日  録  「危険な暑さ」

2020年8月1日(土)

 無限ピーマンを調べておいて、と言われた。むげんってかぎりがないの無限? そうですよ。ピーマンは大好きな野菜のひとつだがこれははじめて聞くことばだ。夢幻なら品種としてあり得るか、などと思いつつ検索するとあるサイトなどには600にも及ぶレシピが紹介されていた。どれもがピーマンを千切りにして、こしょう、ごま油、鶏ガラの素などの調味料を混ぜてツナと和えるものだった。

 次はピーマンにとっては無粋な、この名前の由来である。おいしくて、かぎりなくたくさん食べられるからこのように命名されたという。ツイッターで広まった名前だとも。SNSなど覗いたこともない配偶者は知っていて、SNS好きのぼくには初めて聞くことばだった。しかも、4年前に大炎上したというのである。世間知らず、と言うかSNSリテラシーに疎すぎる。


2020年8月4日(火)

(承前)まだなにか用事があったの? などともう聞きはしない。無言で近づくと、そこまで一緒に行こうか、荷台に手を添えて促す。平坦な畦道である。このまままっすぐ行くと私鉄の線路と交叉する。踏切りを超えた先にMさんの家がある。



 暑い一日だった。この間やりそびれた庭の枯れ木の伐採、今日こそはと思ったが配偶者からダメ出しが出た。その木は子供の小学校入学の記念樹だったので、こんなコロナ禍の時期に伐らないで、というのである。ほかに整理しなきゃいけない枝はいっぱいある、そちらを頼みます、ときた。でもネズミモチは山鳩の巣があり赤ちゃんがはじめて生まれたようなのでダメですよ。

 午後になってトイレの電球を取り替えていると点かないのは電球が切れたのではなくスイッチが壊れている(接触不良?)せいだとわかった。取り外したスイッチプレートを持ってさっき電球を買った電器店にUターン。新品に取り替えると難なく点いたが、木を伐る力はもはやなくなっていた。

 受験参考書の表題にあるような「一日一課」である。夕方になって風が出てきたが生暖かい風であった。爽快とはいかない。せめてもと思い立って、庭の水撒きと洗車に挑戦。散歩する人が通りかかって声を掛けてくれたなら子供の水遊びみたいなものです、とジョークを用意したが誰も通らなかった。


2020年8月11日(火)

 明け方に流れ星をいくつも続けてみる夢を見たのだった。尾を引いて流れる様子がはっきりと見えるので同行の人(誰かはわからない)に指差して懸命に教えている。ほら、また。夢を見ている時間よりも星の流れる時間の方が長いと思っている。それほどゆったりと流れていった。

 今日岡田幸文さんの詩集『そして/君と歩いていく』(midnight press 刊)が届いた。山本かずこさんは「この詩集のタイトルは、共に生きた、同志でもある私への岡田の言葉です。」(あとがきのかえて)と書いておられる。一篇を引用すると、

歌降町

私は歩いている。
私はひとり歩いている、
誰も歩いていない午下がりの歌降町(ルビ;うたふりまち)を。
歩くことからしか始められなかったから
私はいつも歩いている。
到着は無意味だ。
だから、今日も私は、
改行するように、
その小さな曲がり角を左に曲がって
抜寺町(ルビ;ぬけでらまち)のほうへと足を向ける。
すると、曲がり角では必ず
人とすれちがうのだ。
私ひとりではないというわけか、
歩いているのは。

 この詩を読むぼくは詩のなかの「私」か、あるいは曲がり角ですれちがう「人」か。このトリビュート詩集はいろいろなことを考えさせてくれる。


2020年8月18日(火)

『芥川追想』(岩波文庫。帯に「ありがとう、芥川」とある)を読んでいるとはじめての言葉に出会う。谷崎潤一郎か志賀直哉だか忘れたが「心緒」もそのひとつだった。3回ほど出てきたと思う。広辞苑によれば、心緒(シンショ、シンチョとも)とは「心の動くいとぐち。思いのはし。」と短く説明されている。ネットの辞書では「思いの端々、考えの筋道」と敷衍(?)されているが、いまは誰も使わないだろうなぁと思う。はやりすたりがあるとはいえ、いい響きがある言葉なのにもったいない気がする。

 正宗白鳥は作品を批評しながら「心熱」、さらに1ページおいて「心力」という言葉を使っていた。曰く、(「地獄変」は)「持って生まれた才能と、数十年間の修養とがこの一篇に結晶されている。聡明なる才人の知恵の遊びではない。心熱が燃えている。」また曰く、「氏自身が持ってきた心力の限りを尽くして、世界を見たようなものである。」と。

これらは真似して使ってみたくなるようなインパクトをいまも持っている。ここで思い出したことがある。二十歳を過ぎた頃の日記帳の表紙にぼくは「心痛」と書いた。しかも、鏡文字である。そこに批評を込めたつもりだったのだろう。それはいまもどこかに眠っているはずだが、恥ずかしすぎて探す気にもならない。


2020年8月21日(金)

 配偶者の使っているスマホの機種変更のためにドコモショップへ。3Gではやがてラインが使えなくなるらしい。配偶者はいまや dTV、YouTube なども愉しんですっかりスマホになじんでいるが、こちらはラインに入ってくる孫の写真や動画をのぞき見する身である。そりゃ大変だ。名義人のぼくは慌てて予約を入れた。

 まだガラケー、ソフトバンク? 終了が間近ですね。こちらに変えるとスマホなら1000円、ガラケーなら500円の割引がつきますよ。ほかにもあった。インターネットがADSLと言えば、これも2年以内にサービスが終了します、WI−FIか光に乗り換えられると、トータルで見ればお安くなります、などなどと勧誘を受けた。インターネットは自宅まで高速で行くか、下道で行くかのちがいです。そんななかでADSLはいわば砂利道なんですね。この比喩は身に堪えた。

 時代に遅れちゃならないとガラケー掲げて砂利道を必死に走る。そんな姿こそが十分に時代遅れなんだ、と気付かされた。


2020年8月25日(火)

 朝一番に、一昨日の真夜中に発行された岡田幸文追悼号『midnight press WEB No.14』をプリントアウトした。追悼詩や追悼文(ぼくも「青いインクの手紙」という一文を寄せている)を精読し、いつでも、何度でもすぐに読み直したいからである。これは47ページの大部にわたり、岡田幸文さんと一緒に『midnight press WEB版』の編集を長く続けてこられた詩人の中村剛彦さんによる「ご自身も辛いお気持ちのなか、ひたすらまとめあげてくださった」(山本かずこさんのあとがき)とあるとおり渾身の edition である。

 追悼号を読んでいると岡田幸文さんはこの世に生きた証としていろいろな人に刻印を残していった。ぼくにとってもやはり得がたい友人だったと改めて思えてくるのだった。「いや今日だけかがやける/あなたが灯しつづけた/真夜中の星」(中村剛彦さんの詩「真夜中を駆け抜けろ−岡田幸文さんに」)としていまはそれぞれの心に在るのだろう。


2020年8月31日(月) 

 居間のガラス越し見えるコスモスが揺れると人が訪ねてきたのかと目を瞠る。茎を揺らすのは自然の風なのに歩いてくる人が起こす風のせいと思ってしまうのかも知れない。いやそもそも背の伸びたコスモス自体が人の気配を醸し出すのか。何日も「危険な暑さ」が続くと、妄想もかぎりがないようだ。8月も今日で終わり。

 次の総理大臣をめぐって世情はかまびすしい。休み明けでアルバイト先に出かけると仲間のひとりがこんな話を教えてくれた。誰がいいか、という話題となって福本さんがいい、と○○さんが言い出すんだよ。おれは言ったんだ、あん人は官房長官だよ、と。よぉ、官房長官! 

 そんな人事がまかり通っているとは驚きだった。というかこっちの方がずっとリアリティがある。石破も岸田も、ましてや菅も同じ穴の狢、もううんざりである。



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