「抽象と非現実


2020年3月2日(月)

 道内の新型コロナの推定感染者数が940人というニュースを聞いた。症状のない人を検査したわけではないので「推定」なのだが、症状のない人からも感染するのが今回のウイルス特徴だという。ならば非常事態宣言も納得がいく。また全国の一斉休校も予防的価値はあるのだろう。

 ところで医者の要請や希望者に対して検査をしなかったまたは遅らせたのは公表される感染者数を低く抑えるためだったのかという疑惑も個人的には持ち始めている。安倍内閣ならこんな姑息ともいえる隠蔽策は平気でやる。意図的ではなくとも体質的にそういう指向を持っている。職場でも「安倍はダメだ」の声が聞こえるようになった。大事において馬脚を現す、のたぐいであろうか。

 そのアルバイト職場では社員の一人がこっそりぼくに「読み終わった本を回してよ」と言った。「どんなモノを読んでいるの?」と訊くと「昔は京極夏彦の厚い本を。ほかにはミステリーとか」というので翌日『寂しい丘で狩りをする』と『月の満ち欠け』の二冊を渡した。喜んでいたが感想はまだ聞いていない。辻原登や佐藤正午に感染、いや感応してくれれば嬉しい。


2020年3月3日(火) 

 雛祭りの今日になって福岡の孫ふたりにぬいぐるみ付き電報を送ることを思いついた。ネットで見つけたのは『ハート電報』という民間(NTT以外)のサービスである。価格は3千円から5万円までまさにピンキリであった。そのなかから「ミッフィー福だるま根付け鈴(金赤セット)」というのを選んだ。もちろんピン(下)の方に属する。

 残念ながら明日の到着となったので、「おめでとう動画、どうだ?」と配偶者に提案するも即座に却下された。かつてラインに送られてきた動画「おばあちゃん誕生日(やや間が空いて)おやすみなさい」孫の声が甦っていたのであった。何回聞いても意味が辿れなかったものだが、訳を聞いてみれば、おめでとうがおやすみなさいに変換されたものらしい。考えた末に言い間違えるなんて、可愛すぎるのであった。


2020年3月6日(金)
 
 こんな新聞記事(京都新聞・ガリ版を体験できる「ちょっと印刷所」がオープン、日本のガリ版発祥の地・近江八幡市)を見た。お目に掛かりたくてももう叶わないもののひとつであるだけに、それこそ「ちょっとノスタルジック」になった。

 ガリ版(謄写版)というのは80年代に入るとワープロに取って代わられた印刷方法である。80年に創刊した文芸雑誌『作品』は5号で休刊となった。連載されていた吉本隆明の「文芸時評」(『空虚としての主題』)は以降ガリ版刷りで発表された。「ガリ刷りで出しますというと凄く喜んでいましたね」と編集長の寺田さんが教えてくれたのをいまだに覚えている。喜びの中身が共有できそうな気がしたのだった。畏れながら。

  中学・高校のプリント、テストの類はすべてガリ版刷りだった。大学生になるとアジビラ(檄文などとも言った)や同人誌をガリ版で作った。鉄板の上で原稿を見ながらガリガリと文字を書いていくのは楽しい作業ではなかったが、掌を真っ黒にして印刷したものがやがて人の目に触れると思うと一種の義務感を覚えるのだった。それが喜びにつながるのだった。書きながら、ノスタルジーよりもレトロが勝っていると思うのである。


2020年3月8日(日)

寝坊のために3時間ほど遅れてやってきた社員が顔を合わせるなり「当たりましたよ、10万円。ほらほら、これ」と財布の中から宝くじ券と新聞の切り抜きを見せてくれる。目を近づけて券と切り抜きを照合すればたしかに下4桁が一致している。

「また二日酔いですか」と遅刻を責める気が失せ、つい「おめでとう」と言ってしまった。彼はとても興奮していた。本来別の領域に属する出来事もひとつの人格の中では同居している。すなわち、遅刻することと宝くじが当たったことを秤にかければどちらが重いか、そりゃ後者だろう、と。いつかぼくもそんな夢のような場面に遭遇してみたい。


2020年3月10日(火)

 いつものように朝5時に起きると配偶者は台所で忙しく立ち働いている。そのうち食卓にご飯とおかずが出てきた。仕事に出かけるときの朝食である。めずらしいなぁと訝りながらも、いただきますと呟いて食べ始めると配偶者が弁当箱を持って現れた。笑いながら手の甲に手を当てれば「あらっ」と我に返った。

「起き出す前から何にしようかと悩んで作ったのにぃ。もっと早くにわかっていたんでしょ、教えてよ」
「まさかまさかで、タイミングを失った」

 次いでわがガラケーから同僚社員のスマホへSMSを送った。昨日帰りがけに自社製のコンデンスミルクが売りに出されていたが買わずに帰りそれを配偶者に告げると「小さい頃からの私の大好物」「イチゴの季節も終わるのにどうやって食べるの?」「チューチュー吸うのよ」などと言うではないか。長年一緒に暮らしていても知らないことはあるものだ。「あしたメールして、残っておれば取っておいてもらうよ」と約束したのだった。一日おくれで無事GETできた。

 失念、または知らないことによる迷走劇二題。日常は動いている。

2020年3月13日(金)

「トイレットペーパーある? うちにはいっぱいあるので送ろうか。」若い知人は地方に住む老父母から突然そんな電話を受けたという。「なんであるのよ? 買い占めたの?」と詰問した挙げ句激しい勢い(おそらく)で「やめてよ。そんなことするからお店からなくなってしまうのよ」と説教したという。

 これを聞いて「娘の一家が困っているかも知れないと憂え、並んで大量に買ったお母さんお父さんが気の毒だなぁ。もっと別の言い方があったかも知れないのに」とぼくは思った。肉親や恋人同士の情愛(敢えて言う)の前では正論・正義は窮屈だ。情愛が行動をまちがった方に助長するものだとわかっていてもこんなときには老父母の心根に与したいのであった。

 危機に直面した人間はあからさますぎて、わかりやすすぎて、身につまされるとともに自己嫌悪にも陥る。なんとも仕様がないのである。悲しいことに。


2020年3月14日(土)

 名古屋のO君から葉書が届いた。ことしの余った年賀状に近況が綴られていた。「春なのに」コロナ一色の世相に慨嘆している。勤務する法律専門学校も一週間早く春休みに入り、図書館も休館中で、北海道に次いで感染者数が多いのうえに、高齢者ゆえに、「毎日ゴロゴロ引きこもっている」という。「草花愛でる畏友」の悲しみはいかばかりか。

 そこでぼくはおととしの「暑中葉書」が残っていたので返事を書いた。印刷済みの文言のうち暑中を消して「コロナ騒動」と改めた。すなわち「コロナ騒動お見舞い申し上げます」。

「レンギョウ、ユキヤナギ、そして菜の花、やがてプラムの花も咲き誇ろうというのに。せめて花たちだけはいつもと変わらぬ希望でありますように」こんな言葉が出てきたので添え書きした。


2020年3月18日(水)

17日の休日。延べ何時間も寝ていた。朝は配偶者らがジャガイモを植え付けるのを遠く眺めながら。所用で2時間ほど出かけたあとおそい昼食をとりまたベッドへ、楽しい夢でも現れないかなぁと期待しながら。

夢は見た。高校の同級生O君が出てきた。仲の良い友達だったが唐突な感じは否めなかった。同級会の席を離れるO君を追いかけて理由を訊くと「誰それと相性が悪いもので」などと彼らしからぬことを言うのだった。O君を駅まで送っていった。道々何か話していたが覚えていない。

また、松本健一氏が娘さんを伴って訪ねてきた。ぼくはマンションに住んでいる。娘さんのことで何か相談があるというのであったが、玄関先での立ち話もなんなので中に入ってもらった。松本健一氏というのは高名な評論家で2014年になくなっている。娘さん(30代の終わり頃、2年間塾で教えたことがある)のためにわざわざ黄泉からやってきたのであった。あなたの著作で『北一輝』が好きです、と言って本棚を探すがなかなか見つけることはできなかった。

これは夢の話ではないが、『ペスト』を注文したあとに本棚の1番目につくところに文庫本を見つけた。ここ2、3日探していたがなかなか見つからなかった。だから注文したのだったが、『北一輝』があるべきところにあったのである。注文はキャンセルした。


2020年3月20日(金)

「兵庫・大阪間/往来自粛」、世が世ならば「往還無用」。関所はどこに? 関守はいるの? などと突っ込みを入れたくなるほど珍奇な、あるいは奇を衒った策に見える。新コロナ騒動もここまで迷走したということの証であろうか。これも含めて人間性が試されるような事例がいくつも発生している。

そこでぼくは『ペスト』を読み始めることにした。希望が欲しいからである。


2020年3月24日(火)

 家に戻った直後の手洗い・うがいは義母の教えであり四十年来の習慣だが、いまやそれにアルコール消毒が加わった。手だけではなく持ち物にも振りかける。外出時には次亜塩素酸ナトリウムの入った袋を首からぶら下げ、マスクをつける。それがいつの間にか新たな装束となっている。ぼくの部屋にはアルコール入りウエットティッシュやマスク、それにアルコールスプレーなどが入った段ボール箱がふたつある。眺めるたびに「除菌家族か」とつい自嘲したくなる。

 世の中は「兵庫・大阪間/往来自粛」にはじまって、「五輪延期」「首都閉鎖(ロックダウン)」と騒然としている感がある。裏では人間性を疑うような悪事もはびこっているという。やるせない気持ちから本棚から探し出してカミュの『ペスト』(新潮文庫・宮崎嶺雄訳)を読み始めた。

 前段でペストと闘う医師リウーのこんな述懐がある。

「あの新聞記者の、幸福(私注:封鎖されているオランの町を一刻も早く出て愛する人の元に行きたいということ)へのあせりは無理のないことだ。しかし彼が自分を非難するのは無理のないことだろうか? 「あなたは抽象の世界で暮らしているんです」」

「ペストが猛威を倍加して週平均患者数五百に達している病院で過ごされる日々が、はたして抽象であったろうか。なるほど、不幸のなかには抽象と非現実の一面がある。しかしその抽象がこっちを殺しにかかってきたら、抽象だって相手にしなければならぬのだ。そしてリウーはそのほうが容易なわけではないことを知っているだけだ。」

 記憶が確かであればこのあと小説は希望にむかって展開(ペスト終熄)していくはずである。新型コロナの現実を離れることはできないのでパラレルワールドを経験しながら人間性の回復を期待したいと思っている。


2020年3月27日(金)
 
 「……この病気のやり口ときたら、そいつにかかっていない者でも、胸のなかにそいつをかかえているんだからね」(『ペスト』より)

 このごろ月日の経つのが早く感じられる。新型コロナのせいかも知れない。日々更新される情報は、いつわが身を襲うか知れない脅威を惹起する。危険と隣り合わせの日々は時計を早く回してでも終熄と安寧を待望するからだろう。

 「スーパーに人が殺到しているらしい」と仕事中にニュースが流れた。棚が空になった様子を思い描いて、なんということだ、悲しい性だ、と思ったのが咋26日のこと。今日はさすがに落ち着いたみたいである。


2020年3月31日(火)

 志村けんが新型コロナによる肺炎で亡くなった。きのう職場では朝からそのニュースで持ちきりだった。改めて怖いウイルスだとみなが感じた。情報ばかりが溢れかえっているが、感染しないための絶対的な方途はないので暮らしはいよいよ戦々恐々。それだけに有名人・志村けんの死は衝撃的であった。

 夕刻になって出入りのドライバーが休憩室に入ってきて問わず語りに「みんな悲しんでいるけどうちの母親だけはざまぁみろと思っているんだ」などと言い出すではないか。「その理由」を訊けばこうである。

 母親の親友が若い頃志村けんと付き合っていてやがて捨てられた。親友の名前は「ひとみ」(ギャグのひとつに「ひとみ婆さん」というのがあるらしいがぼくは知らなかった)という。なんと(彼が言う)同級生の母親の実の妹がその「ひとみ」さんであった。

 ぼくはキョトンとした。母親はおそらく70に近いのだろう。親友のために50年間恨みを抱えてきたのか、と思えばそちらの方が恐ろしくなる。一緒に聞いていた同僚はあとで「話半分だね。自分のことではなく親友の話だからね」と評価するので「いや100分の1にも満たない。むしろフェイクの類だろう」と答えた。

 
 


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