日  録 未覚、池塘春草の夢  

2020年7月3日(金)

「……のため、マスク…していただけますか」住民票が必要になったので市役所に行くと飛沫防止のスクリーン越しに係の女性が言う。あれぇ、しているのになぁ、と怪訝な面持ちでいると、「本人確認のためにマスクをはずしてください」と言い直した。合点して下にずらすと瞬時に「はい、ありがとうございます」。ほんとうに「認証」してくれたのか逆にこちらが不安になった。

 ほとんど寝て暮らした。それでも2度目の外出の際にはドラッグストアに立ち寄った。石鹸を手にいったんレジに並んだが、思い出して薬売り場に戻った。ロキソニンを買うためだった。棚を何度見回しても見当たらなかったので諦めた。肩関節の痛みが一昨日あたりから激しくなっているので頓服用にと思ったのである。

 しかし、そんな対症療法は効き目も一時的であることを知っている。ではどうするか。いままでは数日後に消え去って行くのを待ちながらひたすら耐えた。いまは「根気」というか「元気」がなくなって薬に頼ろうとするのである。そして休日のきょう、痛みはかなり遠のいた。頼らなくて済みそうである。


2020年7月6日(月)

 仕事のことで、いままで店番号の若い順からセットしていたのに明日からは逆にして欲しいと言われた。十数品目ある商品ごとに店番順に印字されてくるシートから番号を拾い出していくときにすべての商品を逆さに追っていかねばならない。これは自然の理に背く行いと思え、小さな悩みとなった。どう対処すべきか、仕事の手順などをどう変えるか、あれこれ思案していると、ついに夢にまで出てきたのであった。「10年のベテラン」としても情けない話である。なぜもっとほかの夢を見ないのか。ていたらくである。

 ソートするとき日時など数字の場合は昇順・降順と言えばいいのだった。すると昇べき、降べきということばどこで使ったのだったろうかとふと疑念が湧いた。ネットで調べると、文字式を次数の低い項から高い項へと並べるのが昇順、その逆に並べるのが降順とわかった。

 10年ほど前までは「数学」を教えながら十万回も使っていたはずなのに忘れてしまうなんて。その都度「べきとは冪と書き数字または文字を何回かかけあわせること、当然そうあるべきだのべきではありませんよ」などの「冗談」をひけらかしていたかも知れないのに。もっと情けない。

 ところで今回の昇から降への大変革、その初回は今日だった。思いわずらったほど大変ではなかった。夢のおかげだろうか。


2020年7月7日(火)

 灰色マスクのドライバーは通りすがりに「じいさん!」と呼びかけ、ひとさし指を作業中のぼくに向けて「71、71」と囃すように言い立てた。キンチョウのCMを見ているような気分になって怪訝な面持ちで見返すと「こっちも十分じいさんなんだけどね」と澄まなさそうな顔をした。71は年のことだとやっとわかったが、なぜ知っているのだろう。「あなたは?」「68ですよ」うん、たしかにそんなに変わらない。

「うちのカミさんが71、あっしとは3つ年上の女房なんですよ。いちばん人数の多い団塊の世代で、そのジュニアたちが就職氷河期に遭遇して、うちの子も大学は出たけれど就職先がなくて苦労しましたよ」

 などと話が発展してくるのだった。奥さんと同年齢と知って親近感を覚えてくれたのかも知れないが、そんなことを知ってどうするの? という気持ちがかなりある。

 それでも、「その後からいままで、世の中を悪くしたのは、みんなぼくらのせいです。“優しいサヨク”でしたから」と「持論」を述べた。ちと極論過ぎるとすぐに自省し、「奥さん、元気でしょう? われらの世代はみんな元気はつらつですよ、永遠に」とフォローしておいた。こちらの言説の方がキンチョウCM風となった。

2020年7月13日(月)

 アルバイト先で車の任意保険の証券の提出を求められた。10年近く勤めていてはじめてのことだった。他の人に聞くと毎年提出しているという話なのでヘンなことだなぁと思った。ともあれそのとき引っかかったのが対物賠償金額だった。「2000万円以上、できれば無制限が望ましい」と手引きには書かれているが、ぼくのは「500万」である。

 コピーを手渡しながらその旨を説明すると所属長は「まぁこれで出しておきましょう」と言った。それからおよそ一週間経った今日本社の担当者からメールが来た。そこには「自動車通勤の要件を満たしません。これは就業規則に書かれていることです。」さらに「99%の人は無制限です。」とあった。かくして早い時期に契約内容の変更を余儀なくされたわけだが、この「500万」とは何なのかと考えさせられた。

「これよりも高い車は滅多にないですからこんなものでいいでしょう」と30年ほど前初めて任意保険に加入したときの担当者のことばが甦る。当時は車とぶつかることしか念頭になかったのであろうか。1度衝突事故を起こし、いわゆる「1対9」となったが、「500万」で間に合った。それ以降の20年はディーラー経由で加入しているがそこをいじることはしなかった。

 就業規則にまで「2000万円以上または無制限」と明記されるのはそれなりの現実的な理由があるのだった。対物には車だけではなく家やお店のショウウインドー、それに公共の設備も含まれている。これらを壊したとなれば賠償の桁がちがうわけである。メールの最後にあった「99%の人が無制限です」とは流行のパーセンテージを使ったジョークでもはったりでもなく、いまどき500万の保険かよ、と揶揄されているようなものだった。ぼくは浦島太郎であるのか。


2020年7月14日(火)

 各地に住む古い友人らと毎夏行ってきた信州合宿がことしは中止となった。理由はコロナ禍が再燃してきたことであり、軌を一にしたような天変地異である。日本アルプスの谷間での合宿なので大雨・洪水への怖れもあるのだった。外部の条件が悪すぎるうえにみな70歳を過ぎている。自ずから慎重な行動を強いられる。

 コテージに予約のキャンセルをしたことを知らせてくれたO君は「今年が10回目の信州合宿となるはずだったのに。」と無念の胸の内を朱子の詩に託してきた。

「未だ覚めず池塘春草の夢、階前の梧葉に秋声。」

 浅学の身は早速調べてみた。こんな風に解説されている。

「池の堤の春草の上でまどろんだ少年の夢。さめたとも思われぬうちに、気づいてみれば秋、少年はすでに老人になっている。」

「未レ覚」が「さめたとも思われぬうちに」と訳されているのだった。

 別の解釈では、

「池のほとりに草が芽吹いたような春の夢にうつつを抜かしていれば、たちまち階(きざはし)の前の青桐の葉が落ちる秋になってしまうぞ。」

 これはいかにも儒教っぽくて今回の「10回(10年)目が中止」にはフイットしなかった。よって前者の「夢そのもののもの哀しさ」に一票となる。O君は森羅万象いろんなことに明るいと改めて感心した。またみんなで逢おうぜ。


2020年7月17日(金)

「大警報」としきりに小池知事が言うのでこの人はことばの使い方においてやはり独得な人だ。「都民ファースト(これはトランプが先だったか)」「東京アラート」などの新語を作り出して来た人らしいが、こんどはずいぶん時代がかった表現だなぁと思った。しかしよくよく見聞きしていると「感染拡・大警報」であった。こんなことを話すと配偶者は小さく笑ってくれたものの、ニュースリテラシーがないわね、とでも言いたげだったのである。

 その配偶者が「一秒前には使えたのに、以降いっさい反応しなくなった。この境目は何でしょうか」と電子レンジの故障を告げた。10年寿命と言われる家電製品だが警報すらなかったわけである。

 それはともかく売り場でピンからキリまである商品を探していると「アイリスオーヤマ」というメーカーのものを見つけた。東芝やシャープほど有名ではないが、昨夜、マスクの生産拠点を国内に回帰するようにメーカーに要請したというテレビニュースのなかでこの会社名を聞いた覚えがあった。そのせいでもないがこのメーカーのものを買った。値段はもちろんキリの方である。


2020年7月21日(火)

 今日はみっつのことをやる予定だった。ひとつはパソコンのなかのほこりをエアブラシで掃除することであった。午前中にやることができた。思ったほどには積もっていなかった。

 ふたつ目は床屋に行くことであった。入り口に立つことは立ったが5人ほどが椅子に坐って待っていたので諦めた。みっつ目は庭の枯れ木を根元から切ってしまうことである。幹の廻りに正体不明の茸のようなものが繁茂して、茸を削ぐとなかからこれもわけのわからない虫がうようよ出てきたので、いっそ伐ろうとかねてより思っていた。ところが午後もだいぶ遅くなり、そとには蚊やブヨが活動する時刻であり、こちらもいまひとつ元気が出ないので後日に持ち越した。

 みっつのうち比較的「ソーシャル」なふたつが未完に終わったのである。代わりにその時間何をしていたかというとサローヤンの『我が名はアラム』(福武文庫)を読んでいた。「恋歌やなにかのついている古風ですてきなロマンス」などをハラハラしながら読んだのである。


2020年7月24日(金)

「いつも一緒にいたいから」という触れ込みでやってきた女29歳・男53歳のカップルは相変わらずあとを追ったり追いかけられたりしながら仕事をしている。職場の私物化と思わないでもない。

  いつぞやの朝などは自分らの険悪な話柄の間合いを取るようにそばにいるぼくに突然「福本さーん、歳を取ると眠ることも大変なんですよね」と話しかけてきた。「そうだよ。朝は早く目が覚めるしな。」と答えながら、〈お家で何があったか知らんがこんなところにまで諍いの種を持ち込まないでくれよ。まわりのことも考えな。かりそめにもここはソーシャルな空間なんだよ。〉と思ったものである。いつも一緒にいたいのなら八百屋さんやラーメン屋さんでも始めればいいのだ。

 昨日ひょうきんな社員がやってきてカップルについての新しい情報を教えてくれた。

「ぶっちゃけて聞きますがどっちが先に好きになったのですか。すると女性は前のアルバイト職場で知り合って私がぞっこんになったというのですよ。男の人は初婚らしいです。そこでこう言ってやりました。優良物件が残っていたというわけですか。首をかしげながら彼女は複雑な表情をしていましたけど」 

 この「優良物件」には呆れたものであった。対語は「事故物件」であろうか。ところでこんなにも関心が募るのは少なからぬ嫉妬、すなわち老いたりし者の哀しみが宿っているのかも知れないとすぐに反省もするのだった。

 
2020年7月25日(土)

 昨年12月に急逝した岡田幸文さん(ミッドナイトプレスの主宰者・詩人)からの手紙を整理していたら、こんな一節に再会した。

「書き続けることで突破するしかない世界を生きているのだなぁという迫力に刺激されます。/小説を書くということは、とにかく恥も外聞も捨て、ひたすら書き続けるということ、プライドを持っていては、突破できない世界なのかも知れません。/LOVE HAS NO PRIDE という歌もあったようです。お元気で。」

 読んでもらいたくて勝手に送った原稿についての感想のあとに付け加えられていた。たったひとつの手がかりの消印も薄れて読めないので正確な年はわからないが30年近く前ではないかと思われる。すなわち30年後の今日は LOVE HAS NO PRIDE に魅き寄せられた。幸文さんは、詩であれ小説であれ書くことは愛であると言いたかったのではないか。YouTubeでボニー・レイットの歌を聴きながら、幸文さんを偲んだ。

 I'd give anything to see you again.(もう一度逢えたなら、どんなにいいだろう)

2020年7月28日(火)

 Mさんは自転車でやってきた。はい忘れ物。折り畳んだあかね色のマフラーを差し出した。マフラーを受け取ると、少し先まで送るよ、と並んで歩いた。うしろめたさがあるので用事が済めばすぐにも帰ってもらいたかった。崖の上に立って、どっちを降りる? Mさんは迷わず傾斜の急な左側の道を指差した。右の方がいいんじゃないの? 傾斜が緩いうえに途中に2個所平たい踊り場もある。断然こっちだよ。いいえ、左です。Mさんは自転車に乗りながら急な坂を転がるように降りた。崖下で立ち止まって両手で大きな輪を作った。ちょっと誇らしげであった。とにかく無事に帰ってくれればいい。戻ると、家の裏手の道をMさんが走ってくる。またきちゃった。Mさんも戻ってきたのだった。


2020年7月31日(金)

 マイナンバーカードを申し込むために配偶者とともに市役所へ行った。窓口で来意を告げると「スマホ・パソコン、郵送、窓口の3つの方法がありますが、どれにしますか」と訊かれたので「いまここで」と答えた。「では案内します」

 案内されたところは柱のかげに設置されている証明写真機の前だった。まずは配偶者から。通知カードにあるQRコードをかざしたり、指示通りに画面をタッチしていくと写真撮影に到達する。「写真の仕上げは美肌モードと普通モードがあります、どちらにします?」値段が200円ちがうのだった。「美肌」にすればと声を掛ける前に「普通でいいです」と答えていた。案内してくれた女性職員が手を添えてすべてやってくれるのだった。

 次にぼくの番。ぼくは椅子に坐っているだけでやはり何もしなかった。強いて言えば「美肌か普通か」のところで「もちろん普通でいいです」と意気込んで答えただけだった。それは異聞めいたことであるが、たった数分の作業で交付申請書ができ上がることに二人して驚いた。私らだけではこうはいかないね、と。


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