日  録  笑門来福

2021年1月1日(金)

 みなさまにとってことしがよき一年でありますように。

 また、ひきつづき変わらぬご厚誼・ご愛読のほどよろしくお願いします。

 お昼過ぎになって4、5キロ先の尾崎神社へ初詣で。年数十回は前を通るがいままで一度も境内に足を踏み入れたことがなかった。川越市の西の外れ笠幡にある鎮守の神様という認識だった。いつかは行ってみようと思っていた。

 神社に近づくにつれて道の両側に人の往来が増えてきた。参詣に行く人、戻る人たちである。拝殿の前にも長い列ができている。参拝を終えて駐車場に戻ると来た道の反対方向の坂道を少なからぬ人が上ってくるのが見えた。小高い丘のはずれにあるこの神社は思った以上に地域の深い信仰に支えられているのだろう。

 「参拝のしおり」の創建によれば「日本武尊東征の折、見晴らしのよい所ゆえ尾崎の宮と称えて二神を祀ったと伝えている。/元正天皇の霊亀二年(七一六年)武蔵国高麗郡の設置により、帰化人の持つ高い大陸文化が高麗から川越・江戸へと伝わっていった古代の高麗街道沿いに鎮座する当社は、鎌倉・室町・江戸の各時代より厚い信仰をあつめている。」とある。

 由緒ある神社であるのだった。そこでぼくは柏手を打って厄除け祈願、平穏な世界を祈ってきた。


2021年1月5日(火)

 新年になって2度目の休日となったので、遅ればせながら年賀状を書いた。年賀状ソフトは10年以上前のもので、イラストを探してみても現代にフィットするものが少ない。そんななかで「七福神」が目に留まった。

 大黒さまや弁財天、どの福神も大きな口を開けて笑っておられる。これだと思った。開運招福、商売繁盛などよりも、笑門来福がいい。賀正のそばにこれを添えた。おおいに期待を込めた言葉だが、希望も期待も大きいほど好いにきまっている。


2021年1月8日(金)

 今日が休みで、明日出勤するとあさってが休みで、次の日に出るとその次の日がまた休み。G9I11K、つまりこれは飛び石三連休というやつである。もっともいまどきこんな言い方をする人はいない。若い人は意味がつかめなくてキョトンとする。昔々暦通りのGWなどはああ今年は飛び石だなどと騒いだものである。いまや、だからなんだ、である。

 だが、これはわくわくする勤務体系かも知れない。


2021年1月10日(日)

 72歳の誕生日を迎えた。1か月ほど前これに合わせて有給休暇を取っていた。本当は38日残っている有給休暇をどこかで取りたい、なんか口実はないかと考えた末に、この日が思い浮かんだだけであった。

 朝、配偶者は「誕生日おめでとう」と告げたあと「買い物に行こう。ケーキも買おう」と提案した。「いまさら、いいよ」と答えたもののあれば愉しいだろうなぁと考え直した。近くのコージーコーナー工場直売店で2000円の小さなケーキを買った。ローソクは何本いりますか? と聞かれたので大きいのを2本付けてもらった。大して意味はない。

 有給休暇のうえにケーキである。申し分のない一日となった、と思いきや、好事魔多し、帰宅後1時間余り下痢性の腹痛に襲われた。しかし、昼すぎにはそれも癒えて、いっそう快適なバースデーになった。Happyである。


2021年1月12日(火)

 昔風の飛び石三連休は、いまどきの三連休に匹敵する。G、9、I、11、Kなんていう一日おきの勤務は快適である。そんな最後の休日に2通の葉書を受け取った。

 ひとつはかつての同僚Tさんからの「寒中お見舞い」、毎年秋になると自分の畑で丹精込めて作った松本のお米を送ってくれるTさん、去年はそのお礼の手紙にTさんが敬愛する、安曇野の作家・丸山健二氏のインタビュー記事のコピーを添えた。あるべき返事がずっと来ないので心配していたところだった。「(手術・入院のあと)ようやく健康を取り戻したところです/早くお逢いして言葉を交わす時季ですね。」と結ばれていた。ほっとした。

 もう1通は名古屋の畏友O君からの「年賀状」だった。「寒く、荒れた天気のなか、少しずつ自転車に乗って運動兼気晴らしをはじめるようになった」と書かれている。早速ふたりに返事を認めることにした。使い残したステショナリーなどを仕舞っている抽斗を漁っていると「官製」年賀葉書が2枚出てきた。50円、郵便番号の赤い枠は5マス、うらの絵柄はサイケデリックな服装の若い男女を怖い顔をした牛が追いかけている。発行年を見ると平成9年、干支でいえばふた回りも昔のものである。O君にはこれを使うことにした。24年前ぼくは48歳でした。若い、若すぎる、との言葉を添えた。

 ちなみにフランス文学専攻のTさんには「パリ・オランジュリー美術館展」のとき(これも相当昔のものである)のモディリアーニの「アントニア」の絵はがきを使った。1915年頃の作品というが、絵は何時までも滅びない。心身の保養になるだろうか。


2021年1月22日(金)

 にゃん・にゃん・にゃん、だから、どうせ猫の日と言うんだろうなぁと思った。携帯のカレンダーを見ると飛行船の日となっていた。怪訝な気持ちでいると、まだ2月ではないことに気付いた。緊急事態宣言が発令されて、あっという間に2週間は経ったが、まだ1月、それもやっと下旬にさしかかったばかりであるのだった。

 このところ夢見が悪い。うなされて目覚めることが何度もある。コロナのせいではなく、普段はあまり読まない「推理小説」のせいだろうと思っている。米澤穂信の『満願』の「満願」に感心して、同じ作家の『真実の十メートル手前』『王とサーカス』と読んできて、宮部みゆきの『模倣犯』まできた(もっか文庫5巻中の2巻目の途中だが)。

 現(うつつ)には、いずれもなぜかもの悲しい結末に以前ほど嫌気もせずに読んでいれば、夢のなかで(潜在意識として)悲しい気持ちがあぶり出されるということかも知れない。

 こんな感覚は一度も乗ったこともないし、どんな形をしているか実際に見たこともないが、飛行船に乗っているようなものだろう。空が夢で、地が現、いや逆か。

 ところで、今日の飛行船の日にはちゃんとした来歴があるらしい。ネットには「1916年(大正5年)のこの日、陸軍の飛行船「雄飛(ゆうひ)号」が、初めての実験飛行(所沢から大阪へ)を成功させました。」とあった。


2021年1月26日(火)

「両親や兄以外に、由美子の不幸に衝撃を受ける人物がいるだろうか。/ノー、ノー、すべてノーだ高井由美子の人生は、叩けば虚ろなコンという音がしそうだ。空き缶だ。(宮部みゆき『模倣犯』より)」

 こういうのに出会うとシュンとなる。「自己否定」が身の回りを席巻したのは1968年から70年にかけての頃である。二十前後だったぼくも好んでその波というか渦に飛び込んでいった。否定の次には自己改革が来るのであった。よりよく生きるために、未来へ、世界へ飛び出すためにはどうしても必要なものであった。いまはどうだろうか。コンかカンかの音色が祇園精舎の鐘の音に聞こえれば御の字である。


2021年月29日(金)

 陽射しはとても暖かいが強い北風が吹く午後遅くなって最寄りのスーパーに出かけた。運転手、荷物持ちを兼ねた配偶者のお伴である。そのお伴はレジで会計が終わるのを待っているとき、少し離れたところで老婦人が買った物すべてを落としてしまうのを目撃した。マイバッグに荷物を詰め込もうとしてすり抜けてしまったのである。7、8点の商品が床に散らばった。その中で二個の卵パックにぼくの目は吸い込まれた。

 どこからともなく店員がやってきて拾い集めるのを手伝い始めた。店員は卵が何個か割れているのを確認すると「取り替えますよ」と言った。「いえいえ、自分が悪いのですから、いいですよ」老婦人は固辞したが店員はすぐに二個のパックを抱えて売り場に走った。ほどなく新しいパックを手に戻ってきて、老婦人のバックに入れてあげた。

 ああ、こんなに親切なスーパーなんだ、と思った。2月4日(木)には全店を休店にするらしい。その理由を「すべての従業員にも家族団らんのひとときをあげたいからです」と告知している。いいね、「ヤオコー」。




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