日  録  秋晴れ、あり 

2020年10月2日(金)

 朝から真っ青な秋の空であるが、「もう10月か」啄木のひそみに倣った感慨が今年はなぜか出てこない。やっと10月、まだ10月、ついに10月、いずれもしっくりこない。月日の経つのが年々速くなっていく感覚はいつも通りだが今年はなにかがちがう。その正体を事実で知るのはもう少しあとかも知れない。

 今月は20日から4連休をとった。何の予定もないので、からだ休めのための休暇となりそうである。世の中は「GO TO TRAVEL」で賑わっているようだが、無縁。せめて近場で短い秋を満喫できればいい。仕事中に三峯神社(秩父市)がパワースポットである、とひとしきり話題となった。これは政府キャンペーンよりも耳寄りな情報ではないかと云々。

 パソコンを通して国勢調査に回答した。やる前は少し身構えたが、世帯員、年齢、職業など質問はきわめてありきたりで、少し拍子抜けした。たいしたプライバシーはなかったからだ。

 30年ほど前に配偶者はPTA役員の絡みだったのか毎年のように国勢調査員を仰せつかっていた。留守の家を何度も訪ね、ときには門前払いを喰らい、肩身の狭い思いをして答をおそるおそる聞き取ってくる様子などを身近で見ていただけに「国勢調査」と聞くと思わず背筋に寒気が走る。

 当時はインターネット回答はなかった。ほとんどすべてが対面による回答・回収だった。プライバシーを知られたくない人は厳重に封印して手渡してください、ということだったと思う。時代は変わった。人の心も変容していく。そして社会も、また。

2020年10月4日(日)

 通りすがりのドライバーが目の前で屈伸運動をはじめた。おや、準備体操? と声を掛けると近寄ってきて「とし、大丈夫?」と訊いてきた。71歳ですよ。まだ行けますよ。いやいや、こしです、腰。これなんか重いですよ。1gの飲料1ダース入りの箱を指差す。あぁ、ベルトをしています。これをしないといつ何時痛めるかと不安がいっぱいですから。

 これは昨日の話で、けさはパレットの上にひっくり返って後頭部の首筋付近を強く打った。

 ハンドリフトに空パレットを差してうしろからやってきた人がぼくのそばを通ったときパレットの角が左足にあたった。足払いを喰らった形になってパレットの上に尻餅をついたのだった。制御の効かなくなったからだが半回転したように思う。パレットをはみ出して頭が。なんとも軽い身体だった。ただぶつかった物が紙の箱だったのである。固い物でなくてよかった。

 しばらくして感じたことだったが、こんなとき、じいちゃん危ないよ、と腕を引っ張って身体を移動させてくれる人がいつもはそばにいるのだった。あいにく今日は休みだった。それでも大事にならなかったのは、運がよいと思わなければいけない。


2020年10月6日(火)

 思えば72年近くこの名前と付き合ってきたものである。由来などは一度も聞かされた覚えはないが、順調、温順、恭順、帰順、順当、順守などの熟語からおのずと察しはつく。テレビのテロップなどにそのものずばりが登場することも最近多くなったように思うが、かなり慣れた。

 幼なじみにスンジャと呼んでいた女の子がいる。漢字で書けば順子だと知るのはかなり後になってからである。40年近く前、新人賞の候補作に選ばれたとき編集長の寺田博さんから葉書が来た。「相談したいことがあるので連絡ください」とあった。訪ねると、いかにもそれらしいので本名でという提案だった。学生のときから使ってきた筆名「小里文哉」で応募していたのである。

 ということで長年付き合ってきたこの名前はかなり気に入っている。休日の今日寝っ転がって長谷川櫂の「花守の系譜」(新着『図書』10月号)を読んでいると「そこで四月から順次ネットのズーム句会に切り替え、云々」と出てきた。流通しているなぁと起き上がってこの短い文を思い立ったのである。(余談ながら先月号の『図書』は依然行方不明である)


2020年10月8日(木)

 帰宅後かかとがヒビ割れしていることを発見した。朝の気温が14度、最高気温も1度しか上がらない、冷たい雨が降り続く一日だった。11月中旬の気候だと言われている。ひと月早い冬隣にからだが正直に反応したのだろうか。

 毎年冬になるとこれに苦しめられる。最盛期には両足に何ヶ所かできて、特に靴の着脱に難儀する。 ことしはじめてのヒビとも言うべき、長さ1センチほど割れ目に去年使ったメンソレータムを擦り込んだ。製造会社名が「ロート製薬」になっている。はてあの近江兄弟社はどうしたのだとそんなことも気になった。

 ネットで探ると近江兄弟社はメンタームという、同じような商品を出しているらしい。宣教師が作ったこの会社も100年の間にはいろんなことがあったようである。メンソレといえば近江兄弟社という連想は昭和も昭和、もう古いのだった。


2020年10月9日(金)

 3日前配偶者がいつもの病院へ行った。診察が終わると、65歳以上は無料で早い時期にインフルエンザのワクチンを受けることができる、これからどうですか、と勧められた。そんなことなら夫も連れてこんど来ます、と戻ってきた。今日ふたりで接種してきた次第である。皮下注射だから痛いかと思ったがそうでもなく、あっという間に終わった。それもそのはず、ワクチンの量は0.5_gとあとで知った。一滴というよりは半滴にちがいない。想像できなかった。


2020年10月10日(土)

 そろそろ仕事も仕舞いに掛かろうという段になって、じわじわとした腹痛に襲われた。仕事を人に任せて数十分休んでいるとかなり良くなった。ふと思い立って体温を計ると37.0度ある。時節柄この程度でわれも含めてみなは驚く。

 明日は無理をするな、すぐ病院へ、挙げ句は代わりの仕事担当を誰にするかの検討まで始める。数日前先例(そのときは38.5度の熱だったらしい)があったので戦々恐々である。当の本人はさすがに居心地が悪くなって「大丈夫ですよ」と火消しに必死となった。

 帰宅して測ると36.9度。葛根湯を飲み、熱い風呂に浸かり、ビールを飲みながらキムチ鍋を食べ、『ミスターサンシャイン』も観ないでベットに潜り込んだ。ラジオで流していた野球中継がちょうど終わった頃にいったん目が覚めた。身体の異変はなし。明日は大丈夫だ。


2020年10月12日(月)

「鳥肌が立ちますね」

 土曜日の野球中継で、満塁のピンチを連続三振で切り抜けたカープの新人・森下の投球に対する解説者・安仁屋宗八の感想である。たまたまradikoで聞いていたぼくはなんとなつかしい表現だろうと思った。テレビでないので同じ感覚を味わうことはないが、実況音声だけで十分はまっていた。そこで今日一日掛けて自身の「鳥肌が立った経験」を思い出そうとした。

 感動・感激によって鳥肌が立つには、対象への感情移入、思い入れが強くないとダメなんだろう。そんな体験があったかどうか思い出せなかった。残念なことだ。


2020年10月16日(金)

 日露戦争前後の時代、日本など帝国主義国家の侵略的行為に抵抗する朝鮮の義兵を描いた韓流ドラマ『ミスターサンシャイン』全24話をほとんど一気に観てしまった。壮大な、緊迫感のあるドラマだった。「史実に基づいているが一部は架空の団体・人物」ということわりが入っていた。

 今日はまた韓国映画『タクシー運転手』を観た。こちらは1980年の光州事件を描いている。戒厳令に反対する光州市民・学生への軍の暴虐ぶりがリアルに再現される。事件を取材する海外ジャーナリストと彼をたすけるタクシー運転手らの物語である。

 前者が2018年、後者が2017年の製作とあるが、70年の時を隔てて「恨(ハン)の民の心情」が鮮やかだった。


2020年10月20日(火)

 4連休の1日目、朝一番にのびのびなっていた車のオイル交換をしてもらう。待つ間、新聞を広げるとこんな記事が目に留まった。

「第58回歴程賞が19日発表され、岡田幸文さん(2019年死去)の詩人、編集者としての詩壇への貢献と詩集『そして君と歩いていく』(ミッドナイトプレス)に対して贈られることに決まった。」

鳥肌が立った。その場で山本かずこさんにメールした。彼女はmidnight press のホームページでこんな風に書いている。

 まさに「刀折れ矢尽きる」状況にありながらも、なおも闘い続けた、一人の名もなき戦士に手向けられた光のように感じます。岡田の仕事を認めてくださり、強く推薦してくださった方(がた)のその勇気に感謝いたします。/これまで岡田を信じ、岡田と共に歩んでくださったみなさまに、この場を借りて、ご報告申し上げます。ありがとうございました。

 万感胸に迫るとはこのことであろうか。ぼくには岡田幸文さんのはにかんだような笑顔が思い出された。


2020年10月21日(水)

 2日目、朝から居間の模様替え。ストーブの置き場所を確保するために行う、晩秋の風物詩みたいなものである。大きな、重い家具もあるので、老夫婦には年々きつくなる作業かも知れない。3時間以上かかってなんとか完了した。

 夕方になって床屋へ行った。配偶者の「うんと短くしてきたら」という提案に添って、刈り上げにしてもらった。バリカンを入れるのは丸坊主だった中学生のとき以来である。

 しかし、長くなった髪を切り落として耳を出してもらっていた以前とたいして変化はない。髪型に興味はなくなっている。そんなことよりも、鏡とにらめっこしながら自分の顔につくづく嫌気が差した。

 本棚から『辞世のことば』(中西進著、中公新書、1986年)を取り出して、読み始めた。脈絡があるような、ないような、不思議な気分で、本の内容に惹き込まれた。


2020年10月22日(木)

 3日目、Tさんからお米が届いた。自分の松本の田んぼで作った新米を毎年送ってくれるのである。安曇野の米と呼んでこちらも密かに心待ちにしている。もう一つの愉しみは直筆の手紙であるがことしは入っていない。代わりのように柿が5個同梱されていた。どれも艶々しく輝いている。小さい頃田舎では寺柿と呼び慣わしていた品種だ。そう思うとなつかしさがこみあげてくる。

 ついさっきのスーパーのレジでは前のお客さんがお米を二袋買っていった。銘柄をみると「松本ハイランド/コシヒカリ」と書いてある。これもまた安曇野の米だ、不思議な暗合にびっくりした。柿は食べた。甘味の指標の霜がいっぱい降っていた。取り急ぎお礼の手紙を書くことにした。


2020年10月23日(金)

 4連休の4日目は雨催いの一日だった。飯能の銭洗い弁天・円泉寺へお詣りすることにした。ここはパワースポットでもあるらしいので、心身に GO TO GORIYAKU という魂胆である。ところが、途中商業施設の駐車場に車を停め、いざウインドーを閉めようとすると、オートが作動しない。セルを回してもエンジンが掛からない。雨がどんどん入ってくるので、覚悟を決めてレッカー車の出動を依頼することになったのである。

 レッカー車で駆けつけてくれた人はバッテリーの電圧を調べて即座に「原因はこいつです、発電機(オルタネーター)」と診断した。前の車で1度経験している。あのときは交差点の手前でエンジンが止まったのだった。警官や他の車を巻き込んでしまった。前兆はあり、交換を指摘されていたのに、敢えて乗っていた罰であった。それを思えば今回はいい場所で故障してくれた、と思う。ディーラーまで車を運んでもらい、こちらはタクシーでそこへ移動した。

 ディーラーで代車のレンタカーを手配してもらってそのまま家に戻ってきた。もはや弁天様どころではないが、レッカー車も代車もすべて保険でまかなえる、なんていうのは御利益のうちなのかも知れないなぁ。


2020年10月27日(火)

 昨日、今日と秋晴れを見た。雲ひとつない青い空、爽やかな空気。地上は汗ばむほどの陽気であった。毎年短い秋なので、もうないのかと諦めていただけに、新鮮だった。秋にもきっと「深みと温かさ」(「何歳になっても先生(のこれ)が目標だなんて言ってくれてありがとう、YUKI。)があるのだろう。

 みんなはこんないい車に乗っているのか、とうらやましがらせる代車を駆って往復2時間のドライブ。帰りがけには配偶者が「丸いスーパーに寄って」という。どこにそんなのがあったかと思い出そうとするが思い出せない。何年か前にこのあたりを通ったときに立ち寄ったスーパーは覚えている。そこだろうと見当をつけて行くと、「あれ丸くない。建て替えたのかな、きっとそうだ」、建物がかつては丸かったなどとよく覚えていたものだと感心した。人生の秋に「まるみ」も付け加えたい。


2020年10月30日(金)

 半年前、「いつも一緒にいたい」という触れ込みでやってきた「53歳男・29歳女」のカップル、これまではずっと同じ日に来て一緒に仕事をしてきたが最近そうならない日が何回かあった。

 男は黙々と仕事をしていた。寂しそうに見えた。わざと引き離しているわけではないのに、そばにいる者らは居心地がよくない。女がはじめてひとりで仕事をする前の日には「面倒見てあげてください、お願いします。頼れるのはあなただけですから、よろしく」と40代の男子社員に言い置いて帰ったという。

 これにはびっくりしたが、女がひとりで来る日、男は職場まで送り迎えをしていた、と聞いてさらに仰天した。ふたりの心と体にはいったい何があるのだろうか。そんな悩ましい考察に駆られるのである。

 つまりこういうことである。コロナ禍でソーシャル・ディスタンスが叫ばれるが、それに逆行あるいは背馳するものこそ恋であり愛である。もうひとつここで問題になるのは「53歳男・29歳女」の社会性であるが、それは他人事であり、余計なお世話なので捨象するとして、もうぼくらには望めそうもない、関係の絶対性が促す行動なのだろうか。とすると、この概念も地に堕ちたものである。



ディーラーに連れられて関越道花園インター経由でネギで有名な深谷市まで出かけた。いったん放出した中古車をオークションにかけられる前に取り戻して車の故障したぼくに格安の値段で譲ってくれるというのである。関東平野はだだっ広い。北風が吹き荒れていた。土ぼこりの嵐である。


 
   


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