日 録  波瀾万丈冬隣 

2020年11月1日(月)

 帰宅してアルコール消毒、手洗い、うがいなどを済ませたあとに「トイレツトペーパー買ってきて」と頼まれた。最寄りのスーパーの近くまで来てマスクをしていないことに気付いた。ティッシュペーパーで口を塞いで顔を隠すようなそぶりで売り場に入った。チラチラ見るにマスクなしの人は誰もいない。

 片手に目当ての商品、もうひとつで口を覆ってレジに並んだ。話しかけられないことを祈っていたが「○○カードはお持ちですか」と聞かれた。首を横に振った。なんとも不自由なものである。出口に急ぐと前をトイレツトペーパーだけをぶらぶらさせた人が小走りに行く。あ、この人も頼まれたのにちがいない、と親近感を覚えた。ぼくよりうんと若いこの人はマスクをしていた。


2020年11月3日(火)

 市役所への用事を何日か前から予定していた。さてそろそろ行くかという段になって今日は「文化の日」であることに気付いた。さすがに役所はやっていないだろう。「拍子抜け」した気分になった。

 去年のこの日の記録には、家の中で大量発生したマルカメムシが飲みさしのコーヒーカップに侵入、知らずにかみつぶした、異臭を感じて吐き出した、次の日には仕事中に下腹あたりが痛んで休憩室で十数分休んだ、などと書いてあった。碌な文化の日ではなかったと知れる。それに比べれば今年は「拍子抜け」で済んだ。自作自演みたいなものなのにヘンな言い草だ。生活感が消えてしまったか。


2020年11月9日(月)
  
 ベッドのなかで懸命に日記の出だしを考えている。「免許を取ったのが38歳のときで最初に乗った自家用車が五十数万円の中古車だった……」あるいは「新しい車がやってくるまでの何日間かは電車で通うことになる。職場は陸の孤島にあるので電車、バスと乗り継いで行かなければならない。このバスがくせ者である。1時間に1本程度しかない云々」

 出発が事前に調べた時刻よりも5分ほど早かった。運転席に近づいて「芝原通りますか?」と訊けば「通らないよ」「どこかで乗り換えは?」「中学校前で待ってればあとから来ますよ」そのつもりでいたが見覚えのある光景が見えてきたのでひとつ手前の小学校前で降りて職場まで約1キロを歩いた。

 帰りは最寄り駅まで送ってあげるよ、と同僚の誰かれが言ってくれる。好意はありがたくすぐに飛びつく。昨日もそんな風にして予定よりも早く若葉駅までやってきた。3日間だけ提供されることになった代車をディーラーへ取りに行くためである。駅前にはバス停が三つあった。ひとつは市が運営するワゴン車である。ちょうどやってきたので「どういうルートでどこまで行くのですか?」と訊くと「関越病院経由○○団地」と言う。この団地は自宅のすぐ近くである。これに乗れば駅から歩かなくても済むがいまは行き先がちがう。

 かさねて「あそこのバス停は何?」と問えば「むこうは東武が運営するワゴンみたいなバス。最近なぜかこの種の地域バスが増えているんですよ」そのバス停にいましも小型バスが着いた。市役所行きである。ディーラーはそこから200メートルのところにある。渡りに舟とはこのことであろうか。

  代車は新車同然の真っ赤な「アクセラスポーツ」だった。「なぜこんな最新の立派な車なのですか」と聞いてみると「代車を求めるお客さんが古い型を好まないのですよ」という回答だった。自分の乗っている車と同等かそれ以上のもの、という風に受け取った。ぼくはちがうぞ。最低限動いてくれれば、つまり用を足せばいい。その他の機能はむしろ煩わしい。ひとつ嬉しいのはカープの赤色であることだ。

 これが乗ってみるとなかなかいいのである。緊張はするが、座席はどっしり、走りは安定している。それ以外の機能は使わない、というか使えない。ただ走るのみである。走行中にピッピッとよく出る黄色いサインだけは気になったのでネットで調べてみた。すると「車線はみだし注意」の警告とあった。若者向けのこの車にとってぼくの運転はよほど危ういのだろうか。どのときもそんな自覚はなかったのにひっきりなしに鳴るのだった。


2020年11月11日(水) 

 代車の赤い「アクセラスポーツ」を返したあと3キロの道のりがある自宅までどうやって帰るか思案していた。担当のMさんはこの日休みだから送れないのですと言っていたからである。午後7時頃ディーラーに着くとそのMさんが出てきた。「休みは今日ではなく明日でした。送っていきます」返した車の助手席に乗り込んで自宅に戻った。救われた感じがした。

 戻ると旅行中のTさんが「タント」を使ってくださいと人を介してキーを届けてくれていた。配偶者が旅先のTさんに老夫婦にはめずらしい赤い車の写真とともにこれまでの顛末を面白おかしく報告したところ、こんなありがたい申し出となった。電車、バスと乗り継いでいく心配がなくなって、気が楽になった。明日の朝電車の駅から職場まで同乗させてくれることになっていた同僚にも連絡。まわりの人すべてに感謝感謝の出来事が続いた。一日早く大安がやってきたのか。
 

2020年11月13日(金)

 百枚、あとひとひねり。そんな一節とともにその夜のエピソードを書いたメモが『神々の誕生』(吉野裕子著、岩波書店)に挟まれていた。「易・五行と日本の神々」と副題にあるこの本を再読するつもりで取り出したが、メモの方に惹かれた。

 2008年5月22日、於・高島平。松本先生来。早稲田大からここまで自転車で移動してきた由。酒を飲んで、吐いて、次の日も気分が悪かった。それが大学1年の時で、以来、電車に乗ることができなくなったというのがその理由である。

 PM8:00、帰り際外に出てみればママチャリである。よぼよぼとこいで行くうしろ姿を見送った。「講義をしない講義」(朝日新聞のインタビュー記事)の遠藤教授に付いている大学院修士の一年生、未来の数学者である。住まいのある根津までは何キロあるのだろうか。

 PM9:10、八尋先生来。いまは文京区の小学校の副校長、かつての教頭職だという。出会ったころは大学出たての23歳ごろである。「エロの「尋」と書くんですよ」自分の苗字をそんな風に説明したことがまるで昨日のようである。

 2008年5月23日、PM12:30、新宿「酔心」にて時任氏と。9年間の単身赴任にピリオドを打って来月福岡に戻るという。「家族との空白をどう埋めていくか、頭の痛いことよ」畏友の言葉に現実感あり。

 などとそのメモには書かれている。ほかにもこの本にはなぜか大量のメモが挟まっている。大半が「創作ノート的」なのにこの1枚だけは日記風である。そのまま書き写してはみたが、12年前の心境には迫りようもなくなっている。


2020年11月16日(月)

“待望の”車がやってきた。というのは、先月23日の故障以来、レンタカー(スペイシア、2週間)、ディーラー提供の代車(赤いスポーツカー・アクセラ、4日間)、隣人の車(タント、4日間)と乗り継いできた。糊口をしのぐ感じがしないでもなかったからだ。

 わが配偶者は人が来るとなると、全身全霊、気を集中してそのときを待つという性癖を持っている。この日は「納車」のほかに2件の来訪者が予定されていた。

 2時頃担当の人から電話があった。仕事の倉庫の中で聞きづらかったのだが「あと少しで」と聞こえたので「もう少しで着くらしい」と連絡した。配偶者はあわてて茶菓を用意して迎える態勢に入ったが、いつまで経っても来ない。その間に他の2件に対応するが、その間にも気が気でない。実際には5時近くになってやっと来た。

 昨夜「明日はたいへん忙しい日になりそうだなぁ」と冗談めかして言ったことが現実になったのだった。お昼ご飯も食べられなかった、と言うので、その不憫を思いやるしかなかった。元はぼくの発した“誤報”のせいだから責任がないわけではない。若ければこれは離婚ものよ、と真顔になられれば、しんみりとするしかない。納車のよろこびと相殺された。


2020年11月19日(木)

 いよいよ平穏な日常が過ごせると思った。ところが新しい車でのはじめての出勤日、いままではなかったナビが気になってしょうがない。信号待ちの合間にあれこれいじっていると“目的地”が設定されてしまった。すると「30メートル先信号を右です」などと音声がひっきりなしに出るようになった。これは煩わしい。しかし取り消す方法がわからない。

 こんな調子で気になることが次々と出てくる。ガソリンスタンドでは給油口を開けるレバーが見つからない。ハンドル下の大きめのレバーを上げたり、ボンネットを開けたりしていた。ハンドル下のレバーは気になったので家に戻るとすぐにハンドブックを取り出した。するとすぐにわかった(ハンドルの位置を調節するためのものだった)。あらまほしきは“取説”なり。

 ところでこのハンドブック、あちらこちらにマーカーが施され、前の所有者が懸命に学習したあとが偲ばれる。聞くところによれば、この人は免許を返納したので車を放出したらしいのである。説明書の末尾には購入したか、読み終えたかの年月日が書かれている。きちんとした性格の人なのであろう。少しは肖れ、と自分を叱咤する。


2020年11月20日(金)
 
 早朝から排水管を取り替えてくれるというので、7時になって台所直下の排水構(枡)とそこから次の排水構につながる管の掃除をやり始めた。直下のが壊れているために泥が管を流れ、やがてつまり、ヘドロと化す。この前大掃除をしてからもう半年は経つだろう、案の定一方は水が溢れ返り、もう一方は泥が堆積していた。せめて水か通るようにしておこうと泥にまみれ、匂いに辟易しながら奮闘した。

 1時間ほどあとに工事の人がやってきた。30代後半くらいの好青年であった。説明を聞けば、流れの順調な三つ目の構までエンビニ管をL字形につないでいくという。バイパスを作るようなもので、いままでの管や構は埋め込んでしまう。つまりぼくの“仕事”は工事の役には立たなかったのであるが、思えば2004年暮れの引っ越し以来の下水管不良、それがついに解消すると思うと晴れやかな気分になる。16年前にこのために買ったパイプ掃除用ワイヤーも今日が使い納めとなった。

 早朝から工事を始めたのは今日中に終わらせたいからだと言っていたが、1時過ぎには完了させてくれた。テキパキとした仕事ぶりだった。溝を掘って管を埋め、台所と直結させて、構の内壁にモルタルを塗る、などなどの工程をたったひとりでやり遂げた。見事と言うほかはない。通り道をそのままにして古い管と新しい管を取り替えるなどと発想したわれはよほど古い。餅は餅屋だと思った。 


2020年11月24日(火)
 
 連休明けのせいか病院は混んでいた。予約1時間前の午前9時に着いて採血室に入ると人がいっぱい待っていた。狭いうえに、ほとんどが高齢者なので間隔をあけて椅子に坐るなんてことはできない。密状態である。待つこと30分、やっと呼ばれて、看護師の名札を見ると「下地」とある。マスクに覆われいるので、顔を確かめることはできないが、名前の記憶から膝の骨を折って入院した折に担当してくれた看護師さんのひとりにちがいない。

「応援に駆り出されたのですか」と訊けば「そう。大変だから降りてきてって、呼ばれました」と言う。いよいよ確信したが、入院中はお世話になりました、などと名乗りはしない。もう10年経つのである。多忙な日々のなかで覚えているはずはない。そこで「コロナ禍で、大変なお仕事ですね。ほんとうに凄いと思います」「わたしたちは、慣れていますから、感染にだって強いですよ」そんな会話を交わした。

 診察してもらえたのは11時過ぎである。その血液検査の結果、ヘモグロビンがさらに減っているので、さっき採取した血液で原因を検査してくれることになった。「あと小一時間待ってください」と言われた。原因は「鉄分欠乏性の貧血」と診断され、薬が一錠増えた。

 98日分の薬を抱えて帰路についたのは午後1時半である。実に4時間半、採血での再会、2度にわたって検査される血液、なんか因縁めくなぁ。


2020年11月27日(金)

 影向とは神仏の元現、顕現のこと。お里が出るんだ、お里とは文章の格である。久しぶりに小説が読みたくなって小川洋子の「完璧な病室」を初出誌(『海燕』1989年3月号)で読んだ。紙面は相当くたびれていたが、しっかり読めた。ブッカー国際賞の候補になった『密やかな結晶』を予兆させるような小説だった。フィジカル・フェチなんてことを思いついたが、深く掘り下げることはできない。単なる思いつきに終わりそうである。


2020年11月29日(日)

 食卓にキスのフライが出た。アジでなくてキスですよ、と配偶者は念を押した。近年お目にかかること甚だ疎し魚である。食べてみればさっぱりとして美味しい。2尾を平らげて、漢字では魚遍に喜ぶと書いて鱚だったことを思い出した。お寿司屋さんの大振りの茶碗に、いまはスーパーの鮮魚売り場の看板で見かける魚遍の漢字のオンパレード。読めないと悔しい思いをするのである。鰯、鰤、鯖、鱧、鯵などなど、すべて当て字だろうがそれなりの謂われはあるにちがいない。

 ところで鱚の漁獲量は大きく減っているらしい。ある釣り人のブログによれば浅瀬に集まってくる習性があるので、プラスチックゴミを食べてしまうこともその一因という。素直には喜べないのである。



過去の「日録」へ