をかけて美味しかった。

 と突然、「うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は」「倭(やまと)は国のまほろば たたなづく青垣(あをがき)山ごもれる 倭しうるはし」などが連想された。「うまし(美味しい)」と「うるはし(美しい)」にその源はあるとしてもなぜともに万葉集の天皇御製なのか、不思議であった。

 うまし米米うるはしの米、というわけである。国原に煙立つ立つ、とかつては歌われながら、いまは列島みな自然災害に苦しんでいる。即位パレードなどは延期どころか「中止」にしても良いと思うものである。言霊を信じる国なればこそと云々。


2019年10月20日(日)

 中国新聞によれば今日20日は呉市の下蒲刈(しもかまがり)島で、「朝鮮通信使再現行列」があったという。江戸時代に朝鮮半島から派遣された外交使節団の寄港地であった同島・一之瀬では「御馳走一番」と言われるほどの歓待をした。江戸400年のなかで12回だけ訪れたというから島民などには一生に一度の「見物」だった。記事は続く。

「行列には島内外や韓国からチマ・チョゴリなどの鮮やかな衣装を着た約280人が参加。輿(こし)を担いだり、のぼりを掲げたりしながら、松並木と石畳の情緒あふれる景観が続く県道約1・2キロを練り歩いた。沿道の見物客は声援や拍手を送り、歴史絵巻を思わせる行事を見守っていた。」

 あるサイトには通信使の「通信」とは、「信」を通わすという意味である、とあって愁眉を開いた。大事なことを教えられる気がした。わが身辺のことでいえば昨晩おそく息子夫婦に第2子が誕生した。今日は動脈瘤の手術1年後の検査入院で完治の診断を受けて娘が戻ってきた。生まれるもの、立ち直るもの、老齢とはいえわれらにも“未来”は訪れる。


2019年10月22日(火)

 駅前の銀行に行くとATMコーナーと営業室との境のシャッターが下りている。時間は1時過ぎである。3時までにはまだたっぷり時間はある。駐車券に無料の刻印を押してもらうためには中に入らねばならない。用を済ませたのち途方に暮れていた。と突然気付いた。愕然とした。

 今日は「即位礼正殿の儀」のためにことしかぎりの祝日であるのだった。家のカレンダーは2枚とも数字が赤くなかったのに。祝日と無縁の生活といえどもとばっちりはあるものだ。

 駐車料金を「払って」外に出ると折しも「首相の寿詞(よごと、祝辞)」「万歳三唱」をラジオが中継していた。寿詞もこのひとにかかれば「世迷い言」に聞こえる。況んや万歳三唱においてをや。

 ちなみに「よまいごと」とは日本語大辞典によると「ひとり言に、愚痴を言うこと。わけのわからない繰り言を言うこと。不平をかこつこと。(略)人の発言・意見などをののしって言うのにも用いる。」とあった。あ、この文章そのものが「世迷い言」だと思い知った瞬間であった。


2019年10月24日(木)

24節気のひとつ「霜降(そうこう)」。カレンダーで目にしたとき「しもふり」と読んでしまった。昔霜降りの学生服があったなぁ。夏になって着替えると気持ちが改まった記憶がある。いまやとんと見聞きしないが、もうないのだろうか。

2019年10月25日(金)

「産まれた子供に名前をつける時の親は、多かれ少なかれ詩人である。この世界に新しく登場した事実を最初に言葉で呼ぶ人間は詩人である。」(富岡多恵子『新家族』所収の短篇「名前」より)

「この世界に新しく登場した事実」と言えるかどうかわからないけれど、昭和天皇が亡くなって新しい年号が何になるのかわくわくして待った記憶がある。だから「新しい年号は平成であります」という小渕官房長官(当時)の声はいまも鮮明に蘇る。この春の「令和の狂騒」はなぜか一緒に踊ることはできなかったが、関心はもとより強く、よい年号だと思うのである。

ところでいまお七夜を迎える孫の名前、その「発表」をぼくはドキドキしながら待っている。


2019年10月27日(日)

 左手薬指の爪をぐるりとひと巡りするかのように黄橙色の染みができた。その朝出掛けに車の窓を拭くためにあちこち歩き回ったので生い茂るコスモスの花粉が付いたのかと最初は思った。職場に着くとすぐに洗ってみたが落ちない。血が滲みやすい個所ではあるが赤くないし、怪我をした覚えもないのでそのまま放置していた。2日経ち3日目の今夜になっても色が消えない。

 やはり血だろうかと相談すると配偶者は先生に診てもらったらと言う。それほどでもない、と答えながらふと思い出したことがあった。その何日か前に薬指の関節と関節の間にときおり激痛が走ったのだった。足が攣るような感じだった。しばらくすると消えるので気にも留めなかった。もちろん原因に思い当たることはなかった。

 ここでやっとこの染みは外部からではなく内部からのモノにちがいないと気付いた。あの痛みが関係しているはずだ。内出血(?)だとすると薬指の中で何が起こったのだろうか。そしてどんな経路を通って爪のまわりににじみ出すのだろうか。内部の変化から見放された気分なのに、知りたいのであった。
 

2019年10月29日(火)

 八千草薫さんが亡くなった。『岸辺のアルバム』(1977年、原作・脚本は山田太一)は毎回熱心に見たドラマだった。主演の彼女は42歳の主婦の役だったが当時実年齢は46歳だったという。美しかった。ドキドキ、ハラハラする役どころを清楚に演じていた。その後もテレビや映画を通して多くの感動や安らぎを得たものだった。

 余談ながらぼくは八千草薫さんの上くちびるにかねてより注目していた。中央の部分がいたずらっぽく突き出ている。そこ(だけ?)が配偶者と似ているのだった。若い頃2、3度たわむれてひっぱってみたこともあった。いまそんなことをすればひっぱたかれるにちがいないので、そつと盗み見るにとどめた。

 八千草薫さんはずっとその突起に代表されるようなチャームさを保ってこられたのだと改めて思った。ご冥福をお祈りします。


2019年10月31日(木)

 出勤途上ときおり立ち寄るコンビニで「お持ち帰りですか?」と聞かれた。消費税が上がってからはじめて耳にすることばだった。唐突だった。

 なぜ聞かれたのか少し考える時間が必要になった。買ったものは焼きたてのかりんと饅頭、店内にはいわゆる「イートコーナー」はないからだった。

 もう一度聞かれた。「もちろん持って帰ります」と答えると饅頭の包み紙を閉じてセロテープを貼り付けるのだった。8%か10%かの問題ではなかった。店を出てすぐに食べるかどうかが知りたかったのだ。飛んだ誤解だった。

 税の話ではじまった10月。残暑や、台風や大雨による痛ましい災害の数々のせいで「あぁ、もう10月か」と嘆息することがなかったこの月は終わる。



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