古井由吉氏逝去 


2020年2月2日(日)

 今日の日付が上から読んでも下から読んでも「20200202」となっている(いわゆる回文?)ことは知らなかった。年号で言えば「令和222わいれ」である。「わいれ」とは令和の逆さ読み。てぶくろをろくぶてと言うが如し。あるいは話のタネがネタになるようなもの。ただしわいれにはまだ深い意味づけはない。


2020年2月3日(月)

 帰宅すると豆まきが待っていた。庭に向かって「福は内」と三回唱えて豆を放った。山鳩などは拾って食べるだろうか、と気になった。年の数だけ豆を食べる風習があることを思い出したがさすがに年の数プラス1の72個は無理なので上一桁だけの7個にした。小さい頃はまいた豆を拾って砂糖と一緒に炒めてもらったものだった。砂糖が豆と豆をくっつけて豆煎餅みたいになった。あれは美味かった。


2020年2月7日(金) 

 二か月ほど前から「症状」が現れるようになった「HOLD点滅」現象を調べてもらうためにディーラーへ。案内されるままにテレビの真ん前の席に坐った。横の全面ガラスからは西日が差し込んでいた。テレビ台の上に置かれたデジタル温湿計はそれぞれ33.8℃、58%と表示されている。

 検査結果で出るまでの約1時間ずっとテレビと温湿計を眺めて過ごした。その間温度は30.4℃まで下がった。テレビのワイドショーではコロナウイルス関連の話題が終わったあと50歳の女優と51歳の新派俳優の不倫劇のことを延々と流していた。

 マスコミに発表されたふたりの謝罪文を巡っては言葉の専門家という触れ込みで名古屋大学の名誉教授が、相手の奥さんへの謝罪がない、女優の身辺を気遣いまた庇っている風でもあるのでこれは一種の決意表明である、などとコメントした。おきやがれ、と呆れかえりながらついつい見続けてしまった。

 検査の結果はことし一番の寒波並みであった。近く大修理である。


2020年2月12日(水)

 冴えわたる満月の名前をなんと名付けようかと悩んでいた。氷点下の大気のなか、皓々として、厳かだった。それから三日後の今日は寒さが吹っ飛びさらに明日以降はポカポカ陽気が何日か続くというのである。まったく予断を与えない天気である。

 そんな天気と関係があるのかないのか、帰り支度の最中につばが湧き出てくるのだった。飲み込めども切りがなく口中に溢れかえる。胸がむかつくような感じもあった。着替えを放り出してトイレに駆け込んだが、胃を絞り上げても出てくるのはつばのみである。

 家に向かって車を走らせはじめるとすべては収まってきた。するとあれははもう久しく経験したことのない症状に思えるのだった。酒を飲み過ぎたとき、(尾籠ながら)下痢がなかなか治まらないとき、などと似ている。が、いずれでもない、いわば「新型」であると言えば世間の顰蹙を買うだろうか。


2020年2月14日(金)
 
 数年前のいっとき一緒に働いていた人の名前を聞かれたがとっさには思い出せなかった。パンチパーマの、娘さんお手製の弁当をいつも食べていた、前歯が金歯の、カラオケで演歌を歌い出しそうな、いろんなひとから次々と属性めいたことが披露される。顔かたちも同定されるが名前だけは思い出せなかった。

 夜になって突然○○さんではなかったかと閃いた。朝まだき、待ちきれずに年下の同僚の携帯電話にSMSした。他の人にも照会してリアクションを教えて欲しいというほどの意味を込めた。この忙しいときに何事だ、と叱られるのを半ば予想して「休みはやっぱりいいなぁの高齢者より」と記した。

 しばらくあとに「ガラケーからスマホに変えてラインしましょうよ」との返信があった。ほんとうに○○さんだったかは誰も保証してくれなかったようである。ぼくも自信はない。儚いものである、名前も人も人生も。


2020年2月18日(火)

 来月行われる自治会総会の資料のうち「会計報告」を作成した。今年度は会計係が回ってきたからである。(ちなみに次年度は会長に持ち上がる)。10万円程度の予算規模で年間5万円くらいが動く。記載する収支の項目も10件くらいのものである。それなのにほぼ完成させるのに朝から夕方までかかってしまった。
 
 ワープロソフトを操作していると、罫線を駆使してカリキュラム表などを作っていた頃が思い出された。あの頃と同じソフトだが、やり方の細部はかなり忘れている。一度できあがったものを消してしまうミスも犯した。

 すると「パソコンに向かう時間が長くなっています。そろそろ休憩しませんか。」というポップアップが飛び出して落胆に追い打ちをかけるのだった。かつてはこんなことはなかった。ポップアップのあるなしにかかわらず、本人がくたびれているということかも知れない。『一太郎』に向かうとき、時を忘れるほどに熱中したのに。


2020年2月21日(金)

時節柄病院に行きたくない。殊に大きな病院はそれだけリスクも高い。予約していても待ち時間1時間、診察は5分。いつもの薬を処方してもらって帰ってくるだけである。そこで電話をしてみた。

「1ヵ月とか2ヵ月とか定期的に同じ薬を処方されているのですか」と訊くので「3ヵ月分をまとめていただいております」とていねいに返答する。即座に「診察がないとダメです。お薬だけというわけにはいきません」

あわよくばという期待はみごとにはぐらかされる。予約日はあと4日後である。意を決して行くことにした。手洗い、うがい、マスク、アルコール消毒、それに栄養補給・免疫力強化以外に対抗策がない「Covic-19」。不必要に怖れるわけにもいかないのである。

がしかし、である。何ヵ月ぶりかにサイボクの美味しい肉を、の計画も人がいっぱいだからやめよう、となった。已んぬる哉。


2020年2月23日(日)

 帰途、助手席側のヘッドランプが消えたままになっていた。数日前には「叩けば点いた」ので家に着くと同時に叩いてみた。童謡『不思議なポケット』の出だし部分「ポケットの中にはビスケットかひとつ……」が頭の中を駆け巡っている。しかし数回叩いても点かなかった。

 近くの自動車用品店に電話すると十数分後なら可能というので来た道を1キロほど戻った。作業に入って20分が経った頃窓越しに様子をうかがうと整備士の動きが少し慌ただしい。先輩格の人を何度か呼びに行く。電球交換にしては大仰な感じがするのだった。イヤな予感がした。

 案の定さらに10分ほどのちに先輩格の整備士が取り外したヘッドランプを抱えてやってきた。本来あるべき部品が欠けていてランプの熱で溶け出すかも知れない、経年劣化のせいと考えられる、このアッセンブリをそっくり取り替えるしか方法がない、などというのである。

 とりあえず応急処置はしておきました。意外としっかりはまったのですぐにどうこうはないでしょうが、このことは頭の片隅に入れておいてください。ちなみにアッセンブリはいくらくらい? と訊けば10万と言う。叩けばビスケットはふたつ、とはいかなかったのである。


2020年2月25日(火)

 K病院へ。マスクをつけ、手をアルコールで消毒してから病院に入った。血液を採ってもらうと予約時間まであと少しだった。しかしすぐに診察とはならず、延々2時間待合室で坐っていた。その間、本を読み、ときに居眠りをし、通院仲間ともいうべき老老男女を眺めていた。

 「あなたの場合血液さらさらの薬は普通の人の半分ですがよく効いています」先生との会話もいつも通りである。「Hbの値がいつも基準より低いのですが」当方の質問も、検査結果をモニターにグラフ表示させながら「低い値で安定しているから大事ないです」先生の返答も同じである。5分の診察はデジャブのようである。

 いつもと変わったのは帰宅後だった。アルコールで手を洗ってからキッチンにいた配偶者にただいまと声をかけると「入ってこないで」と玄関先に押し戻された。衣類の上から消毒液を振りかけられ「着替えを用意してあるからシャワーをして」とのご命令である。ちょっと大げさな気がしないでもなかったがこれもご時世であるかと観念した。

 シャワーのあとはなぜかくつろいだ。家を出てから4時間しか経っていないのに今日一日はこれにて終了と思えた。身も心も大仕事のあとのようであった。


2020年2月28日(金)

 2日前、BSの特集番組「2.26 いま明かされる真実」(?)を見ていると90歳前後の関係者が出てくるのでこの事件は昭和の何年だったのだろう、と考えた。その連想で古井由吉氏はたしか翌年の昭和12年(1937年)生まれだったなぁと思った。干支でひとまわりちがうから覚えているのである。その氏は18日に亡くなっていたことをきのう知った。

 もう40年近く前に一度だけ話しかけたことがあった。「『聖』が好きなんです」と言うと「ぼくもです」と答えたくれた。「いろいろな出版社にどんどん持ち込みなさい」とも言ってくれた。あれは親身な励ましだったのだろうといまになって気付くのである。

 それからもずっと本を通して刺激を受け続けてきた作家だった。また本で逢えるとはいえやはり悲しいことである。


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