暖と寒の狭間


2019年11月1日(金)

 朝と昼の気温差が15度に近いという。8時ごろになると陽射しが部屋の中にもとどき、起き抜けにつけた暖房を消すことになった。

 起きてテレビをつけた途端首里城が燃えさかる映像が飛び込んできたのはきのうの朝だった。度肝を抜かれた。「うちなんちゅーの心」が真っ赤に怒り立つように思えた。

 原因はまだ解明されていないが、火元とみられる正殿は鍵がかかり外からの侵入は無理、未明まで人がいたという内側では火を使った形跡はないという。放火も失火も可能性としては低いことになる。なんであれ、こんな厳然たる事実に、みんなが打ちひしがれる。11月も、辛いスタートになった。


2019年11月3日(日)

 数日前からマルカメムシという小さな昆虫が家の中で散見されるようになった。越冬場所を求めて動き回る季節であるようだが、この夜などは飲み止(さ)しのコーヒー茶碗の中に潜んでいて知らずに口に入れてしまった。ちょうどクッキーを食べていたのでその破片かと思いガリッと噛んでしまった。そのまま飲み込む勢いだった。寸前で異臭に気付いて吐き出した。

 洗面台などで見つけた何匹かはティッシュで何重にも包んでゴミ箱に捨てたことがあった。こんな仕打ちをしたばかりに報いを受けたのかも知れない。それにしてもクッキーと勘違いするなどは食い意地が張っているというべきか、耄碌したというべきか。「文化の日」の受難であった。


2019年11月4日(月)

 午後2時を過ぎた頃胃から下腹にかけて刺すような痛みが起こってきた。滅多にないことなのであれこれ考えてみた。休憩時、愛妻(?)弁当を食べ濃い茶と、自分で入れたコーヒーを飲んだ。このとき今日にかぎってスイーツものを口にしなかった。暴食には当たらないのであり、昨日誤ってかじったマルカメムシの毒素のせいでもあるまい。つまり他に思い当たることはないのだった。

  痛みをこらえてルーティンな作業を2時間かけてやり終えた。相変わらず痛いがひどくなる風はなかった。上がる時刻にはまだ少し間があったが休憩室に入って十数分間身体を休めていた。

「ポンポンが痛いんだって」同僚が上司に取り次いだ。
「何か悪いものを食べましたか」
「どうも精神的なストレスのようです。仕事が終わった途端に直りましたから」
「それはそれで心配ですな」

 帰る頃には軽口めいたやりとりを交わすほどに回復した。冗談ではなく本当に「ストレス」のような気がした。するとこれはこれで珍しい現象といえるのだった。二日続きのネガティブな記録、明日こそはよい一日であるようにと自ら祈願する。


2019年11月7日(木) 

 職場に着いたとき携帯電話が手元にないことに気付いて会社の電話を借りて配偶者の携帯に電話した。そのとき配偶者は見覚えのない番号なので出なかったが、登録している会社の電話番号と似ていたのでなんらかの変事を想像してぼくの携帯に電話をした。コールするが出ない。次いで会社に電話をした。無事着いたかどうかを確認するためだった。配偶者は極度の心配性である。

 電話を受けた社員からぼくは報告を受けた。「さっき見かけました、と言っておきました。」これでぼくは安心して仕事に入った。食卓に置きっ放しの携帯電話に気付いたのだろうと「確信」したからだった。

 ところがそうではなかった。朝電話を掛けたのがぼくだとは彼女は知らなかったのである。しかも携帯電話は食卓の上にはなかった。メールや電話をしたが返事はない、彼女にとってはヘンだと思い続けた一日だった。ぼくは忘れたと思い込んでいたが実は持って出ていたことに気付く。

 するといま携帯電話の行方は? 家でないどこかとなれば車の中である。呼び出してもらうと座席の下で鳴っている。どんな風にして落ちたのか見当は付かないが座席の下に隠れていたのは厳然たる事実であった。それが昨日のことである。互いにちがう向きの考えに囚われていたことになる。

 今日は今日で「こんなんでましたけどぉー」を思い出した。泉アツノという女占い師で白蛇の霊が憑依するといい、ドスの利いた声、古式ゆかしい言葉遣いで恋や人生を占った。80年代末から90年にかけて人気を博した。最後の決めぜりふがこれだった。

 配偶者の電話を受けた社員は「上品な人ですね」と声だけで判断してくれた。そうかも知れないと思って嬉しかった。この泉さんも根っこはとても上品であった。支離滅裂な日々の中でのかすかな連想ゲーム?


2019年11月12日(火)

『新潮』12月号がいつもより厚くて、ベッドに寝転がって読むには重すぎる……。突然眠りに落ちると顔面直撃とならないともかぎらない。三国美千子の「青いポポの果実」はポポという果物がただなつかしくて一番はじめに読み始めた。

 新しもの好きの祖父が裏庭に植えたのがポポの木だった。山に自生する通草(アケビ)に似た実をつけ、はじけはしないが、なんともやわらかな味がしたものだった。湿気の多い地面にはなじまなかったのか何年も経たないうちに裏庭から消えていた。学齢前、こちらは集落でも評判のやんちゃな子供である。語り手となる主人公は小学生の子供なのも似通っているのに「動機が不純」だったのか、時代がかけ離れすぎているのか、なかなか入っていけず途中で放り出した。

 島田雅彦の「スノードロップ(後篇)」を読んでみると、一転、反転、時代の光と闇を描いて読む者を惹き込んでいく。「優しいサヨクのための嬉遊曲」で出発した作者は皇后陛下を主人公にして現下のABE政権に挑んでいくかに見える。そんな見かけに加えて文学の深みを突いているので心地よいのだった。この雑誌一冊の重量に見合うのは案外この一作のみかも知れないという気がした。


2019年11月15日(金)

 午前3時頃目が覚めてみると喉がいがらっぽい。寝ぼけ眼で葛根湯顆粒2.5グラムを水で流し込みかねてよりの配偶者の忠告にしたがってマスクをつけて再びベッドに潜り込んだ。数時間後に起きたとき喉はすっきりとしている。

 これは娘が近くの病院で処方してもらったツムラの葛根湯である。畏るべき効果であった。娘は「一日三回七日分21包み」をもらってきたが半分は義妹にあげ残りはぼくが飲んでもう二袋しか残っていない。実はこの娘は顆粒の薬が飲めない。小さい頃余程嫌なことがあったのかいまだにダメなのである。

 処方されたときの青ざめた顔を想像すると苦笑せざるを得ないのだが本人は「これを飲まねば死ぬとならないかぎり飲まない」あくまでも頑固。おかげで老齢になった叔母や父が余沢にあずかったという次第であった。

(あとで薬剤師になった教え子のまっさんから「エキス剤は、煎じ薬を飲みやすく顆粒にしたものなのでお湯に溶かして飲むといいですよ」との教えを受けた。またふるさとに住む従兄弟は「わたしの妻もオブラートに包まないと顆粒や粉末は飲めないのです」との報告を受ける。オブラート! 久しくお目にかからないが、あったあった!)


2019年11月19日(火)

 日中はぽかぽか陽気でとても冬隣とは思えなかった。車のなかではついクーラーをつけたくなるのだった。とはいえ短い秋が始まったという実感はある。来月の兄の一周忌に故郷に帰ることにした。ほぼ10年ぶりである。古里の山河はどんな風に変わっているのだろうか。叔父叔母に会うのも楽しみである。

 西宮のY君にそんなメールを送るとすぐに返事があり、名古屋のO君にも連絡を取ってくれて、大阪で逢うことになった。鶴橋のコリアタウンを3人で歩くなどの案が出ている。これもまた生きて在ることの喜びである。秋はよい。

2019年11月22日(金)

 終日冷たい雨が降り続く。1月中旬ごろの寒さと予報されていたのでつい身構えてしまったが空気はまだまだ秋の気配を残しているような気がした。逆に言えば真冬とはこんなものではないだろうと思った。

 一方で玄関先に置いている龍眼の木が急な気温の低下に耐えられるのか心配になった。いったん枯れて2年ぶりに三度目の復活を遂げた木である。鹿児島からやってきた南方の強い木である。もう枯らすわけにはゆかない。

 ホームセンターで70㍑の透明な大袋を買ってきて夕方すっぽりとかぶせた。暖かくしてお休み、と声を掛けたくなったのは、応急措置とはいえあまりに無惨すぎる措置を詫びたいからだ。陽が射せばとり外すから我慢してくれよ、と。


2019年11月26日(火)

 久々の通院日。検査があったので予約の40分前にK病院に入った。内装外装ともに長らく改築中だったがついに完成したようである。3ヵ月前とは正面玄関が変わっていた。

 それはともかく患者さんの数が多くて診察室に呼ばれたのは予約時刻の2時間後である。検査の結果を見、聴診器を胸と背中に当てたあと「いいんじゃないですか。この前と同じでいきましょう」と院長先生でもあるお医者さんは言った。その間約5分であった。切れた薬の処方箋をもらうためだけに来たのかとつい韜晦したくなる。

 隣の薬局では薬剤師さんが「塩分を控えてらっしゃいますか」と問うてくれた。「格別意識はしていませんが、妻はそれとなく配慮してくれているようです」「はい。愛妻料理ですね」親身な応対にほっとした。

 今日は何の日だ。いい夫婦の日ではなく本当は「いい風呂」の日、それに肖って率先してそうじをし、炭酸バブの風呂に入った。


2019年11月29日(金)

 今朝などは、起きたらすぐにも昨夕スーパーでやっと見つけた「甘食」に蜂蜜マーガリンをつけて食べたい、とほくそ笑んでいる夢を見た。思えば志の低い夢である。おそらく半睡半醒の情態にちがいないから現実にもっとも近い。低くなる所以ではあるが、高い夢を見られなくなったのには別の原因があるのかも知れない。それがもし日常の生活にあるとすれば大いなる悪循環? つまり日常を立て直さないかぎり夢はいつも……というかだんだん低くなっていく。

 数日前高校時代の友人から突然電話があった。友は「なしのつぶてだから」と言った。要するにこちらは叱られた訳だが、改めてメアドを聞いてアドレス帳と照合すると1文字sが抜けていたのだった。年賀状の返事などこの友宛ての二本のメールはどこかに行ってしまった。自身が神隠しに遭った気がした。すなわち白昼夢を見るようであった。

 《神に隠されたという少年青年には、注意して見れば何か共通の特徴がありそうだ。さかしいとか賢いとかいう古い時代の日本語には、普通の児のように無邪気でなく何らかやや宗教的というべき傾向を持っていることを包含していたのではないかとも考える。物狂いという語なども、時代によってその意味はこれとほぼ同じでなかったかと思う。(柳田國男『山の人生』「九、神隠しに遭いやすき気質あるかと思う事」より引用)》

 
 こちらの夢にも少年青年の「憑依」があればいいのに、と有り得べかりしことを思った。しかし、翻って考えれば夢必ずしも志高しとならないのが昨今の風潮であると言えはしないか。  




過去の日録へ