日  録  往時茫々

2020年4月1日(水)
 
 ロト6ではなくミニロトを買っておけばよかった。全部奇数の6個の数字ははじめのひとつを除いてミニロトの当選番号と一致していた。もしミニロトにしていれば大当たりであったわけである。今日はエイプリルフールだから、これは大きな嘘となった。夢となって消えた。今般明るく楽しい嘘は「新型コロナウイルス退散」であるのだろう。悲しい現実である。


2020年4月3日(金)

 感染経路が不明の人は○○人と報じられると、いよいよ自宅から一歩も出ないのがいちばん安心・安全と思い込んでしまう。しかし仕事を休むわけにはいかないので職場には出かける日々である。

 広い倉庫内で20人足らずの人間が行き交う職場だからとうてい「三密」には当たらないと思われるが、4年ぶりに配属されてきた新人社員が「卒業旅行にはイタリアに行ってきました」と言うので「おいおい大丈夫?」と急に不安になった。
 
「4人の予定だったのですが2人がキャンセルしたので2人きりで行ってきました」と自慢げ(?)に話すに及んでついに腰が引けてしまった。「学生時代は社交ダンスをやっていました。もし興味のある方は一緒にいかがでしょうか」。これはもう笑えないジョークのようだった。

 また、ある人は「母親の同僚が感染したんです」と言うのであった。「ただ、仕事の曜日がちがうので濃厚接触はないみたいですが。ぶるぶる」

 ひとりひとりが罹らないようにするのが一番大事だけれど、それ故に人との距離が遠くなっていくことは悲しいことである。肉体的には仕方ないとしてもそれが心理面にまで及ぶとこれも人間の病かと落ち込んでしまう。 
 

2020年4月7日(火)

7都府県に緊急事態宣言が出された。安倍首相のことばはひとつとして胸を打つことはないが、カミュの言葉は身に沁みる。以下は『ペスト』(新潮文庫・宮崎嶺雄訳)からの引用である。

「しかし、日がたつにつれて、人人はこの不幸が実際終わりを告げることはないのではあるまいかと心配しはじめ、そしてそれと同時に、病疫の終熄ということが、あらゆる希望の対象となったのである。」

「自然なものというのは、病菌なんだ。そのほかのものー健康とか無傷とか、なんなら清浄といってもいいが、そういうものは意志の結果で、しかもその意志は決してゆるめてはならないのだ。りっぱな人間、つまりほとんど誰にも病毒を感染させない人間とは、できるだけ気をゆるめない人間のことだ。しかも、そのためには、それこそよっぽどの意志と緊張をもって、決して気をゆるめないようにしていなければならんのだ。」


「ペストと生とのかけにおいて、およそ人間がかちうることができたものは、それは知識と記憶であった。(中略)一つの生の温かみと、一つの死の面影ー知識とは、つまりこれだったのだ。」

すると記憶とは何だろうか。

「……そして、天災のさなかで教えられること、すなわち人間のなかには軽蔑すべきものよりも讃美すべきもののほうが多くあるということを、ただそうであるとだけいうために。」


2020年4月10日(金)

 職場では、それまでは「良好」か「異常」かどちらかに○を付けていたが、数日前から毎朝の体温を所定の用紙に記入することになった。用紙の横には体温計がひとつ置かれている。自宅で測り忘れた人はこれを使ってください、という計らいである。どちらにしても自己申告制に変わりない。

 さてわが家にはふたつの体温計があった。数十年前からあると思われるデジタルはいまやいっさい反応しなくなっている。水銀柱が上ってくる仕組みのアナログの方は比較的新しくまだ使えるようだが時間が掛かる。新しく買おうにも品切れ状態だというのであった。NHKで自宅で眠っている体温計、電池を入れ替えれば使えるようになるかも知れませんと聞いて望みをつないだ。
 
 大型スーパーの電器コーナーでは体温計に合う米粒大のCR41だけが売り切れていた。みんな考えることは同じだと思いながらちかくの電器店に行くと店員が「これですね」と棚から持ってきてくれた。かくしてふたたび体温計は動き出したのであった。生活がどこも窮屈になるなかでちよっと嬉しくなって時を措かず何度も測ってみたものであった。6度5分、5度9分、5度5分……測る毎に下がっていくのは愛敬だろう。

2020年4月14日(火)

 白昼に見た夢はまさに「白日夢」のようであった。

 タクシーに乗って「高島平へ」と告げた。車は2車線の広い道路を南下して行った。ここで左折というところで曲がらなかったので同乗の娘らしき女性には「この先で曲がっても行けるから」となぜかぼくが解説している。

 予想通り次の交差点を左折したが狭い道に入り込んで行く。やがて海が見え隠れするようになった。海面が視界に入るときまってトンネルに入り込んでしまうのだった。磯伝いの懸崖の道のようである。

 タクシードライバーは車を降りて釣り具を用意しながら「ここが入瀬町高島平」と言う。「あそこで高島平へ、と言えば板橋区しかないだろう」「いやぁ、新参者でここしか思い浮かばない」

 男の元へは釣り仲間が交々やってきて釣り場情報をもたらす。男の格好はすでに釣り人のものであった。どうやって高島平に行くかひとり(女性はもういない)思案する。ここがどこかすらわからない。完全に途方にくれて目が覚めた。

 高島平というのはカーラジオで直前に聞いた「徳丸北野神社の神事・田遊び」のせいだろうと思えた。そのホームページによれば「正暦年間(990年〜995年)に疫病が流行したさい、梅の古木に里人徳麿が祈願したところ霊験があったので、山城国北野天満宮の分霊を勧請した」とあった。磯の釣り人については思い当たることはないが、神社縁起のなかの「疫病」というのは気になるところだった。げに夢もうつつも油断がならないものであることよ。


2020年4月17日(金)

 玄関を開けると配偶者と娘が仁王立ちして待っている。手にはそれぞれスプレー容器とウェットシーツを握りしめている。揃ってお出迎えにはあらず、全身にアルコールをふりかけ持ち物一式を拭きとって目には見えない細菌をやっつけるためである。すぐには居間に入って寛ぐことはできず、手洗い、うがい、シャワーと一連の消毒作業が儀式のようにつづくようになった。

 わが家でひとりだけやむなく外出するので、存在そのものが不安材料というわけである。同僚の母親が感染したなどと聞こえてくる職場にいる自分にもそれは実感できるし、すべての人が移しても移されてもと、戦々恐々の日々を送っている。まさにコロナ禍である。

 ひとり暮らしの大阪の姉にコロナ禍の「お見舞い」と称してお菓子を送ったのが数日前で、今日は福岡の息子夫婦から「差し入れ」のにゅうめんが届いた。ちょうどお昼前だったので、みなで揃って食べた。ストレス解消となったのであった。

 
2020年4月21日(火)

 あるカップルが職場にやってきて2週間が過ぎた。まわりの関心はふたりが50をいくつか過ぎた「男」と20代も後半にさしかかった「女」であり、いまだ籍を入れてはいないことだった。それしも世間的にはめずらしくないのだろうがいざ身近に現れてみれば、いろいろな憶測をよび、余計なお節介も焼きたくなる。書くか書くまいか迷った末に……以下は半ばフィックションである。

 作家を志して上京してきた同郷の女に男が惚れた。惚れたが悪いか、と前の職場を辞めた。郊外に引っ越して同棲し始めたのを機にアルバイト先を変えることになったが条件はただひとつ「いつも一緒でなければいやです」。

 仕事中男は女から目を離すことができず、なにかと手助けをする。女も折あれば男の元に駆け寄って代わりに荷物を持ってあげる。仕事に慣れてくるにつれそういう「協同作業」が目に付くようになった。ふたりとも働き者でいい人なのだが、磁石のようにすぐにくっついていくのは、まわりの者には目の毒となりかねない。

 もし二十歳そこらの「カップル」ならば目の癒やしとなって、茶々の一つも入れたくなるところである。ところが、十何年も経てば男はぼくと同じ高齢者、あるいは十数年前の自分はどうだっただろうか、などと思うにつけ、惚れたならこんなところでまめまめしさを発揮しないで、女の好きなことを存分にやらせてやれよ、とつい忠告したくなるのだった。やはり余計なお世話だろうなぁ。


2020年4月23日(木)

 岸政彦の小説「リリアン」(新潮5月号)に登場するカップルは35歳、市井のジャズプレイヤーと45歳の「酒場の女」であった。それぞれの過去がエピソード風に語られ、隙間だらけの大阪弁が駆使されて、全編さながら掛け合い漫才風である。

 物語の「現在(いま)」は男がなりわいとするライブハウスでのジャムセッションだけであると思える。女との交情はここでは添え物の感があるのだった。シングルマザーで10年前にこどもが事故死したなどのありきたりの設定はその象徴である。

 古市憲寿といい、この岸政彦といい、このふたりの社会学者の書く小説に感銘することは一度もなかったが、これには少し哲学っぽい表現があって救われた。田中小実昌を思い出した、などというと褒めすぎだが片鱗はある。古市よりは20歳ほど年を食っているだけのことはあるということか。
 

2020年4月24日(金)

 開店直後のホームセンターに行った。そこは前々日から1時間開店時間を遅らせて短縮営業に入っている。こちらの目当ては野菜の土を買うことだった。土の売り場は外にあるが、正面玄関から入ってみるとすぐに人の塊に出くわした。除菌のためのアルコールやウエットティッシュ、時にはマスクの売り場らしかった。品出しは不定期(開店時とはかぎらない)との告知はあっても一応確かめてみたい心理が働くのだろう。吸い込まれそうになるのを怺えた。三密三密と呪文を唱えながら。

 駅前の銀行では5台のATMの前に人がずらりと並んで、最後尾は入り口付近であった。誘導されるままにテープの×印の上に立って順番を待った。前の人との距離は約1メートル。

 買い物は配偶者ひとりが店に入るようにした。両手に荷物を抱えて車に戻ってきた配偶者に、3日分買ってきたかい? と訊くと、肉だけはね、と神妙にうなずいた。そのうち食事もそれぞれの部屋で摂ることになるのかと突如憂える。核家族はついに「ひとりぼっち」へと退化する。新型コロナ、憎し、憎し。


2020年4月28日(火)

畏友Y君のメールに「すべてがストップするなか、やるすべを失くした小生は倉庫にこもって断捨離を実行中。 30〜40年前の雑物を整理してごみ処理をしているわけだが、ついつい昔のものに魅せられたりしている。 その中で福本青年の小説掲載文芸誌が出てきて往時を思い出した。この2冊は取っておくことにした」と写真が添えられていた。まさに、往時茫々、あの頃の青年はいずこへ。



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